7話 もっとも原始的な組織の形
俺たちはベルトルドから騎士団の駐屯地に直行した。駐屯地は臨戦状態だった。ひっきりなしに騎士や、輜重部隊が出入りしている。
建設中だった建物は新本部として完成しており、俺達は最奥の部屋に通された。作戦本部のような役割の部屋らしい。
中に入ると、広い台に地図が広げられている。南北に五つのスポットが描かれている。
「スポット1の掃討は完了しました。現在部隊はスポット2の掃討を開始しています。また、偵察隊は他の三つのスポットでもミューカスの発生を確認しました」
丁度、副官の女性騎士が報告をしていた。やはり、他のスポットにもスライムが大量発生しているらしい。
「現在のところミューカス以外の魔獣は確認されておりません。ただ、数が莫大で、夜間に活動が限られているため時間が掛かっております。ただ、旧第二騎士団の騎士が言うには、ミューカスと言っても自分たちが知っているのとは色や動きが微妙に違うということです」
王国には居ない種か。人為的に播かれた可能性がますます高いな。
「戻ったかリカルド。こちらは順調だが、帰るのはもう少し後じゃなかったか?」
クレイグはニヤリと笑って俺を手招きした。わざわざ問題発生と顔に書いてきてるのに、頼もしいことだ。女性副官がドアの前に立った騎士に合図を送った。騎士は廊下に出るとドアを閉めた。
これからは聞かれては不味い話だ。相手は知性を持たない魔獣ではないからな。
「――というわけで、意図的に卵が播かれた可能性が高いですね」
ベルトルドからの帰り、俺たちは帝国馬車の経路を予測してその周囲の村で情報を集めた。スポット周囲やその間に珍しい馬車の目撃情報があった。
「なるほど。スポットが綺麗に並んでいることとも繋がるな。帝国にとってレースはついでにすぎなかったわけか」
軍事機密である馬車の情報が漏れるリスクを犯して参加したことも納得だ。
王子の言葉に空気の硬度が一気に上がった。交易関係がある国に生物兵器を播く。明白な敵対行為で、宣戦布告に等しい。
自分たちがやったとはバレないと考えたのか。だが、まともな策士ならバレた時のことも想定しているはずだ。俺ならそうする。
つまり、向こうは完全に一線を越える覚悟をしていると考えなければならない。
「賢者殿。より強力な魔獣を放たれているという可能性は?」
「ミューカスが成長と増殖のために地中で魔力を食った結果、魔脈が低下したスポットができたのじゃ。強力な魔獣は無理じゃろ」
数少ない安心材料ではある。だが、そうなると悩ましいのがわざわざ弱い魔獣を使う目的だ。
馬車に使われていた魔獣の素材と今回の卵。帝国はやはりかなり高度な魔獣関係の知識と技術を持っている。一方こちらは向こうの力を断片的にしかつかめていない。
さらにあの馬車は実質上は第二王子派閥の手によってレースに送り込まれている。
内憂と外患がコンビで踊ってる。普通ならミューカスより背後の帝国を警戒すべきだろう。だが、それが出来ない理由がある。
「帝国の播いた魔獣と予言の関係が問題だな」
クレイグが言った。そのとき、ドアがノックされた。入ってきたのはアルフィーナとクラウディアだ。
◇◇
「帝国皇女から今回の予言の魔獣について情報が得られた?」
アルフィーナの言葉に、クレイグが怪訝な顔になった。俺も驚く。
「アルフィーナ殿下。魔獣を仕掛けたのは帝国だということが分ったところですが……」
アデルが言った。
「帝国の皇女が言ったことなど信用できるはずがありません」
ハイドも声を荒げた。俺だってそう思う。ただ情報は情報だ。それに……。
「帝国の策謀を見抜いたリカルドの判断は?」
「三つ可能性があります。もちろん、一番高い可能性は皇女が嘘を言っていることです。次の可能性は、真実の半分だけを言っている。一番小さな可能性は真実を言っているです。ポイントは、我々が帝国の策謀を見抜いていることを相手は知らないことです。つまり、一番目なら反転させれば真実に近づきます。二番目なら不完全だと分っていれば有効な情報です。三番目ならそのまま利用すれば良い」
「なるほど、話を聞かねば話にならんな」
義理の兄の言葉に、アルフィーナはリーザベルトから聞いた魔獣について説明をはじめた。
皇女が言う魔獣はミミズのような形で、大きさは元の世界の新幹線を一回り大きくしたもの。回転する頭部で城壁に突っ込み破壊するという。
「まるで生きる破城槌だな。賢者殿はどう考える?」
「少なくとも王国の記録には存在しないな」
「やはり陽動のようですね。ミューカスとは似ても似つかない。問題はこのミューカスの群れもまた陽動である可能性でしょう」
ハイドが言った。広範囲に広がる大量の弱い魔獣。騎士団の戦力をそれに引きつけ、その間に本物の災厄がベルトルドを襲う。十分すぎるほどあり得る話だ。
「でも、私にはリーザベルト殿下が嘘を言ってるとは……」
アルフィーナが食い下がった。予言のイメージ、一次情報とも合致する。それに、アルフィーナは俺よりもずっと人を見る目がある。
ドリルの様に回転して城壁を破壊する怪物。いかにも異世界の魔獣だ。だが、俺の知る限りこの世界の魔獣の起源は地球のはずだ。地球に存在した生き物が進化したからといって、そんなものになるだろうか。
……いや待てよ、単に回転しながら進む生き物ならば、可能性が一つある。
「アルフィーナ様。二つ聞きたいことがあります。一つは、水晶のイメージにあった城壁前の地面の跡です。アルフィーナ様は引きずったような跡だとおっしゃっていましたが、その地面の跡はまっすぐでしたか?」
