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本部ビルのロビーで、役員らしい自前の背広を着た小柄な男が部下の若い男と車寄せから入ってくるのを見つけた。ジェロは駆け寄って、温田常務、と声を掛けた。温田はジェロの顔を覚えていたらしく、エレベーターホールに向かう足を止めずにジェロに頷いた。
「プラスに子供を産ませるとは、小川さん、無茶苦茶だよ。」
必要以上に早足の温田に合わせ、ジェロは横並びで言った。
「製造部にユリエの出産処置を断られました。常務のご指示でしょうか?」
「現状を正確に把握するのが先だ。事が大きくなるようなら先に手を打つ必要がある。弁護人に相談して小川と須藤を告発する準備をしている。その女には関わるな。彼らの反社会的行為にフタバは関与出来ない。」
ジェロは温田にかぶさる様に足を速める。
「フタバの技術がなければユリエは出産はできません。」
「元々無理な計画だ。胎児の今の状態が分かるのか?」
温田は決め付けた。
「ユリエの身体は出産能力があります。彼女は既に一人子供を産んでいます。」
「小川の起した事故だ。プラスが子供の出産をしたと聞いて、世の中はどう反応すると思ってる?流れ方次第ではプラスの存在そのものに関わる事態だぞ。」
役員用のエレベーターが温田に合わせて扉を開いた。
「挽回出来ない事じゃありません。フタバが人命を尊重する事を示すべきだと思います。」
「出来なければ我々は人殺しにさせられる。小川の尻拭いでだ。」
「フタバなら胎児は助ける事が出来るはずです。」
温田を追ってエレベーターに乗り込もうとしたジェロに部下の男が手を添えた。
「役員用だ。」
「待ってください!」
ジェロと部下を残して温田は扉を閉めた。部下の男がもう一度ジェロの肩を叩く。
「その女の件は製造部が調査を引き継ぐ。管理部は撤収するように頼んでいるはずだが?」
ジェロは男に目を向けた。男は温田といつも一緒にいる製造部の役職で、顔は知ってるが名前は覚えてない。
「そんな話は部長からは聞いてない。何でサービス課が出て来てるんだ?警察要請は無いはずだ。」
男はうんざりした口調をあえてした。
「粗探しはもういい。トラブルの表面化の前に対応出来た事は管理部の手柄だ。それでいいだろ。」
粗探しという言葉は管理課が社内の問題提議をした時に、対象部署がよく使う。この男は本音をぶつけて来た。
「粗探しって何だ?ごまかしで凌げる事じゃないぞ。赤ん坊を死なせてしまったらフタバは終わりだ。」
「極端な言い方で必要以上に事を荒立てるな。」
ジェロは部下の男を睨み返す。
「命に関わる事だぞ?」
「数十万人のフタバ社員とその家族と全プラスの生活にも関わる事だ。この件は幹部の判断事項だ。」
にらみ合った二人の言い合いはどこまでも違っていた。
ジェロは確信した。こいつ等は製造段階の不備を「部外者の無理な実験」にすり替える事が出来ると思っている。強引で正当性の低い判断だった。製造部が最優先にしているのは生命への姿勢でも会社の危機の最善の対処でもなく、自身にかかる責任についてだった。
日頃のトラブルなら多少の損害が出る事が分かっていても、じゃあ勝手にしろ、と手放す時もある。
今回の事はそうはいかなかった。
空のコンテナが2、3台格納されている小さな車両基地の建物があり、屋上に上がると、詰所のような白いプレハブ式の住居階層があった。屋根の上をすれすれに通過し河川沿いにあるドーム建築へむかうカーボンロープの束で、近所の高いビルからは目立たなくなっている。街中にありながら人々の生活の流れから取り残され、忘れ去られて風化した様な場所だった。古びた透明金属の玄関扉が2つ並んだ通路はきれいに清掃されていて住まいとしての体裁を保っているが、部屋に人の住んでいる気配はない。ウェンはノートを開き、場所が間違いで無い事を確認した。手摺の付いた通路を奥へ進む。突き当たりにレンガで花壇が作ってあり、背の高い花が咲いていた。土をいじっている途中のようで少し散らかっている。花壇の前を回り込むと窓のカーテンが開いた部屋がもう一戸あった。通路側の窓から部屋内が見えている。室内は間仕切り壁のない広い生活空間になっていて、少しの家具と旅行者用の薄いピンクのスーツケースが玄関わきに置いてあった。
