9話:後半 大きな葛籠と小さな葛籠
「15そこらの平民の小僧が、どうやって今の説明を作れる」
さっきまで、ある種の優雅さを忘れなかった女貴族は、今は全く笑っていない。
「ああ、勘違いをするなよ。そなたが誰かの鸚鵡だと言っているのではない。そんなことはアルフィーナとフルシーの言葉で明白じゃ。どうしたらこんなことが可能なのかと聞いているのだ」
面接で「志望動機はなんですか」くらい当然の質問だ。幾つかパターンは用意していた。言葉がうまく出てこないのは、目の前の女性が如何なる誤魔化しも通じないと、無言で示しているからだ。問われているのが俺の頭のなかにある知識なら、いくらでも答えようがある。だが、俺自身の有り様を問われたとき、それは無力だ。
「年輪に関しては、ゆ、夢で見たとしか言いようがありません……はは」
出てきた言葉は、これはないと却下したはずのもの。まるで予言者のようなことを言った自分を自嘲する。もちろん向こうは冷笑だ。
「話を変えよう。この功績に対してどんな褒美を望む? 妾としては、正当に評価できぬなら殺してしまうしかないほどの功績と思うが」
冷や汗が背中でダウンヒルを始めた。俺に向けた羽扇の先が顎の下を指すのだから恐ろしい。さっきから微動だにしないと思っていた執事が、いつの間にか俺の後ろに立っていることに気がつく。
「叔母上様、ご冗談が過ぎます。これは褒美の話なのですよね」
「己の商売を守る。それ以外に何を望む?」
アルフィーナは胸の前でギュッと両手を握って後見人に逆らう。だが、大公は意に介さない。そもそも、向こうは褒美の話を今する必要はない。これは、さっきの面接の続きなのだ。
フルシーの一種の科学リテラシーとは違うが、この大貴族は知識が力だということを理解している。ならば身の丈に合わない知識を持つ俺の危険性について当然考えるだろう。「そんな簡単に現代知識の応用ができたら苦労しない」そう言ってしまいたいが、今の状況ではなんの説得力もない。
だから、アルフィーナは間違っている。褒美をやろうなんて寛大な言葉では断じてない。この答え次第で、問題が解決した後の俺の運命が決まるのだ。舌切雀の昔話が脳裏に蘇る。あれって、優しいお爺さんが大きな葛籠を選んだらどうなってたんだろうな。
もちろんこの場合、昔話と違って小さい方を選べば解決でもない。
「どうした? 答えは聞かせてもらえんのか」
向こうの目に映る俺は、得体のしれない異質な存在だ。分からないというのはそれだけで警戒の対象。人畜無害アピールなど逆効果だ。大公の警戒心は、俺にとっては理不尽で不当だが、まったく不思議ではないのだ。
「普通の人間、特に平民は己の今の生活を守ることを第一に考える。そのために自ずと視野を狭める。起こるか起こらないかわからない災厄などという難しい問題は、信じるか、信じないかの二択に単純化する。まあ、それは妾たち貴族でもあまり変わらんがな。そなた、アルフィーナに協力したのは自分の小さな商売を守るためと言ったな」
大公の目がすっと細まった。
「そんな人間にあの絵は描けん」
…………ああもう、的確に勝手なことばっか言いやがって。だけど、それはあくまでそちらの一方的な判断に過ぎない。こうなったら思い知らせてやる。俺の保身が本物だってことをな。
「三つあります」
俺は言った。原案は用意してきている。
「聞こう」
「一つ目、災厄を解決した後のレイリア村の扱いです。ある形で保護してください」
魔獣氾濫が解決したとしても、あの村は少なからず注目される。最低でも、騎士団の行き来で中央の人間の目に触れる。そして、先日の誘拐未遂。これまでのように、秘密を守るでは通じない。文字通りの意味で守らなければならない。
大公はカップの横に置かれた蜂蜜を指差した。
「今回だけでなく終わった後も、これの産地を保護せよ。そういうわけじゃな。その形とは?」
