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自分の生きる場所  作者: 堀河竜
葛城と五十嵐
8/18

なくした脚、葛城の尊さ




「ないんだ…もうないんだよ、私の足が…

膝から先、なくなったんだ…」





五十嵐の、俯いて泣き出しそうな表情で言われた言葉は、再び頭にショックを受けさせ、俺は口を開けたまま呆然と立っていた。


今度は衝動が走って一心不乱になるのではなく、目の前が見えなくなって、頭が同じところをぐるぐると回って惚けてしまった。



五十嵐が足をなくした…


そうしたら、これからどうなる…?


車椅子で生活する事になる。


それなら、学校は…?バスケは…?




「葛城!一体何が…!」




俺に遅れて入ってきた澤村たちは、ベッドに寝ている五十嵐を見て、俺が突然走り出した理由がわかったようだ。



そして澤村たちは、足に目をやる。


五十嵐の足がない事に気づいて、俺と同じように呆然と立ち尽くしてしまった。




「五十嵐…足……」



「なくしたんだよ…」



「………」




何も言えない…黙りこんで、ジッと五十嵐の膝から先を見つめている。


五十嵐の両親も涙を流しながら俺達の様子を眺めていて、病室は静まり返っていた。



「……みなさん、わざわざ来てもらって悪いですけど、今日は帰ってもらえませんか…?

