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『ヒマワリ畑のゼツー』

作者: 青豆

 眼前には一面のヒマワリ畑があった。

 巨大地震……それによる原子力発電所の増殖炉爆発……それを隣国の核攻撃と誤認した事による核ミサイルの誤射……報復攻撃……報復攻撃……報復攻撃。

 多くの都市が一瞬で滅びた。それ以外の人類もゆっくりと消滅しようとしていた。大地はその機能を失い、大気は凄まじい放射能を持つようになった。この出来事は以降ただ『悲劇』という言葉で呼ばれた。そうとしか呼びようがなかったからだ。

 唯一人間が生き残っていた場所があった。そこは国際管理都市であり、近くに核ミサイルの標的となるような大都市がなく、奇跡的に破壊を免れた。元々は南方の人工島でロケットの発射台があり、新エネルギーの研究施設があり、世界中から多くの科学者が集まっていた。

 科学者達は高度な文明と秩序ある体制を維持することに長けていた。しかし、それでも彼等にはいくつもの試練が訪れた。

 最初は風に乗って飛んでくる放射性降下物。人々は地下シェルターに籠もり、かろうじて生活を続けていた。

 そして食料の不足。これは人工蛋白合成技術や人工光を用いた促成栽培などで凌ぐことになった。

 それから八年が過ぎた。その間も大小様々な困難が襲い続けた。人工島では限られた資源を浪費しないために、そしてやがて再び来たるべき人類繁栄の時のために、特別な習慣が生まれた。

 ────真実の愛に達した者(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)は共に冷凍睡眠の処置を受けること────

 傍点部分の意味は、『生殖可能なカップル』、ということである。来るべき時が来た際には盛んに繁殖せよ。それまでは、ひっそりと眠っておけ。そういう意味である。

 結婚式と同時に二人でコールド・スリープする。この習慣は少なくとも最初は強制ではなかった。ただの流行だった。真実の愛でなくそれぞれに研究を続ける事を選んでいるカップルもそれなりに居た。

 しかし環境が厳しさを増していくにつれて、そうした例外は許されなくなっていった。それに“真実の愛に達した者”という言い回しには浪漫があった。人工島の特殊な環境下でこの真実の愛こそ、最大の幸福、人生目標となっていった。

 しかし、それがどうしても叶わぬ者が幾人か居た。彼──タケオもその一人だ。悲劇の後に判明した生殖機能喪失。被曝の影響であろう。タケオ以外にも多くの男たちがそうした判定を受けた。

 それ故、タケオは外の景色を憎んだ。我が物顔に咲き誇るヒマワリ。新たな種を結び、来年再来年、年毎に更に数を増やすであろう。自分は、あのヒマワリにすら劣るというのか。

     

 タケオは外を眺めるのをやめ、分厚いガラスが嵌った小窓の分厚いシェードを下ろし、地下最下層の部屋に向かった。シェルターの底に待っているのは彼の学生時代の先輩である。タケオはIDチップを翳してロックを解除、部屋にずかずかと入り込むと最奥に居る人物にこう声を掛けた。

「よぉ。大統領!」

「くだらないことを言うなよ」

 彼はそう返事した。

 『悲劇』が起きたとき、彼は、ヤッシュ大佐はエネルギー省副長官としてアメリカ大統領顧問団の一席を占めていた。この地位は大統領権限継承権の63番目であり、この事態の中まさしく彼は大統領なのである。

「くだらなくはないさ。あんたの演説は見事だった」

 彼は任務を粛々とこなしていた。しかし、悲劇の以前から権力欲の強い男であったから今の地位に不満は無いだろう。それを維持する為の努力も怠っていないようだ。

「皆が従ってくれるのは、各々頭が良いからさ。ここには非科学的な思想や政治的な思惑は無い。正しい考えと、間違った考えの区別がつく奴らばかりだ」

「俺を除いてな」

「そういう阿呆は、私のすぐ下で働かせている。それなら、外で不満を漏らすこともない」

「なるほど、確かに頭が良いな。しかし、正しい考えと間違った考え、そう簡単に区別が付くものじゃないと思うな」

「それはその通り。実際、正しいと思う道を進み続けて世界は滅んだ。しかし、それでも俺の考えは終始一貫している」

「“文明の本質はエネルギーである”……か」

「そう。潤沢なエネルギーが無ければ文明の維持は不可能」

 この時、人工島はエネルギーに関して危機を迎えていた。地震による地面の隆起と核の冬に伴う海水の減少。それにより島と大陸の間に流れる潮流を利用していた潮力発電所が殆ど機能しなくなってしまったのだ。

