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未満の月  作者: 粒子
6/10

 フロアを通り抜けていく風に潮の香りが混じる。全階層を吹き抜けにしたドームの最下層に水産エリアがあり、海から引き込んでいる海水が海溝の様に深い金属の谷間に上昇気流を作る。上層のフロアに潮の香りが届くのはいつも大体夕方ごろになる。

ユリエは花を摘む手を止めて、指の付け根の時計表示を見た。籠一杯のカモミールの花を脇に抱え、畑の真ん中にある木調のデッキに上がった。今日一日で大方の花を摘んでしまい、朝は白と黄色の賑やかだった畑が、残された緑の茎色の畑に変わっていた。つぼみをつけた茎が沢山残っていて、数日後にはまた白い花でいっぱいになるだろう。ユリエはハーブ園を見渡してルウを探した。ルウは初めてする花の作業が楽しいらしく、傾斜のある花畑を公道の傍まで降りていた。境界を示すグレーの畦を越えてしまっている。

「ルウ、そこはうちの畑じゃないわ!」

 ユリエはさけんだ。

 ルウはえーっと答えて立ち上がり、周囲をきょろきょろと見た。ハーブ畑はどの農園会社も副業の扱いで、今日は周りの畑には誰も来ていない。遠くの畑に二人、帽子をかぶった人が屈んで作業をしているだけだった。握っていた花をじっとみつめ、そっと地面の茎の上に戻してみる。花はころりと地面に転がった。

 二人は顔を見合わせ、声を出して笑った。ルウは花びらの詰まった大きな籠を両手で抱え、小路を登って来た。

「さっき、タロウの屋台に行く途中にフリージャの畑を通ったわ。窓が大きくて、広くて、向こうのドームに豚がいるのが見えたのよ。」

 ルウは籠を持ち上げてユリエの居るデッキに乗せた。「地上階に新しい学校もあったわ。すごく明るくてきれいな所よ。」

 ユリエは籠を受け取り、デッキの端のワイヤ―ロープが固定された柱の所まで運ぶ。ワイヤーに籠を引っ掛けると、籠は自動でワイヤーをつたって上昇した。

「あの辺はだいぶ雑草が入ってきてるわ。」

 ワイヤーロープは自発光の天井で水平になり、畑を横断してくねくねと方向を変えながら谷間の向こう側の断層に続いている。花畑の一番奥のビニール壁に作業マニュアルの画面があり、それによると花は乾燥室へ運ばれていると言う事だった。

「いいじゃない。あそこの土地を借りようよ。私たちの農園を作るのよ。」

 ユリエが全部の籠をワイヤに掛ける間ルウはデッキに腰を上げて座り込み、花びらでいっぱいの籠が並んで畑の上を谷間の方へ向かうのを眺めていた。

「タロウ、薬はいつ出来るって?」ユリエが最後の籠が上っていくのを見送りながら言った。

「明日。処方箋が要るとか、つべこべ言ってたわ。」

 ルウは少しためらって付け足した。

「もう少し待って様子を見たほうが良い。薬はなるべく使いたくない。」

 ユリエはうん、と頷いた。

「私が明日取りに行くわ。」

 公道の突きあたりのビニール壁の通用口に、若い男が現れる。フロアを眺めてユリエとルウを見つけ、小道を登ってきた。ユリエと同じグリーンのエプロンとキャップがだいぶ擦り切れている。

「やあ、ここの担当はどっちだい?」

 若者はルウを見て話しかける。ルウはニコリと愛想を見せた。「私は手伝ってるだけ。」

 自分がよその畑に入ってしまった事を咎められるのでは無いようだ。

「私よ。」ユリエがデッキの端で余った籠を重ねながら答える。

「僕がここを引き継ぎする様に会社に言われたよ。君は明日から休みをとるんだろ?」

 若者は言った。肌の白いこの若者は多分プラスだ。

「急にごめんなさいね。本当は来週のつもりだったんだけど、予定が早まったのよ。」

 ユリエが言うと、若者は手を広げ、問題ない、とジェスチャーした。

「気にする事ないよ。丁度野菜の収穫時期が終わった所だ。」

 若者は遠慮がちにユリエのお腹の膨らみを見る。

「妊婦さんかな?」

 ユリエは自分のキャップを取ってデッキに引っ掛け、夕日色の光源を遮るように目を細めて微笑んだ。

「そうよ。」

「いつの予定だい?」

 ユリエはルウを振り返り、ふふと笑う。いつかしら、と足元が見えない位に大きく膨らんだ自分のお腹を見た。

 ルウは少し、表情を硬くする。

「明日かもしれない。」

 ユリエが言うと若者は驚いた顔をした。

「大変だ。」

 ユリエの揺ぎ無い微笑みを、ルウは黙って見つめていた。

 