家財の少なさはプラスの住まいの特徴だった。ウェンは開きっ放しの玄関扉の前で足が止まった。
中に、女と背の高い男が向かいあって立っていた。
入口側の男はウェンと同じフタバの背広を着ている。手に何かを握っていた。木のテーブルをはさんで、女は両手で鍬を掴み、金属の先端を男に突き出している。
無言のまま二人は次の瞬間にも激突しそうで、ウェンはためらう猶予もなくゆっくりと室内に踏み込んだ。
さっと二人共がウェンを見て、すぐに対峙する相手に顔をもどす。女は普段着を着たルウだった。
ここがユリエの住居だ。気配を探すがユリエが居る様子はない。
「どうなってるんだ。」
無言の二人のどちらにでも無く、ウェンは言った。
「管理のウェンだな。」
低い声でつぶやいた男はルウから目を逸らさなかった。でかい図体と太い眉が他人に威圧感をあたえる。ウェンは間近に男の横顔を見た。軍人仕様の、サービス課のプラス社員を見るのは初めてだった。
「握ってる物を仕舞え。」
ウェンは男が握っているのが電撃警棒だと気付く。
「この女性は凶器を私に向けている。」
男はウェンの言葉を聞く気はない。ルウが手に持った鍬は普通の女性が構えられる重さではないはずだった。
「ただの鍬だ。それを仕舞え。」
落ち着きを加えて、ウェンは繰り返した。
「ここから出てって!」
ルウが叫び、ジリッと足を摺らせる。ウェンはさっと手のひらでルウを制止した。
「僕を覚えてるか?」
ルウはすこしもウェンを見ない。否定はしなかった。
「こんな事君がする必要は無い。その鍬を置いてくれ。」
「フタバは勝手に人の家に入ってくるの?こんな事許されないわよ!」
「逃げるそぶりがあったからだ。私はフタバ社サービス課のゾゾだ。あなたを逮捕する任務がある。」
ウェンは眉をひそめる。男の使った言葉には違和感があるが、今はルウとの話が先だ。
「この人はユリエじゃない。」
ウェンは男に言い、男がピクリと反応する。ウェンはだまって男をにらみ続けるルウに言った。
「ルウ、俺は君達を探していた。話がしたい。」
「出て行って!」
ウェンを見ないルウの叫びに男がじりと足を摺らせる。
「ユリエと言う女はどこだ?」男は態度を変えない。
「それを仕舞え。彼女は人に危害を加えたりしない。」ウェンは男に言った。
ルウが正面になる様に男の横へ寄る。
「ユリエの様子を知りたい。」
ウェンは声を低く保った。
「ユリエのしている事は分かっている。」
刺激を与えないようにウェンは言い、一言ごとにルウの反応を見る。
「勇気君の事も知ってる。」
「フタバには関係ないわ。」
ルウが構えたままで答えた。ウェンは一度目線で男を制止する。
「君は小川ラボにカルテを取りに行った。ユリエは危険な状態じゃないのか?」
ルウの視点が小さく遷ろう。
「小川ラボでどういう改造を受けたのか、俺たちは調べてる。今のユリエは子供を産める体じゃない。」
ルウの目がまたチラリと窓側に行った。奥側の壁に掃きだしの窓があり、テラスが外部に続いていた。
「彼女と、子供を助けたい。」ウェンは訴える。
「本当に妊娠してるのか?」
肝心な所を男に言われ、ウェンは苛立つ。
「だまってろ。」
カン!とルウが鍬を落とした。ルウと男が同時に窓に走る。
「待て!」二人の瞬発にウェンはついていけない。
