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7話 崖の縁のピクニック

 非公式・非公認の災害対策会議から七日が経っていた。空は晴天。気持ちのいい風が肌を撫でる。眼前には揺れる麦の青葉が見える。春から夏へと切り替わる季節の、ごく普通の農村の光景が目の前に広がる。


 印象派の画家が筆を執りたがる光景は、伸びの一つもしたいくらい長閑だ。だが、俺の心境は違う。


「これがパンの畑なのですね」


 隣に並んだ見習い神官が言った。白皙の顔には汗ひとつない。青銀の髪が僅かにフードから除いている。明らかに着古した濃紺のワンピースは野暮ったい。だが、そのせめてもの秘匿の努力を中身が裏切っている。ああなるほど、持てる者というのは、それを隠した時にも別の魅力を出すんだ。


 むしろ親しみやすさが増した分、思わず手を伸ばしてしまいたくなる引力が……。ファンタジーRPGで村娘が可愛く見えるあれだろうか。


「その発言はかなりまずいのでどうかお控えを、アルフィーナ様」


 フランスはフランスでも、印象派ではなく革命に関わってしまいそうな娘に小声で注意した。


「そうなのですか? それよりリカルド君こそ。私のことはフィーナと呼んでくれないと」

「偽名としても微妙すぎて…………。わかりましたフ、フィーナ」

「はい、フィーナです」


 ”アル”フィーナはニッコリと微笑んだ。やたらと浮かれ気味なのはトラベラーズハイだろか。ベルトルドからの粗末な馬車の中で聞いたが、王都からベルトルドまでの豪華な馬車では、窓を開けることもなかったらしい。


「と、とにかく。最初に村長に因果を含め……じゃなくて。挨拶しますので」



 四日前。俺は予定通り隊商に混じってレイリア村に向かった。ベルトルドで一泊したのも予定通りだ。ヴィンダーの専属冒険者であるジェイコブ達五人と予定通り合流。冒険者は流石にプロであり、予定通りの行動は俺を安心させる。


 翌日の朝、宿屋に領主である大公の使者を迎えるという事態までは万事予定通りだったのだ。


 権力というのは零細商人の予定に拘泥しない、というかそんなものがあることを認識しない。俺の旅は、ベルトルド大聖堂の見習い神官を一人伴うことになった。村の孤児たちを見舞うという微笑ましい名目だ。


 女大公がアルフィーナに休養をとらせたいと提案。予言のことで養女を遠ざけておきたい王が認めたらしい。クラウディアはどうしたのかというと、親に呼び出されているという。肝心なときに役に立たない女だ。


 別の調査のためにミーアを王都に残した自分の判断を呪いたい。


 荷物がいっぱいだから馬車は自分で用意してくださいと言おうとした。何を勘違いしたのかジェイコブが屋根の上に荷物を移し、見習い神官を俺の隣に座らせた。「もし万が一があればお前は失業、最悪巻き込まれて死刑だぞ」と言いかけてなんとか思いとどまった。


 お陰で大して広くもない馬車で、学院一の美少女と一緒の二時間。目的地に付くまでに、回復しかけていた俺の保身はぼろぼろだ。



「リカルド兄ちゃん。久しぶりだな」

「あーー、ミーアお姉ちゃんじゃない女を連れてる」


 村長宅に行くため広場を横切ると、集まってきた子供達が無邪気な不敬罪を始めた。待てお前ら、不用意な発言と行動は死につながるんだぞ。せめて俺を巻き込むな。


 俺は騒ぎ立てる子どもたちを振り払うように、村長の家に入った。


「これはリカルドさ、、、コホン。リカルドじゃないか」

「村長。お久しぶりです。水車の調子はどうですか?」


 俺は満面の笑みで細身の中年男に応じた。外からの出入りなど殆ど無い村だ。演技しようとするだけ良しとしよう。


「ええ、とても良い調子で動いていますとも」

「それは良かった。ただ、あまり負担をかけると寿命が縮むので、たまには休ませてください」

「そうですな。ではそうしましょう」


 養蜂のことを隠せと合図して。見習い神官としてフィーナを紹介。村の周りを案内するが気にしないように告げる。アルフィーナはなにか言いたそうな顔をしていた。警告をしたいのだろう。村長の娘の帯を見た時、顔を曇らせていたからな。