 

「女性のみが持つ出産という奇跡のプログラムはそもそも百パーセントの成功を前提としてはおらず、人間の意思や希望を超越した領域で決められる結果に私達は対応していくしかありません。生命連鎖の無作為な選別は時には非情で、」

 小川ラボと佐々木家に調査に行った事をジェロから聞かされ、須藤は隠し事をする気はないようだった。ジェロは須藤の診察予約の空いた時間に面会の約束をしていた。老いた女医は院長室の自分のデスクから演説をぶったが、誰でも知っている事に飾りをつけただけの話はジェロには通用しなかった。

「佐々木家の経緯についてのお話は結構です。今現在のユリエという女性の行動が、僕がお伺いした理由、フタバ社とプラスにとっての脅威となっています。小川さんが亡くなって破綻したはずのビジネスの研究を、先生はユリエと再開させてしまった。」

「彼女はこのクリニックに現れて、自分の子供を産みたいと言いました。研究と言うよりも、私は彼女の願いに医者として応じただけ。」

「彼女はプラスです。ヒトでない者がヒトを作る事は許されない。」

 須藤は開いた口の奥から、声を出した。

「誰ならその資格があると言うの。みんな日々、今を凌いで行く事で精一杯でしょ。道徳、倫理は常に後から付けられるものだわ。」

「先生、倫理の話をしている時間は先生にも僕にもありません。ユリエにその胚移植をしたのはいつですか?」

「しばらく前の事になるわ。」

「今度ユリエに会うのは?」

「ユリエとは術後会ってない。彼女は妊娠していない。」

 ジェロは表情を変えずに須藤の言葉を聞いた。

「どうしてそれが解るんですか?」

「ここに勤めていたルウからの報告よ。ルウを通じて私は何度も検査を受けに来いと言ったわ。術後にここに通っていれば心のケアもできたけど、ユリエはすぐにどこかの、児童施設で事件を起した。」

 保育園の事件の時。ジェロは日数を頭の中で数えた。

「僕の調査で、ここにいたそのルウと言う女性がある遠方の町の屋台で買い物をした履歴が出てきました。彼女はそこで同じ額の買物を先月まで定期的にしています。」

「屋台ってなに?」

「農園都市によくある日用品販売の移動店舗です。ルウが買物をしているのはプラスの栄養素ドリンクや薬剤なんかを扱う店です。ルウはこのクリニックの近くに住んでいて、生活に必要なものは緑ヶ丘で買うはずです。遠方の町でわざわざ彼女が購入していたものがわかりますか?」

 須藤は机の上で合わせた両手で自分の唇をさすった。女医はすぐに答えを悟った。

「栄養剤。プラスは僅かな栄養素で活動出来るから、胎児を育むためにはプラスの通常の食事以外の栄養素を毎日摂取しなくてはならない。」

「確認はできませんが、僕らの常食のボトルドリンク以外の栄養剤だとすれば、ユリエは妊娠に成功しています。」

「彼女達は私と組む気が無かったと言う事ね。私は利用されたのね。」

 ジェロは須藤の顔をじっと見た。自分の身体で代理出産を請け負うとユリエが須藤と約束を交わしたとは思えないが、須藤はそのつもりで居たようだ。須藤が結果的に騙された事自体は本当の様だったが、ユリエの起した事件は須藤の計画するビジネスには致命的な反則行為のはずだった。須藤にとっても、商品価値の無くなったユリエにどこまで興味があったのかは解らない。