栄子は見ての通り、疲れていますので…」



五十嵐の両親が、悲しさ混じりの声で言う。


俺はまだ五十嵐といて、何か色々な事を手伝ってやりたくて、助けてやりたくて、帰りたくはなかった。


でも、今は確かに、五十嵐は疲れているのかもしれない…


落ち込んでいるかもしれないと考え、ゆっくりと頷いた。



しかしその時、泣き出しそうに俯いていた五十嵐は、こっちを向いて、笑って言った。



「ごめんね、今日あの公園に行けなくて…

結構、待っててくれたんでしょ?」



「え…」



ニッコリと笑って、違う話をし始める五十嵐。


澤村も思わず普通に受け答えしてしまう。



暗くて重くなりきった空気を変えようとしているのか、本当に謝りたかったのだろうが、その笑顔が無理矢理だという事はみんながわかっていた。



「それで、今日は何したの?」



「……えっと…カラオケ…」



…嘘だ。



「カラオケかぁ、歌いたい曲あったのになぁ。

何歌ったの?」



「それは、色々と…」



やめろ…



「色々ってなんだよ。答えになってないよ。」



「あ…あぁ…」



『やめろ、五十嵐。』





無理だ…こんな事、無理に決まってる。


五十嵐が足をなくしたというのに楽しく話をするなんて、俺には我慢できない。


それに五十嵐だって…



「悲しみを無理して抑え込むのはやめろよ。」



「………」



五十嵐は無理矢理な笑顔をやめて、少し驚いていた。


そして、瞳から一粒、二粒と涙が溢れ始める。


声を上げず、静かに一杯の涙を流し始めた。



本当はもう、こんなに涙を流していたんだ。


そんなこと、俺でもわかる。


辛いよな。辛すぎるよ。


まだ人生は長いのに…足を失って自由に歩けなくなるなんて…バスケを諦めないといけないなんて…



「嫌…嫌だ…こんなの、嫌だよぉ…

私はまだまだこれからなのに…

もっとバスケやっていたかったのに…

足がなくなるなんて嫌だよぉ…」



五十嵐の頬を伝う涙は、拭いても拭いてもポロポロと溢れ続けた。


それはあまりにも残酷で、悲しくて、俺には涙を堪える事ができなかった。


涙を拭わずにはいられなかった。




----------------------------------------------------------





俺たちが帰る頃には外はもう陽が落ちて真っ暗になっていた。


もう時刻も遅く、歩道に自分達以外の人は見えない。


車も、過疎化が進んでいるこの町ではあまり通らず、木の葉が擦れる音ぐらいしか聞こえてこないほど、静かだった。



それでも俺達…澤村、藤林、馬場の三人が黙っていなければ気にもしない静けさだ。


帰り道の違う葛城と別れてから、俺達はずっと黙ったままゆっくり歩いているので、その静けさを感じているのだ。



でも、楽しく話などできるはずもない…


葛城が病室で言った通り、五十嵐があんな状態になってしまったというのに…




「これから、どうするんだろうな…」



俺は唐突に呟いた。



「葛城くんがたぶん、毎日病院に通って栄子ちゃんを慰めてあげるだろうけど…

でも、足を失う気持ちなんて私達にはわからないし…

葛城くんが毎日お見舞いに行って慰めても、心から元気になれるかどうか…」



そうだ…俺達は、足を失うという悲しみをわかりきれない。


五十嵐の気持ちを感じて労っても、それは同情だ。


それに五十嵐の気持ちは、今日みたいに無理矢理笑顔を作られて、隠されてしまうかもしれない。


俺達に悲しい思いをさせないようにと気を遣って、悲しみを隠すかもしれない。



それじゃあダメなんだ。


五十嵐が心から元気になってくれないとダメなんだ。



「藤林…明日、お見舞いに行こうか…

五十嵐が好きな葛城が励ました方がいいかもしれないけど、なんとかして元気付けてやりたいし…」


「うん…」



「でも澤村、調査はどうするんだ…?」



馬場が真剣に訊いてくる。



「…やっぱり、馬場は調査をしたいか?」



「いや、そういう訳じゃなくて…

やっぱり俺も、五十嵐の為に何かしてあげたいから、調査を少しぐらい遅らせてもいいかなと…」



恥ずかしそうに、ポリポリと頭を掻きながら言う馬場。


俺はそんな馬場が嬉しくて、なんだか笑ってしまった。



「藤林はどう思う…?」



「うん、いいよ。

…俊太郎には会いたいけど、私も栄子ちゃんの為に何かしてあげたいから。」



藤林はそう言って、優しく笑う。


それがまた何だか嬉しくて、俺達は笑って歩いた。


陽が落ちた道は、五十嵐の気持ちのように落ち込んで暗くなっているけど、その道を照らす街灯のように俺達はにこやかに笑っていた。





-------------------------------------





次の日の4限目。


教室は、アースの教室と変わらず、食堂の一日30個限定プリンの事で緊張が走っていた。


生徒たちは眉間にしわを寄せながらペンを回し、膝を揺すり、尻を浮かせてスタートダッシュを狙って構えていた。



しかし今日の葛城は違った。


机にノートを広げ、ペンを手に持ちながら、ボーッと惚けている。

