11話:前半 精製抽出調理編
「結局このコロニーか。お主はアイ・ジー・ワンと名付けておったな」
フルシーは緑がかった三角フラスコを見て言った。藻の生えた沼みたいであまり綺麗ではない。
「ええ【IG-1】です」
Iは阻害剤、Gはグリーンだ。ちなみに、赤い土からの魔力作用物質が見つかったら、総称して【魔力触媒】と呼ぼうかと思っている。
魔力阻害物質を生産するコロニーの中で、最終的に本培養に進めたのは、例の阻害物質を周囲に分泌している緑がかったコロニーだった。
【IG-1】を含めた魔力阻害効果の強いコロニーを数種類シャーレ上で培養した後、ガラスに移し取って目的物質の性質を大まかに調べたのだ。つまり、熱と酸やアルカリに晒した後、もう一度魔力阻害実験をしたのだ。
その結果、【IG-1】は熱や酸で魔力阻害活性がほとんど減らないことが分ったのだ。つまり、生産されている魔力阻害物質が丈夫なのである。
「それで、次はどうするのじゃ」
「これまでの阻害剤と大して変りませんよ。目的物質の精製ですね」
あの黒い色素は赤い森から流れ出る川の貝から取れるらしい。微量しか取れないので高価というから、昔の紫の色素みたいな物だろうか。あるいはあの黒い色素は貝の毒のように赤い森のバクテリアが分泌した物質が貝に取り込まれた物なのかも知れない。
というわけで、いよいよ精製である。【IG-1】の魔力阻害効果はコロニー越しにも発揮するのだから、極端な話、培養液を乾燥させるだけで効果は高まるだろう。だが、俺が望む用途を考えると純度は高い方がいい。
「そういえば、ノエルに聞きたいんだけど」
「…………次の無茶の話はまだ早いと思うけど」
ノエルがひくっと目尻を振るわせた。そんな無茶な話じゃないぞ。
「いや、ちょっとした質問なんだ。魔導金ほどじゃないけど、魔力を通す物質ってあるのか?」
「……あるけど。私たちの間じゃ魔導銀って言ってるけど、金と銀といっても、実際には金と銅の価値の差に近いわよ。ほとんど魔力を通さないから使い出がないの」
「ちなみにそれって手に入る物か?」
「話が繋がっていない気がするのがとても怖いわね。……倉庫をあされば多分大丈夫。………………必要なの?」
「いや、ちょっと聞いただけだ」
「あんた今、魔術の歴史を数十年単位で進めている自覚あるんでしょうね」
「ノエルのピペットのおかげで実験速度が数倍に、費用が十分の一になってる自覚ならある」
「……そ、そういうのはいいのよ」
◇◇
「それで、私は何を手伝えばいいのかしら」
テーブルに置かれた三角フラスコを見てヴィナルディアが言った。その手には白い布を何枚も抱えている。
「加熱するまではよらない方が良いんだけど……」
「今更よ今更。ただし、これでナタリーを助けて貰った借りは返したからね。あの子も手伝いたがってたんだから」
「……分ったよ。でも、ヴィナルディアの出番はある程度作業が進んだ後なんだ。それまでは……。そうだな、あっちを頼む」
俺はラボの片隅に置かれた篭を指差した。リルカから仕入れた大量の卵が積まれている。一つの篭に全ての卵だ。経済学には良くない状況だ。早く割ってしまわないと。
「ま、まさか、それ食べるの」
ノエルとヴィナルディアが身を震わせた。
「そんな訳あるか。まあ、作業としては似たような物らしいけどさ」
元の世界では、料理の腕と実験の腕は比例するという話を聞いたことがある。
「老い先短い儂はちゃんと近くで見せて貰うぞ」
知識のためなら悪魔に寿命を売りそうなフルシーが言った。
「館長の力は必須ですからね」
物質の精製というのは基本的に目的物質とそうでない物質を、物理化学的性質の違いを使って分離することだ。元の世界では化学の基本だな。蒸留、濾過、昇華など全て要するにそういうことだ。【IG-1】に関しては緑色が指標になるかもしれないが、この緑が魔力阻害物質ではない可能性もある。
言うまでもなく簡単な作業ではない。未知の物質を相手にするならなおさら。しかも、微生物を使った場合は目に見えない上に、この世界で最も多種多様な化学物質の中から取り出すことになる。
