22話:国益を説く
クルトハイトから戻った俺は、グリニシアス公爵の城の廊下を歩いていた。城は大きいが装飾などは最低限に見える。現当主の性格が窺える城内だ。平民にも優しいヴィジュアルと言えよう。だが、俺は無駄に豪華な装飾にあふれていた敵地よりも緊張していた。
「これは王都から届いたものだ」
城主の息子であるレオナルドが俺に一枚の封書を渡す。差出人は俺の親父だ。広げた紙には知った名前が全部書かれている。すごいな脱落者ゼロか。
貴賓室が見えてきた。中には臣下第一等が貴賓として扱わなければいけない男が待っている。もっとも、これが終わるまでは俺にとってはジャガイモでなければならない。最後にして最大の山場を超えるためには、精神の平穏は必須だ。
「使者の役目ご苦労だったな」
宰相からねぎらいの言葉が掛る。俺は無言の国王に一礼すると、帝国からの返答を読み上げた。
全ての占領地からの撤退、賠償金の支払いも満額回答、ただし二年にわけてだが。交易条件の不利も許容されている。そして……。
帝国は大河の向こうに王国が”交易と魔脈観測”の為の拠点を建設することを認め、隣接するマルドラス、リーザベルトの故郷の地名だ、から必要な支援を与えるとある。
「帝国は”河向こう”の領土を認めたか」
宰相が河向こうを強調した。それでも表情には驚きがある。そう、帝国領土の割譲ではない。だが、国民に発表すれば、殆どの人間が帝国から分捕ったと勘違いする。大体、今回の侵略によって傷ついた地域の領民や貴族にしてみれば、防衛ラインが河向こうになったような気分だろう。これは大きいのだ。
「第一皇女が人質として王都に赴くか」
国王が言った。メイティールは現在皇位継承第一位だ。もちろん、次期皇帝が人質など属国宣言だから、その前に継承順位はいじられるに決まっている。だからこそ、第一皇女と書いてあるのだ。
帝国においては生まれた順番はあまり意味がない。というか、厳密に言えば登録された順番みたいだ。メイティールの方がリーザベルトよりも年下なのだから。皇位継承”第一位”は意味があるが”第一皇女”は意味がない。
そもそも、帝国軍本体を率いた帝国の魔導のトップだ。極めて価値が大きな人質である。大体、帝国の皇位継承順位は基本的に実力、メイティールの魔導知識は順位に関わらず価値がある。帝国の最高戦力をこちらの監視下における意味も大きい。この二人は強力な帝国の魔導を、王国が一度しか通じないインチキで破ったことは分かっている。
もちろん政治的にも。つまり、国益と王家の面目という意味でもこれ以上ない結果のはずだ。今回、王国的には一方的な侵略を受けた被害者だ。被害を受けた国民や貴族の感情の処理は難しい。だが、この条件を見て王国の完全勝利を納得しない者はいないだろう。しかも、国王が自ら軍を率いて獲得した勝利だ。
この講和がなれば功績は帝国を破った王の物なのだ。文句の付けようがない結果だろう。
「ただ、帝国にはこれらを飲むに当たって幾つかの条件があるそうです」
当然だろうと頷く二人はゆだんなく表情を引き締めている。
「まず、クルトハイトからの撤退においてはメイティール皇女の代わりに帝国軍を統率するために、こちらで捕らえたクレーヌとその部下少なくとも10人の返還。そして、身代金の支払いによるダゴバード皇子の早期返還の確約。そして、メイティール皇女は王立学院への留学という形を取ること」
俺の言葉に反論はなかった。帝国軍が早期に、秩序だって撤退することは王国にとっても利益だ。メイティールはどんな名目であろうと、誰が見ても人質。もちろん、王立学院にというのは大事なんだが。
さっきまであんまり興味なさそうだったフルシーの顔がほころんだ。ミーアが酷い目に遭わされていなかったことはすでに伝えているが、現金なものだ。あの二人を組み合わせるのは俺の方が不安になる。
それはともかく、ここまでは問題ない。いよいよ本題だ。
「最後に。メイティール皇女の安全を保証するために、王国から”名誉”大使として第二王子デルニウス殿下を帝都に派遣すること」
俺は表情を変えずに言った。
「それは……!」
「……」
案の定、宰相が慌てた。そして、国王の表情が消えた。
おっと”帝国から”の要望なのに、まるで俺が仕組んだみたいじゃないか。
そうだよ、事実上の第二王子の国外追放だよ。第二王子は俺の視界から排除すると決めたからな。
「その方は……」
底冷えする目が俺を睨んだ。すごい迫力だな。ジャガイモと思っていても怖い。
「私はあくまで使者。帝国からの要望を持ち帰っただけですが」
俺は努力して平然を保った。大体、子供の喧嘩に親が出るのは興ざめじゃないか。
「ダゴバード皇子を早期に解放というのは危険が大きいのではないか?」
間を稼ぐためだろう。宰相が俺に言った。いや、この男なら分っているだろう。この最後の案すら、”王国”にとっては利が大きいことを。
「魔導師としての力を失っていないメイティール皇女よりも、馬竜の大半を失ったダゴバード皇子の方が脅威としては小さいでしょう。皇位継承第一位と第三位以下が帝国に居るよりも、第二位と第三位以下が居る方が向こうもいろいろと大変でしょう」
これまで抑えつけられていた第三位以下が、敗戦でケチのついた第二位と争う。言うまでもないことだが、この台詞は王国の第二位と第三位の事も念頭に入れて言っている。