 電気が無くなれば、地下シェルターには安全な大気も水も補充されなくなる。食料も生産できなくなる。この問題の手っとり早い解決策が一つだけあった。

「それでも、今度のことには流石に反対者が多数出ると思ったんだが……」

 タケオは先の会議の席上、まったく反対意見が出なかった事を未だに怪しんでいた。

 議題は『閉鎖中の原子力発電所を再稼働させる件について』だった。悲劇の原因となった原子力発電所に再び頼る、その事に(わだかま)りを感じるのはタケオだけではなかった筈だ。しかし、会議が一人の反対者も出さずに終了したのは事前に相当な根回しがあったに違いない。

 実はこの裏で大佐はある約束をしていた。火星植民計画の再検討である。

 そもそも、この人工島とその施設は火星植民計画の為に造られたものだ。悲劇の後、その計画は頓挫している。殆どの研究者はこの火星とは別な今の極限環境でも応用の効く研究をしていた。しかしまったくそれまでの業績が活かせない者も居る。重力子理論やロケット推進の専門家などだ。彼等はこの人工島で最も大きな不満分子。火星移住計画の再検討は彼等を活気付けヤッシュ大佐を大いに支持した。ここは研究者達の島、研究を続けられることほど彼等を喜ばすことはない。

 タケオはこれにも淡い疑問を感じた。いくら核汚染が酷いと言っても火星よりは地球のが好環境、資源も豊富なんじゃないのかと。

 大佐はニヤリと笑ってこう言った。

「君の直感は紛れもなく正しい。しかしね、我々に必要なのは『希望』なのだよ」

 悲劇以降、希望は地球上に見当たらなかった。この人工島にもなかった。

 地上の放射性物質について最初は数年でその影響が充分薄まると思われていた。しかし地上全体が汚染された場合には強い放射線が別な物質を放射化し連鎖的な汚染継続作用が生まれることが判明。人類が暮らせる環境は当分の間戻ってきそうになかった。

 火星では悲劇以前に送り出された先遣隊二十六名が基地を造って待っている。足りない資源については悲劇後機能停止している国際宇宙ステーションを復帰させ、火星に持ち込む事で補える計算だ。

「火星にならば希望はある」ヤッシュ大佐は言う。

「あんたまでがそんな言葉を口にするとはな」

「絶望は愚か者の結論だ。今、地球上に居る愚か者はお前くらいのものさ」

「ああ、そうだろうさ」タケオに反論する気力はない。「そうそう。その愚か者にも出来る仕事があるらしいから来てるんですがね。大統領!」

「ああ、そうだった。今から、ここにある人物のところに行ってほしい。いろいろと、便宜を図ると約束した」

「裏取り引きか?」

「そんな大層なものでもないが、火星行きに最後まで反対した偏屈な老人でね」

「この島には、偏屈な老人しか残ってないよ」

「まぁ、そうだ。今後も君にはいろいろ根回しに奔走してもらう」

「ああ、わかった。まずはこのクロード博士だな」

 タケオは自分のモバイルに送られてきたデータを確認する。確かに偏屈そうな顔だ。

「クロード博士はとある分野で最高の権威でね。原子炉再稼働、それに火星移住計画に賛成の側に回ってもらうため条件が必要だった。どうするかはお前に任す」

     

 この島で学者でない人間は少ない。タケオは元々サイエンスライターであり、専門分野も継続研究も持たないのでこうした雑用に駆り出される。いろいろな研究者の元を訪ね、話を聞いて回るのだ。

 老博士、クロード・グレイはタケオの真逆で悲劇後も、その前も自分の研究室に閉じこもるタイプだった。コンタクトをとるには、テレビ会議か、コンタミフリー・ラボのガラス越ししかなかった。

「放射線耐性菌、ラジオデュランス菌というものを知ってるかね?」

「ええ、それぐらいは知ってます。千シーベルト以上の放射線を当てても死なないやっかいな菌の事ですよね」

「人間を含め、ほとんどの生物が数シーベルト程度で死ぬ事を考えれば凄いことだ。儂はね、この菌を地球の新たな支配者にどうだろうかと考えている」

「博士。あんた、核汚染のこの地球に、このうえ、バイオハザードまで起こそうって言うつもりですか?」

「そんなつもりもないがね。そうであっても良いくらいには思っている。高い放射線環境下で生きていける生物を作り出したいのだ。放射線はDNAをバラバラにするが、ラジオデュランス菌はそれを元通り組み立て直す仕組みがある」

