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その四 「夏季演習 前編」

 夏―――――それは兵隊達にとって過酷なシーズンである。野外での演習が集中する時期なのだ。


 何もこんな暑い時期に外に出なくても……などとぼくらならずとも思うわけだが、日々をクーラーの効いた市ヶ谷の陸軍参謀本部で、でっかい地図や地形図を前にアーデモナイコーデモナイなどと戦略理論を弄ぶことがお仕事のお偉いさんの思考は少し違っていて、彼らは兵士を苛酷な環境下に置き、ひたすら泥とダニ塗れの草むらや地べたを這いずり回らせることこそ全軍の戦闘力向上に繋がると妄信している節があった。


 ぼくらは捜索(偵察)部隊だったので、敵前線奥深くへの浸透、そして威力偵察もまた任務の一つとされていた。敵の抵抗をさして受けず、すんなりと敵の後背やど真ん中に少なからぬ兵力を展開させるにはどうするか?……答えは簡単。ここでヘリコプターの出番となるのだ。そういうこともあって、ぼくら捜索部隊は他の部隊に比して演習ではヘリコプターに搭乗する機会に結構恵まれていた。兵士によっては、入営以来一度もヘリに搭乗する機会を得ることも無くスンナリと兵役を満了する人も少なくないそうだが……



 ――――そして、演習が始まった。


 演習期間初日のその日、ぼくらは夜間非常呼集で叩き起こされ、完全装備に身を包み午前四時に基地を出発。トラックを連ね立川の陸軍飛行場まで移動する。

 

 近衛騎兵旅団の位置する東部軍管区には大きなものだけで三つの飛行場が存在する。前述の立川はもとより陸軍航空学校の所在地でもある所沢、そしてV-107J大型輸送ヘリコプターを集中配備した(この時期、後継機CH-47Jチヌークの配備も始まっていた)独立第一飛行旅団の本拠地でもある木更津だ。


 ぼくはバンちゃんの率いる分隊にいて、配置は機銃手だった。機銃手と言えば大抵突撃する同僚の一番後ろにいて、適当な遮蔽物から火力支援するだけの比較的楽な配置であるように思われるが実はそうではなく、移動中は小銃以上に嵩張る分隊支援機関銃を抱え一人前に駆けずり回らねばならないというなんとも損な役回りである。


 66式軽機――――制式名称 66式軽機関銃。帝國陸軍兵士の頼れる(?)相棒たる64式小銃の銃身を20センチほど延長し、銃床部の形状を変更、給弾機構をベルト式/弾倉式兼用に換装、連続射撃に対応するべく各部を補強して完成した帝國陸軍制式分隊支援機関銃である。各部の補強が功を奏したお陰で部品の脱落や損耗といった64式小銃特有の欠陥は解決されたが、その代わり64式の4.3kgに比して6.5kgと2キロも重くなった……! しかもこれ、実包未装着の「クリーン」な状態での重さである。

 これにあたかも弁当箱のような形状の70発入り箱型弾倉が装着されればどうなるだろう?……考えただけで気が遠くなるが、それでもまともに動くだけ前任の62式軽機関銃よりはるかにマシというものなのですよ。読者の皆さん……!


 ちなみに、前任の62式軽機がどういうものかと言うと、当時その老朽化が問題となっていた99式軽機関銃(開発終了時は昭和一四年。その後昭和四四年まで実に30年の長きにわたって使われた名銃)の後継として鳴り物入りで支給が始まったはいいが、現場の反応はまさに悲痛そのもの。64式に環をかけていとも簡単に脱落する部品(特に移動中銃身がすっぽりと脱落する事案が頻発したらしい。)、「単発式機関銃」という揶揄の通りフルオート射撃時に頻発する弾詰まり。さらには連続射撃時に撃針が金属疲労を起こして折損するという恐るべき欠陥が露呈するに至っては、国会でも「新式軽機関銃の重大なる欠陥」という名目で議事に取り上げられたほど事は問題視された。設計担当者は勿論クビ。


