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予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~  作者: のらふくろう
七章『情報戦』

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8話 絶望の山脈

 盆地の中央の小さな麦畑と、山に張り付くような豆の畑。山麓の屋敷から見下ろす小さな世界には活気がない。離れていた半年にも満たない間に、故郷には傷跡がいくつも増えていた。


 焼け焦げた村の跡は、バギルドと名付けられた竜によるものだ。


 リーザベルトは東方を見た。まがまがしい山脈が距離以上の存在感で彼女を圧迫する。絶望の山脈。太陽があの山脈の上を通過するとき、赤く染まって見えるほどの瘴気を発している。


 王国に留学していた彼女は、川の向こうではあれを血の山脈と呼ぶことを思い出した。


 名称的にはなるほどと思うが、彼女たちに絶望の思いを抱かせる山脈への警戒は殆どなかった。帝国にとっては日常の内である、赤い森の方が遙かに現実感のある恐怖らしい。生まれ落ちた場所の違いに理不尽さを感じたものだ。


 あそこは血どころではない。数年おきに襲ってくる竜の巣なのだ。バギルドはその一匹だ。もっとも、彼女が生まれた頃は年に一度はどこかの盆地が襲われていたらしいが。


 だとしても、今現在故郷が滅びに瀕していることに変わりはない。血の山脈に近いこの盆地は、中央にとっては守るためのコストは高く、守る価値は小さい。


 リーザベルトの視線が絶望の山脈と望みの大河に挟まれた草原を見る。飛竜ワイバーンの生息域に掛っているあの地が使えればどれだけ楽になるか。


(不可能なことを求めても仕方がないわ。やっと援軍が来るのだから。これのおかげで……)


 リーザベルトは手に持った瓶に力を込める。中にはかすかに紫がかった粉末が三分の一ほど入っている。


「討伐隊は本当に来てくれるのでしょうか」


 侍女のアンが心配そうに主を見た。


「黒い軍団が正式に決定した任務を違える事はないでしょう。それに、今回は私たちの領地を救う以上の意味がありますから」


 リーザベルトの顔が罪悪感で曇った。ドラゴンを弱らせるという毒の効果を計ることは、王国の軍事力を計るのと同じ意味を持つ。それくらいのことはリーザベルトにも分かる。


「姫様」


 アンが盆地を指差した。赤い森を突っ切って盆地に現れた黒い軍団が見えた。楔のような隊形を崩さず、あり得ない速度で近づいてくる。道にいた領民達が慌てて逃げるのが見えた。


◇◇


「そちらの準備は整っているのだろうな」


 黒衣の皇子、ダゴバードが頭上から言った。リーザベルトの前に、馬の1.5倍の体高と四倍の体重を持つ二足歩行の魔獣が無造作に近づいてくる。アンが慌ててリーザベルトの前に出る。


 リーザベルトは侍女を止め、ダゴバードをまっすぐ見上げた。赤い模様が刻まれた黒い手綱が、男のめくり上げた腕の肘まで巻き付いている。


「救援感謝いたします、ダゴバード殿下。ご指示通りに毒をまぶした馬をバギルドの仮巣に放つ用意をしております」


 リーザベルトは礼儀正しく答えた。王国では第四皇女と名乗っていたが、生まれた順番など帝国では意味を持たない。


 目の前の男は皇位継承二位であり、彼女の順位は選外である。


「ふん。その毒だが、本当に効果があるのか? 其方の話では見つけたのは魔導の資質が全くない平民だというではないか」


 ダゴバードは鼻で笑った。


「あら、それを確かめに来たのでしょう」


 馬竜に騎乗した軍団を割るように、白い馬竜車がダゴバードの隣に並んだ。


 車のドアが開き、明るい紫の髪を腰まで伸ばした美少女が顔を出した。ダゴバードと同じ黒い衣装だが、鎧ではなくローブだ。金糸の刺繍が表面を覆っている。広がった袖口がきつく結ばれている。