「災厄を防ぐことができれば、アルフィーナ様の評判は高まるでしょう。王族なら与えられているはずの采地がないことが問題になるはずです」
王女の領地ということになれば、もはや生半可な人間は手を出せない。そういう事態になることは本来はゴメンだが、言っていられなくなった。それなら、最悪の中の最善を取るしか無い。
「西方というのがネックじゃが、小さな村じゃからな。王もそのくらいならむしろほっとするかもしれん。その意見は通そう。代官は我が家から信頼できる者を出す」
大公は頷いた。そうなると次にやらなければいけないことは……。
「二つ目です。西方に派遣される騎士団は第三騎士団を押してください」
「第三騎士団は規模も小さいぞ。財政的にも帝国を刺激しないという意味でも悪くないが……」
大公は怪訝な顔になった。 第三騎士団はいわば遊軍。第二騎士団の討伐の補助もしているから、全く経験がないわけではないらしい。だが、魔獣氾濫の討伐は第二騎士団が本職だ。
レイリアを始め二十の村の安全が掛かっている今、普通なら何を置いても安全保障を優先するべきだ。
だが、このままでは第二騎士団は出陣できない可能性が高いのだ。
「第二騎士団では、騎士団派遣の可能性そのものに障害が生じます」
生産に余裕が無いこの世界で糧秣を集めるには時間がかかる。対外戦争が終わって久しく、魔獣氾濫は予測できるこの国で、常時の備蓄は最初から少ない。しかも今はドレファノとケンウェルの暗闘で、第二の備蓄は危機レベル。ミーアとジェイコブの調査でわかった事実だ。瓢箪から駒だったな。
もし緊急出動となれば、ドレファノとケンウェルは互いに足を引っ張り合う。ロビー活動その他で、ただでさえ揉めるであろう派兵は更にかき回されるだろう。最悪、決定その物を妨げかねない。
魔獣氾濫に対する討伐は、極言すれば上位個体一体の討伐であり、魔獣の群れとの戦争ではない。人数は最重要ではないはずだ。これは、事前にフルシーに確認している。
「ベルトルド大公家の騎士団長は元第一騎士団の部隊長とか……」
「確かに、我が領からも援軍は出すが…………。どうして拘る。そなた、第三騎士団に何か繋がりでもあるのか?」
大公は目を細めた。見当違いだ。だが、第三騎士団の形式的なトップがもう一つの要点だ。
「私は新年祭を見ていました。「たとえ災厄が訪れても”王”国はそれを退ける。これまでのように」でしたね」
「…………第三騎士団の長は第三王子。災害を防いだ立役者は王子となるな。王家としては巫女姫の予言を否定した失態を補って余りある、いや王家が力を集結して災厄を防いだという絵か。アルフィーに対する風当たりも抑えられるな」
もはやアルフィーナの保身は村の保身、ヴィンダーの保身、そして俺の保身だ。
「最後の一つは?」
「この情報を広く明かすまで四日間の猶予を。おそらくですが、内々の根回しだけでそのくらいはかかるでしょう」
「四日で済むわけがなかろう。まあ、徹底しよう。それで理由は?」
大公は俺をじっと見た。
「情報の独占は商家にとって何よりの利益、としか申し上げられません」
正念場だ、この要求だけは徹頭徹尾こちらの都合だからな。俺たちは互いに見つめ合う。
「……………………良かろう。それも含めて報酬じゃ。アルフィーもこのことは決して口にするな。アデルの娘にもじゃぞ」
「クラウにもですか。は、はい、わかりました……」
「ありがとうございます」
俺はいろいろな意味を込めて頭を下げた。クラウディアに伝わったら、計画が台無しになってしまう。
「あの、でも、それだけですか。私のことばかりで。リカルド君には何も……。そ、そうです。元々は私がお願いしたのですから。私に出来ることなら何でも……」
「な、何でも、ですか」