 部隊によっては62式を「現場の判断」で勝手に廃棄し、一旦お蔵入りとなった99式軽機を再び使い出すという事態まで起こり、陸軍は「問題児」62式に変わる新型機関銃の、それも迅速な配備に迫られることとなった。その新型機銃の開発が完了するまでの「つなぎ」として、64式小銃をベースに急ごしらえ的に開発されたのが66式軽機というわけ。だが、同時期の諸外国では制式小銃を改造したものを分隊支援機関銃として配備する傾向が大勢であったようなので、これはこれで賢明な判断であったのかもしれない。


 ぼくらを乗せたトラックが午前五時過ぎに入った陸軍立川航空基地では、すでにぼくらを移送する輸送ヘリコプターが列線を形成しぼくらを待ち構えていた。

 従来型のH-18に混じり、飛行場の真ん中で機体を休める精悍な新型機UH-1の機影、そこに飛行場に足を踏み入れたぼくらの視線が集中する。UH-1はH-18の座高の高い野暮ったい外見と違い、より洗練されたスマートな機体を誇っていた。しかも搭載エンジンはH-18が搭載しているようなレシプロ式ではなく、より出力の大きくさらには静かなジェットエンジン。当然、誰もがUH-1に乗りたがった。

 

 だが、嬉々としてUH-1のキャビンに身を滑り込ませていくのは演習の統裁官や部隊司令部の要員といった士官連中ばかり……階級の高みから演習の全体を統括し運営する彼らには、これから二週間ばかりその身を苦境の只中に置く兵士たちに、折角の新鋭機を使わせるという気遣いなど微塵も無かったのである。

 

 「総員気をつけ……!」

 

 ぼくは地面に立て掛けておいた66式軽機を構え直し、立ち上がった。兵士達の立てる物音、軍靴の響き、張り詰めた空気……それらの漂うところに、今しがた空調の効いた指揮所から出てきたばかりの緊張感の欠片も無い中隊長が立ち、口を開いた。


 「中隊はこれよりF地点に空路進出。小隊単位に分散し展開する。敵は富士川方面より着上陸した水陸両用部隊と判明。中隊の任務は北上する敵部隊を捜索、本隊到着までにこの侵攻を遅滞させるものである……かかれ!」


 「水陸両用部隊」……この一言だけで、中隊全員にげんなりした様な空気が漂ってしまう。つまり対抗部隊は身内の陸軍ではなく、よりにもよって精強な海軍陸戦隊ということだ。


 号令一下、ぼくらは一斉に散らばり、割り当てられたヘリコプターへと駆け出した。完全に白んだ朝空の下、生暖かいアスファルトの上を息せき切って走るにつれ、両腕に提げた機銃や弾薬の他、合計18キロの野営に必要な物資、用具を詰め込んだベルゲンの重みでベルトや装帯が肩に食い込んでくる。こういうとき小銃持ちは気楽でいい。古参兵たちはぼくに厄介な荷物を押し付け、エンジン始動を始めたばかりのヘリコプターのキャビンへ軽々と駆け込んでいく。


 バンちゃんが手を延ばし、ぼくの搭乗を手伝ってくれた。ぼくが床に腰を下ろすのと、操縦士がインカムを通じ離陸を告げるのと同時だった。H-18の場合、エンジン配置の関係から操縦席とキャビンが隔壁で隔てられているので、こちらからは操縦席の様子を見ることはできないしその逆もまた然り。


 『――――こちらゼロワン、離陸する……!』


 メインローターの回転が高まるにつれ、腰を下ろした床から臨む地上から、徐々に身体が浮遊を始めるような感覚に襲われた。隣接する各機もまた地上から三脚を浮かせ、ゆっくりと飛行可能な高度にまで昇っていくのが見えた。


 隣の機の、ドアを開けっ放しにしたキャビンには、ぼくと同じくやはり銃を構えた人影。それは52式携帯噴進砲を持った兵士だった。52式携帯噴進砲とは、アメリカのM20ロケットランチャーを参考に、日本独自の改良を加えて完成した歩兵用携帯ロケット砲である。帝國陸軍の5式や61式戦車クラスなら一発で完全破壊できるほどの威力を持つらしいが、ソ連軍の現用戦車に対してはどうだろう……?