 もちろん、食料の備蓄を増やすことを提案しておく。それを含めた避難の相談はジェイコブたちに任せてある。最低限の情報しか漏らせないので準備の準備程度だが。


 まず最初に、アルフィーナのイメージとこの村が本当に一致するかを確認しなければいけない。


 俺は麦畑と牧草地の境目にアルフィーナを案内した。青々とした麦畑。牧草を食む牛。ゆっくりと回転する水車。周囲の光景は変わらず平和そのものだ。初夏に真っ赤な葉をつける遠くの林が不気味だが、ここに住む村人にとっては生まれた時からある光景だ。


 あの中に、今にも溢れんばかりに魔物が群れているのだろうか。


 アルフィーナの足がピタリと止まった。綺麗な顔が一瞬で引き締まった。あぜ道のレンゲに笑顔を向けたつい先程がウソのようだ。巫女姫は目をつぶって、キュッと両手を握りしめる。


「間違いありません。私の見た予言はこの村です」


 アルフィーナは瞳を開くと、はっきりといった。


 俺も気合を入れ直さないと。最低でも王国が動かなくとも、村の人間をベルトルドの城壁内まで逃せるだけの準備が必要だ。


 だが、まずは村を捨てる事態にならないようにすることだ。


「サンプルを取りにいきます」

「サンプルというのは赤い葉の木なのですよね。もしかして森に入るのですか」

「いえ、この村のように赤い森に近い土地には、ポツポツと……、ほら」


 真っ赤な森を見て不安そうなアルフィーナ。村の周囲の赤い樹木を俺は指差した。深く根をはることで、魔脈からある程度離れたところでも生きていけるのだろう。木材が貴重なこの世界だが気味悪がって切られないので大木だ。村長が物心ついたときにはすでに赤い葉をつけていたらしいので樹齢は十分。


 ちなみに、この村では燃料需要は泥炭が満たす。


 さて、ひときわ大きいのは西と東の二本。西にはレンゲ畑がある。養蜂の秘密を知られるリスクは小さくすべきだ。そもそも、アルフィーナを連れてくる事自体が予定外なんだ。


 俺はちらっとアルフィーナを見た。村に来た時とは打って変わって真剣な表情だ。当然だ、遊びに来たんじゃないんだから。


「リカルド君?」

「あ、はい……」


 彼女を連れてきた甲斐はあった。一次情報が確認できたのは大きい。もし予言が本当なら、彼女は村を救おうとした功労者で…………。


 いや、レンゲの花を見たいという願いは叶えた。そもそも、栞を贈った時点で義理は果たしたはずだ。


「あの丘の木にします」


 丘と言うには低い盛り上がりの上に、赤い樹木が生えている。ちなみに、丘の向こうには小さくくぼんだ土地があり、中心を小川が流れている。昔は湖だったのかも知れない。


 幹にたどり着いた俺は、黙ってついて来たアルフィーナを手招きした。


「リカルド君どうし…………。わぁ!」


 フィーナは祈るように両手を握りしめて眼下の光景を見た。花で作られた赤い絨毯。レンゲの花畑。俺にとっては金の卵ならぬ銅の蜜を生む宝の山だ。


 だが、石で囲まれた都から出たこともないなら、珍しい光景なのだろう。まあ、前世日本人的には王都の西洋的な庭園よりも心にしみるものはあるか。


 年相応の笑顔が戻った横顔から、俺は無理して視線を逸らした。彼女は役割を果たしたのだから、後は観光しててもらおう。


「……さて、力仕事だ」


 俺が革袋から道具を取り出しながらつぶやいた。横から見たらT字型の金属棒だ。縦棒は空洞で、先端の外側には溝が切ってある。横棒には滑り止めの布を巻きつけてある。


 大木に向き合う。マシンガンを構えるように筒を幹に押し付ける。中心と思われる方に角度を合わせる。先端の尖った部分が硬い幹に僅かにめり込む。Tの横棒を両手で掴むと、腕をひねった。