「ええ、そういう仕組みらしいですね」

「この、仕組みを人間のDNAにも組み込んでやれば、このシェルターの外で生きていく道も開けるんじゃないかと思うがどうだろうね?」

「流石に俺にはそんな人外の物になってまで、地球に生きるのは納得できないです」

「そうかね。地球を捨てるよりはマシな選択肢だと思うがね」

「博士は火星行きに最後まで反対していた、そうですね。それが理由ですか?」

「儂はあんたらに言われるまで、ラジオデュランス菌と共生生物を用いた環境除染の研究をしとった」

「なるほど。それで地球残存策に固執したわけですね。で、その研究の目処は?」

「さっぱりだったよ。だが、全く収穫が無かったわけじゃない。ラジオデュランス菌で特定元素を濃縮する技術を得たのだ。それに目を付けてきたのがお前等の上司だ」

「具体的には?」

「お前は聞かされとらんのか?」

「ええ、大佐は詳しいことは語らない人でして」

「今度動かす原子炉、その廃液を処理するらしい」

「つまり廃液から金とかレアメタルを取り出すって事ですか?」

「ハハハ、プラチナやイリジウムは結構取れるが金は少ないね。それよりもっと大事なものがある。反重力装置用に超々ウラン元素が必要だし、宇宙電池用に半減期五十年級の安定崩壊元素を高濃縮してやる必要がある。今回の原子炉の再稼働はエネルギーを得るためよりも、むしろ廃液が必要だったわけだ」

「なるほど」

「しかし、儂はそれを引き受けるのに条件を付けた」

     

 博士の出してきた条件。それはシェルター外でのサンプル採取の為に完全自律型ロボットを用意せよ、というものだった。

 完全自律型というのは擬似的な人格を持ち、場面に合わせ自分でいろいろ判断して動作するということ。軍用以外ではあまり実用化されていないタイプのロボットだ。

 それでタケオはなぜ自分がここに派遣されたのかを理解した。ヤッシュ大佐はタケオが完全自律型ロボットを一台所有していることを知っている。それがタケオにとって大切な想い出の品であることも。

 大佐もそれを無理矢理に徴用するようなことはしなかった。そこにかえってあの男のいやらしさを感じる。

 実のところ、タケオとしてはそのロボット『Z2』を差し出すことに何の異存もなかった。ロボットは元来、誰かの役に立つ事を願って生きている。自分の手元に眠らせておくよりも、博士の元でその機会を与えた方が幸せに違いない。

 とはいえ、タケオはクロード博士がなぜそんな要求をしたのかは理解できなかった。完全自律型ロボットというのは扱いやすいものではない、遠隔操作型などを使う方がずっと効率がいいからだ。そうした操作が面倒ならばサンプルそのものを請求すればいい。大佐の部下が手分けして収集し、迅速かつ丁寧に博士のもとに届けるだろう。

 しかし、そうしなかった理由はすぐ判明した。

     

 タケオが後生大事にしまい込んでいたZ2を抱えて訪ねたとき、ラボの玄関先には見慣れぬ少女が佇んでいた。

「あのっ、あたしのお友達を持ってきてくださったのですよね?」

「?」

「あたし、ヘリカと言います」

「……」

 戸惑うタケオにクロード博士が後ろから声をかけてきた。

「やあ」

「博士、無菌室から出ていらっしゃるとは珍しい」

「ヘリカの為にな。ヘリカ、ちょっと席をはずしていなさい」

「賢そうなお嬢さんですね」

「孫じゃよ」

「なるほど自律型ロボットは、あの子の情操教育の為ですか。お友達と言ってましたが」

「今のあの子には同世代がおらんからの。その分、よく儂のところにも遊びに来てくれるのじゃが、話し相手がこの偏屈な老人では悪影響じゃと思ってな」

「ええ、たしかに良くないでしょうね」

「ふん。失礼な奴じゃ」

「まぁ、そうした用途についてのこのロボットの効果は保証します。ヘリカさんを近所の悪ガキと遊ばせるよりかえって良いかもしれませんよ」

「それはそうとして、サンプル採取は必要だ。儂はそっちの目的も忘れてはおらん」

「わかってます。メンテナンスや帰還毎の除染はしっかりやらせていただきますよ」

「頼むぞ」

 博士は無菌室の設備を除染にも使えるよう改造したことを説明し、タケオにもそれを使えるよう案内したのち、ロボットを孫の元に運んだ。

     

