20話:前半 商談
「さて、この案についてそちらの考えを聞きましょう」
俺は二人の皇女の反応を待った。
「考えられません。貴方の言っているのは絶望の山脈の魔獣の行動範囲です。そんな場所を得てどうするというのですか」
最初に口を開いたのはリーザベルトだった。そう、彼女の故郷は帝国の中でも血の山脈に近い。俺の指差した土地は、その隣というわけだ。
「……そうね、それこそ正気を疑うような話だわ」
真意を探るように俺をじっと見ていたメイティールも首を振った。
ちなみに、ミーアは一瞬だけあきれたような顔になった。彼女は俺の最終目的である総合商社、もとい国際交易都市の構想を知っているからな。
「どうして無理なんだ?」
俺はリーザベルトに聞いた。あの場所に俺の望む物を作るには、お隣さんになる彼女の考えは重要だ。本当ならアルフィーナに頼みたい案件だった。俺はリーザベルトを嵌めた度しがたい陰謀家だからな。
「言うまでもありません。絶望の山脈の飛竜は一匹一匹の力は遠く竜には及びませんが、群れで行動するのですよ。河を越えた王国でも、その範囲には人は住んで居なかったはずです」
飛竜の個体差で当然到達距離は異なる。何かの弾みで帰れない距離まで飛ぶ個体も出る。その結果、血の山脈に近い大河沿いの王国の一部も人が住まない領域が出来ている。
「帝国は大河を越えてクルトハイトに来たって聞いたけど?」
「ええ、魔導の力で飛竜を追い払ってね。それも、河の流れを使って短時間で通過した場合の話。自明だから隠さないけど、遡るとなれば何倍も困難よ。もちろん、私たちには不可能じゃないけどね」
「トゥヴィレ山を押さえている限りだろ。……おっと、やっぱりコストが掛るんだな」
帝国の退路という敏感すぎる問題は”俺の”交渉材料としては適さない。
「そうね、じゃましないから勝手にどうぞと言いたいくらい。そこで王国軍が魔獣相手に消耗してくれれば大歓迎」
どうやら対帝国の前線基地でも作ろうとしているとでも思われているようだ。俺は商人だぞ。なんで軍事基地を作るんだか。俺が作りたいのはあくまで商業都市だ。
もちろん、その場合のコスト制約はもっと大きくなる。軍隊の護衛付きじゃないと通れない道は論外だ。といってもあの場所しかない。近年の魔脈の異常な変動について、大本たる血の山脈の観測の為の拠点も必要なんだ。
「俺の目的は、ここに王国と帝国の交易拠点を作ることだ。帝国にも大きなメリットがあるはずだ。そもそも、王国と帝国が争う最大の原因は帝国が食料という最重要戦略物質を王国に依存しているというプレッシャーのはず」
俺は二人の顔を見ながらいった。否定の色はない。
「ここに王国と帝国の商人が互いの産物を交換する市場を作る。国家の管理は大枠だけで、取引そのものは個々の商人に任せると言うことだ。その結果として、国家管理よりも遙かに早く、安く、柔軟な取引を行う事が出来る」
リーザベルトがはっとした顔になった。そう、これが出来ればリーザベルトの故郷は帝国の辺境から、交易のメインルートになる。
「外に魔獣、内に商人の争い。地獄みたいな場所になるわね」
一方メイティールは疑わしげな表情のままだ。
「価格を巡る争いや、買い占めなどの問題が起こらなくなるとは言わない。むしろそういった争いの数そのものは増えるだろう。だけど、それでいいんだ」
商業活動において人間の欲望を否定しても仕方がない。その欲望のパワーを生産的な方向に向ける。それが透明化のメリットだ。あくまで利害が基本だ。別に正義や理想の話じゃない。
もちろん自由市場が全てを解決したりしないので、国家の枠組みは必要になる。ただ、現状では国家の枠組みが強すぎて商業のスピードをじゃましているから緩めたいという話だ。
「一つ一つの争いや問題の規模が小さくなって、管理あるいは予測可能な範囲に収まるという事ね」
「そう。ある日突然切れた隣国が攻め込んでくる事態を防げるわけだ」
その隣国に大事な共同経営者を攫われる事態もな。
「理屈は分りました。しかし……」
リーザベルトはメイティールを見た。
「メリットを上回るコストが掛かっては本末転倒と言うしかないわ。仮に私たちが存在を認めても、王国はその都市を保持できない。違うかしら」
二人の言葉はメリットを認めた上の物だ。よし次の段階に進めるぞ。
「出来るさ。あの地域の解放に帝国が協力してくれれば」
「冗談かしら。まさか帝国軍に王国の領土のために死ねって言うの」