授業を受けようとノートを開いたはいいが身に入らず、先生の言葉が反対側の耳から筒抜けていき、頭の中が段々と暗い黒に染まっていくのだ。


別に眠たい訳でも授業を受けたくない訳でもない。


五十嵐の事で落ち込んでしまっているのだ。



鐘が鳴って授業が終わると、生徒が怒号と共に教室を飛び出して行った。


少数派の弁当組はゆっくりと友達のところへ歩いて行く。


それでもやっぱり葛城は動かなかった。


椅子に座ったまま何もしないで落ち込んでいる。



弁当組の澤村たちは、その様子を授業中から気の毒に見ていた。


五十嵐の事で落ち込んでいると察していたので、尚更放ってはおけない。



「葛城…」



澤村は葛城の前の席の机に弁当を置いて椅子に座った。


藤林もその席の隣に立っている。

葛城はそれでやっと我に帰ったようで、虚ろの目をしながらゆっくり顔を上げた。



「…いいのか?プリン、売り切れちまうぞ?」



「午後の授業、お腹空いちゃうよ?」



しかし葛城は、再び顔を下げてしまって黙ってしまった。



「…しっかりしろよ。授業が終わったら五十嵐を励ましに行くんだろ?」



「…あぁ。」



「だったら、もっと元気だせ。励ます人が落ち込んでてどうする。」



「…わかってる。でも…五十嵐の事が心配で取るもの手につかないんだ…」



その言葉を聞いて、澤村と藤林は少し笑ってしまった。


相変わらず五十嵐の事が好きなんだなと。


本当は、五十嵐が足をなくして、もしかしたら葛城は五十嵐を嫌いになってしまったのではないかと心配してたんだ。



でも葛城は、五十嵐の事を嫌いになんかなっていなかった。


こんなにもまだ五十嵐の事が好きで、五十嵐の事を心配している。



それなら、俺も胸を張って葛城に手を貸せる。


昨日藤林と馬場で決めたように、五十嵐の為にも葛城の為にも力を貸せるよ。



「仕様がない…葛城、ノート貸せよ。」



「えっ…?」



「俺が板書写しといてやるから、葛城は五十嵐のところへ行って励ましてきなよ。」



「…いいのか…?」



虚ろだった葛城の目に光が見え始める。


俺は笑って答えた。



「五十嵐の事が心配で、授業を受けても頭に入らないんだろう?だったら、授業を受ける意味ないよね、藤林?」



「そうだね…いいんじゃない?身に入らないなら仕様がないよね。」



その言葉が余程嬉しかったのか、葛城は目に色を戻して真っ直ぐ俺達を見つめながら、少し慌てた様子で言った。



「わかった、ありがとう澤村、藤林。五十嵐のところへ行ってくるよ。そしたら澤村、ノート、頼むな。」



「うん。」



俺に午後の教科のノートを渡すと、葛城は机の上のものだけを鞄に入れて、それを背負って席を立った。



「じゃあ、行ってくる。」



「うん。頑張ってこいよ。」



そして足早に教室を出ると、廊下で葛城がダッシュする音が聞こえてきた。


まるで昨日と同じように、我を忘れて走って行ったように。



俺はそれを見て、「ありがとう」だなんてちょっと前までの葛城は言えただろうかと、意外に思えて笑っていた。



そんな俺の肩を、藤林が叩く。



「私も半分書くよ。一人で二人分書くのは大変でしょう?」



「えっ?あぁ、じゃあ頼むよ。」



葛城のノートの半分を渡すと、藤林はそれを胸に抱えて、何故か嬉しそうに笑っていた。







----------------------------------------------------------






私は、病院のベッドに寝ながら、ぼーっと惚けていた。


眠る訳でもなく、上体を起こして静かに黙っている。


隣の窓から太陽の光が射し込んでいて、眩しいほど燦々と照らしているけど、私の気持ちは明るくなってはいない。


足をなくしてから私はずっとそうで、できる限りこのベッドで暮らしている。



それでも少しは気持ちが落ち着いてきた方で、事故から目覚めた時に感じていた絶望と悲しみが引いてきているんだ。


それはもしかしたら、昨日葛城に「悲しみを隠すな」と言われて泣いたからかもしれない。


涙と一緒にそういう感情が流れ出ていったからかもしれない。



そうだとすると、葛城には感謝しないといけないな…


私は葛城のおかげで、少しは楽になれたのかもしれないのだから…



「よぉ、五十嵐…」



そう考えていると、ちょうど葛城が私の病室に現れた。


私はそれに驚いて、不覚にも胸がドキドキと高鳴ってしまう。



「あれ、葛城?この時間ってまだ学校のはずだけど…」



私がそう訊くと、葛城はここに来る言い訳を考えていなかったのか、少し慌てながら答える。



「えっ…?いやぁその、えっと…ちょっと訳あって、早退したんだ…」



私はそんな葛城を面白く思って、くすりと笑う。


最近葛城は、水族館に行ったあの日以来私によく話し掛けてくるようになり、仲の良い友達になっていた。


でも私は、誤解かもしれないのだけど、葛城に好意を向けられていると思う…


だって…葛城が謝った時に言っていた、"言えたら苦労しない"という理由もそれと考えれば辻褄が合うし…


それにこの慌て様は、そうとしか言えないじゃない…



「そ、それより!さっきコンビニでプリン買ってきたんだ!

