7話 赤い図書館
大公邸でアルフィーナと話してから一週間が経っていた。
ちなみにあの後のエウフィリアとの話し合いで、帝国との関係に片が付くまで大公邸にお世話になることが決まった。安全上の理由だというエウフィリアの提案だ。俺だけでなくミーアも親父もだ。
帝国のせいで歩く国家秘密に磨きが掛かった自覚は有るので断れなかった。アルフィーナの謎の圧力のせいではない。
その後俺達は西方観測所に出発した。西方観測所はベルトルド南西にあり、四角い地味な建物。二階がドーム状に盛り上がっていて、イメージとしては天文台に近い。測定の必要上、感魔紙などを製作するための実験室なども備えられていた。
ちなみに、ベルトルドの街は前回見た時よりもさらに賑わっていた。工房も、魔獣に破壊されなかった木材を使って拡張を開始していた。
そして今、ベルトルドの城壁はもちろん西方観測所のドームも樹冠の向こうに消えていた。
周囲の木々は五割方赤い葉を付けている。植生自体も変化してきている。巨大なソテツ状の樹木や、普通の森では見られない大ぶりのシダ類が散在している。赤いシダなど違和感ばりばりだ。
だが重要なのは地面だ。俺は手袋をつけた手で、慎重に地面を掘った。赤い枯れ葉が積もる表面。それを除くと、葉脈だけが残った腐りかけの赤褐色の土。そして、黒い腐葉土と続く。
魔力の影響を受けた森と言っても、基本的な物質循環の仕組みは同じのようだ。ただ。
「リカルド・ヴィンダー。休憩は終わりだ。奥へ向かうぞ」
「ハイド殿。今どれくらいなのでしょうか」
「ここまできたら分かるだろうが、普通の森から赤い森の間に明確な境界はない。強いて言えばここが境目だ。この先はさらに油断が出来ないということだぞ」
なるほど、ドラゴンみたいなのは魔脈、つまり山脈の奥に行かなければ大丈夫らしいがクルトハイトの例もある。そもそも、体長二メートルの魔狼なら、俺など一瞬で殺すだろう。
人間は素手では大型犬にすら勝てないと聞いたことがある。犬より速く走る熊の大きさのオオカミなど、視界に入った時点で終わりだ。
「といっても、去年の魔獣氾濫討伐の後だ。比較的だが安全な時期ではある。そして、この周囲の地図は出来ている」
ハイドは六人からなる騎士の隊長として同行してくれている。五人の部下は俺たちの周りを円形に取り囲んでいる。
「申し訳ありませんね。付き合わせて」
「お前を守っているのではなく、指揮官であるクレイグ殿下の命令を守っているのだ。お前にもしもの事があれば、帝国に対する手段を失うと厳命されている。……まあ、帝国に対抗する上でのお前の重要性は、先の魔獣退治で私も理解している」
「それは過大評価を……」
流通改革の先導だけでやばいのに、第二王子閥へのこれまでの行為や、帝国の暗号や最新兵器の情報。考えただけで頭が痛い。よく取れば、帝国の脅威が存在する限り俺には存在価値があると言うことだが。
……帝国との戦いの後のことを考えておかなければならないか。
「ただし、森の中では我らの指示に従ってもらう。お前の土いじりの意味はしらんが。いざというときに、行軍の足を乱すことは護衛として認められん。もちろん、敢て魔獣に近寄るようなまねは論外だからな」
「了解しています。安全第一で行きましょう。ただ、後者は大賢者様に言ってください」
ハイドがアンテナを振り回すフルシーを苦い目で見た。
俺はヴィナルディアから貰ったガラス容器に地面の土を少量入れると。中間地点と書いたメモを貼り付けた。この時点ではあまり期待出来ないが、比較のために必要になる。
地面が少しずつ傾斜を始め、周囲に岩が目立ち始めた。どうやら山脈との境界に近付いたようだ。もちろん中に入るつもりはない。
