14話:前半 篭の鳥
カーーン、カーーン。
悲鳴のような鐘の音が、砦に響いている。
土煙を巻き上げ、異形の集団が迫ってくる。馬具も騎乗する騎士も黒で統一された軍団だ。綺麗な台形を維持しながら、どんどんこちらに近付いてくる。人間の外の世界の存在である魔獣が、明らかに統率された組織として動く様は脅威の一言だ。
上辺と下辺を足して二分の一して、高さを掛けた結果、160強ってところか。モーラントやカゼルの守備や連絡もあるだろうから、動かせる殆どを動員か。
第一列中央、とりわけ大きな馬竜に乗った男はあの黒い皇子、ダゴバードだろうか。
翻って足下を見るに、正方形に近い石垣には所々にヒビが入っており、角が丸くなった木の門が頼りない。史跡としてしか砦が存在しない前世を思い出す。
いくら、破られることが前提とは言え精神に来る物があるな。
砦の中を見ると、門の内側で最後の仕上げが行われている。先ほど逃げ込んできたアルフィーナの馬車とクレイグの騎士団が通った道から板が取り除かれている。土木作業を手伝ってくれたベルトルドの職人達は、すでに周囲の森の中にばらばらに避難している。今は騎士達がバリケードを組んでいる。砦の中央には、輸送部隊の馬車を壁にした簡易の陣地が構築済みだ。
紫色の粉末の入った袋を持つ俺の指も、土で汚れている。時刻はもうすぐ夕方。ギリギリ間に合ってくれたか。
「後は上手く食いついてくれるのを祈るだけか」
◆◆ ◆◆ ◆◆
「全軍停止せよ」
ダゴバードは砦の前で部隊を止めた。
ベルトルド攻略の基地として占領した町で馬竜の飼料の到着を待っていた時、彼は内通者から巫女姫がベルトルドに居て王都へ避難しようとしているという情報を得た。しかもクレイグの騎士団が護衛しているらしい。
王族が”二人揃って逃げ出す”無様さを嘲笑すると、ダゴバードは進路を東に向けることを決めた。
「クレイグの逃げ足もここまでか」
ダゴバードはこれまでの戦いとも呼べぬ一方的な戦果を思い返す。渡河地点を囲む砦は一応整備されていた。カゼルの街を本陣とした判断もなかなかの物だと感心した。
だが戦いが始まってみるとあっけない物だった。モーラントという砦を一蹴してやると王国本軍はあっさり王都へと撤退したのだ。簡単に落ちたカゼルはもちろん、そこから南の防衛体制はきわめて脆弱だった。
クレイグの騎士団だけはこちらの動きが正確に分かっているかのように、上手く逃げ回られた。
だがそれも終わりだ。今回、クレイグはオマケに過ぎないが英雄を潰しておけば、西部の平定や後の統治に効果はある。
「しかし、こんなところに逃げ込んでどうする」
勝算のない籠城にダゴバードは違和感を覚えた。
城門に立つ兵士達から見て、放棄されていたのではなさそうだが。西にあるベルトルドの防衛に意味があるとは思えない中途半端な位置だ。
「我らに追いつかれると考え、夜まで時間を稼ぐつもりではないでしょうか」
「夜陰に乗じれば逃げ延びる可能性が上がるという訳か。ベルトルドの動きはどうなっている?」
「はっ、城内が慌ただしくなっていると連絡が」
「王族二人は見捨てられんか……。それにしても、王国の魔力感知は明らかに精度が高いな」
ダゴバードは少しだけ考えた後、すぐに顔を上げた。
「よし、部隊を三つにわける。第一部隊は俺と一緒に正面に陣取る。第二部隊は背後に回れ。こちらの合図で前後の門から同時に突入するのだ。第三部隊は砦の外で左右に分かれ、周囲を包囲しろ。一人たりとも逃がすな」
クレイグと巫女姫を早急に捕らえ、返す刀でベルトルドからの援軍を潰せば、西部の戦いは終わりだ。ライバルであるメイティールの焦る顔を思い浮かべ、ダゴバードは唇をつり上げた。
副将の指示で、部隊が60、50、50に分かれる。
ダゴバードは副将に任せた第二部隊が砦の背後に回るのを待った。
ジャーン、ジャーン。
ダゴバードが腕を振り上げると、攻撃開始の銅鑼が鳴り響いた。魔導金製の破城槌が回転を始める。それを取り囲むように、馬竜軍団は砦に向かって疾走する。砦からは、申し訳程度の矢が飛んでくる。
鏃が光をまとっているところを見ると、魔力を帯びた物らしい。だが、馬竜の鱗と騎乗を前提に作られた厚い鎧には脅威とは呼べない。
ガギッ! ギャ、ギャギャギャ……、ドガッ!!!
