11話:後半 フランチャイズ
「このように、この草の根には小さな粒が付いています。この粒が休耕地の回復に役に立つのです」
根粒細菌による窒素固定のことだ。元素という視点で植物を見た時、圧倒的に多いのは炭素、酸素、水素だ。一方、肥料の三大要素は窒素、リン、カリウム。この違いはどうして生じるのか。
作物を収穫すると言うことは、そこにあった元素を奪うということだ。レイリアで麦を育て王都に運んで消費すれば、レイリアから水素、酸素、炭素、窒素、リン、カリウムを奪ったことになる。
だが、人間が麦を食べると水素、酸素、炭素は水と二酸化炭素に変る。つまり、空気や雨を通じてあっという間に循環するのだ。言い換えれば、奪ってもすぐ戻って来るのだ。水と二酸化炭素だけからできている炭水化物、つまり砂糖は実は光さえあればいくらでも作れる。純粋に砂糖だけの実を付ける作物があれば、理論的には連作障害は生じない。もちろん、それだけを食べて人は生きていけないが。
だが、土壌に含まれる形の窒素、リン、カリウムは違う。そのため、作物を作り続けると欠乏するのだ。特にタンパク質や核酸に必要な窒素はこの三つの中で最も大量に必要とされる。
皮肉なことに窒素そのものは大量に空気中に存在する。これは地球の場合だが、空気の78パーセントは窒素なのだ。ちなみに炭素源である二酸化炭素は0.4パーセント弱に過ぎない。この世界で地球原産の生物が基本的に同じ様に生きていることを考えると、おそらくそこまで変らないだろう。
ただし、気体の窒素分子を植物は直接利用出来ない。それを利用出来る形にするのが豆科の根に共生している根粒細菌だ。細菌の力を借りてもかなりのエネルギーを必要とする化学反応だが、共生関係によって採算が取れるのだろう。
つまり、レンゲを植えることは根で休耕地に不足した窒素肥料を作りながら、花で蜜を生産するという一石二鳥である。もちろん、蜂蜜という形で元素は奪われるが、大した量じゃない上に殆どが炭素と水素だ。
さらに言えば、レンゲは牧草としても利用出来る。俺が蜂蜜事業をプロジェクトレンゲと呼んでいたのはこの万能植物に敬意を表してだ。
「次に、労力ですが。休耕地や草原において蜜を集めるのは人ではなくてミツバチです。その巣の管理に関しては少ない労力で出来るように工夫しております」
俺は会場に運び込んでいた巣箱を開いた。近代養蜂の特徴はこの巣箱だ。巣の部分を容易に分離することが出来る。蜜の回収が楽な上に、巣を使い回せるという仕組みだ。
「お二方のご懸念に対するお答えはこのようになります。いかがでしょうか」
俺の言葉に、三人は一様に黙りこくる。それぞれ目配せをしあっている。
「信用できん。特に、その休耕地に植えるという草だ。そんな都合の良い話は聞いたことがない」
西部南方に領地を持っているならレンゲソウは自然にも生えているはずだ。だからこそ、実感がわかないのだろう。
「では、実例を示させて頂きます。レイリア村の養蜂事業について領主であるアルフィーナ様に説明して頂きましょう」
俺は石板の正方形の上にレイリアと書き込むと、アルフィーナと交代した。
まさか、王女自ら説明するとは思わなかったのだろう。三人ともびっくりしている。それを尻目にアルフィーナはレイリア村の運営状況について説明していく。領地の収入という生臭い話が、綺麗で穏やかな声音で語られる。
「というわけで。今年のレイリアの税収はこのようになります」
アルフィーナの示した金額に、三人が驚愕の目になる。
「お待ちください。今のお話の……」「はい、この意味はですね……」
質問にも的確に答える。作業者の名前まで挙げて少ない人数で事業が可能だと説明される。時には手振りを交えて、手順を示す。まるで実際にやったことがあるようだ。まあ、やったことあるんですけどね……。
「レンゲによる休耕地の回復ですが、レイリアでは休耕地から耕作地に戻した時の収穫が……」
