8話:後半 実験から政治へ
全員が口をつぐんだ。机を囲んで、実験室に重い沈黙が生じた。実験に成功したのに、いや成功したからこその沈黙。曖昧な予言ではなく、確固たるデータとして現れた王国西部の危機。
数日前に見たばかりののどかな村が蘇る。今すぐにでも村に戻り、避難の準備を……。
「そ、そうです、早くこの事実を公表して、村の皆さんに避難を……」
はっとした顔でアルフィーナが立ち上がった。彼女の必死な表情で頭が冷えた。俺は呼吸を落ち着けて口を開く。
「落ち着いてくださいアルフィーナ様」
「リカルド君!?」
魔獣氾濫を予測したのは貴方なのに、唖然としたアルフィーナの顔に書いてある。確かに今、俺達の仮説である「西方で魔獣氾濫の発生」が実験で検証された。
アルフィーナにしか見えなかった予言の災厄を、目に見える数値に変えた。正直ここまで綺麗に結果が出るとは思わなかった。それほど上手く行ったのだ。ここまでは。
だが、一筋縄ではいかないのはここからだ。
自然は素直だ。少なくとも素直に語ってくれる範囲では。モンスターは魔力のパターンに素直に反応するだろう。たとえこれまで魔獣氾濫が起こってないとしても。だが、同じ物を見て人間はどうする。
「東方では予兆が確定した段階で騎士団が派遣される、ですよね」
「そうじゃ、群れの統制には中核となる上位個体が必要じゃ。これを排除できれば、魔獣は共食いを始める。氾濫する前に群れを崩壊させることができる」
「騎士団の派遣となれば、閣議の結果、勅命という形を取るのでしょうね」
フルシーは頷いた。つまり国家の最高意思決定を経ると言うことだ。
「東方で観測によりこのパターンが出れば、何の問題もなく騎士団の派遣が決まるじゃろう。だがな。今では当たり前になった騎士団の派遣も、最初に決まるまでに二度の被害が必要だったのじゃ」
フルシーは平坦な口調で言った。いかなる感情も伺えない。だが、老人の目は孫娘のような少女を見た。
「前例のない場所で。前例のない方法による予測。東方と同じように評価されるわけがない、ですね」
「そんな、こんなにはっきりしているのですよ。前例がなくても……」
このまま行けば、同じ気持を味わうことになる少女が老人を見た。魔獣氾濫の権威、フルシーのお墨付きは重要だ。それがなければ学生の自由研究だ。だが、
「この結論が間違いないと儂が保証することは約束しよう。たとえそれが誰相手であってもな。だが、王宮にとって儂は隠居した老人にすぎん。朝議に上げるとしたら、正式な手続きにかかる時間も問題じゃ。早くて数ヶ月は掛かる。その間に一度も却下されなかったとしてもじゃ。ついでに言えば、現在の観測の責任者とは折り合いが悪い。儂の考えた方法を一歩も発展させることも出来んくせにな」
災厄の発生に間に合うように国家中枢を動かすには決定的に足りない。
科学技術に信頼が置かれている現代地球で、地震予測の画期的方法が発見されたとしよう。学会は大騒ぎになる、専門家が発見者を称賛する。だが、それが立法を経て行政を動かすまでどれだけ掛かるか。数ヶ月というのも、楽観的すぎる予想だろう。
俺はこの場に集った面々を見た。予言の解析までは理想的なチームだった。ところが、対策を実行するという点においては最悪のメンバーだ。
「わ、私がもう一度陛下に進言します」
「逆効果です」
ミーアが言い切った。残念ながら同意だ。アルフィーナは予言のせいで疎まれているのだ。
それに、個人的感情を言えば彼女はもう十分にリスクを取ったし、十分に役割を果たした。
「これはもう。予言ではないのです。予測です。ここにいる全員で成し遂げた予測です」
「リカルド君? それは勿論です。だから、私がなんとしても……」
アルフィーナは困惑した表情で俺を見た。
「小狡い策士の先輩がそんな言い方をすると、誤解されますよ」
「そうじゃな。小僧はこう言っておるのよ。もう姫一人で背負わなくていい、とな」
