19話:王国の代理人?
無駄に豪華なクルトハイト大公の貴賓室。ドアを開けて俺が見たのは暗い紫と明るい紫の髪の間に挟まれた黒いお下げの少女、俺の秘書の姿だった。
「ミーア……」
両足で立ってるミーアの姿を見て、俺は崩れ落ちそうになった膝をなんとか支えた。ミーアも俺を見て目を見開いている。いや、この程度のリスクはそりゃ取るだろ。
「本当に自ら来たのね。王国の黒幕リカルド・ヴィンダー」
ミーアの左、テーブルの中央に座る明るい紫の少女が口を開いた。聞いていたが本当に若いんだな。ちなみに、ミーアの右に居るのはリーザベルトだ。気まずそうな顔で俺から目をそらした。予想通り恨まれているな。
「黒幕というのは何の話だ。俺はヴィンダー商会として大事な共同経営者を帰してもらいに来ただけだ」
俺はミーアを見て言った。ミーアは困ったような、呆れたような顔になった。何をやっているんだと言いたいのだろう。まあ、俺にしてはちょっと保身を無視した言動かもな。
「へえ、王国を代表して交渉に来たんじゃないの」
「それはついでだな」
知らぬ顔で俺はいった。正念場だ。俺は優先順位はちゃんと決めている。何しろ俺がいなくてもヴィンダーは潰れないが、ミーアがいないと潰れる。
◇◇
あの戦いの後、帝国軍はクルトハイトとそこから北方への退路以外の占領地を全て放棄して、クルトハイトに戦力を集めている。王国はグリニシアス周囲を解放しつつ、クルトハイトに迫った。国王と宰相は王都に戻らず、グリニシアスに留まっている。
その状況で俺は使者としてクルトハイトに入城した。もちろん護衛という名の監視役が何人もついていたが、今は別室に止められている。俺一人だけ来いという話だ。
それを告げた帝国の軍人は探るような目で俺を見た。牽制のつもりだったらしいが、もちろん俺は了承した。俺にとって好都合だからだ。大体、向こうが俺をどうこうするつもりなら護衛が数人居ても関係ない。その護衛からして平民を守るかどうか怪しいんだからな。
◇◇
というわけで俺は帝国の皇女様と向かい合っている。彼女の横にはこちらを殺さんばかりの目で睨んでいる魔導士が二人。テーブルの上に魔導杖を置いているのはどうなんだ。ちなみに、俺の後ろにも二人の魔導士、さらに武器を持った騎士が入り口を押さえている。
武力も魔力もない商人に対して大げさな話だ。
まあ相手は帝国の皇位継承第一位らしいから、警戒は当然か。その継承順位も今後どうなるのかしらんけど。
「さて、実際には貴方との交渉で全て決まると考えていいのよね」
メイティールは不敵な顔で笑った。何を言ってるんだこいつは。
「いや、俺はあくまで使者だぞ」
その使者ですらついでだと言っただろ。ヴィンダーは副業可なんだ。跡取りがもっぱら副業に精を出していると評判なくらいだ。
「まあ敗北者としては、そちらの芝居に付き合いましょう。ところで、クレーヌ達は無事なのかしら」
クレーヌ、クレーヌ……、えっと確か最後まで踏みとどまった魔導部隊の指揮官だったな。
「ええ、彼女を始めとして五十三人の魔導士は無事ですよ、捕虜として」
俺はミーアを見ながらいった。
「そう……。さて、貴方のあの攻撃だけど。魔力を阻害する緑の色素と、魔力の流れを増幅する赤い色素を空中で散布。魔力の流れを私たち魔導士の制御できないように乱したで正解よね。緑の色素のことは聞いていたけど、あんな量が量産できるなんて聞いていないし。赤い色素に関しては、この娘おくびにも出さなかった。やられたわ。緑色の色素の情報だけをこちらに渡して目くらましというわけね」
メイティールがミーアを見て言った。
「ミーアは何も嘘は言っていないぞ。色素関係は関わらせてないからな」
「へえ、じゃあどうして」
「どうしてだ?」
俺もミーアに聞いた。複数の魔力触媒を探しているのは彼女も知っていたし。回路についても話はした。だが、魔力増幅剤に関してはまだ形になっていなかった。考えたくないが無理矢理聞き出された場合の用心として、盾を緑に塗って注意をそらしはしたけど。
と言うか、想像していた雰囲気とちょっと違う。まあ、悪い方の想像が当たるより良いけど。
「先輩は性格が捻くれているので。普通のことはしません。魔力阻害剤だけで回路の阻害が難しい以上、もっと質の悪いことを考えるに決まっていますから」