だからこそ、フルシーには実験のステップステップで目的物質の存在を測定して貰わなければならない。それが有る無しでは、少なく見積もっても数十倍の時間と費用の差が出る。
ただし、第一段階はすでに答えが出ている。バクテリアを培養液から除くのだ。とっとと加熱してバクテリアを殺したいが、殺してしまうと内容物が液中にぶちまけられる。それではせっかく培地に分泌されるというアドバンテージが活かせない。
「まずは最大の不純物であるミューカスの除去ですね。アレを使います」
俺はヴィンダー商会からラボに納入した機械を指差した。簡単に言えば、バケツのような取っ手のついた桶が軸に取り付けられている。軸受けはベルトルド製のベアリングに取り替えてある。元々は養蜂でハチミツを巣から取り出すために作り出した仕組み、遠心分離機だ。
ハチミツの場合は水車を使っているが、言うまでも無く手動で動かすように変えてある。風車では途中で風が止まったらどうしようもない。
振とう培養の場合は、夜に培地の撹拌を少しでもしてくれたらマシだから風車を使ったのだ。
というわけで、俺は延々とクランクみたいな棒を回し続けた。こればっかりはフルシーに手伝ってもらうわけにはいかない。ダルガンかプルラがいてくれれば良かったのに。いや、やっぱり水車が欲しいな。
無論、バクテリアを沈殿させるに回転数は足りない。だが、素のまま布で漉したりしたらあっという間に布が詰まるのだ。学院の庭の土から培養した菌液で何度も試した結果だ。
俺は三角フラスコを遠心分離機にかけ、しばらく待った。
三角フラスコの底に沈殿が出来たのを確認して、漉し布をかけたビーカーに培養液を移す。ほんのちょっと揺れただけでバクテリアが液に混じる。まあ、それは布に期待しよう。ヴィナルディアに用意して貰った最高級の布だ。
バクテリアを漉すのに使った布はとっとと焼却炉にぶち込む。もちろんバクテリアの中には【IG-1】が残っているが、精製度を高める方が優先だ。フルシーには培養液に魔力阻害活性があることを調べて貰う。純粋に【IG-1】生産バクテリアだけの純粋な培養液だけあって、この段階でしっかりとアンテナに影を作っている。
この段階では、溶液はまだかなり濁っている。中には培地成分はもちろん、大量のバクテリアの死骸その他が含まれているのだ。
俺は竈の火の具合を確認する。
丁度いいタイミングで、ヴィナルディアが卵白を持ってきてくれる、卵白を培地に混ぜてよくかき混ぜた後、培地を火に掛けた。人間が織った布よりも遙かに細かい、卵白で不純物を除くためだ。コンソメスープを作るのと同じ工程なので、コンソメ法とでも名付けるか。考えてみれば、培地はコンソメスープに近いと言えば近い。
ちなみにコンソメスープのレシピは大公邸の料理人に聞いた。贅沢な料理が出る環境に住んでいなければ思いつかなかっただろう。
卵白が固まると固形分を布で漉した。培地の琥珀色とバクテリアが分泌した緑が混ざって綺麗とは言いがたいが、さっきよりもだいぶ澄んでいる。ビーカーからサンプルをとってフルシーに渡す。フルシーがすぐに液の魔力阻害効果を測定する。
「問題ないぞ。卵白の方も調べたが液体の方がだいぶ強い」
「そうですか……」
少し予想が外れた。少なからず卵白の方にもとられると思ったのだ。まあ、コンソメスープと違って培地にはほとんど脂肪は含まれていないからかな。
「活性そのものはどうですか?」
「ほとんど落ちておらんな」
これは予想通り。やはり熱に強いようだ。物理的に除くのはこれくらいが限界だ。次は化学的性質を使ってわける。俺はヴィナルディアを見た。
「頼んでいた物は持ってきてくれたか?」
「ええ、手に入るだけの種類は揃えたわよ」
ヴィナルディアは、俺が赤い森の土を採取するときに持っていったガラス瓶を何本も取り出した。中にはゆったりと揺れる少し粘性のある液体が入っている。




