1話 征服者
王宮と見まがうばかりの広い謁見室。玉座と言っても通用しそうな豪華な緋の椅子の前に、整然と列を作る十数人の人間。彼らは明暗二種類の服装に分かれる。
人数が多いのは明るい色の服装。つい先日まで支配者の側に居た人間だ。一様に落ち着きなく、不安な目で新しい主の事を覗っている。征服者への反発があったとしても、北方からの間道を通過出来る程度の人数に、本来の主が留守とは言え完敗した彼らに、それを表に出す勇気はなかった。
彼らの前、クルトハイト大公座に座っているのは一人の少女だ。明るい紫の長い髪と整った顔つき。金糸の様な模様を織り込んだ黒いローブ。彼女は細い顎に右手の指を当て、左手で掌中の何かをもてあそびながら、列から前に出た五人を見下ろしている。
「11番と、17番はクレーヌに、21番と22番はベリトに。8番は……私が後で見ます。アリーに渡しなさい。クレーヌは進行中の5番と合わせて明後日までに報告」
帝国の皇女、王国東部攻略軍のトップであるメイティールの冷たい声が発せられる。四人は慌てて担当者の元に急ぐ。残った一人がおろおろと左右を見た。自分に突きつけられている四本の魔導杖の中、彼はがたがたと震えながら前に進む。
メイティールの隣に控えている秘書官が黙ってそれを受け取る。メイティールは男のことはすでに意識から消えているように、次の列の人間に目を移している。
◇◇
「やっと雑用が片付いたわ。研究はどうなっているかしら」
クルトハイト城の一番立派なダンスホールを改造して作った実験室でメイティールは言った。部屋の中では黒いローブの十五人の魔導士が、三つの集団に分かれて作業をしている。
老若二人のローブの男女が皇女の前に進み出た。
「破城槌の改良図の結果が出ました」
老人が彼女に近づく。メイティールは手を伸ばして、結果を受け取る。紙には複雑な模様が書き込まれている。
「喰城虫の魔導陣も最適化が進んできたわね。これなら、王都の城門も抜けるわ。でも待って……、回路のこの部分が何かしっくり来ないわね。ここで魔力の流れが澱んでいるわ」
「すぐに検証いたしましょう」
メイティールは魔導陣を構成する式の一つにペンを走らせた。老人はメイティールの修正した魔導陣を受け取る。
「もう一つの方はどうなっているのかしら」
メイティールは掌中の金属環をくるくると回転させた。西方から来ていたという馬車の部品で驚くべき精度と機構の部品だ。王国の魔術水準のあまりの低さにがっかりしていたメイティールの興味を唯一引いた物だ。
「申し訳ありません。現状ではこれが限界です」
ローブの若い女性がメイティールに円形の輪を差し出した。メイティールの手の中にある物よりも一回りは大きい。メイティールはその大小二つの金属の輪を回転させる。
「王国の方がなめらかに動くわね」
部下を責めると言うよりも、心底理解出来ないという顔でメイティールが言った。
「はい、六つの球を全て厳密に同じ大きさにすることが難しく」
部下である魔導士も、上司の性格を分かっているのか必要なことだけを口にする。
「貴方が試作した方が大きいのに誤差が大きい…………。こちらの軸受けの精度は貴方よりも一桁高いわね」
「おっしゃる通りでございます。金属の加工精度としては異常でございます。ご指示通り、馬車の他の部品を調べましたが、同様の精度は全く見られませんでした。また、この部品を使った馬車は十台に一台もなく、全て西方から来ていた物です」
完全に馬鹿にしていた王国の魔術水準、その中で突然目にとまった小さな輪。彼女から見てもそれは異質だった。どこからか突然飛び出てきたとしか思えない。
「西方…………、ベルトルドね。早急に調べなければいけないわ。ダゴバードはまだベルトルドを落としていないのかしら」
メイティールは爪を噛んだ。知りたいことをすぐに知れない時の彼女の癖だ。
「未だ連絡はありません」
「試作品の破城槌まで貸してあげたのに……。分かっているのかしら。帝国の人口で王国を統治するには、圧倒的な力を見せつけなければならないのよ。勝つのは当たり前で、苦戦すら駄目なのに。いえ、それよりもこの軸受けよ。恐らく魔導金を使って型を作ってそれで金属を鍛造したのよ。貴重な魔導金を直接使うんじゃなくて型として用いる。それ自体素晴らしい発想。でもそれだけじゃない、恐らく円の式を導出する過程が違うの……。これを実現するには……」
メイティールは手の中のベアリングに意識を向ける。立ったまま思考に沈む上司から部下達はゆっくりと距離をとる。
その時、軍装の男が一人、足早に研究室に入ってくる。入り口近くに居たローブの女が慌てて止めようとするが、男の胸に付いた本国からの使者の印を見て道を空ける。
「メイティール殿下」
「東部攻略軍司令官」
「………………なに」
メイティールは不機嫌さを隠しもせずに顔を上げた。彼女の前には旅装も解かないままの男がひざまずいていた。
「はっ? ダゴバードが敗れた!?」
メイティールは思わず驚きの声を上げた。使者はダゴバード本人を含め、馬竜騎士の多くが捕虜になったこと。西部攻略軍がカゼルまで撤退した事を報告した。
「何をやっているのよあの男は。しかも馬竜の半分以上を失ったって。どうしたらそれだけ完璧に負けられるの」
周囲の目を気にもせずに、メイティールは怒鳴った。十年を掛けて養った戦力が失われたのだ。それは、東部で圧勝した彼女の行動も大きく制約されることを意味する。
「……紫色の煙で馬竜の呼吸が止められたって……毒を使われたということ。紫……どういうこと、アレは馬竜には効かないはずでしょ。でも、同じ症状だわ。私たちに渡したのは劣化品という可能性は考慮したわ。それに、ガス化して…………即効性。呼吸器官に関係するのね」
使者の前にもかかわらずメイティールは己の脳内に閉じこもった。
「あの竜の解剖結果を持ってきなさい。……本国からリーザベルトを呼ぶ必要があるわね」
彼女は部下に指示を出した。爛々と光るその瞳には、怒りと好奇心が渦巻いていた。