地図のおかげで魔脈の端に近い進路を選べたのと、フルシーのレーダーでこれまで危険はなかった。強いて言えば、ミューカスが現れた程度だ。帝国のアレではなく、褐色の鏡餅くらいの大きさの物だった。後は紫のネズミとか、翅が光る甲虫とかだ。
まあ、ミューカスは俺が地面から掘り返しちゃったんですけどね。
それはともかく、周囲の光景はかなり不気味だ。植物は殆どまがまがしい赤で、初夏に紅葉という有様。岩の隙間からは不気味な揺らぎが立ち上る。硫黄の臭いはしないし熱も感じられない。瘴気の吹き出しらしい。
真っ赤に染まった沼には気泡がわき上がっている。地獄の血の池というほど鮮やかではなく、赤潮くらいか。こちらもメタン臭はない。
地面を掘ると、赤土よりも赤い。色以外は赤い森との境界で確認した土の層の基本的な並びは一緒だった。
「ここが限界だ」
ハイドが言った。俺はフルシーとうなずいた。
「わしは特に瘴気の強い場所を探せば良いのじゃな」
「はい。こちらは逆の場所を探します」
俺は赤い森の中で数少ない緑の植物を探す。頼りない小さな下生えの中で、一本だけ生えたタンポポのような草が見つかった。根の部分を掘ると地面は褐色だ。根から離れると、だんだんと赤褐色の土へと変化していくのが分かった。
「よし、思ったよりも希望が持てるぞ」
わざわざ赤い森の最深部近くに来た甲斐があった。俺は根の近くの褐色の土壌を採取した。念のために、根も一緒に採取する。
「ここの岩の間、そして、こちらの沼が強い反応がある。瘴気というよりも、魔力といって良いかも知れん。もちろん、魔結晶などとは比べものにならぬほど微弱じゃがな」
「十分です」
俺は沼の水と岩の隙間にあった赤い土を採取する。俺の採取した褐色の土にはアルファベットの『I』、フルシーの示した場所のサンプルには『A』のタグを付ける。
「何をしているのかはしらんが、色に関わりがあるのか?」
採取されたサンプルを見比べてフルシーは言った。
「それは分かりませんけど、関連する可能性は高いと思っています」
「持って帰るといっておったが、その土に何か効果があっても、少量でどうするのじゃ」
フルシーは赤みがかった水に、アンテナを向ける。
「全く分からん、気持ち反応があるかも程度じゃ。こちらも…………、こちらは無理じゃな」
フルシーが俺が選んだ方のサンプルにもアンテナを向けた。顔は疑問型のまま。あの馬車のように、魔力の影は見えないようだ。
それはそうだろう。そんな都合の良い物があるなら、ここに来る間にフルシーが見つけてしまっている。
「それに、魔脈から離れて同じ条件が保てるとは限るまい」
「それは心配はしています。といっても本命はこの褐色の土なので魔力はいりません。館長に選んでもらった方は、あの喰城虫退治の時のくず魔結晶で足りるでしょう」
後は、王都で頑張っているノエルの道具と、ダルガン先輩に頼んでいる材料。それで最低限実験が開始出来るだろう。
「隊長。魔力反応が近づいてきます」
フルシーのアンテナを簡略化したような物を持った騎士がハイドに告げる。指先は山の方を指している。
「この反応なら若い魔狼じゃろうか」
フルシーが自分のアンテナをかざした。ハイドが俺を見た。
「作業は終わりました」
俺はうなずいた。
「急いで撤収する」
騎士団は一斉に俺たちを取り囲む。
これだけの人間に労力とリスクを取らせた出張だ。責任重大だな。といっても、有用な試料が取れているか、取れていてもそれが活用可能か、はっきり言ってギャンブルだ。
ただ、俺の予想が正しければこの僅かな土は膨大な情報を抱えている。選別する方法さえ上手く確立出来れば望みはある。こちらの世界の数億年、もしかしたら数十億年の試行錯誤が作り上げた自然の図書館に期待だな。
俺は巨大なソテツの赤い幹を見た。そういえば、石炭紀の森ってこんなのばかりが生えていたんだっけ。




