11話:前半 営業における視覚化の効果
ベルトルドの大公城の応接室には、三人の身なりの良い男が座っていた。一人は老人、一人は中年、一人は二十歳半ばくらいの若い男。全員がベルトルドに地理的に近い貴族家の当主だ。
三人はもてなしに出されたフレンチトーストを食べ終わったところだ。蜂蜜をたっぷりかけたフレンチトーストは大人の男の舌には甘すぎるだろう。敢て少量にしてお代わり自由ということにしている。
ちなみに、お代わりを実行したのは中年男だけ。三人の中で一番体格が良いが、甘党なのか?
「残り二人はあんまり反応良くないですね」
俺は隣にいるルィーツアに言った。好みはともかく、もてなしとしては贅沢な部類に入るはずなんだが。そういうの大事なんじゃなかったか。
「そうでしょうね。現在の大公家には含むところがあるのよ。三人ともね」
ルィーツアは何でもないように言った。旧フェルバッハ系、といっても家を潰されるまでは行かなかった西部の貴族。つまり、二十年にわたって不遇をかこってきた家だ。商談の相手としてはやっかいな話だ。
「ただでさえ貴族を相手にするの苦手なんですけど」
「何の冗談かしら。……ああ、王族よりは苦手って意味ね」
「違います」
「いらしたわ」
俺の言葉を聞かずにルィーツアが応接室の窓を差した。アルフィーナとエウフィリアが廊下を歩いてくるのが見えた。俺に気がついたアルフィーナが小さく手を振ってくれる。思わず手を振り返して、ルィーツアの視線に気がついた。
知ってる人間が増えることに安心したんだ。……王族だからじゃない。
「じゃあ、アルフィーナ様のエスコートは任せたわよ」
「本業だから説明だけならしますけど」
「いろいろな意味で重要なんだからしっかりお願いね。そうそう、あんまり数字だらけなのは歓迎されないわよ。私は大丈夫だけど」
すでに子爵領で蜂蜜生産を始めているルィーツアは言った。俺の手にはミーア作のびっしり数字の書かれた紙が握られている。
「これは自分用です。一応工夫はしていますよ」
元の世界の知識はあくまで、経済学。実務である営業は未だに苦手だ。
「心強いわね。じゃあよろしく」
ルィーツアはそう言うと俺の肩を叩いた。自らは、応接室の死角に向かう。さりげなく配置された家具により、招待客の観察がしやすいようになっているらしい。
同時にアルフィーナとエウフィリアが部屋に入ってきた。三人の貴族は立ち上がって礼をする。
◇◇
大公達の礼儀正しく慇懃であることしか理解出来ない長い社交辞令が終わった。ここに来るのも渋っていたらしいけど、穏やかな物だ。大公の威光という訳だろう。
「私めが本日の説明会を担当させて頂くヴィンダー商会のリカルドと申します」
俺は壁から離れて前に進み出た。三人の男の目が、王女の隣に立った平民に突き刺さる。そんな犬がしゃべったみたいな顔をされても困る。
「では、蜂蜜事業の説明を開始させて頂きます」
俺は用意して貰った石板の前で黒炭を握った。老人は頬杖を付いた、若い男は明らかに警戒の目、対詐欺師用ってところか。真ん中の中年男は首をすくめて俺を見た。
カッ、シュー。スッ、シュー、スッ、シュー。
俺は石板に大きめの正方形を描いた。次に、その正方形の中に大きさの違う四つの長方形を書き込む。三人はちらっとこちらを見るが、全く興味がなさそうだ。文系クラスの幾何学の授業がこんな感じだったか。
脇で見ているルィーツアが心配そうな顔になった。
「この大きな四角ですが、これを領地全体とお考えください」
領地という言葉に、左右の二人がぴくりと眉を動かした。
ビジネス形態として貴族を見れば、それは要するに地主である。領地という不動産を運営して生活しているのだ。その流儀に従って視覚化するのが今回のプレゼンのコンセプトというわけだ。理詰めの説明しか出来ない欠陥営業マンとしては、せめて相手に通じる理をもって利を説くしかない。
「まず、右にあるこの長方形が耕作地です」
俺は領地全体である正方形の中で、30パーセント程度の大きさの長方形を指した。耕地の上にある一番小さな四角、10パーセントは休耕地。そして、左にある20パーセントの四角は共有林。一番大きな40%の四角が草原だと説明する。
「つまり、領地の中で今年の収入に直結するのは三割に過ぎないということですね」
領地の中で人の出入り可能な場所に限定したとしても、本当の意味で利益を生むのは三割ということだ。三人とも、それがどうしたという顔をしている。
「そこで、養蜂を取り入れるのです。そうすれば、休耕地と草原、遊んでいる五割からも収入を得ることが出来ます」
俺は全体の半分を占める二つの四角形を黒炭の先で叩いた。面積比で表すことで、視覚的にインパクトを与えるのだ。三人の表情を見ると、成功したらしい。老人は頬杖を崩し、若い男は石板に鋭い目を注ぐ。最初から一応聞く気があった中年男はあまり変わらないが。
「馬鹿馬鹿しい話だ。お前が指した中で休耕地は遊んでいるのではなく、休ませているのだ。もし無理に使えば、最終的には全ての耕地が収穫を生まぬ荒れ地と化す」
老人が言った。
「領地の半分近い草原は村から遠く、そこでの作業は多くの労力が掛る。領民にそんなことを強いれば肝心の耕地の収入が落ちる。まさか、草原から耕地以上の収入が得られるわけではあるまい。仮に出来たとしても、麦が出来なければ村は飢えるだけだ」
若い男がそれに続いた。二人の言葉に、俺は内心ほくそ笑んだ。まともな反論は説明が上手く行き始めた証拠である。
「はい、休耕地の大事さはおっしゃるとおりでございます。また、この五割を活用しても、その収入は三割の耕地に遠く及ばないでしょう」
俺の言葉に老人と若い男がそれ見たことかという表情を浮かべる。
「間違いだと認めるのですね」
だが、そう言った若い男の表情は少し残念そうになった。もしかして少しは期待されていたのかもしれない。長い間冷遇されて、中央の役料がない上に税などの査定も厳しいらしいからな。
冬のお茶会での大盤振る舞い以来、貴族の間でレイリア村の話は噂になり始めている。普通なら王女の化粧料という特殊性で例外扱いにするかもしれないが、彼らは近隣の貴族なのだ。
「いえ、ごもっともなご指摘ですので、一つ一つお答えさせて頂きます。蜂蜜の蜜源として、休耕地にはこの草の種を植えて頂きます」
俺は机の下から、レンゲの鉢植えを取り出した。こっちの世界では夏に花が咲くので丁度良かった。
「この花からは先ほどご賞味頂いた蜂蜜が取れます。王都ではすっきりとした風味が評判になり始めております。耕作が終わった後、休耕地に転換する時に種を播いて頂ければいいのです。ご覧の通り雑草ですから何の世話もなく育ちます。さらに、この草の根にご注目ください」
俺は無造作に一本のレンゲソウを抜き取った。土を払うと、細い根の所々に丸い膨らみが生じているのが見える。
「このように、この草の根には小さな粒が付いています。この粒が休耕地の回復に役に立つのです」




