1話:後編 最初の目標
「なんだか抽象的ね。それに地味だわ。具体的には?」
「俺は魔力の強さは単純な強弱じゃないと考えている。つまり量だけじゃなくて、波長という要素があるんじゃないかと思うんだ」
「そうじゃな。魔力の濃さとも言う」
フルシーが言った。感魔紙はモノクロだ。魔力の強さは単純に濃さになる。だが……。
「そうね、魔力にはそういう要素があるわ。色のことでしょ。それで?」
メイティールが言った。予想通りだな。後は、その色の背景にある原理が俺の思っている物かどうかだ。
「まずはこれを見てほしい」
俺は用意しておいた物を取り出した。三角柱に削った水晶、プリズムだ。俺には魔力は扱えない以上、俺にも見えるもので説明するしかない。
フルシーから虫眼鏡を、ノエルにはあらかじめ頼んでいた魔導金の板に細いスリットを開けた物を受け取った。
西側の窓を開けて光を呼び込む。この世界の自転も地球と同じなんだな。いや、陽の出る方向を示す言葉を俺が東だと思ってるだけか。
虫眼鏡を使って集めた光をスリットに当て、細く絞ってからプリズムに通す。プリズムから出た光が白い石板に七色の虹を生じる。
「一見白く見える光だけど、このように何色もの色の光が合わさって出来ている。それが水晶に対する波長ごとの屈折率の違いで分かれる。これは光という波が持つ性質なんだ」
ここまで説明して、俺は聴衆がついてきてないことに気がついた。全員がぽかんとしている。
「また、聞いたこともない知識をあっさりと言いよるわ」
「虹を見たことがあるでしょ。あれと同じですよ。あれも空気中の水蒸気、霧みたいなもので光が屈折してわけられて出来る」
「だから、あっさりと虹が出来る理由なんて説明しないで」
ノエルが言った。
「肝心なのはこれからなんだ。スペクトル……この虹のパターンは何から出た光であるかによって違う。逆に言えばこのスペクトルを調べればそれを発している物の性質が分る」
「魔力も同じだと言いたいわけね」
メイティールの表情が真剣なものになっている。そう、魔力の色については帝国の方が進んでいるはずなんだ。
俺はプリズムで作られた虹の端、紫色の隣を見た。人の目には見えないが、ここには紫外線が存在している。つまり、人間が認識できないが人間が認識できる可視光よりも高エネルギーの光だ。例えば蜜を集める昆虫は紫外線が見えるので、人間には見えない花の模様が見える。
「もちろん検証が必要だ。だけど、もしそういったパターンを分析することが出来れば、魔脈の観測から得られる情報は飛躍的に上がるはずだ」
いわば魔力のスペクトラム分析。これが俺の提案だ。メイティールはじっと考え込んだ後、口を開く。
「確認したいことがあるわ。魔力を持たない貴方には、魔力そのものではなく魔力の発現で間接的に現れる光しか見えないはずでしょ。私たちみたいに魔力の色は認識できないはず。私たちだって、貴方が今作ったその虹みたいにははっきり認識できないのよ。それなのに、貴方は色の先にある何かについて語っている。根拠は?」
理解が早くて助かる。そりゃこの世界の全ての物は波で……、は流石に無理か。俺の知識的にも説明できない。
「まず間違いなく俺には見えない。だけど、そう考えた理由が二つある。どちらも、帝国の動きから見えてきたものだ」
「へえ……」
「一つは、帝国が王国にばらまいてくれた粘菌……喰城虫だ。あの虫は帝国から運ばれた木材が発する魔力に引きつけられていた。故郷と同じ魔力波長のパターン、いわば故郷の匂いだな、を認識しているんじゃないか。つまり、雑多な魔力である瘴気には地域によってどの色の成分が強いかという違いがある。そうじゃないのか?」
「……あの虫は魔力の性質、瘴気の色と言っているけど。それで自分が向かうべき場所を決めているのは確かね」
メイティールは慎重に頷いた。
「もう一つは帝国が使っていた特別な魔結晶だ。これは単に魔力が強いだけじゃなくて魔力の色の中でも、濃い魔力を蓄えたものじゃないか。それは、普通の魔力感知では捕らえきれない」
これは館長からの情報だ。測定器にはかかっても、魔術師には認識しづらいのだ。
「そうよ。王国の技術では強さしか分らないかも知れないけど。私たちは、ある特定の魔力源から出る魔力に反応する素材を使って、それを知ったの。その魔結晶は深紅と呼んでいるわ」
紫外線だけに反応する物質みたいな物か。普通の魔力より濃いから深紅なのか。光でも単なるエネルギーの総量ではなく、波長が重要な現象はある。有名なのは、アインシュタインのノーベル賞の業績である光電効果の説明だ。
弱い光子、つまり赤色光、をどれだけ沢山ぶつけても金属から電子をはじき出すことは出来ない。だが、少数の強い光子、紫外線、をぶつければ電子がはじき出される。ミクロの世界で光子と電子がぶつかるときは一対一の関係だからだ。