食べるか?」



葛城は話を誤魔化して、椅子に座ってコンビニの袋からプリンを取り出す。



「うん、食べるよ。」



私も葛城に話を合わせて、笑って答えた。


くすくすと、おかしく笑いながら。




葛城からプリンをもらい、プラスチックのスプーンで食べると、口当たりの良い、なめらかなミルクの味が広がる。


私は甘いものが、それほど好きという訳でもないのだけれど、このプリンがおいしくて、少し悦に入ってしまった。


このプリンは本当にコンビニで売ってたものなのだろうか?



「葛城、このプリン美味しいよ。本当にコンビニの?」



「あぁ、コンビニのだよ。そのプリンはコンビニのでも美味いんだ。」



「へぇ~」



その時、誰かのお腹の音が病室に響く。


私のじゃない。


私はさっき昼ごはんを食べたし、となると…



「葛城、お腹空いてるの?」



「い、いやぁ…昼飯食べてなくて…コンビニでも自分の分を買うのを忘れたから…」



葛城は少し照れながら、しょんぼりとして椅子に座っている。


私は自分のもらったプリンを見つめた。



「…食べる?」



「えっ?!でも、五十嵐にあげたものだし…」



「そんなの気にしなくていいよ。それに葛城が買ったものなんだから、ほら。」



私がプリンを差し出すと、少し躊躇ってからもらう葛城。


なんだか、いつにもなく照れていて、私があげたプリンをジッと見ている。



「…このスプーン、使っていいんだよな…?」



「え…」



そう言われて、私はやっと間接キスの事に気付いた。


葛城が私のプリンを食べると、私と間接キスをした事になるのだ。

胸がドキドキと高鳴る。



「い、いいよ…」



でも私は、できるだけ平静を装って目を反らしながら言った。


こんなに照れてるところを見られたら、きっと葛城に誤解されてしまう。



いや…もう誤解ではないのかもしれないけど…



「葛城…おいしい…?」



葛城が躊躇うようにプリンを食べると、私は訊いた。



「あぁ…うまいよ……」



照れて、目を反らしながら答える葛城。



私も目を反らして、照れながら窓の外を眺めた。



そのまましばらくの沈黙。



照れ臭くて、恥ずかしくて、上手く話ができなくて黙り込んでしまう。


どうしても間接キスの事が頭から離れず、話題が見つからなくなってしまったんだ。



だって、こんなの恥ずかしくて無理だろう…?


