4話:中編 死亡前死因分析
廊下に出た俺とフルシーは控え室に向かう。徒労感はあるが出来ることはない。フルシーは説明役で発言権はともかく議決権はなさそうだし、俺に至っては発言権すらない。後はエウフィリアやクレイグ、そして宰相に任せるしかない。
廊下には三々五々に集まってひそひそと話している貴族達。彼らの表情には不安がある。第二王子、第三王子の対立に巻き込まれる不安なんだろうな。
「リカルド」
廊下途中でクレイグに呼び止められた。そのまま、会議室から離れた小部屋に連れて行かれる。部屋はエウフィリアと宰相、アデル伯がいた。クレイグも含めて全員が厳しい顔をしている。後半に向けて戦術を立て直そうという話だろう。
「中立派があそこまで鈍いのが問題じゃな」
エウフィリアが俺に言った。何と、中立派の中で消極的な意見を言っている者の中に、むしろ帝国の侵攻で大きな被害を受ける貴族がいるらしい。
「帝国の暗号の中には、西部の諸侯に対する働きかけを示唆する内容もあった。ただ、疑わしい西部諸侯とクルトハイト大公や第二王子殿下との連携は見られなかった」
宰相が言った。獅子身中の虫は第二王子閥だけではないらしい。それにしても、そういうことを見ているのね。やっぱ俺には無理だ。
「リカルドはどう思う」
クレイグが俺に聞いた。一番苦手な分野なんだが。だいたい、さっきのが国会なら、ここは閣議レベルの場じゃないか。宰相も俺を見ているし。平民風情に何が分かるって助け船が欲しい。
「……分かりません。そもそも会議の結果としてどの程度を望んでいるのでしょうか」
俺は逆に質問した。俺は多分ずれている。基本的に対帝国でまとまるんじゃないかって思ってたんだから。
「中立派には少なくとも帝国の脅威を認識させねば話にならん。特に第一騎士団には現実を見てもらわねばな。先の災厄がほとんど被害なしで切り抜けられた事がむしろ障害になっておるな」
「二の兄とクルトハイト大公は処置なしだ。自分たちが何をやっているのかわかっているかすら危うい」
エウフィリアとクレイグが言った。第二王子閥は帝国に利用されているだけというのが、ベテラン政治家の判断か。宰相の言葉も考え合わせると、帝国は裏切り者達を味方とは思っていないということか。
いや、じゃあ第二王子閥は今のところは裏切り者と言うよりは、無能な味方と言うべきなのか。どちらにしろ、敵よりも恐ろしい存在だが。
俺の判断よりも遙かに信用出来るし、帝国の情報を聞いた時の東大公と第二王子の反応から、確かにそんな感じはするな。
「……今回の件、帝国はしっかり準備を整えているのに対して、王国はさっきの会議です。つまり、今一番足りないのは時間です」
票読みなんか出来ないので、俺はまず問題を定義した。戦う前から負けてるといういやな現実だ。魔脈や馬竜の情報を得られなかったら、こっちは帝国の敵意にすら気づかないまま攻め込まれた。ただ帝国にも誤算があるはずだ、生きた破城槌で西部の要であるベルトルドを潰して、その混乱に乗じて戦略を進めるはずたっだのだろうから。
「もっともだが、具体的にどうする」
「第二王子閥の活用です。彼らが帝国、というよりも自分たちの立場を守るために頑張れば頑張るほど帝国の侵攻が遅れるようにするべきです」
スパイは逆スパイとして利用しましょう、それが俺の提案だ。というか、第二王子閥は基本的に敵だから、対処は考えていた。すでに種はまいてある。
「そんな都合の良いことが出来るのか?」
「鍵となるのは捕らえているリーザベルト殿下です」
俺は言った。
「それは、アルフィーナに聞かせれるような話なのだろうな?」
エウフィリアがなぜかそんなことを言った。意味が分からない。
「リーザベルト皇女は帝国に開戦の切っ掛けとして、捨て石にされた者ではないか。帝国が価値を見いだすはずがない」
宰相が異を唱える。帝国は開戦の火だねとして置いていった可能性すらある。仮に帝国の言うとおりに無条件で返還しても、外交上の意味はない。だが、それはあの時点での話だ。
「現時点では違います」
俺は、リーザベルトが帝国の欲する、つまり王国の武力を判断する為の最大の情報、竜を討伐した秘密を持っていることを知らせた。
「この情報が帝国に渡るようにすると同時に、第二王子閥には帝国に皇女を返還する交渉を任せるんです。さらに、あの花粉を入手するチャンスがあると思わせる。皇女の返還の交渉と、第二王子閥が帝国の為に花粉を入手しようとするまでの時間が稼げます」
「確かに、向こうが一番知りたがっていた情報だな」
「さらに、実際に皇女に花粉を渡すのです。帝国は情報の真偽を確かめるためにさらに時間をかけるしかありません」
「なんだと」「それは問題ではないか」
三人が驚く。俺はダルガンの調査で明らかになった花粉の性質について説明した。
「なるほど。毒をもって毒を制するとうわけか」
エウフィリアとクレイグが頷いた。だが、宰相が難しい顔になる。
「確かに、時間稼ぎ出来ればそれに越したことはない。だが、中立派はどうする。皇女返還で帝国の脅威が遠ざかったと油断しかねない」
「彼らの行動原理は何ですか?」
「恐怖じゃろう。これまでと違うことが起こることへの恐怖じゃな」
