14話:待ち合わせ
赤いコロニーの本培養の準備を整えた俺達は【IG-1】を使ったノイズ軽減に悩むフルシーに挨拶をした。生返事を確認して研究所を出た。
夕方の秋空はすでに暗い。温度が下がると、それだけ培養条件の調整が難しくなる。外気を遮断する工夫と暖炉に気をつけているが。元の世界と違い温度を調整する培養器はないのだ。
温度が少し下がっただけで増殖速度の半減や、雑菌の増殖などトラブルが考えられる。電気みたいに、魔力抵抗が温度で変化するならそれを利用して温度計を作れるかも知れないが、恐らく無理だろう。
そういうことが起こるなら、魔力を使った測定に影響が出ているはずだ。今回の実験だってここまで上手く出来ていない。魔力、本当に謎の力だ。帝国がどういう知識を持っているのか気になるところである。
……魔法生物学だけであらゆる意味で専門外なのに、魔法物理学にかまけている余裕はないか。
「遅くまで付き合わせて悪いな二人とも」
俺は一緒に外に出たリルカとノエルに言った。
「私達がこっちだけでも手伝わないと大変なことになるから。主にミーアがね」
「そうよそうよ。ヴィンダーはミーアを働かせすぎ」
リルカの皮肉っぽい口調にノエルが同調する。魔導陣の分析ではノエルもミーアに頼っていると思うが。……それも元は俺絡みか。
「分ってるんだけど……」
全く反論できない。ヴィンダー商会の業務の秘書役、というよりも最近は代理人に加え、カタパルトの弾道計算という業務外業務を加えたのは俺だ。
「ミーアのお給金を知ったときにはひっくり返ったけど、そういう問題じゃないからね」
ミーアは使用人ではない。ヴィンダーが得た利益に応じて彼女の収入は増える。持ち株比率的に言えば、俺と同額だ。しゃれにならない金額になっているが、自分のために使っているのを見たことがない。まあ、それは親父も俺も変わらないんだけど。
何せ、使う暇がない。いっそのこと商会の建物を丸々建て直すかと思っていたところに、大公邸に仮住まいの身になった。どちらにしろ戦争が終わるまで不可能だが。
「いくらお金があっても、体壊しちゃ意味ないんだからね」
ノエルの言葉に俺は校舎を見た。裏庭から見える図書館長室には明かりが灯っている。ラボに居ると何かと俺を手伝おうとするので、ミーアには館長室を使わせている。本来の主はこちらに泊まり込みだからな。
館長室の石板に一人黒炭を走らせるミーアの姿が脳裏に浮かんだ。
「せめて、こちらから迎えに行くか」
俺達には大公邸から馬車が迎えに来る。二人別々に帰ると警護その他の手間が大変なことになるので一緒に帰ることになっている。本来の待ち合わせは裏門だ。
「当たり前のことを、名案みたいに言わないの」
コミュ障と一般人の当たり前に対する格差を考えながら、俺は校舎に進路を変えた。
「良かった。まだいたか」
「どうしました」
校舎から出てきたダルガンが俺を見つけて声をかけてきた。
「培地のことだ。最初の一頭を潰した分がもうすぐなくなる。知らせろって言ってただろ」
「大量に使いましたからね」
ダルガンから購入している培地はほぼ生物由来だ。材料に使っている牛の個体差による影響を考えなければいけない。
俺たちは1リットルの培地から取れた【IG-1】を原液にしているが、培地の質が変われば、バクテリアの増殖率や【IG-1】の分泌量は変わる。つまり、ロット差が無視できなくなる。
「……要はまとめて作って差を均せって言うんだな」
「はい、三頭をまとめれば一頭一頭の違いが出ませんから」
「なるほどな。こっちが潰すタイミングを合わせればなんとかなるだろう」
「無菌操作や機密保持のため、培養は当面こっちでやりますけど。抽出その他はヴィナルディアの商会に任せます。量はあっても大丈夫です。保存はなるべく濃縮するという形で」
「分った。それで話を通す」
「あ、後はですね……」
俺は成分を抜いた培地の注文をする。精製を考えれば単純であればあるほど良い。最低限の成分構成を探りたい。コストの問題もある。
「よし。これで決まりだな」
俺の注文をメモしたダルガンが言った。
「すいませんいろいろ面倒なことを」
「ちゃんと料金を貰ってるし。名目上は騎士団や魔術寮へ納入だ。クレイグ王子や大賢者様の注文ってことで親父もほくほく顔だよ。俺の勲章と合わせて周囲に自慢しまくってる」
「それは良かったです。あっ、すいません。待たせるわけにはいかないのでこれで」
校舎を見ると館長室の明かりが消えている。
「ミーアちゃんを待たせちゃいけねえな。お前、あの子働かせすぎだぞ」
皆が同じ事を言う。しかもその全員が俺のせいで働き過ぎになっているのだから、本当に立つ瀬が無い。
「……帝国のことが終わったらまとまった休みを取って貰います。せめて」
俺は裏門に向かった。
塀の向こうを遠ざかる馬車の車輪の音が聞こえる。こんな時間に複数台。しかも、やけに急いでいる。
「ヴィ、ヴィンダー」
裏門が近づくと、シェリーが息せき切って走ってきた。
「どうした。餡子か砂糖でトラブルか?」
