21話:前半 選択と集中
「どう。何もないところから高温の炎を生み出す【螺炎】の力は」
メイティールは挑戦的な瞳で俺を見る。ご冗談でしょうメイティールさん。試しているのバレバレですよ。
「何もないところも何も、今の炎はそこに有る物しか使ってないじゃないですか。大体、炎というのはちょっと語弊があるだろ」
「……へえ、どういう意味かしら。分らないわね」
俺は両手で空気を集めるポーズを取った。
「ここにある熱の、選別と集中ですよね」
メイティールの顔が引きつった。
現時点ではあくまで仮説であるが、魔導というのは魔力を使った情報処理、つまり計算の一種だ。これ自身は何も不思議ではない。原子の世界から人間社会、そして宇宙までこの世界はネットワークであり、つまりコンピュータと言うことだ。「宇宙のことをコンピュータって言うのやめろ」ではなくて「コンピュータのことを宇宙っていうのやめろ」というレベルで両者は本質的に同じ物だ。
神は数学者なのである。いや、神は数学と言うべきか。
さて、【螺炎】に戻ろう。恐らく【螺炎】の火球に見えたのは高熱の気体が渦を巻いている姿だ。魔力というエネルギーを使って熱を産み出す方法は二つ考えられる。一つは極めて単純、魔力というエネルギーを熱エネルギーに変換する。
これは石油を燃やして熱を作るのと変わらない。
まず熱とは何か。ある容積の空気の熱とは、その空間に含まれる気体分子、窒素分子とか酸素分子とか、の持つ運動エネルギーだ。単純に空間を飛び回っている分子というボールの数と速度だ。
ある範囲に存在する気体分子の数が多ければ多いほど、あるいは個々の分子の速度が大きければ大きいほど、高温であると言うこと。
炎に見えるだけの熱を作るためには大量の気体分子を集める、つまり圧縮する。その気体分子の持つエネルギーを高める、つまり加熱する。単純にはこの二通りだ。
例えば、空気を圧縮すれば、その中に含まれている気体分子の密度が上がるので温度が上がる。火を燃やして気体分子を加速すれば、温度は上がる。
これはエネルギーがあれば可能だ。魔力もエネルギーの一種なら熱に変えることは原理上は可能なはずだ。ただしそれは先ほどの現象を説明できない。なぜならその場合、術者の周囲の熱は魔力が熱に変換された分上昇するのだ。また、せっかく集めた熱はあっという間に周囲に拡散する。
だが、メイティールが【螺炎】を使ったとき周囲の温度は逆に下がった。しかも、生み出された炎はある場所に短期間だが留まり、術者の意志通りの方向に飛んだ。つまり、魔導とはそう言った直接的な物ではないのだ。
というわけで【螺炎】が熱を生み出す仕組みは第二の可能性。簡単に言えば、あの熱は元々あったもの。周囲の空気中に存在している気体分子に由来するということだ。それを実現したのは気体分子の選別と運動方向の操作。つまり、情報処理ということだ。
実は気体分子のエネルギー、速度は一定ではない。20度の温度の空気に含まれる気体分子の平均エネルギーが20度相当なのであり、20度のエネルギーを持った気体分子だけで構成されているのではない。
つまり、人間社会と同じく金持ちと貧乏人が居る。余談だが、仮に全く同一のエネルギーを持つ気体分子を多数容器に入れたとする。容器の中で気体分子は衝突を繰り返し、ある一定のエネルギー分布を必然的に作り出す。
なんと、全く同一の存在を集めて、公平な条件で始めても格差が生じるのだ。むしろこの格差を平均化するには、とてつもないエネルギーが必要になる。なんと自然は平等を禁じている。絶望である。
もっとも、この格差は人間社会の格差と違って次の瞬間には簡単に逆転する。つまり、固定化しない。ある瞬間を取れば、少数の金持ちと大多数の貧乏人に分かれるが、金持ち分子は次の瞬間貧乏人分子になり得る。
話がずれた。いや、元経済学徒としてはずれてないが……。
とにかく、単純に言えば20度の空気の中には、100度相当のエネルギーを持った少数の熱い気体分子と、0度相当のエネルギーしか持たない多数の冷たい気体分子が混在している、みたいな話になる。もし熱い分子と冷たい分子の割合が1:4。つまり、金持ち一人に対して貧乏人四人で平均20度だ。