古い木の門がダゴバードの目の前であっけなく破れた。先陣を争うように砦に駆け込む部下達。だが、次の瞬間、先頭の二騎が突然姿を消した。
「落とし穴だ!」
門を囲むように地面が突然崩れた。落とし穴の背後には砦の中の建物を壊して作ったらしいバリケードがある。バリケードの向こうから矢が飛んできた。
「こしゃくな」
手綱を通じて、馬竜に指令を与える。鱗が光を帯びて矢を跳ね返す。穴に落ちた内の一騎は駆け上がり戻ってきたが、一匹は足を痛めたらしい。手綱を解除した部下が慌てて口をふさいだのが見えた。穴から上がってきた馬竜の足から白い煙が立っている。
「団長、どうやら酸が」
よく見ると穴の底には水たまりがある。
「無駄なことを」
破城槌は落とし穴の底に突き刺さってしまっているが、あのような頼りない丸太の柵など何の役にも立たない。ダゴバードの指示に、四騎が門の外に走り出す。助走を付けた四騎が完全にタイミングをそろえて穴を飛び越えた。空中で振りかぶった槍が行く手を阻むバリケードに突き刺さる。木組みは簡単に吹き飛んだ。バリケードの後ろに居た騎士や兵士が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ダゴバードは悠々と穴を飛び越える。砦の反対でも木が砕ける音がする。
開けた視界の奥に、馬車を並べて作った簡易の防壁が見える。青銀の髪の白いドレスの少女を視界に捉え。ダゴバードは舌なめずりをした。
「さて、まさか巫女姫だけでなく英雄王子まで逃げだそうとしていたとは」
ダゴバードはアルフィーナをかばう様にこちらに剣を向けているクレイグを見た。
獲物は砦の中央で完全に包囲されている。城壁の上の兵は自ら作った階段のバリケードを必死に除こうとしている。
一度は警戒したが、竜討伐が毒を使った物であると分かった以上、彼にはもはや侮りしかない。
「降伏するなら、命は取らん捕虜としての待遇を約束しよう」
ダゴバードの言葉に、クレイグは無言で手に持った袋を開いた。そこには紫色の粉末が入っている。
「くくくくくっ…………。あーはははははは。なるほどついに切り札を使うという訳か」
ダゴバードはこらえきれずに笑った。クレイグの前に壺が運ばれる。まさか、最後の酒ではあるまい。クレイグは何を思ったのか、その壺に袋の中身を放り込んだ。
「何をしている……」
壺からは薄い紫の煙が立ち昇る。花粉を撒くための仕掛けだろうか。いや、よく見るとクレイグ達を囲む馬車の窓からも、微かな煙が漂っている。
ネタの割れた手品にダゴバードはあきれた。
「王子はどうでも良いが、巫女姫には傷を付けるな」
ダゴバードが部下に命じた時、左右両端の二騎がグラリと体を揺らした。
「団長。馬竜が!」
周囲の建物からも、紫の煙が発生していることに気がついた。隊列の一番外側に居た一匹の馬竜が膝を折るのが見えた。あえぐように顎を上下させる様が、彼に半月前の竜討伐の光景を思い出させた。
脳裏に蘇ったのは、竜の苦し紛れの吐息を浴びて体調を崩した馬竜の姿だった。
理性は告げる「アレには危険はないはずだ」、本能がわめく「とにかく危険だ」。両者のせめぎ合いの中、彼は本能を選択した。
「馬竜の息を止めさせろ。砦から外に出る」
手綱を通じて、馬竜に意思を伝える。生存に反する命令に対する抵抗、痛みを耐えさせるよりも遙かに強い、を無理矢理ねじ伏せた。彼の馬竜は素早く反転する。わずかに遅れただけで、部下達も一斉に同じ動きを取った。
攻撃態勢から撤退に一瞬で切り替わる部隊。こんな場合でなければその練度と統制を自ら誇っただろう。
「何故だ……」
唇を噛み、来た道を引き返すダゴバード。よく見ると、砦の中にある建物の多くからあの薄い煙が出ている。そして、彼の後ろで一匹また一匹と馬竜が脱落していく。
目指す門に近づいたとき、上から何か小さな物体が落とされるのが見えた。バシャンという水音が響いた。
落とし穴からゆらゆらと紫色の煙が立ち上る。息を止めた状態の馬竜にさらに速度を上げるように命じた。だが足元がぐらつく。先ほど破壊したバリケードの木がまるでコロのように並べられているのだ。
「このために用意していたのか」
最初から彼らを拒むのではなく逃がさないために用意されていたことに、ダゴバードは気がついた。彼の後でばたばたと倒れる重い音がした。最後まで命令を守ろうとした彼の馬竜も大きく口を開けた。
背後からは蹄の音が迫ってくる。
門の向こうには異常に気がついた第三部隊が集結している。だが、その間には……。
「入ってはならん。カゼルまで撤退せよ!!」
薄紫の煙の向こう、今にもこちらに飛び込もうとする部下達にダゴバードは叫んだ。
次の瞬間、彼の馬竜ががくりと足を折った。地面に投げ出されたダゴバード、突然切れた馬竜との繋がりに魔力の流れが乱れ、反動で腕にとてつもない痛みが走る。腕に絡みつくように張り付いた手綱を剥がし、血まみれの手で体を起こした。
「降伏するなら、捕虜としての待遇を保証しよう」
彼の首の横に大剣の切っ先が突きつけられた。ゆっくり振り向くと、最速にして最強と彼が信じる軍団がことごとく地に伏している。ダゴバードはクレイグを睨んだ。
「なぜだ。あの毒は馬竜には効かぬはずだ」




