6話 王女と皇女とその他一人
ヴィンダー。ヴィンダー。ヴィンダー。ヴィンダー。
心の中で何度も彼の名前を呼ぶ。まるで愛しい恋人を思うように。そして、恋に夢中な女の子の様に周囲を顧みることもなく、ここに居ない彼の姿を求める。
「シェリーさん」
左からの呼びかけに、首は軋みを上げながらなんとか声の主の方を向いた。
「は、はい……リーザベルト殿下」
「ありがとうございます。アルフィーナ殿下とご一緒出来るようにしてくださるなんて」
「私もです。シェリーさんに誘って頂いてとても感謝しています」
「と、と、とんでも……ございません」
王女殿下と皇女殿下がそろって私に言う。身の置き所がない状況というのはこういうのを言うのだ。いつもアルフィーナ様の近くで護衛しているクラウディア様は入り口近くで警戒している。
私がお誘いしたという形式上、私は同じテーブルに着かなければならない。リルカはアルフィーナ様に譲ったという形で難を逃れた。実は、ミーアと一緒に店の中に居るけど。それで心細さは消えない。
それもこれも全てヴィンダーのせいだ。
◇◇
「これが王都で評判のフレンチトーストなのですね」
リーザベルトが黄金色に染まったパンを。皿の横には蜂蜜と、漉したアンコの二つが用意されている。
「はい。元々はリカルドくんが私に作ってくれたお菓子なのです」
アルフィーナ様は笑顔でリーザベルト殿下にいった。いつものお優しい笑顔に、ちょっと背筋が寒くなったのはどうしてだろう。……まさか牽制をしておられるわけじゃあるまいし。万が一そうだとしても、牽制相手に私は入っていないよね。
「ということは、フレンチトーストというのはアルフィーナ様とヴィンダー殿の思い出の料理と言うことでしょうか」
「そ、そうですね」
アルフィーナ様は頬を押さえてしまう。……よかった、牽制云々は私の勘違いだったみたいだ。
…………そもそも、ヴィンダーはアルフィーナ様をどうするつもりなのよ。確かに、お姫様らしくちょっと浮世離れした感覚はあるけど、これまであからさまに好意を向けられてるのだから。
……そりゃ、身分が違いすぎるけど。でもヴィンダーならその気になれば何とかしちゃいそうな気がするんだよね。大公様や王子にも気に入られてるし。
ああ、でもアルフィーナ様は巫女姫として三十歳までお役目に縛られているんだった。
それはあまりにもお気の毒だ。……今でも緊張はするけど、アルフィーナ様には幸せになって欲しいって思うもの。
なんとかしなさいよヴィンダー。
「一度目の予言でアルフィーナ様は周囲の反対を押し切って、民のために立ち上がったと聞いております。本当にご立派だと尊敬申し上げているのです。私など、皇女の立場に有りながら何の役にも立てませんから」
「とんでもないです。リカルドくんが助けてくれなければ、私では何も出来なかったのですから」
「まあ、ドラゴンの討伐だけでなく、魔獣氾濫でもヴィンダー殿はお手柄を?」
リーザベルト殿下は驚いている。それに関しては私もよく知らない。というか、その頃はヴィンダーの事すらろくに知らなかった。……平和だった。……あの頃はもっと時間がゆっくり流れていた気がする。
「ヴィンダー殿はどのような手柄を立てられたのですか」
「その、詳しいところはお話し出来ませんけれど……」
アルフィーナ様はヴィンダーに教えられたという思考のまとめ方を説明している。そういえば、あのペンはヴィンダーとおそろいで肌身はなさず持っているのね。
それはともかく、確かに優れた方法だと思う。…………でも、この方法を何回転させても餡子や抹茶アイスは出てこないと思うけど。まあ、ベルミニはそれで大儲けできるわけだから気にしないのが吉だわ。
アルフィーナ様の説明に、リーザベルト殿下は頷いている。これまでいろいろとご一緒した経験から言うと、アルフィーナ様は人に教えるのがお上手だと思う。……王女殿下というお立場でそれが活かされるかどうかは微妙だけど。
「リカルド殿はベルトルドに赴かれているようですが、もしかしたら先日公開された予言と関係しているのでしょうか」
雰囲気がちょっと変わった。予言のことは「西部の都市の城壁が破壊される」という程度しか公開されていない。
「私もヴィンダー商会の株主として商売上の秘密を守る義務があるので、ごめんなさい」
ヴィンダーの株主という立場、商家の娘として言わせてもらえばアルフィーナ様はちょっと都合よく使いすぎだと思う。まあ、この場合は正しいのかな。
だが、アルフィーナ様に躱されたリーザベルト殿下は思い詰めたような顔になる。
「実は、城壁を破る魔獣について私は心当たりがあるのです」
そして、思い切ったように口を開いた。
「本当ですか」
「はい。帝国でもごく限られた地域にしか見られない魔獣ですし。アルフィーナ様の予言と関係しているかは私にも確証がありませんが」
………………私の目の前で、王国の未来を左右するかもしれない何かが始まった。席を外したい。私はアンコとか新しい砂糖とかマッチャの秘密を知ってるくらいでいいのに。
「ただ、私としては魔獣討伐を指揮されるクレイグ殿下に直接お話ししたいと思っています」
「……そのお話は公式に断られたと聞いています」
馬車レースで帝国が何かを仕掛けてきた可能性があることは知っている。…………………………どんどん話が大きくなる。
「重々承知しております。ですが、竜に苦しめられる我が国の民のために、ほんの少しでも情報が必要なのです」
リーザベルトは真剣な表情でアルフィーナを見た。私はヴィンダーみたいに底の抜けたお人好しではない。同性の必死な顔にほだされるような趣味もない。
だけどリーザベルト殿下は本当に国のことを心配しているように見える。私が知っているお姫様のイメージと大分違う方だ。……アルフィーナ様も大分違うけど。
「内容を聞かない限り、お約束は出来ません」
アルフィーナ様は表情を緩めずに言った。交渉的には、そちらが先にカードを切れというかなり高圧的な態度になるわよね。ベルトルド、実際にはそう明言されていないが、の安全が掛かっている状況で、立派だと思う。
「……そうですね、リーザベルト殿下の情報の正しさを検証出来たら、クレイグ殿下に取り次ぐことが出来ると思います」
初めてお会いした時は、もうちょっと甘い方だったと思うけど、ヴィンダーに毒されたのだ。いや、むしろミーアと同じで甘すぎるヴィンダーを守るために成長してる感じ?
でもそんなことよりも、王族同士の交渉を目の前で聞かされている私を誰か助けて。
「喰城虫と呼ばれる大型の魔獣です。固い頭部を回転させて……」
アルフィーナ様の言葉を受けて、リーザベルト殿下は意を決したように口を開いた。
……どうやら、一介の商家の娘にとっての綱渡りの時間はまだ続くらしい。