逆に言えば、熱い分子だけを選別すれば空気を直接暖めることなく、100度の気温を作ることが出来る。気体分子そのものは、術者の周囲をとんでもないスピードで行き来しているので、ただ熱い分子だけを選んでいけばいい。
大都市のスクランブル交差点で金持ちばかりを拉致し続ければ良いのだ。一億人の国民の中から上位十パーセントの富裕層だけを集めて小さな島に集住させるような物だ。
さらに、熱い分子の運動の方向を操作して狭い範囲に閉じ込めれば密度が上がる。選別した分子をある空間座標に向けて運動の方向だけをずらしてやればいい。
例えば、空気から100度相当の気体分子だけを選別して、ある一定の範囲内に周回するように運動の方向を操作すれば、結果として高温を作れる。
重要なのはこの過程が”単純な意味”でのエネルギーの総量には影響を与えないと言うことだ。魔力を使って直接圧力を高めていないし、魔力を使って直接加熱してもいない。
【螺炎】は周囲から熱を”選別”し、気体分子の方向を操作して”集中”してある範囲に集めた。つまり、そう言った演算により熱を生み出したのだ。
だが実はこれはとんでもないインチキなのだ。100度相当の気体分子だけを選別すると簡単に言ったが、これを真っ当な方法で行うならとんでもないエネルギーを必要とする。
まず、膨大な量の気体分子を観測しなければいけない、観測結果の記録とどの分子が熱い分子かを判断するための演算だけで膨大だ。
針の先ほどの空間内の気体分子のシミュレーションを行うために、スーパーコンピュータが必要だと言えばいいだろうか。その電力で直接空気を暖めた方が、いやそのスパコンから出る熱を集めた方が遙かに効率が良いくらだ。
ところが魔力回路による情報処理は、まるで超伝導状態の電子の流れのようにエネルギーロスが少ない。実際、魔力を回路に流しても感知できるほどの熱が発生しないのだ。これはフルシーに無理を言って試した。
俺の持ってきた商品にとって重要なのはこれからだ。魔導は魔力の持つエネルギーを直接効果に変えるのではなく、主に情報操作の為に魔力を使う。つまり、その魔力効率はコンピュータと同じ原理で効率化できると言うことだ。
これはチョークを使った計算を考えれば分る。1+1=2という計算を書く為のチョークの量を、この計算に必要なエネルギーと考えてみよう。チョークを寝かせて十センチの線の太さの数字で計算しても、チョークを立てて一センチの太さの線で計算しても。あるいはチョークを細く削って、1ミリメートルの太さの線で計算しても結果は全て2である。
このチョークの線の太さが回路の幅に相当する。つまり、俺が持ってきた魔導半導体技術を使えば魔力効率は何倍にも跳ね上がると言うことだ。
ちなみに、なんで気体分子の操作なんて効率の悪いことをしてるんだ? これ、気体分子じゃなくて電子を操作させたらとんでもないことになる。
「――とまあ、【螺炎】っていうのはそんな感じだろ」
俺は魔導の感想を聞くメイティールに、心の中に浮かんだ説明の一割ほどを話した。どうやら選別という認識はあったようだし、圧力と温度の関係もある程度分っていたようでギリギリ話は通じた。
……この時点で彼女の知性はミーアと俺の中間のどこかだな。つまり俺よりも頭が良い事確定だ。俺の周囲こんなのばっかりだな。
ちなみに、側近の魔導士は全くついてこれなかった。前世で教授に騙されて、統計情報学というガチの物理の講義を受けさせられた時の俺を思い出すと、むしろこっちに親近感がわく。
「…………戦場でアレを見せられた段階で分ってたけど。なにが「リカルド・ヴィンダーは私の数術がなければただのチョロいボンボンです」よ」
メイティールはミーアを睨んだ。ミーアのやつ、敵に本当のことを言うなんて情報管理がなってないじゃないか……。いや、俺が恐るべき策士であることはちゃんと隠しているか。
「決めたわ」
メイティールが、俺を指差して宣言した。
「貴方とミーアを連れて帝国に戻る。どれだけの犠牲を払ってもね。それでこの戦は実質的に勝利だもの」
どうやらメイティールは正しい答えにたどり着いてくれた。さて、あとはこの俺の保身術だ。