アルフィーナは真剣な表情で強くうなずいた。青銀の髪の毛が、控えめだが形の良い胸元に流れ落ちた。ゴクリっ、思わずつばを飲み込んだ。
「ほう、やはりアルフィーと何か約束があったのか?」
「ち、違います」
「ふむ、ではそうじゃな。妾の遠縁の子爵家に年頃の一人娘がおる。家を継ぐ婿を探しておるのじゃが。もしよければ紹介してもよいぞ」
「叔母様!」
アルフィーナは驚いて立ち上がる。おかげで俺が驚きそこねた。
「どうしたアルフィー。大事な友達の出世の話じゃぞ。こやつが親戚となれば今までよりも付き合いやすかろう」
「そ、そういうことではなくて……。その、そういうことは当人の……」
「うーむ。確かに、平民が婿候補となればルィーツアも不満を抱くかもしれんな」
「そんなことは、、そうではなくて、これはリカルド君へのお礼の話のはずです、リカルド君の希望も聞かずに……、そんなのダメです」
アルフィーナの口調に子供っぽさが顔を出した。
「そなたこそ、そやつの意思を無視しているのではないか? 妾は紹介してもよいと、希望を聞いておるのだ」
「えっ、あ、その…………」
アルフィーナは困った顔で俺を見る。答えなど決まっている。
「当家は蜂蜜の商売に十年近い時間を掛けております。先ほど閣下は小さな商売とおっしゃいました。ヴィンダーは確かに小さいですが。子爵と引き換えるほど安くはございません」
貴族なんて副業にうつつを抜かす暇があるほど、俺の目標は小さくない。どうせ、身分など毛先の価値も与えてないとバレているのだ。
でも、その子爵令嬢の耳に今の言葉が入りませんように。
「くくっ、ははははは」
貴婦人は口を大きく開けて笑った。おまけに羽扇で机をバンバン叩き始めた。さっきまでの威圧感が綺麗に消えている。
「そうか子爵ごときと交換はできんか。なるほど、ベルトルドの御用商人にでもしてやろうかと思ったが、それもいらんじゃろうな」
俺は頷いた。俺は別に無欲じゃない。間接的な保身ばかり求めるのは、逆に言えばヴィンダーに直接干渉するなということだ。貴族の庇護の下、紐付の安全は俺の目的にはミスマッチなのだ。
だから、これは正真正銘の俺の望みだ。相手を騙すほどの器がない以上、正直という武器で戦うしか無い。
「ふん。ま、もう少し長い目で見てやろう。そなたがおれば姪をからかう楽しみも増えるというものだしな」
◇◇
四日後。俺はいつものように図書館に向かっていた。
「先輩」
「ミーアか。準備はどうだ」
「はい、噂については、市井にゆっくりと広がっております。ジェイコブが兵士くずれの冒険者達にも広めてますから、いずれ軍内にも届くでしょう」
「反応は?」
「予想通り、まともに相手にする者はおりません」
「予定通り、だな」
俺はなるべく感情を抑えていった。中庭で小太りの少年が取り巻きの平民学生たちを従えて歩いている。
「分かりました。ですが……」
「どうした?」
「王女殿下がことを知ればどう思うでしょうか」
「…………それが今重要な事か?」
俺は冷静に聞こえるように言った。あのお姫様の性格上、今から俺がやろうとしていることを知れば決していい顔はしないだろう。だが、今は何よりも守るべきものに集中する。
村の子供の誘拐未遂は、結局ドレファノに繋がった。ジェイコブたちの調査で、傘下の中堅商会の一つが依頼元だと特定できたのだ。そして、俺達の今の力じゃ、そのドレファノのしっぽすら切れない。正面からでは。
「由なきことを言いました。…………レンゲ蜜ですが、これまで村に貯めていた分が到着しました。会長のいるベルトルドから万が一の時のため非常用の食料も届け終わりました」
第三騎士団の駐屯地が騒がしくなっているのも確認済みだ。今頃城内ではあのおっかない女傑が、フルシーの首根っこを掴んでプレゼン中だろう。
「よし、こっちの準備も整ったな」
俺は商売敵には敬意を払うが、政敵には容赦しない。