「あなた、お名前は?」

「ワタシハ カンゼンジリツガタ Z2 デス」

「ゼツーね?」

「…… ハイ ソウ オヨビクダサイ」

「ようこそ。ゼツー。一緒にお部屋で遊びましょう」

 彼女は強引にロボットの名前を決め、ロボットはすぐにそれを受け入れる。

 その様子をタケオは面白いと感じ、ミシェルが見ていたらさぞかし喜んだろうな、と思った。

     

 フランスの企業から人工島に派遣されていたミシェル研究員。彼女はロボット工学のホープであり若くて美人だった。それを聞き込んだタケオが彼女の工房を訪れたのは悲劇の一年半前だ。彼女が開発した予測命令待ち機能を持つロボットは火星探査に重要な役割を果たすと期待されており、それを記事にするためだ。

 タケオは彼女の聡明さとそれでいて何事も熱っぽく喋る子どもっぽさに強い魅力を感じたのだった。

 当時、次なる研究の方向性に悩んでいた彼女にタケオは完全自律型の子守りロボットはどうだろうかと勧めた。

 この程度のこと日本人ならば誰でもすぐに思い付くだろう。だが、原子力施設や宇宙空間など人間が入れない極限環境で働くロボットばかり造ってきたミシェルにはとても鮮烈なアイディアであったらしい。彼女は喜び、その後Z2に関する論文にはタケオへの献辞が書かれた。

 しかし、ミシェルの完全自律型ロボットは残念ながらゼツーが最後だった。

 悲劇の後、彼女は安価に大量生産可能で高放射線量の環境で働く遠隔操作型を主に手掛けるようになる。

     

 タケオは今、その遠隔操作型を数十台駆使しながら、ヤッシュ大佐に命じられたプロジェクトのチーフを務めていた。電源関連を統括する責任者だ。

 当初、件の原子力発電所は暫定的な措置だと説明されてきた。

 代替手段について、多くのアイディアが寄せられ研究に資材が回された。とはいえ、風力発電用の大規模風車や高効率な太陽電池パネルを造るのは難しい。何しろ地上は未だ人間が出られる環境ではない。

 この頃には少しずつ植物が繁茂するようになってきた。その植物を集めてバイオマス発電をする施設が計画された。周辺環境に気を配る必要が無い今、これが既存の火力発電所に少し手を加えるだけで実現できた。出力も予定以上だ。海水が減って大陸と地続きになったこともあり、将来的な燃料の補充も充分であろうと見込まれた。

 しかしながら、それで原子力発電所が停止することはなかった。火星移住に向け、余剰電力は充電しなければならなかった。

 人工島は火星移住に向けて邁進していた。

 爺さん婆さんばかりとなったこの島で「死ぬ暇もないほど忙しい」そんな冗談が大流行した。

     

 今日、クロード博士もその言葉を口にした。博士もまた火星移住に関する重要な研究を幾つも抱えているのであろう。

 タケオは毎週のように博士の元を訪れてゼツーのメンテナンスをしていた。ゼツーは放射性物質や細菌を扱っている。ヘリカが触れる前に念入りに除染する必要があったのだ。

 幸いゼツーは高線量下でのサンプル採集、実験の助手、ヘリカの遊び相手、いずれにおいても大いに活躍していた。ロボットは元来、誰かの役に立つ事を願って生きている。これはゼツーにとって幸せなことだろう。

     

 “ロボットの幸せ”、これはミシェルがよく語ったことだ。

 彼女はロボットは人間よりもずっと幸せな存在だと言った。タケオがそれはどうしてかと聞くとこんな答えが返ってきた。

「人間は働く目的を自分で探さなければならない。でも、ロボットにはそれが始めから与えられているからよ」

 この時、タケオは

「では、Z2が出来上がる前に結婚しましょう。そして、Z2の働く目的を作りましょう」

 ミシェルはこの提案を笑って受け入れた。もちろんこれは悲劇より前の事、もう遠い昔の想い出だ。

     