「……やけに素直だな。情報交換はどうしたんだ?」
メイティールの知識は期待通りだが、こうもあっさりと言われると逆に不気味だ。
「隠す・意味が・なさそうだから。でも交換は交換。そちらが知ってる魔脈のことも教えて貰わないと」
「わかってる。俺たちがどうやって帝国の長期的魔脈変動を調べたのかを教えよう」
俺はフルシーに目配せをする。
「それ、それよ。私たちも知らない大昔からの魔脈のパターンを王国で見せられたときは正直ぞっとしたわ。帝国が力を蓄えていたのが筒抜けだったんだもの。あれはどうやったの」
「じゃあ館長お願いします」
俺は館長に頷いた。フルシーは感魔紙と、年輪サンプルを取り出した。あの粘菌魔獣の時取り分けておいたサンプルの残りだ。フルシーの手により、感魔紙に年輪の魔力のパターンが映し出される。
「木に記録が残ってるなんて……。なんてこと。私たちがわざわざ教えて上げたってわけね」
「運が悪かったな」
「絶対に運じゃないわ。全部の説明に理論的根拠があるじゃない」
メイティールの言葉に、フルシーとノエルが頷く。
「納得してくれてよかったよ。それじゃあ具体的な話に戻ろう」
これまで俺たちがやっていたのは横に時間、縦に魔力の単純な強さのグラフだ。これから俺が知りたいのは、さらにその時点ごとの魔力のスペクトラムだ。その為には新しい技術が必要だ。
「皆に取り組んで欲しいのは、魔力の波長、色ごとの強さを計る測定器なんだ。最初の目的として悪くないと思うけど、どうかな」
「最初の目的って……。貴方の言ってることっていわば魔力の基本性質の解明でしょ……」
メイティールが困惑の表情になった。
「物足りないか? 魔脈変動は要するに魔力の変動。それを理解するためには、より詳細な理解に基づいた分析が必要だと思うんだが」
魔術にしろ魔導にしろ基礎よりも応用だ。地球だって科学の純粋な原理が技術や商業に直結するという認識が広まったのはせいぜい19世紀。フルシーの測定技術にここまであまり光が当たっていなかったのもそこら辺が理由だろう。
「逆だから。魔導の基本である魔力のこれまでにない解析方法よ。クルトハイトで見せられたあのとんでもない魔力回路の事が飛びかけたわよ」
メイティールが首をブンブン振った。
「……儂らほど慣れておらんからな」
「……ちょっとだけ同情する。巻き込まれる私が言っても虚しいけど」
フルシーとノエルが言った。俺を出汁にちょっとだけ空気が緩んだのは良いことだ。
こちらにはない科学知識の体系を俺は持っている。元の世界の誰かが考えた概念を応用してるに過ぎないのだ。本当のスペックはここに居るメンバーの中で最低だろうけどな。
レオナルドが困った顔になっているな。さっきからペンを動かしては止まるの繰り返しだ。アルフィーナは一生懸命メモを取っている。彼女の際だった長所だ。蜂蜜にしても馬車にしても、おおよそお姫様には無縁な知識をちゃんと理解しようとする。おかげで、これまで何度助けられたか。
「けど、魔力の濃さの原理に基づいて「魔力の成分が分解できる」はあくまで仮説なのよね」
冷静さを取り戻したメイティールが言った。
「その通りなんだ。今、光でやったみたいに魔力の成分を分ける事ができるか検証しないといけない」
「何が必要なの?」
「魔力を屈折させる材料だ」
俺はプリズムを手に持っていった。魔力はいろいろと特別だ。ガラスを素通りするからプリズムもレンズも使えない。実は、魔力触媒の中にそれっぽい物はあったが、抽出すると効果が消えた。
「心当たりがあるわ。王国で討伐した竜の素材、目は残ってる?」
「儂らでは扱い慣れておらんからな。手つかずのはずじゃ」
「用意しておいて、表面の加工については実際に作る測定器に合わせて私が指示するわ。……材料が足りるかしら、こっちに持ってくる荷物はずいぶん制限されたのよね」
メイティールが恨みがましく言った。帝国最大の魔導師に無制限に持ち込みさせるわけがない。王国はもちろん、帝国だってだろう。
「まあ、最初にしては期待以上だったと言っておくわ」
メイティールはそれでも満足そうに笑った。
「そうだ、ついでにあの特別な魔結晶、深紅についても教えてくれ。あれはどこで手に入るんだ?」
「残念。ついでに出せるような情報じゃないわね。それに関しては……そうね、あの魔力触媒の作り方と交換なら教えてあげる」
「こっちは大分情報を出したと思うが」
「あら、私が聞いたのはあくまで仮説でしょ。実証を手伝うんだからバランスは取れてるわよ」
重要資源の情報となれば簡単にはいかないか。まあ、当面欲しかった情報は手に入った。
俺は竜の素材について嬉々としてメイティールに質問するフルシーと、それを後ろからおっかなびっくり見守っているノエルを見た。
どうなるかと思ったが、スタートとしては上々と言って良いかな。




