4話:前編 心理的慣性の法則
王宮の大会議室は無用に太い柱や、装飾華美の壁画に覆われていた。そこに次々と入ってくるのは王国の諸侯だ。席が後ろから埋まっていくのを見ると、やはり身分順らしい。
俺から見て左側には第二王子閥、右側には第三王子閥が座る。
その二つに挟まれて、居心地悪そうに左右を見ているのが中立、というよりもその他大勢。中央最前列にどっしりと腰を下ろした第一騎士団長だけは、一応堂々としている。
会議室の奥にはにわか演壇が設けられ、黒檀の演壇と大地図に挟まれたケバケバしい椅子には、心底いやそうなフルシーが座っている。その後ろに控えているのが助手役の俺。もちろん心底いやだが、表情には出さない。
右八人、左八人、中立が二十強人くらいか。計四十人弱の聴衆。貴族の中でも主立った人間だ。男爵以上の王国貴族が三百強だったか。確か、江戸時代の大名家の数がそれくらいだったかな。三百諸侯って言葉があったはずだ。
俺の前に座っている新米男爵老人はいわゆる有識者扱い、恐らく議決権はない。俺に至っては、多分ここにいる過半数から人間としてカウントされていないはずだ。
臣下最後に登場したのが我らがベルトルド大公エウフィリアと、クルトハイト大公の某だ。会釈もなく左右に分かれて左右の最前列に移動する。
ザッ。
何で両大公がたったままなのかと疑問を感じていると、いきなり他の全員も立ち上がった。一拍遅れてフルシーが立ち上がる。そして入り口に向かって頭を垂れる。
御前会議だったね。
本来ならさらに一拍も二拍も遅れるはずの俺は余裕だ。最初から立っているからだ。
宰相の先導で、王と第二、第三王子が一段高い席に着いた。もちろん、中央の席は玉座だ。
何でそれが見えるかといえば、頭を下げるのを忘れたからだけど。まあ、置物は頭を下げたりしないから大丈夫だよね。
「これより、帝国に対する方針を決定する御前会議を開始する」
宰相の号令で会議が始まった。まずは、状況説明だ。フルシーが呼ばれたのはこのためだ。
「――この魔獣の恐るべき点は、実体が群れであることでありましょう」
まず、先の災厄が帝国の播いた魔獣によることが説明される。魔獣の生態を説明するところだけ、フルシーが饒舌になったが、会場の誰も注意はそこに向いていない。
帝国が五十年ぶりに、フェルバッハの乱からでも二十年ぶりに王国に手を出してきたのだ。
中立派がざわつき。左、第二王子閥ではクルトハイト大公が苦虫をかみつぶしたような顔になっている。周囲の取り巻きに動揺が見える。第二王子までなぜか驚きを顔に浮かべた。
続いて、帝国が馬よりも強力な魔獣を使役している事実が説明される。ダルガンと行った糞の分析と、ミーアの暗号解読の成果だ。ちなみに、暗号は帝国が少なくとも数百匹の馬竜を動員出来ることを示唆していた。
右に座るクレイグとエウフィリアは泰然とした態度だ。中央の貴族達は動揺を表に出している。そして、一番注目すべきクルトハイト大公と第二王子は……。
あれ、なんか動揺してないか? 帝国の内情がこれだけ知られていることに焦ったのか?