仮にも…好きな人と間接キスをしてしまって、その人とすぐに動揺なく話をするなんて…



でもなんとか葛城と話をしようとして話題を考えていると、私は一つ、言いたかった事を思い出した。


なかなか話しかけられなくても、なんとか沈黙破って、照れながらも葛城に言ってみる。



「…あの、ありがとね葛城。今日もお見舞いに来てくれて。」



「…いいんだ。俺が来たくて来ただけだから。」



「でも…私は葛城にもっと感謝しないといけないよ。

昨日だって、葛城が悲しみを隠すなって言ってくれたおかげで、私は泣けて、少し楽になったんだ。

だから、もっと葛城に感謝しなきゃ。」



「そ、そうか…?」



葛城は照れ臭そうに、ポリポリと頬を掻いている。


でも本当なんだ。


悲しみを隠さないで泣いた後は、随分と楽になったし…


それに、私は昨日の事を考えると、何だか温かくて不思議な心地好さを感じるんだ。



…いや、それだけじゃない。


水族館で私が倒れそうになった時に葛城が助けてくれた事…葛城と楽しく話をした事…


いや、それも違う…


もう今の私は…葛城の事を考えるだけでそんな気持ちになるんだ…

温かくて穏やかな気持ちになるんだ…



「あっ、そうだ!俺、コンビニでバスケの雑誌を買ってきてたんだ!」



「え…」



しかし、葛城のその言葉を聞いた時、私は絶望と悲しみを思い出してしまった。


顔が笑ったまま、ぴたりと固まる。



「入院してると暇になるだろうと思って、五十嵐に買ってきたんだ。ほら。」



笑ってそのバスケの雑誌を差し出してくる葛城。


バスケは、もう二度とできない。

その事が私の心を襲う…



「ありがとう、嬉しい…」



でも私は、悲しみを隠して、にこにこ笑いながら雑誌をもらった。


昨日葛城に「悲しみを隠すな」と言われたのだけど、本心を言うときっと葛城を傷付けてしまう。


葛城には嫌いになってほしくないし、これからも仲良くしていきたいから…



私は葛城の表情を注意深く見ていたけど、どうやら葛城は、私の本心に気付かなかったようだ。


私はその事に安堵し、「後で読むよ」と言って雑誌を棚にしまう。


そして再び悲しみを隠し、笑って葛城と話をし始めた。


「悲しみを隠すな」と言われても、どうしても葛城を悲しませたくなくて、嫌いになってほしくなくて、私は悲しみを隠すのだった。


好きだから…葛城に悲しみを隠すのだった。




----------------------------------------





「よぉ、五十嵐。」



「また来たよ、栄子ちゃん。」



「みんな…」



次の日曜日、俺たちは再び五十嵐の病室を訪れた。


もちろん葛城も一緒で、少し恥ずかしそうに後にいる。


なんだかその様子だけでも、前の葛城からは考えられないような事で、クールとは全く言えないような姿だ。



でも葛城は、最近毎日のようにこの病室に来て五十嵐に会っているので、まだ慣れてきた方だと思う。


俺たちは調査とは別の"ある事"しているのでこの病室に来れず、今より更に慌てる葛城を見ることはできなかったのだけれど。



「包帯、まだ取れないんだな。」


「うん。大した傷じゃないんだけどなぁ。」



五十嵐は不服そうに、口を尖らせる。



「でも、医者の人が心配するのも無理ないんじゃないかな。」



「…そうだな、そうだよね。」



五十嵐は自分にない足の方を見て、少しだけ表情を曇らせた。



それを見て、藤林はハッとしてしまったと思い、別の話題を振る。


「あっ…そ、そういえば、バスケ部の試合、勝ったみたいだよ。」



「あっ、そうなんだ。よかった~

でも、あのチームが園止まり(県止まり)な訳ないよ。あれだけ練習してるんだし。」



五十嵐はあまり気にしてない事を示すように笑って答えた。


それでも藤林は少し落ち込んでしまったけど、五十嵐の足の事を気にするのは仕様がないよ。


俺だって、五十嵐が暗い気持ちにさせないようにしてくれているのに、足の事を考えて同情してしまうし。



「あぁ五十嵐、何か売店で買ってきてやるよ。何がいい?」



俺達がそう暗い気持ちになっていると、葛城が言った。



「えっ?いや、いいよ。私は…」


「プリンとか食べたいだろ?買ってくるよ。」



「あ…うん。」




葛城は五十嵐の遠慮を遮って、笑いながらこの病室を出ていくと、五十嵐は頬を染めて少し俯いた。



んっ…あれ…?頬を、染めて…?



「…葛城の、事なんだけどね…」



「う、うん…!」



頬を染める五十嵐の言葉に、俺は思わずドキンと背筋を伸ばす。


藤林も同じように感じたのか、同時にピンとなった。



「葛城、毎日お見舞い来てくれるんだ。」



「う、うん…」



「毎日来すぎて、親が遠慮してあまり来なくなるほどね。」



「うん…」



「しかも毎日プリンとか買ってきてくれるんだ。」



「うん…」



「こんなに葛城の世話になってて、いいのかなって思うんだ。私、悪い気がしてならなくて…」




五十嵐の頬は桃色に染まったままで、俺達は悩みを相談されているのだけれど、何だかドキドキと緊張してしまう。


その所為もあって、まともな答えを出せそうにないけど、俺は慌てながら少し考えて言った。



「い、今は甘えてもいいんじゃないか…?五十嵐は今、助けてほしい時なんだしさ。

でもやっぱりまだ申し訳ないと思うなら、退院したら葛城にお礼した方がいいかも…」



「…うん。そうだね、そうだよね。」



五十嵐は少し俯いた表情から変わって、優しく微笑む。


この五十嵐の雰囲気、表情からして、これはやっぱり…もしかして…?