ミーアはしれっと言った。何だその判断基準。場の全員が毒気を抜かれた顔になってる。
「……あの2種類の色素は私の魔導の研究のために必要なの。どうしたら譲ってくれる?」
メイティールがいった。フルシーみたいな発言だが、言葉通りではないだろうな。王国の対魔導兵器の分析というわけだ。相手は魔導師であると同時に軍人だ。いや、皇位継承のトップで、しかも自ら指揮官なんてやってるんだから本業は政治家と言うべきだろう。
「メイティール殿下……。まずは向こうの話を聞きましょう。使者と言うからには王国からの提案を持ってきているはずです」
リーザベルトがいった。なるほど、そういう役割分担か。
「そうですね。そちらを片付けましょう」
俺は王国の公式な封蝋を施された書状を取り出す。
「……というのが王国からの停戦の条件です」
俺が宰相が書いた文書を読み上げると、メイティールはあきれ顔になった。リーザベルトは表情を消し、周囲の帝国人は殺気だっている。ちなみに彼女たちの顔色が変わったのは、最後の二つの項目。つまり、大河の向こうに王国の領土を置くことと人質を差し出すことだ。
領土はもちろん、魔導に通じた皇族が何を意味しているのか分ったのだろう。そうだよ、お前には今回の件の責任をしっかり取って貰おう。
「王国の現状認識は心許ないわね。いい、確かに私たちは二度の戦闘に敗れたわ。でも、現状でまだカゼルとクルトハイトはこちらの手にあるの。今ここに居る魔導士だけでクルトハイトは何年でも守れる。もちろん、あんな手品二度と通用させないわよ」
「帝国軍は戦えるでしょうね。でも、本国が保つかな?」
戦争、特に国外に攻め込むときは相当の無理をするものだ。魔獣との戦いが常時行われている帝国ではなおさらだ。内戦中に戦争してるようなものだからだ。
仮に帝国の全戦力が100、魔獣から国土を守るために必要な戦力が70としよう。
王国の侵攻に30だけ派遣するだろうか。それは悪手だ。一時的に無理をしてでも、50以上の戦力を投入して圧倒的な力で短期的に勝利することを目指すに決まっている。
仮に60の戦力を投入したとしよう。今回の戦いで、帝国が馬竜と魔導士という対魔獣の最高戦力でもある部隊を三分の二失った。つまり、帝国の全戦力は100から60に減ったわけだ。これでは帝国が自国を魔獣から守るにも不足するはずだ。
帝国の魔脈活動は沈静化しているが、来年はどうなる。再来年は。もし魔脈の流れが反転したらどうする?
「……仮に貴方の言うことが正しいなら。なおさらそんな無茶な要求には応じられないと思わない?」
「一言付け加えます。王国には帝国の土地など管理できないと思いますよ」
メイティールが言い。リーザベルトが続いた。
「どうして出来ないと思うんだ? 実際問題として帝国の最精鋭部隊は、苦もなく打ち破ったわけだが」
俺は安い挑発をした。
「それは王国の実力ではなく、ごく少数の特異な人間の力だと私は考えている。貴方とミーアの二人を帝国に連れ帰れば、王国は恐るるに足らない存在になるんじゃないか、とかね」
そんなことをしたら、王国は全戦力でクルトハイトに攻めかかるかもな、俺とミーアごと焼き払う勢いで。そして、お前達が本当に必要としている物は、俺たちだけ攫っても得られない。
「メイティール殿下」
リーザベルトがメイティールを諫めた。
「とにかく、領土を割譲しろなんて無茶な要求をするならこの交渉は時間の無駄だわ」
メイティールは言った。同感だ。俺も無意味な交渉で時間を使うつもりはない。
「勘違いしているみたいだな。誰が領土を割譲しろなんて言った? 俺が言ったのはあくまで大河の向こうに王国の領土を認めろだ」
俺は持ってきた地図を広げた。
「俺……じゃなかった。王国が欲しいのはここだ」
俺は血の山脈と大河に挟まれた小さな平地、帝国の国境から少し東に行ったところを指差した。メイティールとリーザベルトが今までで一番驚いた顔になった。
帝国領の割譲なんて無理なことを最初から考えてない。俺が欲しいのは帝国でも王国でもない、いや人類の物ですらない土地だ。
「さて、この案についてそちらの考えを聞きましょう」
さあ、王国の使者なんて似合わない役目は終わりだ。ミーアを取り返し俺たちの安全を保証する。ヴィンダー商会として”商談”の開始だ。