「貴方の調査が本当なら、彼女は一人で子供を産むつもりよ。」

「予定日は出るんですか?」

 須藤は机のノートを片手で掴んだ。書き込みをしたカレンダーを表示させ、指で月日を追った。

「ヒトと同じよ。四十二週間で正常に出産する。」

 ノートの画面がパラパラと表示を変えていった。「来週ね。」

 昨日までに回路の出した調査資料から、既に予想していた通りの答えだった。ルウの購入の履歴は先週まで続いていて、胎児が成長を続けている事を示していた。ジェロはすっと窓の外を一度見て、苛立つ気持ちを抑えた。

「ユリエの出産はどんな方法ですか?」

「骨格の発達がないプラスにとって一番安全な方法だわ。彼女は人工子宮を取りつけるためにお腹に切開細胞を埋め込まれている。信号受信によって体壁が開き、自然治癒で閉じる。出産期に子宮の収縮が始まると体内信号を受信して作動し、下腹部の皮膚細胞が切開状態になるようになっていて、胎児は子宮壁と皮膚層に出来る切れ間が産道になって押し出される。7年前、彼女は腹部から自然出産をした。」

 フタバ社の回路にある設計理論と同じ方法だった。昔から社内にあった理論はおそらく小川がフタバに居た時に考えた物だ。高速で進歩した子宮技術が何年も前に理論を可能にしていたのに、フタバは検証すら出来ていなかった。

「彼女が体改造を受けたのは何年も前の事です。プラス医療で書き換えられた遺伝子は変動します。ユリエの身体が当時の状態を維持していると考えるのは間違いです。彼女が妊娠に成功していたとしても、どこかの時点で不具合が生じます。」

「その心配は考慮していたわ。ユリエの分娩をフォローする促進剤の設計図もある。」

「先生が設計したんですか?」

 ジェロは回路の設計理論を勉強し、促進剤の準備についても知っていた。専門分野の明らかに違う製薬設計が、この医者に出来るはずはなかった。

「小川君が彼女を改造した時に書き変えた遺伝子のデータを基にした促進剤の構造式を作っている。ユリエの身体がうまく分娩の態勢ができなかった場合に備えてだったけど、7年前は必要無かった。」

「7年前出産に成功したのは小川さんがいたからです。今のユリエに出産はできません。胎児が死亡したら先生の行為は殺人に等しい。」

「臨床としての私は常に現場で患者と向き合い、患者の気持ちを大切にしてきた。この事はユリエへの医療行為だと思ってるわ。中傷を受ければ法に準じて争う。」

 須藤はノートをたたみ、ジェロをにらむ。「貴方はどうしたいの?」

 ジェロは須藤の牽制に応じない。須藤への対処に時間を割いている暇はない。事態は後戻りのきかない所に来ていた。プラスがヒトの生命を弄び死なせてしまった、と言う結果は絶対に避けなければならなかった。

「胎児の安全が最優先事項です。ユリエに、フタバで子供を産ませたい。」

「ルウ君は一昨日私の居ない時間にいきなり辞めていった。私は彼女達の居場所は知らない。ルウ君の住所は貴方の会社に登録しているでしょう?」

 開き直る口調で須藤は言った。嘘だとは思わなかった。ルウの住居はビル管理会社によると昨日解約になっていて、慌てて出て行った様子が伺えた。須藤は、自分がユリエを隠す必要は無いと思っている。背の高い大型の椅子に落ち込んだ老人はもう他人の意見に耳を貸す年齢ではなく、ユリエやルウが今後接触してくる可能性もない様だった。