ルウが飛んだのは窓ではなかった。横の仕切り戸をぶち破り、ルウは中に飛び込んだ。男の動きが空振りになる。戸には奥があった。ウェンと男はルウの開けた穴でぶつかり、押し合いながらルウを追いかけた。スチールの階段が下に繋がっている。ルウはもう階段を下りてしまっていた。狭い階段をかけ降りると車両基地の内部だった。架設通路の下に古びたコンテナが格納されている。ユリエの部屋は元々は基地の一部だった様だ。ルウは細い通路の向こうで、鉄扉を開けて外へ出ようとしている。体格が妨げになり、二人はルウに追いつけない。
「ルウ、待て!」
ウェンの大声が構内で割れる。ルウの逃走経路は練り込んでいたらしく複雑に折れ曲がり、ウェンとゾゾを振り切ろうとした。丸まった天井のトンネル通路に出て自分達が地下にいる事が分かる。トンネルは地下農場に繋がっていた。通路の両側に菜園室が区画を分けられていて、ガラス壁の向こう側は野菜室で職員が耕運機を押している。地下菜園が何階もの層になった構造が走り抜けた路地から見える。自分達がどこを通っているのか、もうウェンには分からない。
標識と広告が貼られた公道の途中でルウは逃げ道を失くした。寂れた商店街の様に両側の脇道は全て閉じられている。直線を走ればゾゾが早い。ルウはさっと向きをかえ、エアシャワーのある部屋の入口に飛び込んでいった。
扉に「受粉作業中」と自光文字が点いていた。押し開けた部屋は白い空間だった。ウェンは目を細め、走る事が出来なくなる。人工の濃霧が白い光を乱反射していた。鼻の先に金属の棚が現れる。並べられた棚には一つ一つの段に光源がつけられ、花の付いた野菜が栽培されている。奥で物音が聞こえ、ウェンは叫んだ。
「ルウ!」
棚は高く積まれ、どこまでも続いている。闇雲に奥に向かった。突然現れる脚立にぶつかりながら、同じ様に障害物にぶつかっている物音を追いかける。
「おい、どこだ!」遠くで声が聞こえた。気付けばサービス課の奴も傍にはいなかった。
白い光が弱い箇所に、扉が見えた。扉の丁番のきしむ音が聞こえていたような気がする。扉に掌を押しつけると、パシャリと水気が弾けた。扉の外は別の広い農地になっていた。床に土が敷かれ、何か緑の芽が並んでいる。踏み出すと靴がポン、と音を立て、気付くと全身がずぶ濡れになっていた。顔にへばり付いた髪をかきあげ、敷地を見渡すがルウは見当たらない。土の畑を走りぬけ、また通路に出た所で立ち止まった。長いコンクリートの通路に幾つもの分岐や入口があり、作業着の若者達がぱらぱらと歩いている。左右を交互に見たがルウの姿は無かった。ウェンは通路の天井に筒状のカメラがぶら下がっているのを見上げる。湿った背広の胸から苦労してノートを取り出し、ジェロにコールした。
「ルウに逃げられた!ユリエの家だ!」
ジェロは瞬間で対応した。
「ルウだけかい?」
「ユリエは居ない!ルウだけだ!まだ近くにいるはずだ!」
「監視カメラのネットワークを使おう。フタバの入れるネットワークにルウがかかれば見つけられる。」
「すぐに分かるのか?」
「範囲を絞れば中央回路が画像追跡できる。ルウが交通機関を使わなければだけど。君はどこだ?」
ウェンは通路の標識を意味も分からず読み上げた。完全管理を山積みにしたこの街なら、きっと見つけられる。すれ違う若者がずぶぬれのウェンを大きく避けて通り過ぎる。
「サービス課の奴はどういうつもりだ、警棒を持ってるぞ。」
「会ったのかい?ゾゾってやつだ。製造部はユリエの出産処置を拒否した。」
「子供の無事がフタバの要じゃなかったのか?」
「ユリエの事を須藤と小川の問題にするつもりだ。奴らは子供が生まれない方が都合がいいんだ。」
ウェンはピクリと眉をひそめた。自分の血流が上がってくるのがわかる。
「ウェン、常務は保身に走ってるがそれは僕らには関係ない。」
ジェロははっきりと言った。
「ユリエの処置はどうなる?」
「プラスサポートに運ぶ。君達を再生したドクターがやる。」
ジェロは次の手を打っていた。プラスサポートが出来るのなら製造部に頼る必要はない。
あのゾゾって男は武器を持ってうろついている。奴を彼女達には近づけたくない。
ウェンの脚はまた走り出していた。




