1話:前半 平民学生リルカの光景
「今日はきっといい日になるわ」
授業が終わってざわめく教室で、私はミーアに話しかけた。最後の授業は数術だった。
学院は自分が取る講義を自由に選べる。貴族学生ならバランスを取っていろいろな種類の講義を選ぶ。あの方たちは将来私達の上に立って、いろいろな技能を持つ人間を使いこなすのだから当然だ。
一方、私達平民学生はある程度絞って講義を取る。商家の娘である私の場合は数術はその一つだ。ミーアとはこの講義で知り合った。
「リルカは毎日それを言ってるから、統計的に意味が無い」
「そんなことないわよ。さっき廊下でルィーツア様とすれ違ったんだから。会釈したらにっこり笑ってくださったのよ。今日は特別」
「貴族の姫君なんかと関わり合いになっても、いいことなんて無いと思う」
興奮を隠さない私に、ミーアはいつもの半分寝たような顔でいった。
「そんなことないわよ。私達平民学生は将来仕える方を探すためにここにいるんだから。そりゃ、婿様が決まるまでは子爵継嗣であるルィーツア様は高嶺の花だけど。女性の身でその重圧を背負われているお姿は、本当に素敵だもの。むしろ、あの何処か陰気な王女殿下よりも…………。あっ、違うわよ。悪口とかじゃなくて。ほら、あのお方はお優しいみたいだけど、頼りないというか。この前の魔獣氾濫だって王子様の天才的な指揮と、我が学院が誇る賢者フルシー様の叡智が主だったって話だし」
私は慌ててまくし立てた。ちなみに、賢者なんてすごい人がいることを知らなかったのは私もまだまだだけど。まあ、お爺さんだしいいよね。
「なるほど、そういうふうになっているんだね」
「そういうふう? どういうふう? とにかく、ルィーツア様は素敵だって話。ミーアもこの手の情報はたくさん集めたほうが良いよ。将来掛かってるんだから」
「うん、リルカには感謝してる」
「えっ、う、うん。私もいつも数術の勉強みてもらってるし、ありがと」
「ただ、私はもう行き先は決まってるから」
「うー。それってヴィンダーでしょ。言いたくないけど、もったいないと思うの。ミーアなら絶対もっといいところがあるよ。ほら昨日なんて、賢者様に声かけられてたじゃない。賢者様と数術の話ができるなんてすごいことじゃない。あの男じゃ宝の持ち腐れだよ」
「……………………先輩はもっととんでも…………」
「えっ、今なんて? とにかくさ、ヴィンダー君はさ、放課後もすぐ図書館にこもってさ、何のためにここにいるのって感じだし。それどころか、平民学生がドレファノの息子に喧嘩売るようなことするなんて、考えられないよ」
私は、この前の廊下でのことを思い出しながら言った。
ケンウェル傘下の商会の娘だからわかる。あの時点でドレファノ君に逆らうなんて正気じゃない。ミーアは知らないだろうけど、ケンウェルだって危なかったのだ。あの男は保身という言葉を知らないのだ。
腹が立つのはそのことだ。
ケンウェルは一丸となって。ほんとうに頑張って。ドレファノの不当な干渉を撃退した。
あんな愚かな行為を積み重ねたヴィンダーは、おかげで何もせずに危機を乗り切ったのだ。ウチのおかげで助かったようなものだ。神様は不公平だと思う。
「そういえば、あの男っていえばおかしな噂があるの。先日の魔獣討伐の祝賀会で王女殿下の踊りの相手を務めたって。しかも初めての相手で、王女殿下はヴィンダーと踊ったあと、すぐに王宮の催しに移ったから、踊ったのは一人だけって。バカバカしさに程がある噂だけどさ」
「っ!」
ミーアの顔が曇った。ミーアはヴィンダー君に好意を持っている。でも、それって小さい頃からの刷り込みみたいなものだと思う。だって、私が悪口めいたこと言っても、むしろちゃん聞きたがることが多いから。もちろん言い過ぎちゃったら怒られるけど。
やっぱりなんやかんやで不満も抱えてるんだと思う。だから、私がミーアの目を覚まさせてあげないといけない。
だだ、今の表情はちょっと怖かった。
「ま、まあ、根も葉もない噂の話はいいか。そうだ、今日はどうする。私、予定とかないから、できれば図書館で勉強とかどうかな。今日の授業で一つわからないところがあるんだ」
「あらミーアさんじゃない。ごきげんよう」
「アデルハイド様。ごきげんよう」
図書館に行くため、廊下の角を曲がったところで私は固まってしまった。なんと、ルィーツア様が話しかけてきたのだ。私ではなくミーアにだけど。すごい、ミーアいつの間に。ああ、チャンスなのに。なんでそんなにあっさりとしてるのよ。ミーアは無表情に見える事が多いから。もしも、誤解されたらどうするのよ。そんなとこまでヴィンダーに似なくていいのに。
「あ、あの、ごめんなさい。ルィーツア様。ミーアは今、私が質問した数術の問題を考えてもらっていて。きっと、それで頭がいっぱいになってて」