 キュリュ、キュリュという音とともに、ゆっくり、ゆっくりと幹に筒がめり込んでいく。水平に水平にと心のなかで念じる。経済学部の俺は年輪採取なんかしたことがない。

 恩師の口癖が「経済学は個人の物理学であり、人と人との化学であり、社会という生き物の生物学である」だった。おかげで、ゼミでは色々な分野の古典と呼ばれる論文を読まされた。


 二の腕の筋肉が引きつり始めた。俺が額の汗を拭おうとした時、背後から白い手が俺の手にかぶさった。


「ごめんなさい。私もお手伝いしないと」


 耳元で囁くように言われ、フォークより重い物と持ったことがなさそうな細腕が、俺に触れる。別の汗が背中を流れる。手の甲まで届きそうな神官衣で本当に良かった。厚そうな布地、暑くないのかと思ってたけど、もし薄着だったら俺の汗の方が酷いことになっただろう。


 甘い匂いのする協力者を意識しないように、無心で腕を回転させる。何度か背後の柔らかいものに肘の先がかすった気がするが、気のせいに違いない。気のせいでなければいろいろ危なすぎるのだから。


「……こ、ここまでで十分だと思います」


 いつの間にか目安としてつけていた白線が幹の中に消えていた。物理的にはあまり意味がなかった助力も、精神的には結構な効果があったのだろう。


「あの、今更ですが。これは何をしていたのでしょうか?」

「見ていてください」


 用意していた細い鉄の棒を筒に差し込む。ストローくらいの太さのサンプルが押し出される。綺麗な横縞が並ぶ。ほぼ中心に向かって水平にくり抜くことができたようだ。


「木の模様がついていますね。なにか特別なものなのでしょうか?」


 アルフィーナはきょとんとしている。年輪の存在くらいは知っているだろう。石の文化でも、木材そのものがないわけじゃない。東西の山脈ではない孤立した山の周囲には赤くない森も存在するのだから。


「樹木は冬は成長を止めて、夏は成長するんです。その成長の差の跡がこの縞模様です。つまり、濃くて細い部分が冬、白くて広い部分が春から夏。ひいふうみい…………。今年の分は不完全ですが、ざっと五十年分の記録を、一年単位で判別できるわけです」


 元の世界なら年輪の幅や炭素同位体の測定で気候変動のデータが取れる。こっちでは魔力の記録が残るという予測だ。


「そんな方法が…………。すごい、これならきっと」

「褒めるのは上手く行ってからです。データの精度とか、標準化とか。クリアすべき壁がいくらでもあるので」

「でもリカルド君ならきっと大丈夫です。本当にすごいです。本当に」

「私はフィーナに頼まれて知ってる知識を提供しただけですから」


 アルフィーナは純粋な賞賛の瞳で俺を見る。過大評価だ。元となる方法を考えたのは俺じゃない。それに、俺にはこの村を守る利益がある。

 そして、自分にはリスクしか無いのに勇気を出して予言を告げたのはアルフィーナだ。俺は、リスクをとったことは正当に評価するんだ。


「でも、耳を傾けてくれたのはリカルド君だけです」

「いや、それも、ほら互いの勘違いみたいな感じだったじゃないですか」

「はい、そうでしたね……」


 アルフィーナは胸の前でキュッと握りしめた。彼女は丘の向こうの景色をじっと見つめる。今度は何だ。


「それに、今日のことは私一生忘れません」

「えっ!?」

「この光景です。リカルド君。赤い木はもっと近くにも生えていました」


 アルフィーナは俺の手を握ってた。その笑顔はまるで高価な宝石でも贈られたようだ。この娘は、ちょっと心配になるくらい安すぎる。女騎士気取りをあんなにしたのは案外この気質じゃないのか。

 後、ベルトルド大公とやらは、もうちょっと注意するべきだ。甘い花は容易に虫を呼び寄せるのだから。


「ま、まあ、なんにせよです。やるべきことは終わったわけですから。あとは館長に期待しましょう」


 俺は手を離そうとしないアルフィーナに言った。

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