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「え……でも、僕、仕事」
「お前は俺を一人で原野に行かせるのか」
ウルフは馬の背にまたがった。そしてアルトを見下ろして無言で要求していた。
アルトは気の毒なぐらい動揺しつつ、馬の手綱を握り締めた。彼は泣きそうな顔になって、周囲に助けを求めるが、今は誰もいない。
何も言わずに馬の腹を蹴り、ウルフは前に進んでいく。アルトは綱を引かれて、あわてて馬に付き従った。
アルトは歩きながら、王子に「叱られます」と呟く。ウルフは楽しそうにくすくす笑ってその言葉を無視した。
「門を開けろー」
城門を守る衛兵たちが城外へ続く門を開け、ウルフの馬はゆったりと城をでていく。アルトは小走りで彼の馬を引き、長い坂道を降りた。
岩壁が城の周囲にひだのようにそそり立つ。まるで花が咲いているように見える白亜の城だ。城は太陽の光を浴びて燦々と輝いている。しかしながら、岩盤の隙間は日光が射さず、薄暗い。
次々と現れる白い岩盤のトンネルを潜り抜け、迷路のような道を通って坂を下る。しばらく行くと、ひだが途切れて青空と地平線が光と共に目に入ってきた。
二人は小高い岩の上から、広々とした城下街を見下ろす。
「……行こうか」
「はい」
仕事の途中で無理やり連れ出されたにもかかわらず、アルトは思わず笑顔で頷いてしまった。ウルフは彼の穏やかな笑みを眺めて、嬉しそうに微笑む。
ザヴァリア国の王都・カプルアは、城を中心とした同心円状の街だ。この国でもっとも大きな都。
城から街までは長い谷ができており、美しく大きな架け橋がかかっている。
深い堀を越えると、急に雑然とした空間が広がった。敵の侵入を防ぐために入り組んだ道になっており、視界はすぐに遮られる。慣れた者でなければ、迷子になってしまう。
民は市を営み、王家に仕える宮廷御用達の職人たちが多い。彼らは、ウルフとアリシアの婚礼を何よりも喜んでいる。彼らの仕事は城の宮中行事に付随して成立しているのだから。
「あの予算で最低限の式を挙げたって誰も喜ばないぜ。こいつらに仕事やらねえと……」
ウルフはいつの間にか浮かない顔になって、馬上で思案し始めた。
王はその存在だけで、民に愛される。それが彼らの生活の糧となるからだ。ウルフは祖国で贅沢こそが美徳であると学んだ。王が贅沢をしなければ、民はどうやって仕事を得るだろう。
国民に富を生み出させるのが王家の勤め。新たな富を作り出せない王子など、この国には不要だ。たとえ金が無くても、新たな雇用は作らなければならない。
清貧をよしとするザヴァリアの気質が理解できない。
ウルフは思い通りに行かない現実を思ってため息が出た。異国に一人、理解者もなく、途方も無い挑戦をしようとしているように錯覚してしまう。
アルトは主君の機嫌に気がついて、声をかける。
「輝殿下」
「んー?」
「あの……今日は、浮かない顔なんですね」
「うん」
「――あ、あの」
「…………」
「ごめんなさい。変なことを言いました」
アルトは彼にかける言葉が浮かばずに口を閉じた。慰めの言葉をかけることができない。恐れ多く感じられたのだ。王侯の苦しみを一介の従者が理解できるわけがない。
ウルフはようやく気がついて彼に目を向ける。真っ赤な顔をして落ち込んでいる少年を見たら、妙に優しい気持ちになった。
「アルト、乗れ」
ウルフは彼の手から手綱を取り上げて、あごで後ろに乗るように指示をした。
アルトはボーっとしてウルフを見上げていたが、しばらくして、恐れ戦きながら「ダメですっ!」と悲鳴を上げた。
王族の馬に、ただの小姓がまたがるなんて許されない。
しかしながら、ウルフは有無を言わせず彼の腕を引っ張って、上げてしまう。
「ぅひゃああっ?!」
「お前、すっごく軽いぜ」
ウルフはアルトの体を小脇に抱えて、馬を走らせた。
少年を一人片手で担いでも、ウルフの腕は力強く、びくりともしない。アルトは王子の腕にしがみつき、必死で馬の背にまたがった。ウルフはにっこり笑って彼から手を離し、「ハアっ!」と勇ましい掛け声を上げた。
人が二人すれ違って通れる程度の辻道を馬で駆けていく。街人はウルフの馬がやってくると、あわてて道を譲った。戸口に身を潜めてやり過ごす。
アルトは王子の背にしがみついて、空を見た。
彼らの頭のすぐ上を、細いロープにかけられた洗濯物がひしめき合って揺れる。生成りの布がはためいて、青い空の下に白いトンネルを作っていた。白い布がはためいて太陽をちらつかせた。ごちゃごちゃした街を駆け抜けて、女性の悲鳴がこだまする。
いつのまにか王子と共にアルトは大きな声をあげて笑っていた。薄暗い路地を走りぬけ、城壁の外に広がる原野へと向かう。
城壁の外はなだらかな草原が続いていた。何処までも続く果てしない地平。
広くて自由で爽やかな世界。
二人が城壁の外から帰ってきたのは、日が暮れてからの話。
アルトはその日の夕食を口にすることが出来なかった。仕事をサボっていたのがばれたからだ。しかし、弁解せずに罰を受け、何も食べずに床に就いた。
ウルフがその事実を知ることは無い。それが王族と小姓の関係だ。
しかし、アルトがその後もウルフの寵愛を受けるようになったのは言うまでも無い。彼はたびたび飯抜きの罰に苦しむことになった。