「あら、ええっと、貴方は…………」
「は、はい、私はリルカと申します」
「ふうん、ミーアさんのお友達かしら」
「は、はい。あ、あの私、リルカと申します。ルィーツア様に憧れていて」
絡まりそうになる舌を必死に動かした。
「そうだ、明後日のお茶会だけど、よろしければ貴方もどうかしら。ミーアさんのお友達なら歓迎だわ」
「えっ! ええーーーー。あ、あの、こ、光栄です」
私は思わず叫んでしまった。ルィーツア様にお茶会に誘われるなんて。夢じゃないよね。
「じゃあね、リカルド君によろしく。逃げないようにちゃんと掴まえていてね。姫様が心配してたから」
「わかっています」
私がぼうっとしている間に、ルィーツア様は去っていってしまった。別れのご挨拶が出来なかったと気がついた時には、背中はもう遠かった。リカルドがどうのって聞こえた気がしたけど、気のせいだよね。
「すごいすごい。ルィーツア様の御茶会だよ。嘘みたいだよ。ねえミーア。ルィーツア様とそんな関係だったなんて、どうして教えてくれなかったの。でも、ほんとうに感謝だよ」
学院の学生である以上、貴族の方に声をかけられたり、勇気があればこちらから話しかけたりすることは不可能ではない。だが、お茶会に招かれるというのは特別。二度、三度と招かれればそれは正式にご厚誼を得たということになる。
「気にしなくていい。それよりここ図書館」
「うっ、でもさ」
私は声を潜めた。ほとんど人が居ないとは言え、確かに。マナーもわきまえない平民と思われたら、将来に響く。
「その、どんな準備をすればいいんだろ。私」
「答えは簡単。今できる最大の準備をすればいい。他に選択肢なんてない。というか何しても無駄」
「そ、そうだよね。私なんかがふさわしいものなんて用意できるわけないんだし」
さすがミーアだ。いつもの明快な答えに、私は感心した。
「ミーアくんじゃないか」
「どうしましたか賢者様。図書館に来るなど珍しいですね」
「はは、儂は館長じゃがな。それに、そなたに賢者と言われると微妙じゃな。いや、館長室の改修中で居場所がないのじゃよ」
「ああ、新しい実験室には先輩も期待していました」
「そうかそうか。今度の設備はすごいぞ。小僧に言っておけ、百年を超える減衰も補正する式を創りだすとな」
賢者様はそう言うと笑った。なぜヴィンダーの話題になっているのかよくわからないし。話している内容は理解できない。多分ミーアがすごいのだ。
「き、緊張してきた」
あっと言う間に三日間がたった。放課後、中庭に続く道の前で私は自分の姿を確認した。もう何度目かわからないが仕方がない。私がこれまで参加したことがあるお茶会なんて、ケンウェルのマリアお嬢様のお供で出た男爵令嬢のが最高だ。
それに、今回のお茶会に参加できたのは、ミーアのおかげなのだ。私が失敗したら、ミーアにも恥をかかせることになる。
「弱気なのはダメよ。リルカ」
私は気合を入れて、一歩を踏み出した。
「あら、リルカじゃない」
「ゼルディア……先輩」
ああもう、縁起が悪い。ゼルディアは一つ上の学年。ケンウェルのライバルであるカレスト商会の長女だ。カレストは王都だけでなく東部の中核都市であるクルトハイトに商圏をもつケンウェルよりちょっとだけ大きな商会だ。食料の他に、国内有数の岩塩の産地を押さえていることが強み。
つまり、ドレファノがいなくなった後の食料ギルドのライバルということ。
「こんなところでどうしたの? ちなみに私はヒルダ様にお届け物。我が家のお菓子を殊の外気に入っていただけたの。紹賢祭ではきっとご来席いただけるわ。どなたをお招きできるかで、格が決まってしまうのだもの」
ゼルディアの言葉に私はビクッとした。クルトハイト大公令嬢であるヒルダ様は第二王子の婚約者だ。
「紹賢祭まで後一ヶ月。そちらはどなたか当てはあるのかしら」
「私も、これからお茶会に呼んでいただいてますから」
私は負けずと言った。名誉男爵だったドレファノとは違う、そりゃケンウェルの傘下の真ん中だけど。だからって平民同士、気圧されてたまるものですか。
「へえ、この辺りってことは貴族の方のよね。大したものじゃない。一体どこかしら」
「確か、入り口から三番目の東屋です」
「はあ? …………プッ、クスクス」
「な、なによ、ですか」
「ううん。まあ、上に上がりたいのはわかるけど、あんまり適当なことは言わないほうがいいわよ。じゃあ」
ゼルディアは口を押さえて行ってしまった。一体何だというのだ。そりゃ、私だって子爵令嬢、ううん継嗣であるルィーツア様に招かれるなんて分不相応だってわかってるけど。
頑張ろう。そうよ、ルィーツア様を模擬店にお招きするくらいの気持ちで行くのよ。高望みすぎるけど。