「もしかして五十嵐、葛城の事が好きなのか?」



「げっ、馬場!」



このバカ、なんで率直に聞いてるだよ!


聞くならせめて遠回しな言い方しろよ!


見ろ!五十嵐が驚いてるじゃないか!



「馬場!お前もうちょっと考えろよ。」



「馬場くん?もう少し栄子ちゃんの気持ちも考えてほしいな。」



藤林も笑顔で怒っている。


そりゃそうだよ馬場…だってこんな…



「うん…好きだよ…」



「えぇっ?!」



馬場を二人で責めていると、五十嵐が大胆カミングアウトしてきた。


い、言っていいのか?


しかも馬場のいるこの場で…



「最近私は…葛城の事しか考えられなくなってる…

葛城の事を考えるとドキドキするんだ。

だから、自分は葛城の事を、恋愛の感情で好きなんだと思う…」



「……」



…よかったな、葛城。お前の願いは叶ったよ。


五十嵐の心を得られたんだ。


俺たちも、長い間葛城を手伝った甲斐があったよ。


葛城が俺の机を占領していた時や、葛城と五十嵐を尾行していた時とかの思い出を思い出すと、何だか泣けてきそうだ…



「葛城も私の事、好き…なんだよね…?」



「…知ってたのか。」



「あの葛城の顔と、水族館で尾行してる澤村たちを見たら、誰だって気付くって。」



「そりゃ確かに…」



俺達の尾行も結構目立ってたもんなぁ。


気付いてないのは、五十嵐の事で頭が一杯になってた葛城くらいだ。



「でも、葛城には私が待ってるって言うのも、告白するように言うのもしないでくれないかな?

…私は、葛城が自分から好きだって言う姿がみたいんだ。」



五十嵐は少し照れながら真っ直ぐに言う。



俺達のアドバイスはなし、か…


大丈夫だろうか…?


自分で自発的に告白するという事だろう?


今はなんとか話をすることができるようになっているのだけど、意外と照れ屋な葛城に告白ができるのだろうか…



しかし、俺は思い出した。


葛城はあのカラオケの日、自分から告白すると言って五十嵐を呼び出した事を。



そうだ、もう俺たちのアドバイスは必要ない。


後は葛城がこの前の通り、もう一歩を踏み出すだけだ。


別に心配する必要はない。



だから俺は、なんの疑いもなく、笑って五十嵐に頷いた。




「五十嵐、プリン買ってきた。」



「あぁ、ありがとう葛城!」



頷いた後、葛城はちょうど、ビニール袋を持って帰ってきた。


いつか見た、授業中にシャーペンを持ったまま動かず落ち込んでいる葛城とは真逆の、明るい表情で。



「あれ?五十嵐、なんかあったか?」



「い、いや別に?二人と話をしてただけだよ。」



一人、馬場を忘れてる事には突っ込まないでおこう。



「そう?じゃあいいけど…」



「あぁ、あと葛城…」



五十嵐は少し照れ臭そうに呼ぶ。


なんだろう?