人間は安定を欲する。だから、帝国というこれまでなかった恐怖の存在それ自体を無視したいと思っている。
「ならそれを使いましょう。恐怖を具体的な形にしてやるんです」
「どうするのだ。まさか、馬竜を捕らえてあやつらのまえに引き出すことも出来まい」
「ちゃんと会議の手法ですよ。”死亡前”死因分析という方法です」
俺はいった。元の世界でノーベル経済学賞を受賞した心理学者の本で読んだ。考案したのはゲーリー・クライン。ちょっと劇薬だけど、この場合はまさにうってつけなのだ。
言葉が含む矛盾に首をかしげるメンバーに、俺は会議後半の戦術について説明した。
◇◇
「双方の意見はいずれも考慮すべき点を含んでいる。そこで、それぞれの主張を順番に検討したい」
会議後半が開始した、最初に宰相が議論の方向を示す。玉座で王が重々しく頷いた。ちなみに、俺たちとの話し合いの後で宰相は第二王子閥の控え室にも行っている。中立の立場として、対立する双方の話を聞く議長というスタンスだからな。
「では、はじめさせてもらおう。帝国が強力な魔獣を使役して王国侵略を意図しているという立場から、私は最悪の想定から始めざるを得ない」
クレイグはいたずらっぽい目で俺を一瞥した。
「諸卿には、帝国の侵略により王国がどういう滅亡の仕方をするかを考えて頂きたいのだ。特に、西部に領地を持つ者や、対人戦闘を専門とする第一騎士団の意見を期待したい」
クレイグの言葉に、会場が騒然となる。これが死亡前死因分析だ。つまり、王国が帝国に滅亡させられたという未来を基準として、じゃあどうやって滅びたのかの過程を考えるのだ。
逆に言えば、自分が帝国なら王国をこうやって滅ぼすというシミュレーションでもある。
「五十年前までの戦争では帝国が力押し、王国はそれに対して兵力と地の利、そして補給の力で持久戦戦略を取ってきた。その結果、帝国の侵攻はことごとく退けられている。これはよろしいか、第一騎士団長」
「う、うむ。その通りですな」
戸惑いと共に第一騎士団長が頷いた。まあ、負けることを前提とした議論なんて、騎士団の思考方法の間隙だろうからな。
「だが、今回帝国はこれを覆す方法がある。先ほど大賢者が説明した馬竜だ――」
クレイグは馬よりも高速で頑丈、走行距離が長い馬竜による電撃作戦、を提案する。
「さてこの場合、馬竜の機動力を用いて最初に襲われる砦はどこであろうか」
クレイグが大地図を指差し、中立派閥を見た。一人の貴族がおずおずと手を上げる。
「……モーラントが最も危ないと考えられる。通常の進路から考えると、渡河点から時間が掛かりすぎるが……」
ちらりと左右を見る。そして続ける。
「殿下のお言葉通りに、帝国の馬が山野を縦断出来るだけの力があるなら最大の標的となるのでは……」
俺は大きな地図に矢印を付けた。地図の上で、帝国との渡河点をゆったり取り囲むように配置されている砦での中で、一歩引いた位置にある。もしここが突破されれば砦の連携が東西に分断される。
「なるほど」
クレイグが感心したように言った。恐らく、そのモーラント周辺の貴族なのだろう。
「まて、帝国が本当に攻めてくるとは」
「クルトハイト大公。大公の主張に沿った議論はこの後で十分尽くさせて頂く」
宰相が言った。東の大公は拳を震わせながら座った。
「では、防衛線が分断された後、帝国の次の動きはどうなる。ベルトルドに向かうためにヘレか王都を突こうとコールか……」
クレイグが顎に手をやった。
「待たれよ。その様な単純な思考こそ、知能のない魔獣と人間相手の戦いを混同している。帝国がまともな頭脳を持っていれば、次に侵攻するのはカゼルだ」
第一騎士団長がたまりかねたように言った。俺は地図でカゼルを探す。ベルトルドでも王都でもない、実に中途半端な位置にある……。
「なるほど、ベルトルドと王都の両にらみという戦略ですか」
クレイグの言葉でやっと理解した。防備を食い破られた王国は、ベルトルドと王都の間を分断され、王手飛車取りの状況を作られる。
「なるほど、そのような事態が生じれば、動揺する諸侯も出てこような」
エウフィリアが中立派を見て言った。先ほど、対帝国の防備に消極的な発言をした貴族が、顔を伏せた。
その後も議論が進む。
王都が落ちれば終わり王都を守り切っても、ベルトルドが落とされ、西部の穀倉地帯を押さえられる。弱点がなくなった帝国は、その後数年で王国全てを征服するというシナリオだ。
中立派の大半が、俺にも分かるレベルで青ざめている。正直に言えば、俺も背筋が冷たくなっている。俺達の最初の想定よりも酷い。
だが、恐らく今展開されたシナリオの方が正しい。ちゃんと現地を知っている人間や、曲がりなりにも対人戦闘を想定している軍の指揮官が、持つ専門知識を正しく用いて考えたのだ。
会議前半で、彼らの専門知識が現実を否認するために使われていたのと対照的だ。死亡前死因分析の力が十二分に発揮されたのだ。
「では、次に帝国との和が保たれるという前提で議論をしましょう。デルニウス殿下とクルトハイト大公いずれが発言されるのですかな?」
宰相の言葉。左列の先頭に一斉に視線が集中した。




