2話:後半 季節変動
帝国公館の最上階、ひときわ広い部屋は使節長の執務室だ。無骨な黒塗りの大机に座る帝国使節長バイラルの前に二人の男女が控えていた。
「では、皇女の招いた商人どもには何の力もないということか」
バイラルは苦々しげにつぶやいた。
「はい。直に確認いたしました」
メイベルは恭しい態度で上司に答えた。その仕草にふさわしい侍女の格好をしているが、眼光は冷たい。
「ただ、招かれたのは食料ギルドの中でも最近力を付けている商会の関係者達です。巫女姫やその後ろ盾の西の大公と関わりがあることは間違いないようです」
「ふむ。そういえばヴィンダーとか言う商人の息子が、クレイグに引っ付いていたな……」
「ギルド長ケンウェル商会の傘下の様です。ケンウェルはクレイグと同じ改良された馬車でレースに参加しておりました。フォルムでの騒ぎも、食料ギルド所属の商人が取り仕切っていたようです。食料ギルドが第三王子閥により始めている状況を考えると注意は必要かと」
メイベルの隣にいた黒いローブの男が言った。
「確かに、リーザベルト様は商人達の商いの連携に注目していました」
メイベルも付け加えた。
「”将来”のことを考えると食料ギルドは押さえておかねばならぬ……。だが、所詮は魔力を扱う資質がない平民どもだ。皇女という札を使う必要はない。皇女にはクレイグや巫女姫に直接接近することを優先しろと伝えよ。あれでも皇女は皇女だ。王国においてはその肩書きが役に立つ。そうだな……」
バイラルは唇をつり上げた。
「クレイグに色仕掛けでもなんでも仕掛けさせればよい。皇女にとっても竜討伐の秘密は大事であろう」
「かしこまりました」
メイベルは恭しく頭を下げると、部屋を出た。
残ったローブの男が口を開く。
「商人どもはともかく、それを背後で操って勢力を拡大している特に西の大公はいかがいたしましょう。将来のことを考えると西の大公が力を増すことは問題かと。手は打っておりますが、我らの”味方”も焦っております」
黒いローブの言葉に、バイラルは苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「東の大公ががなり立てておるか。そうだな、二十年前の乱で没落した者どもへの調略が滞り始めておる。わざわざ帝国の車を貸してやったというのにあの無能者どもが。茶会などと言うお遊びのために、カカウルスの実も融通してやったのだったな」
「申し訳ありません。危うく騎士団に馬車を調べられるところでした」
「近くを通りがかった職人に見られたのだろう、大丈夫か」
「この国の職人は商人の下働きに過ぎません。ましてや、ろくに素材のない王国の職人にあれが理解出来るはずもなく、首をかしげておりました。それに……」
「そうだな。足回りだけ見られたところでどうという事はないか。ベルトルドで作られはじめた王国の新しい馬車の方がまだ重要だな。あれに関しては最大の目的を果たせた事でよしとしよう」
「そうですな、ベルトルドはいずれ……。もうそろそろ、東の大公に情報を流しますか」
「やめておけ。巫女姫の予言のこともある。へたに騒がれては邪魔なだけだ。愚か者が調子に乗ればそれはそれでやりづらい」
侮蔑を込めたバイラルの言葉に、部下も口元を歪めた。
「確かに、あの者達は自分は常に春を生きていると思ってるようですからな」
「まったくだ。将来の保証などない。状況などいつ変わるか解らん。我らはせめて夏が終わるまでには片をつけねばならん」
一転して口元を引き締めたバイラルに、ローブの男も真剣な顔に戻った。
「だからこそ失敗は許されん。王国の力はほぼ把握したが、予言の水晶の力とクレイグの騎士団だけは読めぬ要素が多い。マレルで行っている騎士団の訓練を調べても、秘密は分らなかったのだろう」
「はい、厳しい訓練ではありましたが、とても成竜を倒せるとは。竜が魔脈の弱さで力を発揮出来なかったという方が説得力があります」
「それなら良いのだが。私も皇子も貪竜の額の石を見ている。あの大きさならそこまで弱っていたとは思えないのだ。必ず何か秘密があるはずだ。その秘密の如何によっては将来の計画に大きな支障を来す」
「確かに。……閣下、通信が」
ローブの男が上司の背後に注意を促した。バイラルの椅子の背後で小さな水晶が怪しく光った。
「とにかく、クレイグの事が最優先だ」
「はい、かしこまりました」
バイラルが頷くとローブの男は足早に部屋を出た。帝国使節長は急いで机に戻る。水晶に現れた記号の列を書き写す。決してミスが許されぬ作業を、彼は可能な限り素早く終える。この魔導具は距離が開くにつれて必要な魔力量が跳ね上がるのだ。今、帝都では大量の魔結晶が消費されているはずだ。
ペンを置くと、バイラルは二重に鍵の掛かった引き出しを解錠した。中から黒塗りの箱を取り出す。袖をまくって腕をあらわにする。腕に刻まれた模様が光ると箱のふたが開いた。書いたばかりの記号の列が中に収められる。
元々入っていた同じような記号の書かれた紙を取り出すと、バイラルはそれを暖炉にくべた。火かき棒を手にとると、黒焦げになった紙を念入りに砕いていく。
「腑抜けた国を相手取るには、いささか過剰な配慮だな」
バイラルは遠い目で北方を見た。帝都の雪はまだ深いだろう。窓の下に目を移し唇を噛んだ。王国はもう春の気配がする。