 離陸……十数機のヘリコプターは立川基地上空で編隊を組み、そこから南西に飛行、神奈川県は藤沢上空を経て一旦相模湾に出る。「敵は湯河原方面から上陸」という想定からして、実戦の再現に拘るのなら対抗部隊の勢力圏下にある相模湾上空を避け、内陸の相模原から丹沢山地を東西に跨ぐコースを取るのが筋であるように思われるが、平時に人口密集地上空を飛ぶのは騒音と安全性の面から賢明な策とは言えなかった。


 見えた……キャビンから右手に広がる沿岸の風景に、ぼくは目を細める。腰を下ろした床の、足下1000メートル程のところで、江ノ島の砂浜に押し寄せる波が白く艶かしい光の曲線を形作っていた。今日もまた、沿岸は若者や家族連れで埋め尽くされることだろう。

つい去年まで、ぼくもまたその人ごみの中にいた。

 

 大学一年の夏、気の合った仲間と一緒に廃車寸前のナカジマの軽自動車を仕立てて行った江ノ島の海岸。目的は勿論ナンパである。そして結果もまた勿論失敗だった。排気量360ccの軽自動車、それも四人で乗り込んで向かったぼくらの車に、これ以上女の子を乗せる余裕など残されていなかったし、車もまた帰路の途上でエンスト、ぼくらは藤沢まで夜通しナカジマを延々と押して歩いていく羽目になったのである。


 今思えば微笑ましい記憶……ぼくがそれに浸っている間も、ヘリの編隊は一路茅ヶ崎沿岸を過ぎ、小田原上空へと到達しようとしていた。そのとき、先頭を行く編隊指揮官機が信号灯を点滅させた。


 それを合図に各機は一斉に高度を落とし、箱根方面の上空に達したところで低空飛行に入る。無線傍受の危険性を排除するために、機体の識別灯を使って僚機に指示を出しているのだった。

 眼下に飛び込んでくる、藪を縫う蛇のように縦横に曲がりくねる箱根スカイラインの姿に、ぼくは胸を躍らせた。同じく大学一年の夏休みに、箱根の大きな民宿で泊りがけのバイトをしたときの記憶を、ぼくは呼び覚まされていた。あのときは多くのカーキチが再整備成った箱根の自動車道路を目当てに大挙してやって来たものだ。ぼくの働いていた民宿の駐車場もまた、カムリやらヨタハチやら、ハコスカやらフェアレディやら多くの国産スポーツカーで埋まっていたものだった。唐突に、オープントップのキャデラックで民宿に乗り付けてきた日活アクション映画の某スターに道を聞かれ、お礼にサインを貰った時の感動といったらもう……



 『――――中隊長より各機へ、無線封止解除。これより降着地点上空に入る』


 俄かに湧いた喧騒の中で、ぼくは現実に引き戻される。

 66式軽機に弾倉を装着した。暴発の危険を抑えるため、演習では装填は降りてから行うことになっている。他の兵士もまた、銃に弾倉を装着するだけで装填はしない。弾倉を装着した後にはちょっとした身繕いが待っている。つまり墨を顔といわず手といわず凡そ体中で露出している肌に塗り込み、迷彩を施すのだ。


 箱根の山を越え、休業状態にある御殿場のスキー場を越えれば、あとは雄大な帝國陸軍富士演習場が広がっている。そこがぼくらの戦場だった。メインローターの回転が徐々に緩み、完全に機体が地面の草原に脚を下ろした瞬間、バンちゃんが怒鳴った。