「……そう言われれば、縦ではなく横……いえ斜めの様に見えました」
アルフィーナは目をつぶって少し考え込むと、はっとした顔になった。なるほど、回転する物体の移動の後だ。
「もう一つです。破壊された城壁は一カ所ではないのですよね」
「はい、あれから少し水晶のイメージを広げることが出来ました。場所は分らないのですが、城壁が内側に向かって崩れた跡は少なくとも二カ所、いえ三カ所以上あると思います」
「……分りました」
また無理していたのだろうか。そういえば少し顔色が悪い気がする。
「大丈夫ですよ。今回はそもそも始まりが遅かったですから。前回よりも、水晶を使う時間はずいぶん少なかったですから」
俺の視線に気がついたのか、アルフィーナが微笑んだ。確かにそうかもしれないが、大公もいないときに無茶はやめて欲しい。
「館長。赤い絨毯という魔獣が居るのでしたね」
「そういえば、お前にはそんな話をしたな」
夜になって騎士団のテントに忍び寄ったという赤い絨毯。あれは粘菌だろう。多くのアメーバ状の個体が一つになって移動する。単細胞生物の合体変形。最も原始的な組織の形として有名だった。
リーザベルトのいう魔獣とは形がまるで違う。だけど、回転して移動する細長い生物という性質、そして……。
俺はスポットの中心で迎えたあの夜の光景を思い浮かべた。俺たちが夜に見たスライム、巨大アメーバの群れはまるで同調するように赤い光を放っていた。
「何番目だ」
クレイグが聞いてきた。
「残念ながら三番目です」
俺の言葉に作戦本部がざわめいた。俺だって一番あり得ないと思っていた可能性だ。説明を求める視線が俺に突き刺さる。
「まずは基本に戻りましょう。これまでの予言の性質から、災厄は魔脈変動に関連する可能性が大きい。災厄の背景にはそれを引き起こす巨大な魔力が存在するとも言えます」
「それはそうじゃな。じゃが、今回はそんな物はないぞ」
「いえ、あります。正確に言えばあったんです」
俺はベルトルドと王都の間のもはや消えかけた魔脈地帯を指差した。
「広くて薄い魔脈をスライム……ミューカスの力を借りて一点に集める。これが今回の災厄を引き起こす魔力の変動です」
魔力を食って数を増やしたスライムが、その結果生じる飢餓を切っ掛けにシグナルを発し出す。最初はランダムなシグナルだが、やがてシグナルが連動して自己組織的に中心ができはじめる。
幾つもの中心が融合し、そこに向けて周囲のスライムが渦を描くように集まる。その結果が、巨大な魔獣の誕生というわけだ。つまり、災厄の魔獣は巨大粘菌の移動体だ。
シグナルのリレーで自己組織的に中心を作って集合するので、五つのスポットから少なくとも五つの移動体が生じる。これは複数の魔獣がベルトルドを襲撃するという状況に合致する。
何より重要なのは移動体もまた回転しながら移動すると言うことだ。自己組織的に発生する螺旋状のシグナルが、個体の集合にすぎない粘菌を一匹の移動体へと組織化する。巨大な移動体の中でシグナルは消えることがなく、移動体を前進させるいわば指令の役割を果たすのだ。その結果、移動体の表面の細胞は回転移動する。
原始的な組織構成の好例だと、恩師にそのシミュレーションの動画を見せられたことがある。
そして移動体が魔力を求めて赤い森、つまりベルトルドのある西、を目指すとしたら全てが繋がる。
「ミューカスが集まって生きた破城槌になる? とても信じられん話だ」
「ハイドの意見に同感だな。だが、リカルドは根拠がないことは言わないだろう」
「根拠はありますが、私の仮説が正しければ検証の時間がないはずです」
予言の示したタイムリミット、そしてミューカスの赤い明滅が飢餓シグナルだとしたら、すでに集合を始めていてもおかしくない。
「仮説が正しいとして、どうやって対処する」
「スポットは5つ。一つは潰したのであと四つですね。大事なのは破城槌の構成員となる一カ所のミューカスの数です。掃討ではなく、一定以下の数に減らすことを優先すべきです」
大事なのは個々のスポットの数を減らすことだ。さっきの話を聞く限り、生きた破城槌の脅威は回転する質量そのものだ。
「ミューカスの群れが今回の災厄の魔獣であると仮定して動く。騎士団部隊を二つに分け、スポット2,3それが終われば4,5の同時攻略をする」
クレイグが決断を下した。時間がないから即断即決はありがたいけど、掛かるプレッシャーで胃が痛くなる。
「帝国はどうしますか」
アデルが聞いた。
「王都での動きは宰相に任せる。帝国の最大の目的はベルトルドの破壊だろう。それを防ぐのが最優先だ」
ベルトルドが潰れれば親帝国の第二王子閥の力が盛り返せる。帝国が王国への侵攻を考えるなら、防衛の後方拠点であるベルトルドにダメージを与えることは戦略的に大きな価値がある。
「了解いたしました」「はっ」
指揮官の言葉にアデルもハイドも納得したのか、慌ただしく席を立つ。アルフィーナが俺に近づいてきた。
「リカルドくんは……」
白い指が、俺の服の裾をつかんだ。やっぱりちょっと顔色が悪い気がする。「もちろん残りますよ、民間人ですからね」と言いたくなる。
「申し訳ありませんアルフィーナ様、一つ確認しなければいけないことがあるのです」
問題が残っているのだ。根拠の一つである城壁の複数の穴。実はさっきの仮説だけでは説明出来ない。
「大公閣下や、工房の職人達の事もありますから」
卑怯だと思ったが俺は言った。
一刻も早く災厄をかたづけて、水晶については徹底的に分析してやる。




