17話:後半 とりあえずの決着
川の東、帝国軍陣営。
「魔導士軍団は渡河後すぐに三段に隊列を組み直し。十分な間隔を確保。突撃してくる王国の騎馬軍に【螺炎】による波状攻撃。敵の前進を止めたら、前衛と共に前進。左右の騎兵は敵の包囲の動きを牽制しなさい」
メイティールの淡々とした命令が各部隊に通達される。
「投石機の精度は確かに優れていたわね。僅かに魔力が感じられたわ。あんな微量で軌道を追えるなんて、やはり王国の測定技術は優れているわね。でも、数が話にならない」
「はい。ここまではあの娘の情報通りでした」
メイティールの左に控えるベリトが言った。
「後は、あの緑の盾ね。色からして彼女の言っていた新しい魔力阻害物質かしら」
「赤い森の土にごく微量含まれるということでしたが。それなら短期間であれほどの量をそろえれるはずがありません。あの娘が本当のことを言っているとは限りません」
メイティールの右に控えるクレーヌが固い声で言った。
「くす。私があの娘との数術談義に入れ込んでいる事がクレーヌは不満だったわね」
「……違います。私はあくまで用心をと」
「分っているわ。だからこそ対応できるように三段に隊列を組ませたの。一段目を防がれたら、二段目三段目で同時攻撃する。後は、敵陣の本営を射程に収めるまで前進。あの無駄に大きな旗めがけて集中攻撃。それでこの煩わしい戦も片をつけれる」
前衛からの伝令が届いた。
「敵投石機に動き有り」
「まだ懲りないの。対応は先ほどと同じに。第一、第二段の百人は敵の騎士団の突撃に備え、第三部隊の隊の左右の小隊に迎撃させなさい。第三部隊の残りは騎士団に狙いを維持。射程に入り次第攻撃開始」
メイティールの指示でローブの軍団の後列の左右5人が空に向かって魔導杖を構える。腕をめくり上げて露出した魔導陣が光を帯びる。
魔力の赤い光が腕から魔導杖に延びていく。魔導杖の周囲に光の帯が現れる。光の帯は魔導杖の先端に向けて螺旋状に回転しながら収束していく。
僅かな耳鳴り。肌に冷気が届く。魔導杖の先に赤い炎の弾が生じた。次の瞬間、周囲から熱を奪い取った炎の弾丸が、空中を飛来してくる敵弾に向かって発射された。
「今の反応は……?」
敵弾に【螺炎】がぶつかった瞬間、炎が不自然な形に飛び散ったのをメイティールは見た。次の瞬間、バリンという音がして弾が弾けた。砕けた破片と共に、液体がメイティール達に降り注ぐ。
思わず顔を両手で覆ったメイティール。頬をぬぐうと、指先に針ほどの細さの緑の線が延びた。
「酸……ではないわね。油かしら」
クレーヌが慌ててメイティールの顔を布でぬぐうのも気にせず、彼女は指をこすり合せる。肉体的に痛みや違和感は感じない。
「こんな少量の油で何を? いいえ、さっきの螺炎に対する反応……。この色」
メイティールは頭を回転させる。
「敵の騎士団接近。敵の投石機3台目に動き」
「最初の指示通りに動きなさい」
側近の命令に部下達が魔導杖を構えた。百を超える魔導杖が前を向き、突進してくる騎馬部隊に照準を合わせる。魔導士達は一瞬で混乱から立ち直っている。だが、起こるはずのことが起こらない。彼女の周囲で魔力の高まりが生じないのだ。
「魔導陣が作動しません!」
悲鳴の様な声が聞こえた。次の瞬間、自陣に石弾が飛び込んだ。幸い狙いがそれたが、魔導士部隊を取り囲んでいた歩兵が吹き飛ばされた。
メイティールは慌てて自分の腕を見た。魔力の流れがあちこちで遮断されているのが分った。明らかに先ほど浴びた緑色の染料の仕業だ。
必死に腕をぬぐう魔導士達。メイティールも受け取った水で洗い流そうとする。だが、肌に染みこみ取り切れない僅かな色素が、魔力の流れを強力に阻害する。
「導師。ご指示を」
「魔力阻害剤、こんな微量で大したものね。魔結晶を深紅に切り替え。魔力圧を高めて魔導陣を稼働させなさい」
メイティールの命令で、魔導士達は新しい魔結晶を手にする。
騎士団が近付いてくる。魔導部隊の腕から魔導杖に魔力が流れていく。周囲の魔力の流れが高まっていく。間に合った。メイティールも魔導杖を構える。彼女の狙いは敵の中央に位置するひときわ立派な鎧の騎士だ。
だが、次の瞬間周囲の魔力が再び乱れた。メイティールは反射的に魔力を弱めた。
「お、おい、何をしている」「駄目だ。は、離れろー!」
次の瞬間、メイティールの前で光が弾けた。敵の魔導攻撃と思ったがメイティールが見たのは魔導杖から煙を立たせる一人の魔導士。