そんな風に呼ぶって事は、何か言いづらい事を言おうとしているとはわかるけど。


五十嵐に呼ばれて葛城も少し緊張して返事をした。



「今は世話になりっぱなしだけど、退院したら私、葛城の為に頑張るから。」



「えっ…」



照れながらにっこり笑う五十嵐。

対して葛城は、少し驚いて五十嵐を見ていたけど、五十嵐の気持ちを察したのか、笑って頷いた。



そうか…やっぱり、世話になりっぱなしじゃ悪い気がするんだな…


五十嵐もまた人が良いなぁ。


怪我人なんだから、そんなの気にしなくていいのに。



「そ、そういえば、売店で何買ってきたの?」



「えっ?えーっと、何か甘いもののついでに、雑誌とか。」




「え…雑誌……?」



「あぁ、バスケ雑誌だよ。」



その瞬間、なんだか俺は、五十嵐の表情が氷ついたように見えた。


葛城に雑誌を差し出されて、笑ったまま、一瞬だけ表情と手が固まったように…



本当なら、俺達と葛城は、ここで気付くべきだったのかもしれない。


気づいて、もうバスケの雑誌を買ってくるのを止めて、バスケを忘れさせるべきだったのかもしれない。



でもその時の俺は、あまり気には止めなかった。


葛城も、五十嵐の気持ちに気付く事はなかったのだ。



「あ…そ、そうなんだ…他には?」



「あぁ、プリンと杏仁豆腐。」



「あっ、じゃあ私は杏仁豆腐にするよ。」



「えっ、プリンいらないのか?」



「うん。プリンも好きだけど、杏仁豆腐の方が好きだから。」



「えー、プリンの方がうまいのに…」



…そして、さりげない雑談に紛れてしまう。



いつもこうして、五十嵐の気持ちは隠されてしまい、雑談に紛れてしまうのである。


俺はともかく、毎日のように来ている葛城も気付く事はなく、そして結局、五十嵐の気持ちは"あの日"まで気付かれる事はなかったのであった。







----------------------------------------------------------






私が交通事故にあってから、一ヶ月が経とうとしていた。


怪我は、巻かれていた包帯が外せられるほど治ってきていて、一人でもお風呂に入ったり、売店に行ったりできるようになってきていた。



でも葛城は相変わらず私の病室に来ていて、車椅子を押すために、どこへ行くにも着いてきてくれる。


何かが食べたくなっても、葛城が自分から買いに行ってくれるのだ。


私は益々、葛城への申し訳なさが募るのだけど、でも澤村の言う通り、退院するまでその申し訳なさを取っておこうと思う。


遠慮はするのだけれど、葛城はほとんど聞いてないし…



でもその葛城の手伝いのお陰もあり、私は自分でも驚くほど明るくなっていた。


足をなくす前と同じように、楽しく話をできるほどに。



でも…たった一つ、ただ一つだけ、悲しみを思い出すような事があった。


バスケである。葛城が持ってくるバスケの雑誌である。


忘れてもう思い出したくないバスケを、葛城が掘り返してしまっているのである。




私も、葛城には悪気はないし、暇にならないようにと持ってきてくれる好意を無駄にしたくないと、その雑誌を読んでみようとはする。


今日もベッドの隣の棚から出し、手に取って読もうと努力をしてみるのだが、どうしても読むことができない。


楽しかったバスケを諦めなければならない悲しみが、どんどん思い出されてくるのだ。




…やっぱり、だめだ。


悲しくて泣いてしまいそうで、読むことなんてできない…


心を抉られるような気持ちに襲われる…



私は手に取った雑誌をそのまま元の棚に戻し、毛布を頭から被ってもう寝てしまおうとした。


でもその時、もう日常と化した、いつもの声が聞こえてきた。


葛城だ。


今日も葛城がいつも通りお見舞いに来てくれたんだ。



「よぉ、五十らし…ってあれ?寝てる?」



私は毛布の中で、涙を拭ってから顔を出す。



「あぁ、ごめん…今、起きたとこなんだ…」



「そうなんだ。じゃあ丁度良かったな。」



「うん。」



目も赤くなってしまっているかもしれないし、私はちゃんと葛城の前で笑えているかわからなかった。