 「オラァッ!……てめえら降りろ降りろっ!」


 この時ばかりは彼も兵士の顔になる。地面に脚を下ろしても安堵する暇は無い、後はひたすら周辺を走り、急いで散開し警戒配置を完了しなくてはならない。演習の想定上では、ぼくらは文字通りの最前線にいる。


 「ぼさっとすんな! 走れ走れっ!」


 怒声に鞭打たれるまま、ぼくもまた枯れ草の中を駆けた。烈日に灼けた草の匂い、湿った土の匂い……そして、何処からとも無く漂ってくる微かな火薬の匂い。それらが戦場に足を下ろしたぼくの鼻に一斉に飛び込んでくる。ローターの巻き上げる枯草の支配する世界を抜けきったところで、ぼくは身を伏せ、66式軽機を構えなおした。


 「装填っ……!」


 軽機の装填レバーを曳き、そう叫ぶぼくの背後で、ヘリコプターの撒き散らす喧しいローター音と凄まじい風圧が徐々に遠ざかっていく。すでに空からは、燦燦と輝く太陽が地上の人間どもをその熱視線を以て睥睨していた。


 「前進――――――ん!」


 小隊長の古参少尉の声が上がり、緊張から解かれたように立ち上がった兵士達は、粛々と前進を始めた。ぼくらの向かう先に、対抗部隊たる海軍陸戦隊が前進してくる。演習では、ぼくら捜索小隊は彼らに消耗を強いつつ後退し、主力による本格的な迎撃を容易ならしめる役割を課せられている。悪く言えば「かませ犬」のような役割である。



或いは草に伏し隠れ 或いは水に飛び入りて

万死恐れず敵情を 視察し帰る斥候兵

肩に(かか)れる一軍の 安危はいかに重からん



 とは、有名な軍歌の一節だが、同じ偵察兵たるぼくらに課せられたのは、実戦ならばまさに捨石も同然の任務なのであった。

 眼前に広がる森に、ぼくは行程の困難なることを思い暗然とする。暗然とすればするほど、66式軽機の重みが吊革を通じぼくの肩や首に圧し掛かってくる。森は険しいが、それでも中に入れば日差しを避け多少の涼を取ることが出来る……そう思い返し、ぼくは自分を励ます。それに、まだまだ演習は始まったばかり……今後に備え、力を抜きゆっくりと歩いた方がいい。


 日差しは避けられたものの、歩くにつれ滝のように流れ落ちてくる汗は防ぎようがない。一時間、さらに二時間と歩く内に、流れ落ちる汗が背中を不快なまでに湿らせ、墨混じりの汗が目に入ってくる。両肩に圧し掛かるベルゲンの殺人的な重みもまた、ぼくから軽妙な歩調を奪い、これ以上歩けば背骨が折れるのではないかという不安にすら駆り立てる。


「止まれぇ――――――!」


 と言ったのは、小隊長ではなかった。演習中の各隊に必ず一人は付随してくる統裁官だ。

統裁官とは、無線機で演習の運営本部と連絡を取りながら模擬戦の戦果や損害の判定を決定したり、自在に状況を設定したりする役割の人間である。いわば演習場の「神様」みたいなものだ。


 統裁官の多くが連隊本部付きの古参の下士官や叩き上げの士官であり、勿論基地内の人間関係でも一般の兵下士官からは実際にカミサマ扱いされている人々である。指揮そのものは小隊長に任されてはいるものの、演習で部隊の生死を掌る権限を握っている以上、実質小隊長よりも偉い……ということになるかもしれない。


 ぼくらの小隊を担当する統裁官は、曹長だった。彼の顔を、所用で入った連隊本部でこれまでに二、三度見たことがあった。メンコの数は10……20年ぐらいかなァ……と、ぼくは短い間に培った軍隊生活の知識を総動員し考えた。


 地図を覗きながら、彼は背中に背負った携帯用無線機で運営本部と連絡を取っている。その様子を、ぼくらは固唾を飲んで見守る……入試試験の合否の報せを待つ学生のように。そのとき―――――