 ジェロは自分のノートへ目をやった。さっきから誰かが自分に電話をかけている。表示に部長の名前が出ていた。 

 ジェロは立ち上がった。必要な事は聞いた。これ以上須藤に話を聞いて苛立ちを募らせても仕方が無い。何も言わずに背をむけたジェロに、須藤が追いかける様に言う。

「彼女は自分で出産が出来ると言ったわ。私がプラスの構造は専門外な事も分かっていて私の所に来たのよ。」

 ジェロは返事をする気もなく部屋のドアを押したが、途中で手を止めた。

 くるりと向き返り須藤を見下ろした。

「促進剤の設計図は小川ラボにあるんですか?」

 須藤は首を振った。それがどこにあるのか知らなかった。

「ルウ君の話よ。そういう設計図があると聞いた。小川さんのカルテの中でしょう。」

 ジェロはウェン達がラボの報告で言っていた事を思い出していた。小川ラボでの騒動の原因は誰かがラボの玄関ドアの鍵を壊していたからだった。

 ルウが設計図を取りに行ったんだ、と思った。

 促進剤を彼女達が必要としていると言う事は、ユリエの体調にすでに異常が発生しているという事だった。

「促進剤は薬局で調合するホルモン剤よ。彼女がそれを必要としているならその屋台のドラッグストアで入手する気じゃないの?」

 老人の言葉は自身の迷いを表していた。今までの中ではましな発言だった。これ以上の話は無意味だと解っていたが、ジェロは自分を抑え返事を返した。

「今、僕の仲間が現地へ向かっています。」



 菜市に市民登録されている一千人以上のプラスのIDから、フタバの中央回路は幾つもの条件を仮定して一晩中かけて全員の詳細を選別し、朝には十人程に該当者を絞り込んでいた。ウェンとフォルトは鉄道で菜市に行き、朝からリストに名前のある人物に直接会いに廻っていた。リストの中に含まれているどれかのIDがユリエの使っている偽造IDのはずだった。

「次は何処だ。」ウェンがノートにつぶやくと、ノートは次の訪問先を表示させた。モノレールですぐの距離と書かれている。

「モノレールで移動だ。」フォルトがウェンのノートに連動した自分のノートを見て言った。

 ウェンは丁度自分達の斜め上に見えるモノレールの停留所を見上げた。一定の間隔で平行に設けられた何本ものモノレールのレーンが街を東西に櫛の目を通すように流れ、交通の主となっていた。モノレールの連絡網を補うように垂直に交差するゴンドラのカーボンロープが幾重にも張り巡らされ、街は縦横の流れで流通を管理している。この街の農作物は全て建物の中で生産され、ゴンドラで運ばれて出荷される。コンクリートの高架橋と鉄塔が、ガラス張りの農園ビルの間々に乱立し街の見通しは良くなかった。大都市のはずなのに街の人々が何処に行っても集中しないのは、地価を抑制する為の都市計画によるものだと思われる。車道を流れる車は貨物車が大半で、乗用車はあまり見かけない。街中にレンタカーが無く、二人の行動も交通機関だった。菜市はウェンが想像していた農園都市の様子とはかけ離れていた。

 回路が決めた周回リストに沿って順番に人物を訪ねていた。駅ビルの清掃員と燃料用穀物菜園のトラクターの運転手、もう一人は何かの工場に勤める女性だった。

 4番目の候補者は大通りの屋台のパン屋の売り子で、ユリエには似ていない。ジェロはユリエがすでに妊娠していて、正産期が近いと予想していた。無事に胎児が成長していれば、ヒトと同じように妊婦の体型になっているはずだった。

「フタバの人が何の御用?」

 売り子は愛想よく言ったが、ウェンの要件はもう済んでいた。

「人を探してるんだけど君じゃ無かった。」

「おあいにくね。」

 ウェンは4回目の体裁顔をした。「ID登録を基にして廻ってるんだ。気にしないでくれ。」

「どんな人を探してるの?」

「プラスの女の人だ。僕の顔見知りなんだ。」あまり店員の気を引かない様に話した。店は開けたばかりのようで、店員はパンを並べるのに忙しい。

「この街にプラスは大勢いるわよ。あなた達はよその街から来たの?」

「フタバ本部から来たんだ。」

「ごくろうさま。お弁当は要らない?」店員はサンドイッチのパックをつかんでスマイルを返す。

「僕等もプラスだ。」

「ミネラルウォーターもあるけど。」

「今はいいよ。栄養素ボトルはあるの?」

「3時まではお弁当だけのお店なの。」

 ウェンは頷いた。3時からはどうなるのかを聞く気はなかった。パンの棚を見ているフォルトに次、と合図した。

「妊娠してるプラスの事?フタバがわざわざ探しに来るなんて。」

 ウェンはピクリと店員を見る。ノートを見ていたフォルトもさっと顔をあげた。

 判り易い二人の反応に店員は目を大きくして見せる。

「うわさを聞いたわ。ドームの方に最近お腹の大きなプラスの女の子が居るって。」

「どう言う話だろ?」

「それだけよ。私達は色々な所でお店をだすのよ。皆、色んなうわさを聞いてくるわ。」

「お腹が大きかったのを見たの?」

「誰かが見たらしいわよ。」

「どこで聞いた話?」

「覚えてないわ。」

 並んだパンの棚で足を止めた作業服の男達がざっと棚を眺め、注文を言った。はあい、と店員は対応に忙しくなる。少し待ったが何処かの農園が昼休みになったらしく、客はだんだん増えてきていた。