こんな状態で人に…しかもよりによって、大好きな葛城に会うことになるなんて、なんて運の悪い日なんだろう。


素直に喜びたいのに。もっと笑いたいのに。



「五十嵐、今日も杏仁豆腐買ってきたよ。

もちろん俺の分はプリンだけど。」



「あはは、杏仁豆腐の美味しさをわからないなんて。」



葛城は笑いながらコンビニの袋をあさる。


買ってきた杏仁豆腐とプリンを取り出した。



「あぁ、そうそう。またバスケの雑誌を買ってきたよ。」



「え…」



葛城は笑いながら、その袋の中からバスケの雑誌も取り出し、私へと差し出してきた。


私の体はまた、硬直してしまう。



だ、だめだ…普通にしないと、葛城に気付かれる…


私はそう思い、震えそうな手で、ゆっくりと雑誌を受け取った。



「あ、ありがとう…」




「…えっ?五十嵐?」



でも葛城は、何故か驚いたような顔をする。


何に驚いたんだろうと疑問に思った時、涙が私の頬を伝ったのがわかった。


そうだ、自分が涙を堪えきれなかったんだ。


悲しみを、堪えきれなかったんだ。




私は急いで両手で顔を覆い、泣いている事を隠すが、もう遅かった。


もう私の状態は普通ではなくなっていた。


覆った手の平でも涙を隠せないくらい私は泣いてしまっていた。




「い、五十嵐…どうしたんだ…?どうしていきなり…」



葛城が訳がわからないように慌てている。


まだ、私の気持ちに気付けていないようだ。



でも私は、本当ならこのまま黙っておくべきだったかもしれない。

わからないままにしておいて、何でもないと、放っておくべきだったかもしれない。


しかし私はもう、我慢できなかった。


悲しみは私の心を満たしていた。



「…なんで、買ってくるの…?」



「え…?」



「どうして…バスケのことを思い出させようとするの…?」



私の涙は、手の平からも何粒も溢れ落ちていく。



「もう私は…バスケができないんだ…

だから私は、もうバスケを思い出したくないって…思っていたのに…」



「い、五十嵐……」



葛城は今どんな顔をしているだろう。


こんな酷い事を言われて、どんな表情をしていたのだろう。


その時私は、そう気になっていたのだけど、顔を見たら私の顔も見られてしまうから、見ることができなかった。



そうして泣いていると、しばらくして、葛城は申し訳なさそうに、泣きそうな声で言った。



「ごめん、五十嵐……。でももう大丈夫…もう俺は、ここに来ないから…もうそんなに悲しむ必要なんてないから…」



そう言われて私はやっと我に帰り、ハッとして、覆っていた手を離した。


しかし、もう葛城はいない。


もうこの病室を出ていってしまって、部屋に残っているのは私の耳にある、葛城の言葉だけだった。




その言葉を思い出して、私は葛城がどんな顔をして出ていったか想像して堪らなくなり、なんて事をしてしまったのだろうと後悔した。


そして、急いで体を起こし、葛城の後を追おうとしてベッドから足を出す。


立ち上がろうとして、私は”足がないことも忘れて”ベッドの手すりから手を離した━━。







私は、がくりとベッドから落ちて床に倒れた。


皮膚を繋ぎ合わせた膝が、ジンジンと痛んでいる。




そうか…私はもう、足を…




私はそう気づき、そのまま再び床に向かって泣き始めた。


今度は先程よりも、大粒の涙で。



そして私は、今まで葛城に、足をなくした事すら忘れるほど世話になっていた事、葛城にどれほど励まされていたかを知った。



そして更にわかる。


足が無いと、友達を追う事も…自分のしてしまった過ちを正すことも、謝ることもできない事を…



私はその事に打ちひしがれて、涙がしばらく止まることはなかった。


看護婦が私に気付いて走り寄って来ても、私は声を上げて泣いていた。


大粒の涙がぽろぽろと流れ落とし、自分のしてしまった過ちを…葛城の尊さを泣いていた。





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