「メイティール殿下まで来てくださったのですか」


 皇位継承一位の登場に、リーザベルトは驚いた。自分よりも一歳年下のはずだが、すでに導師の称号を持ち、帝都の研究室に君臨する天才。


 先人が魔獣との戦いの中、多くの犠牲を払い生み出した魔導を、たった一人で十年分も進歩させたと言われる。


「連れてきたのは数人の部下だけ。お目付役よ。ダゴバードに任せていたら、任務を無視して王国に攻め込みかねないわ。後は竜の研究」

「こんな僻地を救ったところで功績にはならんからな。だが、元老会議の判断ルールには従う」

「それは結構。その花粉にも興味はあるわ。東の大公から入手した情報では、王国の騎士団が竜と戦った時の切り札だったというのだから、無視は出来ないでしょう」

「その割には無能な王子は実物を入手できず。何故かリーザベルトが手に入れた。そんな貴重な物をどうして渡す?」


 ダゴバードはリーザベルトを睨む。彼女はその視線に耐えた。


「もっともな疑問ね。でも、向こうは未だに私たちが魔獣に追い詰められていると思ってるんでしょ。五十年前で認識が止まっている愚か者達」


 メイティールは冷たく笑った。


「この期に及んで我らの力が理解出来ていない様子だったからな。この十年、いや五十年か。我らがどれほどの力を得たのか知れば卒倒するのではないか」

「私としては、その愚か者がどうやって毒を見つけたのが気になるわ。東の大公の書状では、騎士団が訓練をしていた山にたまたま生えていたという話よね。偶然が発見を生むことはあり得るのだけど……」


 メイティールは額に人差し指を当てて少し考えた。


「まあ、それはこれから検証すれば分かるでしょう。ダゴバードがしくじらなければだけど」

「馬鹿を言うな、仮にそれが全く役に立たないとしても、今の我が部隊なら竜一匹程度血祭りに上げるに不足はない」


 黒い皇子の背後に整然と並ぶ馬竜は百頭を超える。彼女が願ったよりも遙かに大きな戦力だ。これで故郷は救われる。本来なら安心すべき事のはずなのに、リーザベルトは小さな盆地に向けられた巨大な戦力に、不安を感じた。


「この毒が有用なら、魔獣被害の第一である竜の脅威を大きく減じることが出来ます。王国は交渉次第では我が国に売る用意があるとのこと。実現すれば帝国の利益になると私は考えます……」


 リーザベルトは花粉を渡される時に、クレイグから告げられた事を口にした。それを取りなしたのが、あの何の資質もない少年だというのも信じがたい事実だ。


 それでも彼女はそのあり得ない物語を信じたかった。


「そうだな。まあ、効果次第だな。ただし、もしもリーザベルトが自分の地盤を救うため偽りを言ったのなら、相応の処置を覚悟するのだな。貴重な帝国の戦力を一匹でも失うことの意味、分かっているだろうな」


 目の前の男なら、彼女よりも馬竜一匹の方が価値があると言うだろう。 


 彼らがこれまで多くの魔獣を倒し、帝国の民を守ってきた事実に偽りはない。その優先順位が残酷だとしても、彼女には出来ないことだ。


 そして、彼らがどれだけの代償を払ってその力を得ているのかも理解している。この馬竜にしても、多くの犠牲を払って使役に成功したのだ。現在も、その育成に莫大な国費が投入されている。


「念のため、残った毒も渡してもらいましょうか。サンプルは必要だから」


 リーザベルトは少しためらった後に、瓶を渡した。二人は目配せを交わした。ダゴバードは用事は済んだとばかりに彼女に下がるように合図した。


「出陣だ」


 青い光がダゴバードの腕から手綱を伝って馬竜に向かう。動きを止めていた巨大な動物が、ぶるっと震えると巨体を反転させた。


 鞭のようにしなった尾が起こした風が、リーザベルトの頬を打った。


 絶望の山脈に一番近い赤い森からのろしが上がる。ドラゴンが餌に食いついたらしい。大地を揺るがして疾走していく馬竜の黒い軍団。それに必死について行くのが彼女の実家の数少ない生き残りの騎士だ。


 ダゴバードは自力でバギルドを倒せると豪語したが、もしも毒に効果がなければ彼らが捨て石として使われるだろう。リーザベルトは祈るようにそれを見送るしかなかった。

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