「ドームってどこの事?」

 店員は客に割り込むウェンを見て、パンを紙袋につめこんだ。

「ドーム区っていう住所があるわ。地図で見て。」


 今日一番の重要な情報をノートに告げると画面に分かり辛い文章が並び始めた。ノートが本部の中央回路にアクセスしている。直ぐに算出された該当者は、一人だけだった。自宅の住所がドーム区の登録で、職場の登録が無い理由で回路の訪問計画では後回しにされていた。該当者の行動予定が判っていなければ訪問が無駄足になる場合もある。

 ウェンの調べた事はフォルトのノートにも同調される。フォルトがふと声を出した。

「ノートの端を見ろ。俺達のノートを誰かが参照してる。」

 ウェンのノートにも、画面の端に何かのサインが出ていた。

「ジェロじゃないのか?」

「違う。俺達以外だけど、ノートに指示を出せるのはフタバの社員だけだ。会社のやり方か?」

「聞いた事ないな。」

 鉄塔に付けられたリフトに乗り、ゴンドラの乗車口に上がった。山岳を登って行きそうな箱形のゴンドラが、この街の作物の輸送と市民の交通を兼ねている。野菜が満載されたビニールのゴンドラをやり過ごし、小さな乗車用の無人のゴンドラに乗った所でジェロからの電話が鳴った。

「須藤の話を聞いた。予想通りだ。」電話からジェロは言った。

「予定日はいつだ。」

「来週だ。多分まだ赤ん坊は大丈夫だ。」

「自然出産は出来ないんだな?」

「ユリエの身体には切開細胞が使われてるが間違いなく細胞は変動している。ルウが小川ラボに取りに行ったのはユリエのカルテだ。ユリエは自分の体が出産出来なくなっている事に気付いていて、促進剤を使うつもりなんだ。」

「促進剤って、ヒトの薬だろう?」

「そうだ。小川さんがユリエの体に合うように設計してるが、それは当時の話だ。回路に小川理論をシュミレーションさせた。今のユリエが出産が出来ないのであれば、同じように薬も作用しない。」

 ウェンとジェロの会話はフォルトの耳にも聞こえている。ウェンにつられてフォルトも厳しい顔をした。ゴンドラに座席は無く、狭い箱の中で二人は立ったまま難しい表情になった。

「ユリエの事はこの街でうわさになってる。妊娠してるプラスを見た人がいるそうだ。」

「時間が無い。多くの人が関わり過ぎていて、事が公になるのは避けられない。プラスが人命を損なってしまうのはまずい。報道業者の標的にされる前にユリエの子供の安全を確保したい。」

 ウェンは口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。半端な姿勢で始めたユリエの調査だったが、ウェンの意識は変わっていた。ユリエが新しい命をその体に宿しているのはもう疑いようがなく、もし赤ん坊を自分達が助ける事が出来るのであれば、それは放っておく訳にはいかない。それはウェンにとってフタバの失態をかばう為ではない。ウェンはジェロの会社の立場を優先した話し方が気になったが、口にはしなかった。

 ジェロを少し、信じるようになっていた。

「4件回ったが見当はずればかりだ。」

「その街にユリエは居る。落ち着いて探してくれ。促進剤の入手は屋台に関係有るかもしれない。屋台は注意して当たってくれ。」

 ジェロは思い出したように付け足した。

「今部長から連絡があった。サービス課のプラスがそっちに行ったそうだ。」

「サービス課だと?」

 ウェンも知っているフタバ製造部下の課だった。プラスの犯罪者に実力行使が必要な場合に警察要請で出てくる課だと聞いていた。

「製造部の温田常務の指示らしい。温田常務って言う人は実質フタバのナンバー2だ。調査を手伝わせると言ったそうだ。」

 通話はフォルトにも繋がっている。フォルトがウェンと目を合わせた。

「俺達のノートを覗いてる奴がいる。」

 ジェロに沈黙があった。

「本当だ。」ジェロは自分のノートをチェックしたようだ。

「覗いたのはそいつだ。俺達の調査資料を使って勝手にこの街で動いてるんだ。何をするつもりだ?」

「部長は判らんって言ってるよ。」

「それで終わりか?」

「ユリエの出産手術の段取りを打診してるけど、製造部は機嫌が悪い。まるで調査してる僕等が悪者みたいな対応で、うちの部長は及び腰だ。温田常務と正面から対立したくないようだ。」