 その日、無菌室に閉じ籠もっている博士に頼まれ、タケオはゼツーの回収に向かった。言われた場所は階段下の資材置き場。この頃、資材はすべて火星行きの舟に移され、その場所はヘリカの遊び場となっていた。

 部屋に入ったとき、ヘリカはゼツーを抱きしめて情熱的なキスをしていた。タケオが眼を丸くして驚いているのに気が付くと慌てて離れ、こう言った。

「今見たことは誰にも言っちゃダメよ。ヘリカが父さん母さんに怒られちゃうもの」

「ヘリカ、君のお父さんお母さんは?」

「父さん母さんは真実の愛の中に居るのよ」

 それを言われてタケオは初めて気が付いた。ヘリカの両親は亡くなったのではなく、冷凍睡眠(コールド・スリープ)しているのだと。そして、残された娘の寂しさを思っていたたまれなくなった。

 当のヘリカはロボットとの愛を育んでいた。

「ゼツー、いつまでも一緒だよ」

「ハイ イツマデモ イッショデス」

「そうか、でも悪いが、今からゼツーには仕事があるんだ」

「お勉強やお仕事の時は仕方がないわ。ゼツー。帰ったらお外のことをまたいっぱい話してね」

「ワカリマシタ」

「いつか、一緒に真実の愛に入りましょ」

「ソレハ」

 タケオはゼツーを拾い上げてヘリカに言う。

「お嬢ちゃん。真実の愛というのはね……」

「知ってるわ。ヘリカ、女の子だもの。真実の愛が女の子の一番の憧れなのよ」

     

「あのお嬢ちゃんまでがあんな言葉を口にするとはな……」

 そう、タケオがその言葉を聞いたのは初めてではなかった。

 悲劇の三年後。ミシェルから別れを告げられた。ふたりのベッドの中で。

 決して愛が醒めたわけではない。何か、関係の変化が起きたわけでもない。「あなたと一緒に居ても不実な愛にしかならないもの」とミシェルは繰り返した。

 そして、その後、彼女の口から続けて出た言葉がその「真実の愛が女の一番の憧れなのよ」だった。

     

 そう悲劇の後、真実の愛はすでに信仰と言っても過言ではなかった。それはタケオとミシェルだけの話ではない。その日ゼツーをシェルターの外に送り出した後、タケオはクロード博士からヘリカの両親について聞かされた。

「孫は顔は母親似、性格は父親似だな」

「ヘリカさんは博士の娘さんの子ですか。それとも息子さんの?」

「娘の子だよ。まあ、その夫の方も儂の教え子でね、息子も同然だ。情熱を持ち、ある意味で頑固な男だった」

「確かにヘリカさんにはそういう面がありますね」

「悲劇後、生殖機能喪失の疑いが出てな。だが、頑としてそれを受け入れず、ヘリカをつくってそうでないことを証明して見せたんだ」

「良かったじゃないですか」

「結局、儂はヘリカと引き替えに二人を失っとる。良かったのか、悪かったのか」

 タケオは「良かったんですよ。ヘリカちゃん、いい子じゃないですか」

 そう言おうとしたが、言えずに、沈黙が続いた。タケオにはその男の自分には持ち得なかった情熱が羨ましかった。

     

 いよいよ、火星移民舟への搭乗日が近づいて来た。持ち込み品の検査があり、タケオは自身の同僚が担当している窓口を選んで行った。

 そこにヘリカがゼツーを荷物として申請する。

「申し訳ありませんが、重量オーバー等の理由で認可出来ないこととなりました」

 一旦、断られ、タケオが割って入って交渉する。

「あー、それなんだが、コイツはこの娘と俺と合同の荷物ということにしてくないか。合算して二人分の重量と考えれば大丈夫だろ?」

「ところが、それなんですがね。微量ですが放射能も確認されたんですよ」

「そんなハズはない。綺麗に除染したんだ」

「しかし現に出てるんです」

「少しくらいは問題無いだろう。完全自律型ロボットだ。火星でも役に立つ」

「ダメですよ。火星では火星用の登録ロボットしか使えないんです」

「そう言うなよ。君と俺との仲じゃないか」

「勘弁してくださいよ、タケオさん。あんたの上司にも身内に対する例外は一切認めないと厳しく言われてるんだ」

「そこを、なんとか。頼むよ」

「いやいや、ヤッシュ大佐には逆らえませんよ」

 タケオが相手と押し問答をしている中でヘリカが突然、叫んだ。

「……あの!この子は私の恋人なんです!」

 その訴えはこの男の琴線ではなく、逆鱗の方に触れたらしい。机を叩き激高した。

「お嬢ちゃん、こっちは冗談に付き合ってる暇は無いんだ!」

 そして、つい怒鳴ってしまった事に戸惑い、タケオに“なんとかしてくれ”と眼で訴えている。

「帰ろう……火星にはアイツが働く場は無いようだ」

 タケオはやむなく恐怖で固まっているヘリカの背を押し、部屋を出た。

     

