14話:後半 トリック
夕暮れの砦で撤収準備が進んでいた。戦果は上々なので運ぶものが多い。前後から攻め込んできた計110匹全てに加え、味方を救援しようと後ろの門から侵入してきた20匹も追加で罠にかかった。逃げ出したのは30程度のようだ。
最初に落とし穴で足を痛めて、砦の外に避難していた馬竜を一匹生け捕りにすることも出来た。確認されている馬竜部隊の6割強を潰したことになる。帝国本国にどれだけ残っているか知らないが、沈静化しているといっても魔獣からの本国の防衛に必要だろう。
しかも指揮官までこちらの手に落ちたのだ。
もちろん、馬竜の強さを考えると残っているだけでも大きな脅威だ。花粉が使いにくい野戦では特にだ。それでも、今後は行動は大きく制約されるはずだ。まさか、花粉が殆ど品切れとは思うまい。
ジェイコブ達に集めて貰っている今年の花粉が到着するまで対処は可能だろう。
次の問題は……。
「館長とノエルと後はミーアの助けがないと無理だな」
馬竜の手綱に描かれた模様に俺は首をひねった。そこに、クレイグからの呼び出しが来た。
◇◇
砦の中に設けられた簡易天幕には、椅子に縛り付けられた黒い皇子がいた。
「来たか。今捕虜殿から話を聞いているのだが、リカルドのアドバイスが欲しくてな」
俺の横に張り付くように寄り添うアルフィーナには触れずに、クレイグは言った。俺としてはあんまりアルフィーナをダゴバードの目には触れさせたくない。ただ、今後のために今回の情報操作については知っておいて貰った方が良い。
椅子に縛り付けられた黒い皇子が俺を睨んだ。紹賢祭の学院、ヘイレイト討伐後の王宮、そして今。三度目ですね。
「お前はいつぞやの……。なるほど平民ではなかった訳か」
ダゴバードは俺とアルフィーナを見ていった。間違っているが義兄よりもまともな反応だ。アルフィーナがさらに力を込めた。
「それで、あの毒のことを説明して欲しいのだ。捕虜殿はあの毒が馬竜に効くはずがないと言い張るのでな。こちらに攻めてくる前に馬竜に大量に食わせて試したらしい」
「仮説二番ですか、やっぱり侮れませんね」
俺はいった。流石魔獣の本場だな。
「でも、話しちゃっていいんですか?」
「ああ、同じ手はもう使えないだろうからな。それに、正直俺も完全に理解していない」
「説明しましたよね。鳥でも草食傾向が強ければ強いほど、花粉が効きにくくなるってとこから」
ダルガンにどれだけ苦労を掛けたと思ってるんだ。
「ははは、私ですら完全に理解してなければ、機密保持は完璧だろう」
クレイグが目配せをした。
「分かりました。じゃあ、ちょっと実験しましょう」
なるほど、帝国の科学レベルを推し量るにも丁度良いか。俺は残った酸と肉を用意して貰った。ガラスの瓶に入った酸に、肉を細く割いた物を浸す。
「人間も含めて動物の胃では肉を溶かすために酸を出すんですよ」
「…………」
俺が棒で液体をかき混ぜ、肉を溶かす。殺意を形にした視線で皇子が俺を見る。
「だから、肉食傾向が強い動物の胃ほど酸を沢山出します」
確か胃液の効果を証明した実験は、猛禽に金属の篭に入れた肉を飲み込ませたんだっけ。教科書に載っていた。王国やリーザベルトの故郷を襲った竜は人を食う。さぞかし胃酸過多だろう。
「そして、この酸は人間の胃の中にあるのと同じ物です」
胃液の主成分は王水の材料である二種類の酸の内の塩酸だ。こちらではクルシドだったか。
「あの花粉は胃の中で溶けて毒になるのだったな」
「はい、実は花粉そのままでは毒性がありません。胃酸と反応して初めて毒になるんです」
「馬竜にも胃はある」
ダゴバードが言った。そういう解剖学的な理解もあるんだな。これは思ったよりもギリギリだったかも知れないな。俺は心の中で帝国への評価を高めた。
「ええ。でも、馬竜のように草だけを食べる動物は肉を食べる動物と胃の構造が違うんですよ」
牛を例にすると反芻動物は四つの胃を持つ。第一胃と呼ばれる一番口に近い胃は胃と言うよりも微生物培養槽だ。動物には消化出来ない形の砂糖である食物繊維を、バクテリアを介してエネルギーとするためだ。
せっかく草をエネルギーに変えているバクテリアに酸をぶっかけるはずがない。第一胃には胃酸が出ないのだ。確か人間の胃に相当するのは三番目からじゃなかったか。
しかも、草の消化を助けるために何度も口に戻してはかみ砕くのを繰り返す。草ですら分解される状況で花粉が持つわけがない。バクテリアにとっても貴重なタンパク源だ。