蜂の蠢くようなレシプロエンジンの爆音。木々に遮られた上空を灰色の機影が瞬く間に通過して行くのをぼくは聞いた。その瞬間、機影が海軍の「烈風改」艦上攻撃機のものだとぼくは直感する。ということは……


 通信を終えた直後、曹長は彼を見守っていた小隊員全員に、素っ気無く言い放った。


「はいっ……航空攻撃により小隊全滅」


 やれやれ……またか。落胆とも諦観とも付かぬ感情に、ぼくは襲われた。陸軍同士の演習とは違い、海軍陸戦隊は演習には必ず航空支援を持ってくる。海軍陸戦隊の地上作戦には、沿岸部における上陸拠点の確保という部隊の性格上、必ず「航空優勢の確保」もしくは「支援部隊による艦砲射撃」という前提が存在するためだ。


 だが、海軍、空軍を問わず作戦機が陸軍の演習場上空で実弾を投下するようなことはしない。あくまで投下地点の上空を航空法規で許される限りの低空を通過するだけだ。第一実弾をバンバン投下するようなことにもなれば演習場の環境が様変わりしてしまい、それは只でさえ広いとは言えない演習場にとって致命的である。それに、「ご近所の目」という事情もあった。


「大東亜戦争」の戦前戦中までは、この富士演習場の周辺には村落はおろか人っ子一人いない荒涼たる平原が広がるばかりだった。航空機の性能や攻撃力もそれほど高くなく、ある程度に実戦に則った「荒っぽい」演習をかなりの頻度で行うことが出来たそうである。だが、戦後の経済発展が状況を一変させた。経済活動の活発化に伴い開始された、都市圏に通勤する勤め人を対象にした宅地造成事業が瞬く間に演習場周辺にまで拡大し、今や宅地は演習場の境界に接せんばかりの勢い、住宅地のど真ん中に演習場があるというわけではなく、演習場の周囲に民間の住宅地が出現してしまったのである。


 当然、演習中何かの拍子で砲弾が演習場の敷地を飛び越えようものなら……従って、今の演習は「実戦の再現」という点において戦前戦中と比べ著しくその質は下がっている。また、周辺への騒音を考えると夜間演習や大規模な作戦演習なんてそうそうできるものではない。そこに国防予算の圧縮が追い打ちをかけ、訓練を一層現実離れしたものに変貌させていた。かつては東南アジアから欧米列強を駆逐し、世界戦史上燦然たる業績を遺したわが帝國陸軍は、いまや同胞であるはずの日本人から、絶滅寸前の天然記念物の如く駆逐されかかっている……? 


「全滅」を言い渡され、待機すること数十分……小隊は再び前進する。ぼくらは「復活」したのだ。

 ぼくらは演習場から遥か遠い指揮所で司令官や参謀といったお偉方の都合で地図の上を動かされ、殺され、また生き返させられる。いわば将棋の駒である。盤上で「勝利」または「戦死」するその都度、統裁官の一言で新たな状況が課せられ、ぼくらは新たな戦闘地域まで移動する。後年のTVゲームの如く、少なくとも演習場の中ではぼくらは幾つもの生命を担わされている。


 枯れ枝を踏みしめ、木洩れ日に目を灼かれながら歩く間にも、酷く喉が渇く。待機はあくまで待機であって、休止ではない。従って、水を飲むことも許されない。その一方で汗となって全身から流れ出る水分……兵士に実戦環境の過酷なることを体感させ、訓練を忘れさせることもまた演習の目的の一つなのだ。

 白濁しかける意識。ドロンとした目で、ぼくは先頭を行くバンちゃんに視線を向ける。どういうわけかバンちゃんは乾きに強い体質らしく、小銃を構え平然とした顔で歩いている。日頃だらしなく、そしてぐうたらなバンちゃんを見慣れているぼくからすれば、それは余りに信じがたい光景だった……まあ、実はその裏にはトンでもないからくりがあったのだが……