 その頃、隣の窓口ではクロード博士も何やら職員と言い合っていた。どうやら博士が持ち込んだのは紐できちんと束ねられた書籍である。

 窓口の男は呆れて言う。

「おいおい、こんなもの持って行くつもりだったのかよ。そりゃ、俺の見たところ、爺さんよりも時代遅れだぜ」

「ああ。言われるとは思ってたんだ。だから置いていくよ。ここには電子メディア、積んであるんじゃろ?」

「そりゃ、引っ越しに伴って全データ、移し替えたさ」

「なら、いいんだ。ちょいとこれを廃棄シューター行きに置いて貰ってもいいかな?」

「ああ」男は意外にあっさりと引き下がった博士の態度を訝りながらも、その数冊を〈受け入れ不可〉と書かれた台の端に乗せた。

 ここに載せられた物はこの検査終了後、すぐシェルターの外に捨てられる事になっている。多くは所有者の強い思い入れがある品だ。シェルターに残しておいて後から舟にこっそり持ち込まれることを懸念したのだろう。

     

 無事出発した舟が安定軌道に入ったところでタケオは船長室に向かった。ヤッシュ大佐に一言、文句を言っておきたかったからだ。

「荷物検査。少し厳しすぎたんじゃないか」

「仕方ないさ。重量を少しでも減らしたかった」

「この規模だと、荷物の重量なんて殆ど関係ないだろ」

「そうでもないさ。軽きゃ軽いほど早く火星に着く。その分、積み込む資材が少なくて済む。その分、舟はますます軽くなる」

「それにしたって……」

「大方がくだらない感傷だ」

「じゃああんたは何を持ち込んだんだ」

「ククク、特別だ。お前には見せてやってもいいぞ」

 大佐が指さしたのは小さなジュラルミンのトランクだ。チラッと覗いてみたタケオは驚愕の声を上げる。

「宝石箱!」

「凄いだろ。全部、鑑定書付きだよ。石のことは俺には分からんからな」

「あんたは阿呆か。火星にこんなガラクタ持ち込んでどうしようってんだ?」

「阿呆はお前さ。新世界で最も大切なことは何だ?」

「エネルギーだろ?あんたはいつもそれを言ってた」

「新世界で重要なのは子孫を増やすことさ。その為には女が居る。その女を手に入れる為、最も手っ取り早いのは何だ?」

宝飾品(アクセサリー)か……」

「愉快だな。計算上、十世代後には全員俺の遺伝子を受け継いだ子供達になる」

「あんたはその年齢で未だ子孫残せる気か?」

「未だ、衰えちゃいないさ。精子の冷凍保存もしてあるしな。ダメなら本当の息子に託すさ」

 ヤッシュ大佐の息子はミシェルとともに冷凍睡眠しているのだ。

 黙り込んだタケオに大佐はキャビンに戻れよと手で合図した。別な誰かからモバイルに通信が入ったのだろう。

     

 キャビンに戻ったタケオは泣いている少女と出会った。ヘリカだ。

「……ゼツーいつまでも一緒だよって言ったのに……」

 少女は極力、声量を落として呟いている。

 船室には他にも多数の客が居る。多くは気難しそうなインテリ老人。こんな場所で大きな声を上げては迷惑だ。この娘には既にそのくらいの分別がある。賢い子だ。

 タケオは彼女の肩に手を置いて言った。

「諦めな。この舟に真実の愛は重すぎたんだ」

     

 その頃、地球に残されたゼツーはゆっくりと動き出し、捨てられた本の所に向かっていた。ようやく他のゴミの中からそれを見つけ引っ張り出す。次にその縛り紐を丁寧にほどき、表紙をめくり、ゆっくりとそれを戻し、次の作業に向かった。

 未だ残っているヒマワリの種を探しに。

 本は綺麗にくりぬかれていた。そこには八匹の小鼠が寝ていた。


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