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「姫様、できました――まあ、今夜もとてもお美しいですわよ」
いつも通り褒めてくれる侍女たちに笑みを返して、アリシアは立ち上がった。
今夜のドレスは黒だった。煌く銀河のように宝石を散らしてぬいつけてある。スマートな体型を強調し、さらに細く見えた。少し大人っぽいドレスで、胸元が開いている。彼女の白い肌が艶やかに光って見えた。彼女の長い金の髪がよく映える。
扉を開けて外に出たら、正装した王子が窓辺で待っていた。
窓枠に腰掛けて、外に足を出し、ぶらつかせている。夜空を見上げて、口笛を吹いている彼は自由奔放な男性だ。豪華な衣装を着ているのに、全く高貴な匂いがしなかった。草原を駆け巡る子供が王子の格好をしてしまった、というような形である。風になびいている彼の黒髪が繊細で美しかった。
不意にウルフは口笛を止めた。振り返ってアリシアを見る。
アリシアは緊張して背筋を伸ばした。彼は褒めてくれるだろうか?
ウルフの顔に驚きは見られない。彼はしばらく姫をじっと見て、ようやく窓辺から離れた。少し困った顔になっている。
彼のその顔を見たとたん、アリシアは悔しくなった。彼のために着飾っているのに、彼は今夜もアリシアのドレスが気に入らないようである。
しばらくして彼は話しかけてきた。
「えっと……【今夜のドレスはとてもよく似合う】」
「心から思っていないなら、口にしないで下さい」
「……可愛くねぇの」
ウルフはアリシアから目をそらし、小さな声で不満を漏らす。
アリシアは彼の呟きを聞いて、胸が痛んだ。折角ほめてくれたのだから、素直に「ありがとう」と言えば良かった。今更後悔しても出てしまった言葉はもう戻らない。
彼に嫌われた、と思ったら、哀しくなった。
晩餐が終わると、ウルフはさっさと部屋に帰ってしまった。
「あーあ、つまんねー」
堅苦しい上着を脱いで、振り回しながら自室へ向かった。彼は正装が大っ嫌いだ。でも、アリシアが毎晩ドレスを着るので、嫌々ながら身なりを整えている。
それが、あの仕打ちである。彼女は食事中一言も口を開かなかった。息苦しい会食だ。もう少し優しくなってくれても罰は当たらないだろう。
彼女が自分の妻になる。
つまらない新婚生活になるだろうと思った。
「これが政治の世界か」
ウルフは自分を納得させるように呟いた。これが政略結婚なのだと実感する。
毎晩、ドキドキしながら彼女の部屋に迎えに行く。でも、彼女が自分に好意を抱いてくれたことは一度も無い。どうやったら笑ってくれるのか判らない。
ウルフは上着を壁にぶつけた。むしゃくしゃして、自分に怒っていた。
普段はつつましく肌を全て隠している姫なのに、今夜は胸もとの開いた服を着ていた。彼女の白い肌に興奮して、ウルフは言葉を失うほどショックだ。彼女に触れたかったし、もっと近づきたかったが、潔癖な姫に嫌われないように面目を保つことで精一杯。
手に入らない女なら、忘れてしまえばいい。
だけど、彼女の肌の色を忘れることが出来ない。触りたい……。
叫ぼうが暴れようが何をしようが、心は自由にならない。しまいには、暴れ疲れて、観念してしまった。彼は壁にぐったりともたれて囁いた。
「ぅうー……今すぐ抱きしめたい。結婚式まで我慢できるもんか――ちくしょう」
男の性を逆手に取られて、彼女の思うがままである。嫌いな正装までするようになった自分を省みて敗北感にとらわれる。祖国では晩餐なんて無視してやりたい放題だったのに、彼は大人しくなってしまった。
彼女は完全無欠の女神である。扱いを間違えたら、一生苦しむことになる。
彼女に愛されて大事にされたい!
体を引きずって廊下を曲がった。
「きゃあっ!」
「ぃっ?!」
突然聞こえた女性の悲鳴にびっくりして、ウルフは反射的に手が出た。頭で認識するよりも先に、反射神経が動く。角を曲がってすぐ、人にぶつかってしまった。大きな荷物を持っていた侍女がギョッとした顔でかごを抱きしめていた。
二人で零れ落ちる布地を押さえて、動きを止める。
ぽろぽろと落ちていた小道具の動きが止まり、ウルフはほっと息をついた。侍女は泣きそうな顔で床の上を見つめている。
繊細な刺繍のついたレースが落ちていた。
ウルフはかごから手を離して、大急ぎで床の上に落ちた刺繍を拾い集めた。
「許せっ! 前が見えなかった」
「私こそ、前が見えずに……ぎゃあああっ! 輝殿下っ?!」
「うわァ……すっげぇ細かい刺繍」
「いっ、いっ、いっやァあああーっ?! 破らないでぇーっ!」
彼女はかごを床において、彼の手から刺繍を奪った。
刺繍をほめてやろうとしたのに、過剰な反応で取り上げられてしまった。