8話 単純さの強さ
「新幹線っていうよりもジェット機の頭くらいあるぞ」
揺れる馬上で俺はつぶやいた。新体操のリボンさながらに、赤い光の螺旋を体表で回転させる巨大な白いミミズ。
現在、俺は西に向かってそれと併走していた。距離は十分取っているが、巨大な物体が地響きを立てて動いていることに恐怖を感じる。
幸いなのは速度が馬車よりも遅いことだ。これで馬なみのスピードでもあったら、手も足も出ないところだった。おかげで、二人乗りの騎馬でも十分追い越せる。
王子の換え馬を、騎士団でも有数の乗り手が操っているからだが。
例によって、俺は後ろでしがみついているだけ。仕方ないだろ、民間人なんだから。
「構えろ!」
民間人と違って離れているわけには行かないのは騎士団だ。隊列を作って移動体に接近しながら、馬上で弓を引き絞る。ある意味、組織というものの究極の姿だろう。
対するのは、最も原始的な、一つのシグナルの伝達だけで動いている組織だ。言葉はおろか、神経系すら存在しない。動物ですらない菌の塊。
「攻撃開始!」
頭部に向かって矢が放たれる。鏃が光っていることから、魔導金を鏃にしているはずだが、回転する頭部がそれをはね飛ばす。なるほど、あれなら城壁ぐらい破壊するだろう。もし街に侵入されたら……。
すでに村一つがその半分を削り取られている。避難が済んでいたのと、粘菌が積極的に人を襲わないので助かった。彼らにとっては魔力のある方へ移動するのが優先なのだろう。
「胴体を狙え」
クレイグの指示が飛ぶ。くさび形に隊列を組んだ騎士団の部隊が白い胴体に突っ込む。目のない魔獣だが、魔力に反応するのかわずかに騎士団の方に迫る。だが、それだけだ。槍をかざした騎士達が、タイミングを合わせて無防備な胴体にそれを突き立てる。
攻撃を受けてのたうつように体を揺らした粘菌。白い破片がしぶきのように飛び散る。騎士が何人か馬から振り落とされる。
だが、魔獣は何もなかったように、前進を続けた。体の一部が削られたのに意に介す様子もない。痛覚もないしな。削られても構成する個体がわずかに殺された程度か。
入れ替るように次の部隊がスラッグに向かう。先の尖った丸太を左右から馬が引いている。破城槌には破城槌と言うわけだ。タイミングを合わせるように、二本の丸太が粘菌の胴体に突撃した。
ビシャっという音とともに粘菌の体の一部、一割くらいか、が飛び散った。騎士達からは歓声が上がる。だが、千切れとんだ体はすぐにもう一体のスラッグへと形を変える。そしてその小さなナメクジは、なにもなかったように本体へと近づくと、あっという間に一体に戻った。
わずかに進路がずれて、よけようとした騎士団の一部隊が隊列を崩した。
「やっぱりか……」
明確な指令構造は無く、自己組織化によるあまりに単純で原始的な仕組み。あの赤い螺旋の中心にいるスライムですら、じつはただの一匹にすぎないのだろう。氷の結晶の中心が末端と同じただの水分子なのと変らない。
仮に頭部を潰したとしても、すぐに残った部分が頭部になるだろう。単純で原始的、だからこその強さというのはあるのだ。
◇◇
「リカルドの言うとおり、アレは一匹の巨大な魔獣ではなく、多数のミューカスの集合体だな。三匹を集合前に潰せたのは幸いだったが、二匹でも大きな脅威だ。ああも攻撃が意味を持たんとは」
「南方の一匹もやはりベルトルドに?」
「そうだな、西に進みながら進路を少しずつ北方に変えているようだ」
俺たちは野営のテントの中で会議をしていた。地図上に置かれた二つの駒。まっすぐベルトルドへ向かうのではなく、だんだんと角度を変えているようだ。
おかげでまっすぐベルトルドを目指す俺たちは先行出来る。ちなみに輸送部隊のほとんどはベルトルドに直行してもらっている。ミーアとフルシー、ノエルの乗ったレーダー馬車もそれに同行している。
騎士団も移動体を無視すれば、ベルトルドに先回り出来る。だが、そうしてアレに正面から挑んでも勝機がない。
「リカルドは確かめることがあるといっていたな」
「はい」
問題は、移動体がどうしてベルトルドを目指すかだ。西へ向かう理由は簡単だ。もとの世界の粘菌はたしか光を求める。移動体を作るのは、餌のない環境から新しい環境を求めて胞子をバラまくのが目的、そのために地面を目指すのだ。
ではこの魔獣粘菌はどうか? 大筋で西を目指している以上、魔力、つまり西の赤い森が目的地に見える。だが、先ほど見た一匹も、南方を移動している一匹も、角度的にはベルトルドを目指しているように見える。スライムの時と違って、騎士の魔力武器への反応が鈍いのは、魔獣にとっては人間が制御する規則的な魔力よりも、雑多な波長が混じり合った魔力、つまり瘴気、を好むのだろう。
となると、単純にまっすぐ西へ向かわないのには理由がある。何しろ地図上のスケールだ。たまたま一匹がベルトルドに突き当たることすら確率は少ない、二匹が引き寄せられるのはあり得ない。