「何でこっちに。うゎーー」
別の魔導士が螺炎をあらぬ方向に放った。魔導士が味方の【螺炎】に撃たれる。
「ぐう、う腕が……」
「なんだ、魔導陣が制御できない」
それだけではない。多くの魔導士が腕を押さえてうずくまる。メイティールの指示通り魔導杖の発動に成功したのは各隊列の左端に位置する三つの小隊のみだ。
メイティールはおのれの腕に目をこらす。魔力の流れがまるでめちゃくちゃだ。あるところで途切れたかと思うと、またあるところでは過剰に魔力が流れる。そして、繋がるべきでないところが繋がる。
よく見ると腕に付着した敵の液体は緑と赤の二色だ。メイティールはやっと敵の悪辣さに気がついた。
「魔力の阻害と増幅の2種類の触媒を別々にばらまいたのね」
単純に魔力の流れを阻害されているだけなら制御可能だ。だが、相反する効果を完全にランダムに施されては、制御は魔導士の頭脳を越える。
それにしても、こんな微量でこれほどの効果を発揮する魔力触媒を2種類もどうやって……。
「導師ご指示を。導師!」
「待って。えっと、この攻撃の性質を考えれば……。酒か油で洗い流せば」
メイティールが解決策に思い至ったとき、敵の騎馬部隊が前衛に突っ込んできた。その後ろには雲霞のような敵の歩兵が見える。
「間に合いません。撤退を。騎馬部隊は破城槌で橋を破壊。導師をクルトハイトまで落とせ」
ベリトが左右の騎馬部隊に指示を飛ばす。
「魔導杖の起動に成功した魔導士は私に続きなさい」
クレーヌがなんとか立ち直った左端の魔導士達を集める。
メイティールは引きずられるようにして渡ったばかりの橋を戻る。改良された破城槌を運んでいた先頭の各4騎が破城槌を引いて走り出す。馬竜が用いる物よりも一回り以上小さいが、改良によりより高速で回転する金色の杭が土嚢に打ち出された。
破城槌が土嚢の橋を上に乗っていた敵騎士と一緒に吹き飛ばす。側近の率いる二十人足らずの魔導士が川を盾に螺炎を放つ。破壊された橋を飛び越えようとした敵の騎士が吹き飛ばされる。
わずかに敵が怯んだ。左右に配していた残りの騎馬隊が魔導士部隊に近づいてくる。魔導士達は次々と騎馬部隊に拾われていく。混乱したままメイティールも騎馬部隊の隊長の馬に引き上げられる。
だが、敵の騎馬隊の後続は川に乗り入れ、そのすぐ後ろには敵の歩兵の群れが迫っている。必死に逃げる味方の歩兵を無視して、敵はローブの軍団に迫ってくる。
走り出した馬からメイティールが後ろを見ると、川岸に居たクレーヌの部隊が敵に囲まれていた。逃げ遅れた魔導士達が次々と敵の刃に掛ったり、槍に打ち据えられている。
「敵指揮官に告ぐ。リカルド・ヴィンダーに交渉の用意有り。繰り返す。リカルド・ヴィンダーに交渉の用意有り」
先ほどメイティールが撃ち落とそうとした指揮官らしき騎士の声が逃げる彼女の背中に届いた。
「リカルド・ヴィンダー。……それが答えなのね」
◇◇
川の西、王国軍本営。
天幕にたなびく国王旗を背に王が立ち、その前にテンベルクとファビウスが控えている。テンベルクは王から剣を、ファビウスは兜を下賜されている。
帝国の主力である魔導士の内、百人以上が討たれたり捕虜になった。逃げ延びたのは50にも満たないというのがテンベルクの報告だ。とにかく魔導士の数を減らす。その目的は達した。ずぶ濡れになりながら川を越えて逃げた敵の歩兵達の被害も決して小さくないという。
「本当にお主が行くのか……」
フルシーが言った。
「ええ、交渉相手がヴィンダーだと分ったら、向こうはミーアが交渉材料として貴重だと考える」
次に恐いのは敗戦で逆上した帝国軍だ。それに、ミーアを取り戻す交渉を他に誰が出来る。俺は戦勝に沸く王国の本営を冷めた目で見た。
これからが本番だ。この戦いはあくまで”俺が”交渉するための準備だからな。準備をしっかり整えることが出来たのは彼らの奮闘のおかげだし、それは評価するけど。
「それは分ったが……」
フルシーもちらりと天幕を見た。
「帝国はもちろん、万が一あの方がおかしな事を考えたら、儂一人では止めきれんぞ」
「まあ、王国はもちろん帝国にとっても損な商談をするつもりはありませんから」
「商談か……」
フルシーがあきれたような顔になる。
「ええ、何しろ俺は商人ですから。まずはこちらの王と宰相の希望を聞かないと。そうだ館長、例の物は出来てますか」
俺の交渉である以上、俺の交渉材料がいるんだよな。