もちろん、二人には伝わっているだろう。と言うかまさか、宰相に誘導されてるんじゃないだろうな。
「新都市は血の山脈の飛竜の領域ということだが、そのようなところに赴く商人が本当にいるのか?」
「はい。このように。すでに了承を取り付けております」
俺はセントラルガーデンの商会が名を連ねた連判状を見せた。全商会が出資、新都市に支店を作ることが書いてある。海の物とも山の物とも知れない土地に、大規模な投資が必要なのに脱落者0なんだぜ。むしろ俺の胃が痛い。
ちなみにしれっとジヴェルニーの名前もある。
「これらの商会は今回の花粉や魔力触媒の開発にひとかたならぬ貢献をしております。王国のために遠方へ赴く以上は、相応のご配慮を」
俺は付け加えた。
「皇女の留学という形式だが、敵国の皇女の受け入れは大丈夫か」
「それに関しては儂が請け負おう」
フルシーが言った。実際にメイティール本人を見た後では正直不安だけど、学院で一応一番えらいことになっているからな。
宰相が沈黙した。
「太子に病がある以上、次男であるデルニウスを国外に出すのは慎重を期さねばならん」
王が口を開いた。完全否定じゃないな。分かっているのだろう。
「クレイグ殿下はいかがなさるのですか?」
俺は宰相に言った。政治的には、第二王子を国外に出すという今回の案は渡りに船のはずだ。これまでの幾多の魔獣討伐に加えて、ダゴバードの馬竜部隊を打ち破ったクレイグの功績は大きい。というか、大きすぎる。
だが、クレイグは幸い王子だ。王国全部を褒賞に、つまり太子にするというウルトラCが使えるのだ。もうレベルアップできないからクラスチェンジというわけだ。
そうなると間違いなく第二王子は大きな不満を抱える。序列を重んじる王国で、クレイグの不満分子は第二王子を持ち上げる。将来の争いの種にしかならない。
「王家の序列の乱れはどうなる」
本当は平民ごときに王子を追放されては王家の権威はどうなる、かな。
「ベルトルドでのクレイグ殿下の勝利。今回の陛下の親征による帝国にたいする完全勝利。王家の権威がこれほど高まったことは建国以来では?」
歴史書には王は長い平和にも油断することなく、突如生じた幾多の国難に見事に対処しきった名君として記録されるだろう。
「デルニウスを支持する貴族達が不満を持つだろう……」
「陛下。実は……」
宰相が書状を取り出した。封蝋から見て王都に居るエウフィリアの物だな。
「サガインとペレルスが……」
第二王子派。帝国に内通してアルフィーナの情報を流したサガインと、今回のミーア誘拐において公文書を偽造したその本家筋の伯爵家の嫡男だったか。どちらも第二王子派だ。エウフィリアと宰相府が協力しての捜査が実ったみたいだな。
すでに第二王子の後ろ盾であるクルトハイト大公は失脚している。答えは出てるはずだ。
「国政を預かる立場としましては、早急に帝国との講和をまとめることは経済的にも重要だと考えます。帝国との食料の交易をこれ以上止めますと」
宰相が俺を見る。ヴィンダーが食料ギルド所属だって忘れかけてた。本業以外のことばかりやらされたせいだな。
「商人の立場から言わせていただければ、農業、とくにその大部分を占める穀物は経済の基盤。私たちが商っている蜂蜜や馬車などは、その農業の上澄みで生きているに過ぎません。仮に帝国との農産物の交易が長く停止すれば、今育っているこの上澄みの中にあるお金の流れが全て枯れます」
実体経済の十倍以上のお金が金融として流れていた、ノアの洪水並みのジャブジャブだった前世の地球とは違う。この世界での商業は、農業という海に接した小さな干潟にすぎない。ほんのちょっと潮位が下がっただけでひからびる。
俺が一つ破綻する分には国王は困らないだろうが、もうすでに巻き込む規模が大きい。今後王国に大量の税収をもたらす産業の行方が掛っているのだ。
「図書館長……じゃなかった宮廷魔術師の観点から言わせていただけば、昨今の魔脈の変動は予断を許しませんな。今後の事を考えると、王国もまた血の山脈に対する調査は欠かせぬと愚考しますぞ」
フルシーが言った。この老人宮廷における自分の役職を忘れてるんじゃないだろうな。
「陛下とクレイグ殿下に続き、名誉大使という形でデルニウス殿下が国家に身を捧げるとなれば、国民はおしなべて王家の徳を慕うことになるでしょう」
宰相が付け加えた。これはむしろ花道だ。もちろん、一方通行になるように俺は今後も努力するつもりだ。
「帝国が全ての条件をのんだ以上、一つの譲歩はやむを得まい」
苦渋の表情で国王が言った。国家の頂点にある男の拳が膝の上で握られた。
「使者の役目ご苦労であった」
「ははっ」
俺は頭を下げると、肺の空気を全てはき出した。
王を使って皇女を叩き、皇女を使って王子を叩いた。その間隙を縫って、両国から等距離の新しい土地というニッチを得た。
後はこれを交易と魔獣対策の要として両国に不可欠の存在に育て上げる。これで俺達の保身は完成する。
まだ先はあるし、ミーアが王都に戻ってくるまで油断は出来ない。だが、細くて長い綱を何度も往復してとりあえずのゴールにはたどり着いた。
一時絶望したが、俺の保身の才能もそこまで捨てたもんじゃないかも。ミーアの採点が楽しみだ。




