1話:前編 戻ってきた日常?
「ねえ、それでそれで」「どうなったのですか」
初春の午後の日差しを浴びながら、俺は裏庭のラボに向かって歩いていた。背後からは少女達の姦しい声が聞こえる。文字通り女子三人会話に花を咲かせているのだ。それだけで男子がはばかられる雰囲気なのに……。
「クルトハイトに現れた先輩は、久しぶりに再会した私をじっと見ると――」
語り手としては少々抑揚がたりない口調のミーアが中央。左右から体を寄せるアルフィーナとリルカ。その後ろにはクラウディアもいる。ただ見てる分には眼福と言って良い光景だ。
「――メイティール皇女を己の物にするための商談を始めたのです」
「どんな脚色だ!」
たまらず俺は振り返った。
「脚色? 先輩は商談に来たとメイティール皇女に宣言しましたけど……」
ミーアがわざとらしく首をかしげた。
「帝国の皇女といえども王都に連れ込んでしまえば後はどうとでもなる。私には先輩の心の声がそう聞こえました」
「それは完全にミーアの妄想だよな」
「まあ、半分……25パーセントくらいは冗談です。それにしても、こちらに戻ってきてから聞きましたけど、他にも問題だらけです」
ミーアはあきれ顔になった。
「はあ。部下一人取り戻すために、国王陛下を引き出したあげくに王国と帝国の継承順位にまで干渉する? いくら何でも話を大きくしすぎです。というわけで、先輩の策士としての今回の点数は落第です。証明完了です」
「いや、その言い方が大げさだから。クレイグ殿下に関してはもう時間の問題だったし。メイティール皇女は自分から……。そっちは見てたよな」
「アルフィーナ様はどう思われましたか」
ミーアは俺の言葉を無視してアルフィーナに聞いた。そういえば、あの時はアルフィーナは何も言わずに送り出してくれたな。
「目的のためには仕方がなかったと思いますけれど。叔母上様からクレイグ殿下……王太子殿下と公爵と館長で国王陛下を囲んで脅させたと聞いたときは……」
アルフィーナはとんでもないことを言った。なんでエウフィリアまでそんな恐ろしい脚色してるんだ。全く覚えがないとは言わないけど。
「み、皆んな喜んで協力してくれたんだから。なあ、リルカ達も走り回ってくれたし」
「そりゃ、友達として当然…………上はそんな話だったの!?」
さっきまで笑っていたリルカが、不味いことを聞いたみたいな顔になっている。俺を見る視線が恨みがましい。まるで知らぬ間に王家を巡る大陰謀に巻き込まれた平民みたいな表情だ。それ、俺の立場でもあるんだからな。
「……ま、まあ、それでもさ。ほら、ミーアも悪い気はしなかったんじゃない。いくらヴィンダーでも気の利いた一言くらいはあったでしょ。そういうのが聞きたいなー」
露骨に話題を戻したリルカ。残念、そんなかっこいいシーンはなかった。何しろミーアを残して帰ってきたのだ。
だが、ミーアは顔を伏せた。
「あれ、顔が赤いよミーア」
「……あの言葉だけは秘密です」
「ええー! それはないよ」
「とても気になるのですけれど」
リルカもアルフィーナは興味津々という顔になっている。このままじゃ、クルトハイトに乗り込んだときの俺の保身が穴だらけだとばれる。
「そ、そういえば、メイティール皇女は学院ではどうなんだ」
俺はリルカに聞いた。リルカは俺をまじまじと見て「はあ」とため息をついた。
「……えっと、学年が違うからあんまり知らないけど、そもそも殆ど学院には出てきてないんじゃない?」
「そうなのですか。留学というのは名目と言うことでしたが……」
確か預かっているのは第一王女の嫁ぎ先の公爵家だったな。リーザベルトの歓迎会で餡子vsチョコをやったあの屋敷だ。人選としては悪くない気がする。現在西の大公邸には居候が三人もいるし。そもそも、立場が立場だ。
それに、あの態度で学院を闊歩されても困る。学院には知り合い、親戚、家族が犠牲になったり、領地や家畑に被害を受けた人間もいるはずだ。
「……少しお気の毒ですね」
アルフィーナは同情しているようだ。メイティールがここに来たときの傍若無人の態度を見ていないからな。そんな大人しい人間じゃないと思う。
それでも、あの魔導皇女の知識は必須だ。
「そういえば水晶の方はどうですか?」
俺は声を潜めて聞いた。俺がクルトハイトに向けて王都を立った少し後から、アルフィーナは週に一度くらいの割合で聖堂に赴いていたらしい。それはつまり、水晶が予兆を発し始めたことを意味する。
「それが少しこれまでと違うのです。反応の間隔がとても長いのです。それなのに、反応そのものは強くて。もちろん像は全く浮かばないです。だから、現時点では予言であるかも分らないのです」
アルフィーナが言った。
予言なんてこないに越したことはない。出来ればそのまま反応が消えてほしい。もちろん、昨今の魔脈の異常を考えるとそんな希望的観測は却下だ。予言は来ると考えて動く。
「確か、シグナルの間隔が縮まってイメージが来るんでしたね」
「はい」
時間の猶予がある内に少しでも早めに手を打たないと。パターンがこれまでと違うと言うのは不安だ。そして……。