「リカルド君……」
「ち、ちがいます。予測である以上、予言とは違う扱いが可能だということです。よほど吟味した相手に、よっぽど上手く伝えればですが、共有できる可能性があるって話。そういう話です」
俺は忙しく両手を動かして主張した。お姫様を守ろうとするナイトなんて、そんな役目を期待されたら保身がいくつ有っても足りない。
「は、発言力のある人間が要ります。できれば、西方に領地を持つ大貴族。アルフィーナ様の言葉に最低限耳を傾ける。論理的な話が通じる。前例を覆すことを恐れない」
条件を挙げていく。俺の顔はこわばり始める。こういう場合、理想的な相手など期待しないから、上がった条件の中で優先順位を付けて候補者を絞る。だが、今回は最低限必要なハードルが多すぎて、高すぎる。この国のエスタブリッシュメントに不足している要素ばかりだ。
フルシーが首をひねる。ミーアも黙っている。俺の人脈などこの二人以下だ。
肝心なときにこれまでのツケが回ってきた。そもそも、俺がここに入った目的の一つは、数字が通じるお偉いさんを探すためだ。ところが、フルシーの存在すら見のがしていたのだからお笑いだ。
沈黙が部屋に広がった。先ほどと違うのはそれが淀んでいることだ。
「あの、この話が終わった後に渡そうと思ってたのですが」
ところが、アルフィーナが突然テーブルに封書を置いた。蜜蝋で封された正式な書状だ。宛名は……俺!?
「叔母上がその……、前のことで聞きたいことがあるからと」
「この前のというと、アルフィーナ様が無理やり先輩の旅行についていった時のことでしょうか」
「旅行じゃない仕事だ。そして、あくまでベルトルドからレイリアまでの案内をしただけだ。道中はジェイコブも一緒だったし……」
俺は慌てて封を開いた。思ったよりも平易な文章に目を通していく。もちろん、易しいのは文章だけで、内容は招待状という名の召喚状だ。
「日付が明日になってるんだけど。大貴族って時間に余裕を持つのが普通じゃないのか。慌てて呼びつけると、焦ってるみたいで格式に関わる、みたいな」
絶対に行きたくないと正直に言えず、俺は救いを求めるようにアルフィーナを見た。
「叔母上はあまりそういうことは気にしないのです」
アルフィーナはニッコリと微笑んだ。
「だ、だけど、こっちだって予定が、ほら魔獣氾濫の対処……」
俺は救いを求めてミーアを見た。
「…………」
「先程の条件。ベルトルド大公ならうってつけじゃな」
フルシーが言った。考えてみれば今回の目的にとっては理想的だ。すべて当てはまる。この招待状はカモネギだ。だが、こちらがまな板の上の鯉の場合は? 食われておしまいじゃないか。
上から数えたほうが早い大貴族にプレゼンしろと。しかも準備一日でとか無理ゲーにも程がある。
「まあ、あれはあれで難物じゃからな。さて、推薦状の文句を考えるか……」
「大丈夫です。リカルド君にとても興味を持っていましたから」
人ごとのようにフルシーは言った。協力的に見えるが、押し付ける気まんまんだ。アルフィーナの期待の籠もった瞳も痛い。その興味の方向性如何で平民の運命なんて簡単に吹き飛ぶんだ。
「先輩、必要なデータと図表の形式を指示してください」
ミーアは当たり前のようにデータの整理を始める。こんな凸凹の集団が、いつの間にかチームワークがバッチリになっている。付いていけない俺を除いて。
「プレゼンは無茶苦茶苦手なんだが。やっぱりここは年の功で……」
「招待されたのはお主じゃからな。…………そうじゃな、ここ十年の学生の中では傑出したと書いておこう。まあ、社交辞令として使われすぎて、付いてないとダメくらいじゃが……」
「リカルドくんなら絶対に大丈夫です」
これまでで一番高いハードルが設定された。俺は引きつった笑顔で仕方なく頷いた。
