6話 王女の心配
エウフィリアに呼び出されて大公邸に来たはずなのに、どうしてこうなっているのだろう。
「…………」
テーブルの向こうには悲しそうな瞳で俺をじっと見るアルフィーナ。さっきからずっと無言。気まずい沈黙が時と共に俺を追い詰めていく。何しろ、自分が何をやらかしたのか全く分からないのだ。
身に覚えがないというのとは少し違う。何しろ自他共に認めるコミュ障の俺だ。
人間のコミニュケーションにおいて言語の占める割合は半分を切るらしいが、コミュ障にとって言葉の割合は明らかに過半数を超える。
まあ、何かしたのだろう。それが何か分からないとしてもだ。しかし、こういう時はそもそも呼び出した人間が……。
「……リカルドくん」
「は、はい」
俺が屋敷の主達が居る部屋の向こうのテーブルを見ようとした時、やっとアルフィーナが口を開いた。
「リカルドくんは商人ですよね」
「そ、そうですが」
やっと飛びだした質問は、幸い返答可能な物だった。でも、そんなことは株主であるアルフィーナが一番よく知っている事ではないか。最近はちょっと畑違いの仕事に駆り出されているが。
まさか、株主として経営陣に本業にもっとコミットメントすべしと言うお叱り……。
「商人というのは、危険な赤い森に行くお仕事でしょうか」
「そ、それは……、と、時と場合によるというか……」
なるほど。要するに俺が赤い森に出張することが知られたわけだ。
「その、仕方がない事情というか……」
背中に冷や汗をかきながら目を泳がせた。こういう場合どう説明すれば良いのか。いや、俺だって行きたくて行くんじゃないんだ。それに、安全には一応配慮している。
そうだ、頼りになる騎士が一緒じゃないか。俺は救いを求めるように、部屋の向こうを見た。
「アルフィーナ殿下。大賢者様一行は我らが責任を持って……」
離れたところに置かれているテーブルから、ハイドが立ち上がった。これぞ騎士というビシッとした立ち姿だ。
「ハイド卿。これはそういう話ではないのだ」
ところが、ハイドの隣に居たクラウディアが首を振った。せっかくの援軍は戸惑いながら腰を下ろした。俺はアルフィーナの表情を覗う、勇敢な騎士の言葉に感銘を受けた様子はない。
えっ、なんで。そういう話でしょ。
再びアルフィーナの無言の視線に耐える。耳に外野の会話が届き始める。
「……アルフィーナ様もうちょっと押さないと」
「クラウディア殿。その、あれではまるで出征前のこい……」
「しっ。そのようなこと今更言っても」
「はぁ、アルフィーもあれじゃが、リカルドがまた頼りないの」
ルィーツア、ハイド、クラウディア。さらにエウフィリアまで。とにかく勝手なことを言われている。
「と、とにかく。とても大事なことなのです。帝国との戦のためにはどうしても必要なことでして」
「……戦。クレイグ殿下がまたリカルドくんに無茶を」
「違います。えっと、そのそっちはそっちであるんですけど。それはダルガン先輩にお願いしていて。じゃなくてですね。とにかく、このまま放置していれば、帝国の魔導により王国そのものが危険になる可能性が高いのです。そうなると必然的に私も危険なわけで、これはむしろ危険を減らすためのやむを得ないことなのです」
王国の保身は俺の保身理論だ。ぶっちゃけ本人も納得していないが。
「……そ、それは。で、でも、リカルドくん自身が行かなくてはいけないのでしょうか」
アルフィーナが初めて怯んだ。
「残念ながら」
よし、このまま話をそちらに向けよう。
「そういえば、リーザベルト殿下の帰国の事はどのように……」
「リーザベルト殿下のことは今は良いですよね」
アルフィーナの目がキッと締まり、鋭くなった視線が俺に刺さった。
「は、はい」
えっ、今の何で? ちゃんと話が繋がっているよな。
「…………はあ、ここで他の女の名前を出すとは、想像以上にダメじゃな」
エウフィリアが首を振りながらこちらに来た。なんかあきれられているが、やっと助け船だ。