次のトラブルだ。培地用に精製度の高い砂糖も使用している。ただでさえ生産量が限られているのに、突然の需要増だ。このご時世に注文急増はないはずだが、商売に差し障っているなら対応しないといけない。
「と、突然裏口から男達が入ってきて……。ミ、ミーアが連れて行かれたの」
「えっ!?」
一瞬何を言われたのか分らなかった。裏門の方に何人かの騎士が走ってきている。そこに待っているはずのミーアの姿はない。
◇◇
王都の東近くの下町。潰れた商会の奥は昼間でも薄暗い。ヒビの入った長机に置かれた一本の蝋燭が、五人の男の不安そうな顔を照らしている。
「こ、これからどうするんです」
沈黙に耐えかねて一人の男が口を開いた。気の弱そうな細い顔、こういった場にはいかにもそぐわない。
一昔前までは王都でそれなりの立場にあった男達だ。ドレファノの傘下で一店を任されていた男。カレストに雇われていた荒事の専門家などだ。
「どうするとは、こちらの台詞ではないかな。第一のターゲットはリカルド・ヴィンダーと命じたはずだぞ。お前達は学院の中は詳しいのではなかったか」
男達の向かいで闇がうごめいた。ローブの男の押し殺したような声に、細身の男はびくっと体を震わせ、うつむいた。
「お、俺たちがいたときは、あんなに沢山の騎士が見回ってなんて……」
「それに、あの小僧はなかなか出てこなくて、このままじゃ大公の馬車がって思うと、ぎりぎりだったんだ」
頬に傷がある厳つい男が言い訳がましく言った。まるでその馬車にトラウマでもあるようだ。
「そ、そうだ、こっちは二人が学院の裏門で揃うってちゃんと調べて……。だいたい、直前になって二人ともさらえって言ったのはあんたじゃないか。あれ以上踏み込んだら俺たちは今頃牢屋の中だ」
男達は口々に言い訳をした。失った人生を取り戻そうというのだ、命の一つ二つかけれぬようではどうする。ローブの男は内心で舌打ちをした。
「あの娘を餌にリカルド・ヴィンダーを釣り上げるしかないな。それが出来たら、今回の失態は忘れてやろう」
思わせぶりにいいながら、彼の意識は目の前の男達ではなく背中に向いていた。そこには小柄な黒髪の少女が縛られている。異常に静かで大人しい少女だ。
「そ、そりゃ無茶だ。一度失敗したんだから、相手は警戒しているに違いねえ。ただでさえ衛兵達が……」
一度襲撃に失敗した以上、ターゲットが警戒のレベルを上げていることは確実だ。だが、協力者から提供された通行許可書の期日は近い。
「問題ない。生死は問わぬならば簡単だろう」
カタっ
部屋の奥で音がした。少女が身じろぎしたのだ。見も知らぬ集団に捕まったというのに、大人しかった少女の動揺を見て。間者は小さくほくそ笑んだ。
無理を承知で彼がターゲットを増やしたことには理由があった。彼の使命はあくまでヴィンダーが隠し持つ知識の源を奪取すること。
その観点で言えば、このミーアという少女は十分すぎるほど異常なのだ。
リーザベルトの情報では、リカルドの秘書と言うことだ。この時点で情報源としての価値はある。しかも、第二王子の情報で宰相の秘書と繋がりがあることが分っている。さらに、錬金術士ノエルや巫女姫アルフィーナともきわめて近い関係だ。
決定的だったのは第一騎士団の練兵場での光景だった。大賢者や主人であるはずのリカルド・ヴィンダーが少女の指示で動いているように見えたのだ。
銀商会の跡取りがあれだけの人脈を持っているのは異常なのに、その使用人に過ぎない少女が王国の最重要人物と対等に接しているのだ。
それに何より、この少女には僅かだが魔導の資質がある。取るに足らぬ資質だが、有ると無しとでは全く違う。
男はゆっくりと少女に近づく。背後の蝋燭の光を意識して男はナイフを抜いた。
「大声を出すなよ」
少女の喉に一度ナイフを近づけて、少女が小さく頷くのを確認してから猿ぐつわを取った。
実は先ほどの男達との会話は、情報を引き出すための下準備だ。傷一つ付けずに連れてこいという理不尽な命令を守るための芝居。
まるで美女を攫うような条件設定だ。情報が目的なら口さえ動けばいいと思うが、次の皇帝の命令では従わざるを得ない。
もちろん、ターゲットかも知れない相手に教える必要はない。
「そろそろ話して貰おうか。ヴィンダーの秘密について何を知っている。依頼主はお前達の知識に興味を持っているのだ。もし、こちらの求める知識を提供できるのなら悪いようにはされん。例えば……」
ナイフを持ったまま、胸元に手を突っ込むと金属の輪を取り出した。
「ヴィンダー商会が扱っているこの馬車の部品。これの秘密は何だ」
少女の目の前で軸受けを回転させる。
「…………」
「そうか、ではやはりリカルド・ヴィンダーをもう一度……」
黒いローブの男はミーアに背を向ける。
「お前達、次の作戦で使う武器を――」
「っ! ……待ってください」
「なんだ?」
男は振り向きもせずに問いかけた。
「…………その人に、今から言う数字を教えてください」
少女の口から数字の並びがでてくる。メイティールに教えられた数字と三桁まで一致した。さらに四桁目、五桁目……。
ローブの男は王都を出ることを決めた。