『――――こちら第4小隊、有力なる敵機甲部隊と遭遇。増援を求む、繰り返す――――』


 空電音交じりの通信は、兵士にとって駆け足の合図にも等しい。小隊長の命令一下、ぼくらは走り始める。日頃の駆け足はこういうときのために行われる。筋力と体力を付けさせる目的の他に、走るという作戦上必要な行為に兵士を馴れさせる為に行われるのだ。女優は歯が命というのなら、兵士は脚が命……なのである。


 しっかと握る取っ手を通じ、圧し掛かる66式機銃の重み。走る度に襲い来る揺らぎが、ベルゲンの重みで手一杯のぼくの肩に一層の悲鳴を上げさせる。何時果てるとも知れぬ緑の走路の中を、ぼくらは緑と一体になり駆け続ける。機銃手も、それ以上に重い装備を抱えるバズーカ砲手や装弾手に比べればいくらかマシというものだ。そう思い、ぼくは疾走のもたらす苦しみに耐え続けた。苦しみには、必ず終りがあるものだ。そして自分以上に苦しんでいる誰かが、この広大な空間には必ずいる!……と。


「伏せぇ―――――――!」


 密林を出るか出ないかのうちに、小隊長の命令が響き渡る。野球のスライディングのようにぼくは冷たく湿った地面に頭から滑り込み、機銃の二脚を立て掛けた。森の出口から臨む凛然たる枯草の野原を隔て、前方にもまた鬱蒼とした密林が広がっていた。その暗がりに塞がれた奥からは、猛獣の唸り声にも似たディーゼルエンジンの駆動音が聞こえてくる。それは大きくなることはあっても、決して小さくなることは無かった。


「…………!」


 木々を踏み越え、唐突にのっそりと出てくる巨大な物体に、ぼくは目を大きく見開いた。海軍陸戦隊の上陸用兵員輸送装軌車(LVT)だ。

 LVTは、腰高な箱舟のような胴体の両側に無限軌道を取り付けた、何とも奇妙なガタイをした装甲車両である。胴体上部にはM2 12.7㎜機銃を装備した小さな砲塔を構えており、胴体後部には自力水上航行も可能な推進機と舵機が取り付けられている。これらのことからもわかるように、LVTは上陸作戦において胴体内に兵員を載せて水際の揚陸艦より発進、上陸地点まで敵の抵抗を排除しながら兵員を輸送することを主任務とするのだ。LVTとは日本軍広しといえども上陸作戦専門の海軍陸戦隊しか持っていない、まるで「サンダーバード」か何かに出てくるような便利な、「何でもあり」の車両なのである。



 そのLVTを押し立て、前進してくる複数の人影――――――海軍陸戦隊の兵士の姿に、ぼくならずとも緊張は一層増大する。そして、彼ら海軍陸戦隊を目の当たりにする度に、ぼくは狐に抓まれたような感覚に襲われる。

 これ……本当に同じ国の軍隊なの?

 縞々模様と斑模様の入り混じった迷彩服と、第二次世界大戦時のドイツ軍のようなフリッツヘルメットに、救命胴衣も兼ねた防弾ジャケット。それが海軍陸戦隊の兵士の軍装だった。ぼくらは勿論防弾装備なんて持っていないし、鉄兜もまた朝鮮戦争時代より代わり映えしない米軍仕様に準じたコピー品かつ旧型だ。

 そして彼等が構える銃はぼくらの持つ64式小銃よりも細長く、ずっとシンプルにさえ見えた。制式名称54式小銃。1950年代に欧州はベルギーのFN社が開発し、程無くして西側各国の制式小銃となったFAL自動小銃を、帝國海軍の銃器製作を担当する呉海軍工廠がライセンス生産したもののことを日本ではこう呼称するのだった。こちらの64式と比べ、性能の程は兎も角として実績とそれ以上に扱いやすさ、維持点検のし易さの点ではFALの方に軍配が上がる。FALはかのアメリカ軍においても時期制式小銃を選定する際、有力候補に挙げられたほど「良くできた銃」なのだ。


 その54式小銃を、海軍陸戦隊が持っている……これはどういうことだろう? ぼくらが海軍陸戦隊との訓練を敬遠する傾向にあるのは、このように余りに違う彼我の格差を直に思い知らされるからに他ならない。そして……


 ヴィィィィィィィィィィィィィィィッ!