「アルフィーナ様。現時点では出来るかぎり、水晶には近づかないようにしてください」
「しかし、姫様のお役目では……」
クラウディアが言った。
「そうです。私は巫女姫として少しでも早く……。そうでなくてもまた無茶を……」
アルフィーナは抵抗する。彼女にしてみれば少しでも早く予言が見えれば、それだけ被害を減らせると思っているのだろう。それは全くその通り。災害対策は予防が一番なのだ。それでも……。
「ちゃんとイメージが出るくらいの段階になるまで、無理はしないでください」
「しかし、それでは私は何の役にも……」
アルフィーナの表情が曇った。
「まあ、それは置いておくとして。本当に帝国の皇女様なんて連れてきて大丈夫なの。ついこの間まで戦争してた相手と一緒に研究? とか……」
リルカが言った。
「大丈夫なわけないだろ。ただ、魔脈のことを考えるとそうも言ってられないんだ」
俺はアルフィーナの表情を気にしながら言った。もちろん嘘じゃない。
だが、もう一つ有る。予言の水晶にはずいぶん助けられているが、俺はあの強力すぎる魔道具を信用していない。捕虜になった馬竜軍団の騎士の魔力障害。腕に刻まれた魔力回路から広がる火傷跡のような腫れを思い出す。
それにダゴバードは言った「人ごとではあるまい」と。もちろん、単にこちらを混乱させようとしたのかもしれない。だが、今回の帝国の行動をみると、俺たちの知らない何かが魔力にはある。そしてそれに関する知識が帝国にはある。
今日の話し合いで少しでもメイティールから情報を引き出さないといけないのだ。と言うわけで……。
「アルフィーナ様には、是非とも魔術班とメイティール殿下の橋渡しをして欲しいのです」
こと技術的な話だけならまだいい。基本的に皆数字で話が通じる。だが、一緒に研究する以上それだけでは済まない。そして、魔術班は俺に匹敵するようなコミュ障揃いだ。外国人で、皇族で、人質で、そしてスパイでもある。そんな人間と交流するのは不可能な人間ばかりが集まっている。
「アルフィーナ様は、ベルトルドではボーガン達職人との連携を取ってくださいましたし。ハチミツの件でも上手く取り持ってくださいました。その力をお借りしたいのです」
「分りました。メイティール殿下も知らない土地で不安でしょうし。私が頑張ります」
俺の言葉にアルフィーナはぱっと笑顔になった。
「先輩……」
ミーアが心配そうな顔になる。すでに顔見知りであるミーアにも期待したいが、例によって魔術班だけに貼り付いていてもらう訳にはいかない。商業サイドにも必須なのだ。
「ヴィンダー。私も不安だけど」
リルカも心配そうな顔になる。
「これ以上ないほど適材適所だろ」
身分的に釣り合うし同性、アルフィーナにさっき言ったことはお世辞ゼロだ。だが、リルカはミーアと顔を見合わせた。
「とにかく、お客様が来る前に館長とノエルにはちゃんと話していいことと……。あれ、なんでもう来てるんだ」
事前の打ち合わせのために、俺たちは待ち合わせよりも早めに到着している。だが、ラボの前には対魔騎士団とは別の制服の騎士が二人立っている。一人は第一騎士団、もう一人は紋章からしてメイティールを預かっている公爵家の家臣だ。
◇◇
「ここの部屋は何をしているの。あのガラスの中身はなに」
「あの、えっと、それはまだ言えなくて。駄目です、入っていただくわけには……」
ラボのドアを開けると、研究所ナンバーツーの錬金術師兼宮廷魔術師が魔導師に詰め寄られていた。明るい紫の髪を無造作に後ろで束ねたメイティールが壁際にノエルを追い詰めているのだ。
ノエルの大きな山がメイティールの普通の山にくっつきそうな勢いだ。今にも漏れてはならない国家機密がこぼれ落ちそうだ。
「ああ、リカルド。やっときてくれたわね。ミーアも久しぶり」
メイティールは一瞬で俺に標的を変えた。相変わらず呼び捨て。息が掛かるほどの距離まで一気に迫ってくる。
「この小さな小屋を見たときは騙されたのかと思ったけど。中を見たらなに? やってることが全く理解できないのよ。面白いわ。ねえ、あの魔力触媒のこととか今日はちゃんと説明してくれるのよね」
メイティールは興奮を隠さずまくし立てる。ちなみに、解放されたノエルがミーアの後ろに隠れた。この勢いでやられたんじゃ人見知りのノエルは堪らなかっただろう。アレはすでに苦手意識を植え付けられているな。
困難は予測していたけど最初からこれか。
「ご挨拶させてください。初めましてメイティール殿下。アルフィーナ・クラウンハイトと申します」
アルフィーナが俺とメイティールの間に入った、物理的にも。よし、予定通りメイティールとの社交はアルフィーナにお願いしよう。初対面のついこの間までの敵国の皇族となると、流石のアルフィーナも少し声が固いか。
「アルフィーナ……。なるほど、貴方が古龍眼の巫女なのね。ええ、初めまして」
瞳にやどる光が少し鋭いがするが、メイティールも普通に社交的な態度で応じた。それにしても古龍眼とは?