「そんな事言ってる場合じゃないだろ。」

「わかってる。社内調整はぼくの仕事だ。サービス課の事も確認しとくよ。」

 最後にジェロは一番気にしている事を言った。

「ユリエをフタバで無事に出産させても、彼女が赤ん坊の母親になる事はヒト社会が認めない。それは彼女も分かってるはずだ。ウェン、君はユリエを見つけて、赤ん坊と彼女自身を助ける方法は他に無い事を説得しないといけない。」

 ウェンは口を結んだ。自信が有るわけではないが、今更誰か他の奴に任せる気はなかった。もし、ユリエが説得に応じなければ、フォルトに腕を引っ張らせてでも連れて行くしかない。


 ゴンドラはモノレールの停留所が連結されたポイントで高速軌道に乗り換えになった。ウェンは鉄塔に囲まれて空中に設置されたステージ型のプラットホームでノートに声をかけ、画面を見つめた。

「この後の予定はどうなってたっけ?」ウェンの目はモノレールの乗車口へもう向いている。

「次がユリエが金を振り込んだキャッシュポイントの確認、それからマーケットの洋服店勤務の候補者、それから屋台のチェックだ。」

 キャッシュポイントはユリエの足取りの確認だった。次のマーケットのような人の多い場所でユリエが勤めている確率も低そうだった。

「薬屋の屋台はもうすぐ移動の時間になる。今日を逃すと週末まで来ないそうだ。ジェロが促進剤の事を言ってたし、屋台は外せないぞ。」

 フォルトはウェンが考えている事が分かっていた。ウェンはさっき候補に入れたドーム区の一件の情報が誰かに読まれていた事を気にしていた。ウェンのノートにはドームの住所まで、ここからなら十分ほどで行けると表示されている。

「分かれよう。お前は予定通り廻っててくれ。屋台には戻ってくる。」

 

 

 弁当や日用品を扱う他の屋台は移動の時間になったらしく看板を落としたり、陳列を仕舞ったりし始めていた。店がコンパクトに折りたたまれると上空のケーブルが下りてきてゴンドラを引き上げ、店員を乗せたままそれぞれの納車場へ帰ったり、次の営業地へ向かったりしていく。医薬品販売のタロウストアは菜市の取り決め事で、あと一時間この場所で営業する予定だが、この場所での売上の見込みは少ない。田老は唐草模様の紙看板を巻き、早々と撤収の準備を始めていた。客引き用にコンテナの前にならべた菓子や雑貨はカウンターからの操作で自動で収納される。店内から入口をロックした所で、運転席の透明ドアに客が来ているのに気付いた。

 プラスには余り必要ではない厚手のコートを着込み、瞳と髪の色を付けてヒトに見えるようにしている。ルーズなパンツをはいて手首にリングのアクセサリーを着けていた。妊婦としての違和感はない。この女と会うのは半年振りだった。田老はしばらくユリエを見ていた。