 演習場一帯を揺るがすけたたましい響き!……決して誤植ではないし、筆者(カミサマ)がトチ狂ってタイプしたわけではない。ぼくのズボンが裂けた音でもないし誰かのお腹が痛くなったわけでも……またない。これ、れっきとした機関銃の発射音である。

 「絹を裂くような発射音」と聞いて、一部の銃器に詳しい読者さんなら一丁の機関銃をすぐさま連想するに違いない。海軍は銃器の運用に関し大東亜戦争で独自の教訓を引き出していたらしく、戦後は陸軍と共通した銃器調達体系から脱し、独自の調達ルートを開拓する途を選んだ。海軍陸戦隊にドイツ製Stg44自動小銃を装備させて朝鮮戦争を戦ったのを始めとして、その後一切の小火器調達を、帝國海軍は欧州をはじめとする外国製小火器の輸入及びライセンス生産に負っている。FALはもとより、先程の奇怪な発射音を立てた彼らの分隊支援火器もまたそうだった。


 帝國海軍陸戦隊の分隊支援火器――――――その名はMG42。

 

 それはかの第二次世界大戦時、欧州戦線を戦った連合国軍兵士をして、「ヒトラーの電動ノコギリ」と呼ばしめ畏怖せしめたドイツ生まれの名機関銃である。読者の皆さんもTVドラマ「コンバット」や第二次世界大戦を扱った映画などでその勇姿を目にしたことがあるはずだ。土嚢や家の窓越しにドイツ兵が構えているシーンが印象的な、冷却孔付きの銃身が細長く、外見に一種の機能美すら漂わせるあの機関銃である。


 1947年の導入以来、海軍陸戦隊は度重なる独自改修を経て、未だにこのMG42を分隊支援機関銃として使っていた。だが開発以来20年以上を経ても、発射速度1200発/分という高性能は第一線の兵器として未だに通用するのは確かであり、導入年度の古さをあげつらったところで、未だにこれに伍する機銃を配備できない陸軍(こちら)の哀れさが一層身に染みるだけである。


 ――――果して、突発的な遭遇戦は一方的な展開となった。だいたい、装甲車を押し立てて迫って来る対抗部隊に、完全な軽歩兵たるこちらが抗し得る手段など皆無に等しいのである。しかも海軍陸戦隊の分隊もまた、こちらと同じくバズーカ砲を持っているし、甚だしきはグレネードランチャーまでしっかりと撃ってくる(もちろん模擬弾)。


 崩れかける味方戦線の只中で薄茶色の草むらに埋もれるように伏せ、迫り来る一両のLVTに向けてぼくは66式機銃を撃った。連射の衝撃に烈しく震える銃床を肩で受け止めながら、ぼくは困惑にも似た思いに囚われる。こんなところで、ぼくは一体何をやっているんだろう?……と。


 ふと、視線を移した先――――茂みに潜み、対抗部隊に銃を構えるバンちゃんの姿を目にしたとき、彼の挙動の不審なることに気付く。彼はぼくの眼前でじりじりと匍匐前進を続け、やがて一層濃い茂みの前でなにやらコソコソとやり始めた。そしてぼくは、これまで疑うことも無かった彼の真実に気付く。

バンちゃんは周囲に悟られるぬようシレッとした手付きで茂みの中に手を入れると、一本の牛乳瓶を取り出した。それも、中に水を満たした牛乳瓶。


 ああー……きったねー。


 ことを悟り、唖然とするぼくの眼前で、バンちゃんは大胆にもそれをグビグビとやり始める。当然、戦闘(訓練)に夢中の者は、彼が戦闘の傍らでそんなことをしていることに気付くはずがない。ここでぼくは、炎暑の中でも超然としていたバンちゃんの真実に気付くというわけであった。