ちなみに、暗号は馬竜部隊に匹敵する別の部隊の存在を示唆していた。この場では伏せられている。馬竜と違って明白な証拠がなく、詳細が不明だからだ。王国貴族の大半が知らないことを、何で俺が知ってるんだか。
説明を終えたフルシーが席に着く。ちょっと趣味に走りすぎたが、よいプレゼンだったと思う。帝国が粘菌という魔獣を使って王国に混乱を引き起こそうと企み、さらに馬竜という魔獣で王国への侵攻を準備している。
帝国の魔獣兵器を軸にしたわかりやすいシナリオだ。
「先の戦以来の、帝国から王国への敵意は明らかである。にもかかわらず、帝国は王国が一方的に使節長を追放し、皇女リーザベルトを捕らえたと非難し、論外の賠償を求めてきた。諸卿に集まってもらったのはこの状況への対応を話し合うためだ」
宰相が外交状況を付け加える。
さて、王国のお偉いさん達は与えられた情報にどういう判断をするか。食んでいる高禄にふさわしい判断を見せてほしい。その高禄の存続が掛かってるんだから。
「待ってもらおう。男爵の説明はいささか誇張されているのではないか。帝国の攻撃という割に、先の災厄では騎士団はおろか、領民にすら一人の犠牲者も出ておらぬのであろう」
「そうだ。おおかた対魔騎士団が初陣の功績をアピールするため、些細な事態を誇張しておるのではないか。その強力な魔獣が、村人によって焼き払われたという報告も届いて居るぞ」
立ち上がったのはクルトハイト大公。それに乗じたのは第二王子だ。第二王子の言葉は事実だ。掃討の漏れに備えて、周辺の村にはミューカスが現れた場合の対処方法を伝えてある。個々のミューカスならそれで対処出来るのだ。
思わず拳に力が入る。敵が敵対的な言動をするのは当たり前だ。国家規模の関係において、敵と味方というのは立場にすぎない。極端に言えば憎んでいる余裕などなく、軽蔑など論外だ。必要なのは一にも二にも警戒。
さらに対話の可能性は閉じてはいけない。それは、帝国に対してすらそうだ。敵は人間である。
だが、裏切り者は敵ですらない。敵として扱ってもらう資格はない。実際に人間じゃないからではない、彼らにだって彼らの立場はあるはずだ。ただ、それだけ危険な存在だということだ。
ところが無自覚な裏切り者ほど、自分が敵として扱われることすら怒るのだ。
まあ元の世界の歴史を見ても、洋の東西や時代を問わず居た勢力だ。そういう意味ではごく普通の存在でもあるんだけど。
「しかし、帝国の使節長や皇女が釈明もなく逃げ出したのは事実であろう」
第一騎士団長が立ち上がった。中立派の視線が彼に集中する。あれでも軍人だ。まともな判断を期待したい。
「だが、その馬竜とやらについてはいささか首をかしげる。そのような強力な魔獣を人間、帝国ごときが使役出来るのだろうか。疑いたくないが、対魔騎士団長が帝国との戦いの指揮権が自分にあると主張するためになしているのではあるまいな」
その発想はなかった。なんて独創的な意見なんだ。魔獣の王国への脅威ではなく、自分の権限への脅威をまず考えるのか。
頼むからそのまま口を閉じて、ついでに呼吸を止めてくれないかな。出来れば永遠に。いや、それは不味いか。こういう場合大体ナンバーツーはさらにダメだったりするんだ。少なくとも、こいつの首を切ったら上がってくる人間を判断しないとダメだ。
そして、そんな余裕はない。
「そうだ、もし本当にそんなものが存在するなら、実物を見せてもらいたいものだ」
真ん中の群れから発言が飛び出した。後ろの方に座っているところから子爵くらいか? 王国の貴族の顔なんて平民の俺はほとんど知らない。こういう場に呼ばれてるのに準備不足だって? フルシーの連絡ミスで、聞いたのが二日前なんだよ。
「この五十年の間に国境の防衛体制は緩んでいる。何にせよ、それを見直すことは意味があるのでは?」
第一騎士団長の隣に居た貴族が発言した。ああ、第一王女の夫である公爵か。玉虫色だし、この状況に及んでは不足だが、一応まともな意見だ。
「そのような動きは、かえって帝国を刺激するのではないか。帝国は我が国の食料なしには生きていけないのだ、王国に逆らうなど自殺行為をするとは思えない」
クルトハイト大公がいった。彼の周囲の貴族達が一斉に同調した。やれドラゴンの被害で領内の財政がとかいっている。要するに、国防に金を出したくないらしい。
「五十年間ろくに使われていない砦の修繕となると、我らだけの負担ではどうにも……」
中立派からも、ぽつぽつと反対意見が上がり始める。言ってることを聞くと、西部に領地を持っているように聞こえる。
宰相は無表情のまま東西の争いと、それに挟まれて右往左往する中立派を見ている。なんというか、締まりのない議論が続く。第一騎士団長がクレイグに否定的なために、だんだんとタカ派が不利になっていく。
エウフィリアとクレイグの表情は厳しいが、最初からあまり変わっていない。もしかして想定内?
どうやら俺だけが甘かったらしい。正確で明白な情報、つまり帝国が魔獣兵器を使って王国を攻撃しようとしている、さえ与えれば自ずと敵に対してまとまると思っていたのだ。
最近とみに威光を失った第二王子閥と、中立に引き戻した宰相という状況からも、第二王子閥が何を言おうと大丈夫だと錯覚していた。
要するに、これまでの状況に対する心理的慣性が強いのだ。降ってわいた危機の現実感のなさもそれを手伝っている。参加者の年齢を見る限り、帝国との戦争を直接知っている人間は居ないのだからな。
結局、宰相の提案で休憩になるまで、ただ互いの都合を言い合うだけの会議が続いた。