もとより選択肢はない。小心者は選択肢がないと覚悟を決めるという。だが、保身第一の人間は逃げ場のない恐怖しか感じないんだぞ。
ええっと、プレゼンのコツだろ。確かスライド一枚につきテーマは一つ、論旨の流れはシンプルに、結論を先に……。そうだ、アニメーションは多様しないも大事……。パワ◯なんてねえよ。
「つまり。最も大事なことは情報が示す…………じゃない。情報って言葉はむしろ情報の価値を軽く見せてしまうから……。相手は大公、女性、アルフィーナの叔母、どれだと想定する? はあ、もう時間がない」
帰宅後、俺は明日に向けてイメージトレーニングをしていた。本来ならマナーの勉強からしなければいけないところだが。それはお姫様のサポートに期待したい。
日付はもう変わる頃か。正確な時間がわからないのが不便なんだよな。
コンコン
「こんな時間に?」
俺が振り向くと、扉が開いてミーアが入ってくる。ロウソクの明かりでは顔色は分からないが、表情にいつもの冷静さはない。そもそも、返事もなしに入ってくるのはおかしい。
「先輩。ジェイコブが報告があると」
「ジェイコブ? ジェイコブは親父と一緒にレイリアだろ」
親父はレイリアに出張中だ。実験により確定したのは今日だが、その前に動いてもらっていた。今俺は国を動かすプレゼンを練っているが、当然、動かなかった場合も想定する。
親父は避難用の物資を届け終わって、今頃は帰路のはずだ。
「まさか、親父に何かあったのか」
俺はミーアに続いて入ってきたジェイコブに聞いた。
「いえ、会長は無事ですよ。ただね……」
「なんだ」
「村の子供の一人が、見知らぬ男にさらわれかけた。幸いというか、俺達が居合わせたから事なきを得たがな。でだ、男は蜂蜜のことを嗅ぎまわっていたらしい。今回運んだ物資は、村への行商と言うには種類も規模もちょっと大きかったからな、そこら辺から情報が漏れたんだろ」
「ドレファノか。ドレファノだな」
一瞬で頭に血が上った。机に拳を打ち付けた。置いていた羽ペンが空を舞い、床に落ちた。
「落ち着いてください先輩」
ミーアがそれを拾い、俺に差し出す。
「なんで、今回はたまたま被害が出なかったけど。っていうか…………くっ」
村の子供ということは、ミーアの知り合いだ。彼女のほうがずっと心配しているはずだ。
深呼吸して息を整える。
最近は沈静化していたが、ドレファノは敵だ。敵が敵対的行動をしたことに動揺していたら、何も守れない。怒ってもいいが、驚くことは許されない。
「…………後ろはどこまで分かった? 親父はなんて言っている」
まずは情報の確認をする。
「会長はベルトルドに留まって、物資を仕入れた経路について調べてる。男は装備や技術から冒険者崩れだ。ベルトルドはウチのパーティーの拠点だったから、いろいろと伝がある。その線でレミが調べればなにか出るだろう。王都は俺が担当するよ」
大商人に睨まれて事業の拡大ができないからだが。蜂蜜から得た利益は、殆どを人に投資している。俺やミーアが学院に通うのもそうだし。ジェイコブ達も小商会が雇うには考えられない程の腕利きだ。今はそれを信じるしかない。
「……敵を絞り込むことを優先する。ドレファノが第一候補だ。金はいくら使っても……、とはいかないが今ある今年の予算の分は使いきっていい」
「そう言ってくれると思ったぜ」
「プレゼンの方は俺に任せて、ミーアはジェイコブの手伝いに回ってくれ。ただし、情報の整理にとどめて、絶対に一人で外には出るな」
「分かりました。ジェイコブさん。ドレファノと関係悪化中のケンウェルの周囲もお願いします」
「了解だ」
二人は話し合いながら、ドアを出て行く。
絶対に許さない。許されないでも、許されるべきではない、でもない。実際に許さないだ。実害が出なかったとかは関係ない。実害が出る可能性があった時点で一線を越えたんだ。
俺が居た世界にはこんな言葉がある。一寸の虫にも五分の、、、復讐だ。




