カエル町の話
カエルの町にカエルはいない。
カエルを見る目にカエルが写る。
人の道無きカエル道。
『この先カエル町→』
ヒナコが見つけた看板には確かにそう書かれていた。
――半年前、世界が終わった。それはつまり、壊れたということかも知れない。
僕らのいる今は、終わりと終わりの間の、僅かな時かも知れない。
「カエル町だって」
ヒナコが言う。
「そうらしいね」
今日、僕が公園に向かうとそこでヒナコと偶然出会い、折角なので一緒に散歩することになった。
それで、この状況。
「なんだろう」
「あんまり良い印象じゃないね」
「行ってみない?」
「えっと」
看板は公園の端に立ち、その矢印の示す方向は腰まである草木で鬱蒼としている。
道がないことは一目でわかった。
「着替えた方が良いと思う」
ヒナコは別にいいよと言って笑った。
それで僕らは出発した。
ヒナコはよく笑う。
それが僕を慰める為なのかはわからないが、それで僕の憂鬱は少なからず解消された。お気楽だなあ。
時刻は昼過ぎ。夏の一番暑い時。
ガサガサ音を立てながら、草を分けて歩くので、なかなか進行しない。ヒナコは僕の前を歩いている。
後ろを振り向くと、やや小さく見えた公園のジャングルジムが、太陽の光で輝いていた。
「うわわっ」
「どうした?」
「なんか地面がぬかるんでる」
「昨日の雨のせいかもね。引き返す?」
「んー」
ヒナコは振り返らずに進む。どうやら帰るつもりはないらしい。
「そんなにカエル町に行きたい?」僕は言った。
「うんっ」
はいはい。
僕らの期待に反してその町は一向に姿を表さなかった。
どうも僕らのいる場所は町の外れのだだっ広い野原のようで、前にも後ろにも何も見えなかった。一面緑色だ。
「カエル町ってどんな所かな」
「そりゃあ、カエルの町じゃない?」
ヒナコは前髪を掬い上げて汗を拭いている。
気付けば僕も汗だくだ。
「まだカエルなんて生きてるのかな」
「…」
睨まれてから僕は気付く。
「ごめん、失言だった」
「よろしい」
――あの日から滅多に生き物を見なくなった。
まったく夏だというのに、それらしいのはこの暑さだけだ。
草跳ねる虫も、夜吠える犬も、空飛ぶ猫も――じゃなかった空飛ぶ鳥も。
あの空飛び猫に会ってから二週間経った。
いくら考えてもわからない。どうして今更、あんな生き物が生まれたりするんだろう。この先なんて無いのに。投げられた賽は、その目を出すまで落ちていくしかない。
「また考え事ですか」
「えっ」
「二人でいるのに、独りで考え込むのって悪い癖だよ」
「ああ…ごめん」
「ふふん」
それがどんな意味の
「ふふん」
なのか、僕はいつまでもわからない。
僕は18年間暮らした自分の街に、こんな草原があるなんて知らない。
かと言って元々は何があったのかもわからない。世界とは所詮そんなものだ。ゆっくりと流れる時間に反して、目まぐるしく姿を変える。
――変える。
――カエル?
変える町――変わる町?
ふん。
人の道なきカエル道に足を踏み入れてから約二時間。日も傾き始めたし、そろそろ帰らないと暗くなってしまう。
でもヒナコはまだ僕の前を歩いている。道が悪いから疲労も大きい。
初め腰まであった草々も、脛の高さまで低くなり、
ようやく歩きやすくなったと思ったころで、景色に変化があらわれた。
「ヒナ――」
「丘だぁ」
溜息混じりの声。
「ここが――カエル町?」
そこは殺風景な所だった。
ただひとつ、なだらかな坂になった草原の先に、とても大きな木が見える。
丘の方では草も疎らで、その大きな木だけが聳え立っていた。
――いや、よく見ると手前に小さな…看板?
「ねぇあれって…」
霞んだ笑顔に弾んだ声。
「うん」
そうだね。
『ようこそ!この先カエル町』
――呼吸を整えたヒナコが言った。
「ほら、来て良かったでしょ?」
僕らが丘だと思っていたそれは盛り上がった崖の一端で、大樹は崖の縁に立っていた。
そこから見下ろす景色を見て理解する。
「そうだね」
大きな木陰の下、堪え切れずに、僕とヒナコは笑い転げた。
確かにここは
「この先カエル町」
だ。
きっといつか、この先、それはもう立派なカエルに育つだろう。
眼下にあるのは大きな湖。
楕円の形の湖に注ぐ一本の川、両端からは小さな足が延び始めていた。
そう、オタマジャクシ。
季節は夏。大きな木の下に佇んだ七月。