「アルフィーナ殿下。この者の安全は騎士として私が守ります。クレイグ殿下からも何を置いてもこの者を守れと言われております。どうかお任せを」
エウフィリアの隣でハイドが言った。さっきは大賢者様一行って言ってたような。というか、あなた様自身は良いのでしょうか。堂々たる伯爵家の跡継ぎですよね。護衛に無礼打ちされるとか、新しすぎる死に方はごめんなんだけど。
エウフィリアとハイドの言葉に、アルフィーナは唇を噛んだ。
「…………分かりました。聞き分けのないことを言いました。そもそも、このようなことに引き込んでしまった切っ掛けである私が言うのはおかしいですね。でも、最近はミーアもお目付役を出来ないくらい忙しいみたいですし。リカルドくんは無茶ばかり……」
そう言いながらアルフィーナは目を伏せた。
なるほど、俺にも分かるくらい心配させてしまっているのか。確かに、身の丈に合わない無茶ばかりしている様な気はする。正直言えば、宰相だの王子だのに関わるよりは今回の出張の方が気が楽ではあるんだけど。
心配かけているのに勝手な話だけど、自分を心配してくれる女の子って、逆に守りたくなるから卑怯だよな。
こちらからしてみれば、予言の水晶を抱えるアルフィーナの方が心配だ。王国が帝国に負けるようなことがあれば、真っ先に狙われそうなのだから。
それに、水晶から予言の巫女姫を切り離す仕組みを作りたい俺としては、帝国に有用な知識があるのではないかと期待している。帝国の魔導に対する対抗策はそのためにも重要なのだ。
「館長のレーダーもありますし、そこまで奥には入らないようにしますから」
俺はアルフィーナを安心させようとそう言った。周囲の皆が何故か首を振った。
「…………分かりました。リーザベルト殿下でしたね。来週にも帝国に帰国するそうです。ほんのわずかしか話せませんでしたが、リカルドくんにとても感謝していました」
「そ、そうですか。それは良かったです。あの花粉はあくまで王国に現れた一匹の竜に効果があったので、他の竜に効果がある保証はないことは伝わっていたでしょうか」
「はい。それでも感謝するとおっしゃってました。直接お礼を言えないことをとても残念がっていましたから」
贈り物は気に入ってもらえたようだ。これでちゃんと花粉の効果を試してくれるだろう。後は帝国がそれを試すのにどれくらいの時間が掛かるかだな。
でもそうか、感謝していたのか。心が痛むな。
「……リーザベルト殿下は花粉のことがあれば、王国と帝国の関係を修復出来るかも知れないと。帝国の魔獣の被害の中で、竜の占める割合は大きいそうですから。それなら、リカルドくんもあまり危険なことには……」
アルフィーナが希望を見つけたように言った。今回渡した花粉は大した量ではない。花粉だけで栽培は出来ないから、帝国が王国からあれを購入するという話になる。それが出来れば両国の関係を結ぶ一助にはなるのだが……。
「それは、なかなか難しいと思われます」
帝国の魔脈活動を見ると、帝国がこのチャンスを逃す理由はない。それに食料を握られ、さらに花粉となれば、王国に完全に首根っこを掴まれると思うだろう。
「でも、帝国に王国との争いが間違っていることを……」
「帝国が間違っているのなら、正すことは出来ましょう。しかし、帝国が間違っていない以上は、正すことは出来ません」
俺はキッパリと言った。アルフィーナが困惑の顔になる。
「帝国が正しい……、ですか」
「正確には帝国にとってこの機会に王国を攻めることは正しい、ですね。こちらにとっては当然正しくありません」
ノエルにも言ったが、帝国の立場に立てば分かる。もし、この十年の魔脈の低下が、さらなる上昇へ向かう前の一時的な下降に過ぎないなら? 株価のチャートを思い出しても分かるが、物事というのは一直線に進まないのだ。
それにここ数年、王国の魔脈も不安定だ。それは帝国にとってチャンスであると同時に、大きな不安でもあるはずだ。