ごくわずかの花粉が素通りしたとしても、草食動物は胃酸そのものが少ない。同じ量を食べても肉食竜と比べれば百分の一の効果があれば良い方だろう。
人間でも胃酸が出ない症状を持った人には青酸カリは効かないのだ。
「というわけで、馬竜にはそのままの形の花粉は毒にならないんです。一方、馬竜の呼吸器官は竜と同じですから、酸と反応させた花粉の成分を吸い込めば効くわけですね」
以上、馬竜殺竜事件のトリックでした。ちょっとした名探偵になった気分だ。思わず皇子の前でどや顔になってしまった。
「魔導……魔術を一切使わない知識か」
「正確には”使えない”ですね」
俺はうなずいた。ダゴバードは唖然とした顔になった。
「貴様が……」
ダゴバードは信じられない物を見るような目になった。
「貴様が全ての元凶か!」
そんな親の敵を見るような目で見られても。……そういえば俺は探偵じゃなくて犯人の方だったか。
◇◇
「帝国に花粉を渡すと聞いた時には何かと思ったが、見事に騙したわけだ」
ダゴバードを馬車に”積み込んだ”後でクレイグが言った。
「騙したは人聞きが悪いですよ。こっちは、ドラゴンに効く毒ですよとしか言ってないわけで」
「向こうが竜だけでなく、馬竜にも試すと考えていたのだろう」
「いえ、正直に言うと帝国がそこまでする可能性は半分くらいかと思っていました。それをやろうがやるまいが、こちらのやることは一緒ですしね」
毒を効果的に使うなら、毒ガス化するしかない。敵が馬竜に”花粉”が効かないことを知っているかに関わらずそれは同じだ。もちろん効かないと確信してくれていた方がやりやすいけど。
まあ、騙したんですけどね。
「それに、あの時点で一番大事なのは何にせよ時間を稼ぐことでしたから」
開戦を遅らせるのが一番大事だった。帝国の過去七十年の魔脈の変動を見た時の、血の気が引いた感覚は今でも思い出せる。
実際、あと一月早く開戦していたら、今頃王都が囲まれていたのではないか。
「王国には戦争になるという意識そのものが殆どなかったからな」
クレイグも頷いた。
「あの、リカルドくんは最初からリーザベルト殿下を……」
「そうですね」
俺はいった。アルフィーナの中で俺がいい人だと誤解されているようなので、この機に訂正を計りたい。
「リーザベルト殿下はとてもショックだったでしょう。それなのに私は……」
距離を取られる衝撃に備えていたのに、アルフィーナは困った顔になっただけだった。
「アルフィーナ様は何もご存じなかった、でお願いします」
もう一つの理由はこれだ。リーザベルトがそんなことを信じるかどうかではなく、アルフィーナの内心が重要だ。今後の帝国との交渉でリーザベルトが出てくる可能性はある。そのときに、アルフィーナに負い目を感じてもらっては困る。
「さて、今後のことだな」
「ええ、少なくとも馬竜が竜と同類だと判断して、花粉が効かないかどうか試そうとする知識を持った相手が向こうに居るわけです。捕虜の尋問ではそこら辺を重点的にお願いします」
もう一歩進んで薬物動態テストまでやられたら危なかった。少なくとも魔力の検出技術に関してはフルシーの方が上だと判断していたけど。
この前提が間違っていたら、もうまず勝てないくらいの技術の差があるからお手上げと言うこともある。
「ふむ。あの破城槌といい確かに侮れんな。まあ、こちらにはリカルドが居るから問題あるまい」
「クレイグ殿下。リカルドくんは商人ですから」
アルフィーナがクレイグから俺を引き離すように、腕を絡めて引っ張る。密着されるといくら射程距離が短くても有効圏内に……。
「どこの世界に、敵の主力を壊滅させる商人がいる」
クレイグが笑った。
「前も言いましたけど、この花粉に関しては運の要素が大きいですからね。さて、これで引き上げてくれれば良いんですけど……」
俺は口を濁した。運に頼らない方向の準備もしているが、それでも運なんだよな。
「帝国のもう一つの部隊だな。確かに全く姿が見えないな。てっきり橋頭堡を確保した後で渡ってくると思っていたが……」
「ええ、それに関連するんですけど。以前帝国が交易を求めてきた時に、王都じゃなくてクルト――」
「殿下。一大事でございます」
俺の言葉は駆け込んできた副官に打ち消された。
「どうした」
「ク、クルトハイトが……」
「……クルトハイト大公がどうした」
クレイグが声を低めた。そういえば、この期に及んで出兵を渋ってたんだっけ。でも、確かもう出発しているんじゃ。
「いえ、大公閣下ではなく。クルトハイトが帝国の手に落ちたという報告が届いたのです」
俺達が西で勝利していた時、東では敗北していたらしい。