「移動体は、だんだんとスピードを上げている様です」
ハイドが言った。
「やっぱりですか……」
つまり、何かによって誘導されているのだ。王都にいる帝国人からのコントロールを考えたが、それなら王都から離れると共にスピードを上げるというのは不自然だ。
一番簡単なのはベルトルドに何らかの粘菌を引きつける要素があることだ。魔力以外に粘菌を引き寄せる化学物質のようなものをベルトルドに播かれている。蛾のフェロモンを考えればあり得る話だが、粘菌が二種類の情報を統合して動く理由が分らない。
「そういえば、アルフィーナがいっていた破壊された建物は……」
俺は最初にアルフィーナに聞いたイメージの話を思い出した。破壊されたのは、城壁、聖堂、そして煙が上がっていた工房…………。
俺はベルトルドの街の地図を見た。仮にこの破壊が東門近くの城壁から侵入した一匹だとしたら……。三つの場所は直線上にはない。曲線状の配置だ。となると、一番奥は工房だ。
「……帝国はそこまで計算していたわけか」
気がついてみれば何のこともない。魔獣を引き寄せていたのはベルトルドにある木材だ。例えば、鮭は川の微妙な匂いをかぎ分け故郷の川に戻るという。俺たちには乱雑な魔力に見えても、魔獣にとっては波長のスペクトラムの微妙な特徴を感知していてもおかしくない。
つまり、故郷である帝国の木材が発するかすかな魔力に引き寄せられる。
「つまり、ベルトルドにある帝国からの木材が魔獣を引き寄せているというのだな」
「おそらく間違いありません。これはチャンスです。逆手に取ってやれば、ベルトルドから攻撃を逸らすこと自体は難しくない」
騎士団とベルトルドの輸送能力で街の外に持ち出せば移動体の進路はずらせる。だが、問題が二つある。
一つはずらした進路の先がどうなるかだ。もちろん、優先順位的にはベルトルドの安全だ。ベルトルドが潰されれば、王国西部全体が影響を受ける。帝国の敵意を考えればなおさら村の一つ二つとは比べることは出来ない。だが、出来れば避けたい。
俺は地図の上のレイリア村を見ながら必死に考える。
もう一つは木材に到達した後で粘菌はどうするかだ。そこを新しい地と定めて、子実体を作り胞子をばらまくのか。あるいはそのまま、西の森に突っ込むのか。もし後者なら、西の森の生態系への影響が怖い。
何しろこれまで西の森に居なかった種が大量に出現することになる。魔獣氾濫の予測が立たなくなる可能性は十分ある。
「動きだけでも止めることが出来れば、削り殺すことは不可能ではないのだがな」
クレイグが言った。移動体はあの螺旋回転する魔力シグナルで、個体群を統制している。となると、あの螺旋を止めてやれば動きも止まる。
だが仮に止めても、あの螺旋は自己組織的に再構成される。均一な個体のわずかなシグナルのずれや、個体間の密度のわずかな差、そう言った揺らぎを元に新しい螺旋が自己組織的に生まれるのだ。
「ドラゴンに食わせたアレのように、魔獣の活動を止める物は考えられないか」
「あんな幸運は二度と期待できないですよ」
赤い信号を発している、あるいは受け取る機構そのものを邪魔する。それが出来ればばらばらのスライムに分解するかもしれない。特異的な抗体か化合物か。元の世界の製薬会社レベルの設備があっても、年単位の時間が掛かるかもしれない。
魔力そのものに関しては、組織的にそれをする探索する方法は考えてはいる。だが、時間が掛かるのは同じだ。ベルトルドまであと数日で到達する魔獣には間に合わない。しかも二匹だ。
「まてよ。二匹居るって言うのは逆に好都合かもしれないな」
粘菌を誘導することは出来る。ならば、少なくとも一時的にあの螺旋を消す方法はある。ただ、それが上手くいっても、最終的には移動体は復活する。しかも、二体の移動体が合体した超巨大移動体の発生だ。
それを防ぐためには、止まっている内に殺し尽くすしかない。騎士団の戦力が数倍あっても無理だろう。
地形を利用する? そんな天然の落とし穴みたいな場所があったら苦労しない。というか、アレなら地面を削り取ってでも出てきそうだ。
「待てよ地面を削る……」
俺は先にベルトルドへ向かった時のことを思い出した。ベルトルドの近くには使えるものがあるじゃないか。
俺は地図から顔を上げた。
「策が出来たようだな」
「かなりの綱渡りですけど」
難易度は高いが、対魔獣騎士団とベルトルドの輸送能力なら不可能な作戦ではない。
「早馬を飛ばしてください。大公閣下に二つお願いがあります。一つはベルトルド周囲のここ数日の天気の情報。もう一つはベルトルドで集めてほしいものが……」
俺は手紙で伝える内容を説明した。
「ふむ。我らはどう動く?」
「監視の部隊だけを残して、残りはベルトルドへ直行してください」
ベルトルド前で災厄の魔獣を迎え撃つ。もちろん、俺は戦うつもりはないけれど。