「本当にそんな事が出来るなんてな。」

 田老の無遠慮な視線を気にせず、ユリエは勝手口から店に入ると薬が並んでいるアクリルの棚を眺めて、ストンとカウンターの客席に座った。

「ルウに意地悪を言ったそうね。ルウが可愛いからかしら。」

「ルウの持ってきた設計図はヒト向けの薬剤の構造式が含まれてる。処方箋を持ってんのか?」

「そんなもの無いに決まってるでしょ。」

 田老は店じまいの手を休めない。カウンター越しにユリエの対面に立ったままボードに帳簿を付け始めた。

「医者か資格者の処方箋がなければ渡せない。犯罪になる。」

「今更ね。今まであなたがしてくれた事とどう違うの。」

「ルウがいつも買いに来てたのは栄養剤だ。誰の許可もいらん。」

「いろんな物扱ってるじゃない。偽造IDを売るのは違法じゃなかったの?」

 田老は店の外へ目をやり、冷静なふりをしてユリエを睨んだ。ユリエは両腕をカウンターに置いて手を結ぶ。手首のブレスレットが軽い音を立てた。

「朝、フタバの人間が来た。でかいプラスの男だった。」

「商売繁盛してるのね。」

「薬品部の営業マンじゃない。本社アフターサービス課の社員だって言ってた。」

 田老はユリエへ握っているペン先を向けて言った。

「お前を名指しだ。ユリエという女を知ってるかって聞かれたぞ。」

「そう。なんて答えたの?」

 ユリエに怯む様子は無い。

「知らん、って言うしかないだろ。」

「それでその男は何処に行ったの?」

「直ぐに帰ったが、その辺でお前を探してる。フタバの中央回路ってのは世界中の莫大な量のあらゆる情報をいつも集めてて、無限に整理出来るって話だ。やつらに本気でうちを探られるのは迷惑だ。」

「あなたが叩かれて埃が出るのは私のせいじゃないけど、この店に多少の不正を見つけたとしてもフタバは興味ないわ。フタバは民間の営利企業に過ぎないのよ。会社の利益の為に活動してるだけ。」

 田老の帳簿の記入をする手が止まる。

「お前のしている事はフタバによほど都合が悪いって事だ。」

 ユリエは射抜くような目線を田老にむけた。

「私の勝手だわ。」

「お前の事は街でもうわさになってる。これ以上お前に関わるのはやめて置く。」

 田老はカウンターに座り、菓子箱のフタをかけた。

 パシリ、とユリエは田老の片手首を掴む。はっとして引こうとした田老の腕が突っ張る。腰がくだけて座っていた椅子をはじき倒し、カウンターの菓子ケースがパコンと揺れる。ユリエの細い手は鉄の塊のように堅くロックされていた。

 田老はテーブルにもう片方の手を置き、取り繕った。ユリエをにらみ、気合の程を見せる。

「離せ。」

「いや。」

 気合はユリエには効果がない。

「一昨日、ルウの職場にフタバの社員が来たわ。急ぐのよ。あなたの力がいるの。フタバには私を探せない。あなたのくれたIDは完璧なんでしょ。」

 ユリエは観察するように田老の様子を見ていた。

「やりたい事やる主義でしょ。」

「俺に関係あるのかよ。」

「あなたの店は素敵よ。綺麗で、品質がよくて、客に頼られてる。どこの店にも負けないわ。」

「御世辞いうな。」

「たかが民間企業に脅かされて引っ込むの?」

 田老は顎をくいと突き出し言葉をのみこんだ。キョロキョロと外の様子を見て動揺を隠した。

 どうせこの女に虚勢は通じないが、プライドをつつかれて意地を張るのも格好がつかない。

「金はあるんだろうな。」

「貴方の言い値で用意してるわ。」

「原薬は在庫してる。調合はすぐに出来る。手を離せ。」

 言い終わらない内にユリエは田老の手首を離し、手のひらを表にして見せた。

「ID口座で払う。」

 田老は壁側の調剤機に行き、小さな箱型のデータボックスを繋いだ。

「設計者の遺伝子工学の事は俺にはわからん。図面の通りに構成するだけだ。」

「その箱はルウの大事な物よ。私が持って帰るわ。」

 田老は足元の棚から小さなパッケージを取り出して、操作パッドにコマンドを打ち込んでいった。

「おなかに赤い線が出来るはずなのに現れないの。出産予定日は来週なのに私の体が全然準備を始めない。」

「この薬はお前の体に潜在している機能に信号を送る働きをするだけだ。この薬でお前が持ち合わせている能力が補強されるわけじゃない。」

 ユリエは願いを込める様に箱を見つめる。

「一度は出来たわ。」

 トレイに置かれたボタン状の透明な容器に白い粒子が集まってくる。

「薬が反応すれば切開細胞が活性化するしくみだ。」

「どれくらいで効きだすの?」

「全身伝達まで数時間だろ。子宮の収縮も始まる。後戻りは出来ないぞ。」

 ボタンの白がだんだんはっきりとした色になっていった。




 


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