 これは学生時代に野球部やサッカー部で活動していた人なら身に覚えがあるかもしれない。予めグラウンドの隅に水や食べ物を隠しておき、球拾いに行くついでにオッカナイ先輩やコーチの目を盗み飲み食いするチョンボと似たようなものだ。バンちゃんは、それを大胆にも光輝ある帝國陸軍でやっていたわけである。六年も兵隊をやり、各地に散った同期入営や後輩を持つ彼だからこそ為し得る悪戯だった。彼は演習が近付くやあらかじめ富士演習場の管理中隊にいる後輩に、予め水や食い物の隠し場所を設定させておき、移動中や模擬戦中に周囲の目を盗み飲み食いしていたのである。


 一息つき、仕事を終えた泥棒のように周囲に視線を巡らせたバンちゃんと、喉の渇きも忘れ彼を凝視するぼくの目が合った。慌てて目を逸らそうとするぼくにバンちゃんはニヤリと笑いかけると、匍匐前進でぼくの傍まで近付いてきた。まるで死霊のように……

バンちゃんは、こっそりと牛乳瓶を差し出した。

 

 「よう鳴沢、これ飲むか?」

 

 「いりませんよ!」

 

 「ばかっ……声がでけえよ」


 と言いつつ、バンちゃんはなおもぼくの鼻先に牛乳瓶をちらつかせる。その中身の液体に、ぼくの喉が不覚にも鳴る。それを見てバンちゃんは、にやけ顔と共に牛乳瓶を突きつけるようにした。もしぼくの内面に天使と悪魔が共存しているとすれば、今の状況は悪魔がバンちゃんの姿を借りてぼくの目の前に出現したのと、まさに同じだった。ぼくは……誘惑に負けた。ぼくもまた、彼の共犯になった。


 直後……空を割くようなレシプロエンジンの咆哮に、ぼくらは反射的に空を仰いだ。そのぼくらの目の前で、「烈風改」艦上攻撃機が二機、演習場の上空に差し掛かろうとしていた。もともとは艦上戦闘機として「大東亜戦争」期に開発され、朝鮮戦争の頃までそのように運用されていた烈風改だったが、航空機の急速な発達と戦術の変化が烈風をあっという間に海軍の主力戦闘機の座から引き摺り下ろした。だがその低速性能と機体の巨大さ、そして滞空能力を買われ、烈風はエンジン出力と機体強度を向上させるとともに搭載量を増大させ、強力な対地支援攻撃機「烈風改」として生まれ変わったのだった。海軍陸戦隊と戦う敵歩兵にとってナパーム弾、ロケット弾、爆弾、機銃弾……およそ歩兵が嫌うありとあらゆるものを積んで来る烈風改ほど厄介な存在はないであろう。


 「退避ーっ、退避ぃ―――――ッ!」


 悲鳴に近い命令に、周囲が慌しくなった。持ち場を離れ、後背の森まで退避しようとする者の立てる足音、息遣いが未だ機銃を撃つぼくの内心をも急き立てる。だが味方前線の前に突出し過ぎたぼくには、退避なんてする余裕なんてもはや無かった。バンちゃんはといえばやはり、ぼくを置いていち早く逃げを決め込んでいた。


 「ああっ……ちょっと!」


 「鳴沢ぁ、捕虜収容所で会おうぜぇ」


 再び視線を転じた前方、対抗部隊は既に一人一人の顔がわかるくらいの距離にまで迫っていた。次の瞬間には、ぼくの周囲はあっという間にFALの銃口を向けた帝國海軍の皆さんに囲まれ、傍らにはバンちゃんならぬ海軍側の統裁官が立っていた。迷彩カバーの掛かった鉄兜には、紛れもない碇のマーク。


 「…………」


 突然のことに呆然とするぼくの肩を叩き、海軍さんは言った。


 「はいっ、きみ捕虜」




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