「違う。あくまで共同作業だ。なんなら、都市の西は帝国領、東は王国領でもいい。都市自体は王国としなければいけないけどな」
帝国が誰の物でもない土地を領土に組み込み、王国も誰の物でもない土地を領土に組み込む。それがたまたま隣り合ったとしても、問題はない。
というのは冗談だ。緩衝地帯無しに領土が隣接することでいくらでも問題が起こる。だがこの場合、当面の接触は都市という点に留まる。制御可能だ。
実際には両国が共同で飛竜の駆除という形にまで持っていきたい。都市が王国の物ならその費用として賠償金の減額を充てるなんて事も不可能ではないと思っている。
「本気で貴方の現実認識を疑うわ。王国と帝国は今戦争中なのよ。仮に明日戦争が終結しても無理よ。大体貴方自身が言ったわよね。帝国は現在本国の守備もおぼつかないんじゃないかって」
感情面と物理的制約の二つの問題、どちらも深刻だな。俺が生きていた時代の地球なら到底不可能だろう。だが、この世界では前世にはない条件がある。
「誰の物でもない土地が有り、魔獣という共通の敵が居る。不可能じゃない。いわば、王国と帝国が対魔獣同盟を組むわけだ」
俺の言葉にメイティールとリーザベルトは首を振った。さっきよりも拒絶の色はむしろ濃くなっている。ちょっと先走りすぎたな。
「もちろん、いきなりそんなところに持って行けるとは思ってない。都市もすぐに建設なんて無理。当面はただの物資集積場に毛が生えたものがせいぜいだろう。そうだな、十年後に都市の形になっていれば十分だ」
ちなみに、これに関しては俺だって言いたいことがある。本来ならそれこそ十年後、いや二十年後に”開始”できたらラッキーくらいの計画だったのだ。こんなすぐに始める羽目になったのは、お前が余計なことをしたからだ。その責任を取って貰いたい。
「最初は小さく始める。王国と帝国で協力して魔脈の変動を観測すること。そしてその為の共同技術開発だな」
「小さくないわ」
俺の言葉にメイティールは目をむいた。
「必要なことだろう。帝国にとってはこれまでの魔脈の変動はプラスに働いたが、今度はどうなるか分らない。これまで比較的安定していた魔脈が大きく変動していることは確かだ。王国にとっても帝国にとってもその把握は死活問題のはずだ」
俺が言っているのは「王国と帝国が仲良く出来たら良いね」というふわふわした話ではない。「協力しないと両者ともに不味いんじゃないの」という現実の話だ。
大体、俺の勘ではこの一連の変動は繋がっている。そして、さらに大きな変動の前触れである可能性がある。血の山脈の観測も、魔脈の変動に対応する魔導技術の開発も急げば急ぐほど良いというのが俺の基本的な姿勢だ。
そして、これは共通の利害となりうる。まあ、その巨大な利害を利用して”私的”な目的を達成しようというのが今の俺の行動方針だけどな。
「都合の良いことを言って、王国が一方的に帝国の技術を吸い取るという話じゃないの?」
「あれ? 貴方のご自慢の魔導士部隊は殆ど何も出来ずに王国に破れたわけだが。それに、王国がどうして帝国の侵攻を事前に予測できたのか分ってますよね」
俺は敢て挑発的にいった。
「……あの七十年の記録についてはじっくり聞かせて貰いたいわ。でも、魔導そのものに関しては王国の技術に見るべき物はないわ。ドラゴンに対する対処は毒、あの2色の魔力触媒は素材としてとても興味深いけど、その運用手段は投石機による無理矢理の散布。強いて言えば測定技術は魅力的くらいかしら。でも互角よ。貴方たちの測定では見えていないものがあるのだから」
メイティールはミーアを見た。
「実際、この娘の数術理論を活用できるだけの魔導技術が王国にあるなら、帝国は今頃一兵残らず殲滅されているでしょう。貴方達の策は全部あまりにアンバランスなの。それじゃあ信用できないわ」
メイティールは試すような目で俺を見る。
ちゃんと理解しているようで結構なことだ。そう、王国の魔導技術は一部を除いて帝国に遠く及ばない。魔力回路の構築水準に至っては王国最高の魔術師二人が束になっても、解析できないのだからな。
もっとも、フルシーの測定技術は基礎としてかなり重要だけど。
「そうね、あの魔力触媒のことをもう少しちゃんと教えてくれれば、考えることも出来るでしょう」
なるほど、あの「とても興味深い」程度の魔力触媒について知りたいから鎌を掛けている。
「最初からそのつもりだ」
俺は不敵に笑うと、懐から木箱を取り出した。あの魔力触媒の本当の使い方を見せてやろう。