アルフィーナはレンゲの効果も説明した。俺の時はうさんくさいと言った老人が食い入るように聞いている。気持ちは分かるので別にいい。それに、アルフィーナは本当に説明が上手い。レンゲの花が綺麗にだなんて話しで場を和ませることまでやってのけている。
俺はいらなかったんじゃないかと言う思いがわいてくるくらいだ。
「確かに、あの村が豊かになっているという話は聞いているが……」
老人が唸った。
「私の領地でも、人が少しあまり始めている。その程度の人数なら……」
若い男も考え込んだ。
「しかし、作ったは良いが、果たして売れるのですかな」
冷静な口調で言ったのは黙って聞いていた中年貴族だ。
「確かに、我らは王都で睨まれているからな」
アルフィーナが俺を見た。おっと、まだ出番があったのを忘れていた。
「販売に関してはヴィンダーにお任せを、王都一の菓子店と評判のプルラ商会に収めているという形で宣伝いたします」
『聖女の蜜』というブランド名を一度思いついたが、流石に引っ込めたのだ。あのときのミーアの冷たい目は忘れられない。
「プルラの……」
ヴィンダーなんて知らなくてもプルラは知っているだろう。最初にフレンチトーストを振る舞ったのはこのためでもある。
「輸送に関してですが、蜂蜜は保存が効きます。そして、ベルトルドまで運んでいただければジヴェルニー商会が請け負う約束が出来ております」
「ジヴェルニー……、それは宰相の」
あの粘菌討伐の時に力を貸してくれた流通業者だ。ベルトルドから王都、東部のグリニシアス公爵領まで王国の東西をまたぐ輸送が確保されている。
つまり、生産ノウハウ、販売ブランド、そして輸送もパッケージ化された提案というわけだ。現代日本で似た形を探すならフランチャイズビジネスだろうか。
「最初にどれほどの資金が必要なのですか」
若い貴族が”俺”に聞いてきた。巣箱や分蜂等々でヴィンダーも利益を貰うが、一番の問題は水車だ。俺の告げた金額に若い男は顔を伏せた。すぐに元は取れるはずだが、スタートの資金としてはやはり高い。
だが、その手当ても用意してあるのだ。俺はこの地域の主を見る。
「資金に関しては妾が融通する。ついでに言えば、ベルトルドにおける蜂蜜の保管は当家の倉庫で引き受けよう」
エウフィリアが言った。
◇◇
「ご苦労であったな。では、明日もよろしく頼むぞ」
三人の貴族達が帰った後、エウフィリアが言った。
「あと何回ですか」
「少なくとも、あと十人。三日にわけてじゃ」
俺はげんなりした。
「ちなみに、アレで良かったんですか? 三人とも即答を避けましたけど……」
主にアルフィーナの力で、ほぼ最高のプレゼンだったと思う。宰相がかむことに反感が出るかと思ったが、むしろ安心していたような気がした。濡れ手に粟とは言わないが、かなりの好条件のはずだ。
「領地の大事がそんな簡単に進まぬ。ましてやこの時勢じゃ。大体、其方のやることは新しすぎて付いていくのが大変なのじゃぞ。それに……」
「はい、どれだけ利があっても、私達には与しない者もいます」
ルィーツアが言った。
「それって……」
第二王子閥の貴族、あるいは帝国の息が掛っている貴族と言うことか。
「そういうことじゃ。この説明会じゃが。最大の目的は西部の未来は明るいという雰囲気を作ること。それによって味方を結束させ、揺れている者をつなぎ止める。そして、敵の選別をしやすくする」
政治的な大事にウチの事業が利用されてる。まあ、大公が出資者という事点で文句を言えないんだが。
「ベルトルド周囲だけでも急がねばならぬ。いよいよ帝国の軍勢が動き出したようじゃからな」
エウフィリアが窓から北を見た。今頃クレイグが騎士団を率いて防衛の準備をしているはずだ。あの会議で大まかな方針が決まった後でも、実際に軍を編成するまでにはそれはもう色々とめんどくさいことがあったらしい。
それでも最悪の状況、こちらの準備が全くない状況で敵の急襲は避けられたようだ。後は、馬竜対策が上手く効いてくれることを祈るだけか。




