見つけた生きる場所
俺と両親は車を公園の前に止め、しばらく馬場が去っていったその空を眺めていた。
日の出が近いのか東の方が明るくなってきていて、沈黙が広がっている。
止めている車のテールランプがチカチカと光り、沈黙の中雀やカラスの鳴き声が小さく聞こえた。
じっと空を見つめていた俺は、やがて唐突に口を開いた。
「やった……」
俺の隣の和俊さんは微笑んでいる。
「やった……帰れたんだな…馬場……」
和俊さんの隣の美奈子さんは涙ぐんでいる。
「良かった……本当に…本当に……」
俺の瞳からも涙が溢れそうになった。
口には出さなかったが、実は馬場の事を心配していたんだ。
馬場が転倒して、大怪我を負ったり死んでしまったりしたらどうしよう、と。
俺は100kmでも自転車を安定させて安全にジャンプできる方法を編み出せなかった。
あったとしても、俺達の予算では難しい事だった。
だから馬場が転倒しないか心配で心配で仕方がなかったんだ。
だから俺は無事に計画が成功して歓喜溢れた。
良かったな、馬場……と涙を溢しそうになっていた。
そうして空を見つめていると、隣の和俊さんが優しく俺に諭す。
「さあ、今度は君の番だ。美郷に想いを伝えなさい。
美郷は公園にいるんだろう?
もう君が去ったと思っているだろうから、早く行ってあげなさい」
「はい……ありがとうございます」
俺は涙の粒を指で拭い、和俊さん達に頭を下げてから公園を走り出した。
明るさを取り戻し始めた空の下を全力で駆ける。
藤林が居る場所は、きっとあの場所だ。
この公園の一番奥のあの展望台だ、なんとなくそんな気がする。
あの場所なら一人になれるし、藤林と初めて会った場所だから。
藤林は俺がアースに帰っていないことを知って、なんて言うだろうか。
どうしてアースに帰ってないの?だろうか。
どうして俊太郎を連れてこないの?だろうか。
……あぁもう、どうして俺はこんなにマイナス思考なんだろうか。
今は展望台に走るんだろう?
どんなに無理だとわかっていても、この大きな感情を藤林に伝えるんだろう?
そうと決めたのに、何でこんなこと考えているんだ。
俺は伝えると決めたんだ!
藤林に好きだと告白すると決めたんだ!
「はぁ…はぁ…着いた…」
膝に手をつき、体を傾けながら息をする。
そうして息を整えていると、誰かの泣き声が聞こえてきた。
きっと、藤林の声だ。
どうして泣いているのかわからないけど、これは藤林の声だ。
俺は息を荒らしたまま、展望台の階段をかけ上って屋上へ出る。
どうしようもない気持ちになって歯を食い縛って階段を上ると、汚いコンクリートに泣き崩れている藤林を見た。
地面に座り込んでいて、展望台の塀に手をついている。
自分の好きな人が何故だか泣いている。
そう思うとまたどうしようもない気持ちが広がって俺は声を掛けずにはいられなくなった。
「藤林!」
「…え……」
泣いていた藤林は目を丸くして俺の方を振り向いた。
当たり前だ。帰ったと思っていた俺がここにいるんだから。
「澤村、くん……?」
「あぁ、澤村だよ……」
藤林はまだ信じられない顔をしている。
その顔を見て、また俺は弱気になってしまう。
例のネガティブな考えが頭で渦巻き始めたのだ。
しかし、次の言葉に俺はもっと弱気にさせられてしまった。
「どうしてここにいるの……?」
「え……」
藤林は純粋にそう思ったのかもしれない。
そんなつもりで訊いたのではないのかもしれない。
でも俺は……藤林に会ってからどんどんマイナス思考になっていった俺には、どうして元の世界に行っていないの、どうして俊太郎を連れてこないの、と言っていると連想させる言葉だった。
そして涙が流れてくる。
急にまた悲しくなって、堪えきれずに涙が溢れてきた。
「ごめん、俺……帰れなかった……。
あの計画がダメだった訳じゃなくて、ちゃんと馬場は帰っていったんだけど……俺は、残っちゃったんだ……」
藤林はスッと立ち上がって俺の方に早足で歩いてくる。
俺はそれでも、涙を溢しながらなんとか伝えようとする。
さっきの出来事と自分の本当の気持ちを。
「どうして残ったのかって言うと、俺……俺…藤林の事が……!」
そして「好きだからだ」と言おうとすると、藤林が俺を抱き締めてきた。
歩いてきた勢いのまま俺に倒れかかってきて、藤林もまた泣きながら強く抱き締めてきたのだ。
俺は最初、何が起こったのかわからなかった。
藤林に抱きつかれて頭が麻痺してしまったみたいだった。
「私もなの……私も澤村くんの事が好きなの…大好きなの……」
しかし、この言葉でわかった。
この言葉で藤林の言いたい事がわかり、俺のマイナスの思考を全て消し飛ばしてくれた。
藤林は俺の事が好きなんだ。
俊太郎の面影を重ねていただけじゃなくて、俺の事が好きだったんだ。
俺はそう認識する。
「俊太郎は確かに私の幼なじみで…昔からたくさんの思い出を作ってきた大切な人だけど……。
でも…私が好きなのは澤村くんだった……。
私に優しくしてくれて、私を助けてくれて…側にいるだけでドキドキした……」
「藤林……」
藤林は俊太郎じゃなくて、俺が好きなんだ。
俊太郎じゃなくて、俺なんだ。
そう何度も脳内でリフレインし、全ての胸の黒い気持ちが拭き取られて甘い気持ちが広がった。
その途端、藤林に抱き締められている俺は、また涙が流れ始めてくる。
この大きな気持ちのやり場を、俺は見つけたんだ。
俺は、藤林の事を好きでいていいんだ。
藤林を抱いて、いいんだ。
そう思い、俺はぎゅっと藤林を抱き返した。
藤林への気持ちを込めて、強く抱き締めた。
「藤林…好きだ…大好きだ…愛してる……」
「うん…今まで気持ちを伝えられなくて、ごめんね……」
「愛してる…愛してるんだ、藤林……」
「うん…好きって言えなくて、ごめんね…ごめんね……」
「愛してる…ずっと一緒にいよう……」
「うん…私も、澤村くんの事を…愛してるよ……」
そうして俺たちは、泣き疲れるまで抱き合っていた。
今まで我慢して募らせてきた想いを互いにぶつけ、気が済むまで抱き合っていた。
もう藤林を失う心配はない。
そう思うと、本当に俺は苦しみから解放された。
あれほど俺の胸を痛みつけていた苦しみからやっと、やっと解放されたのだ。
そして、解放された後は大きな幸せだった。
こんな幸せを得られるのなら、あの苦しみも価値があったものと感じるほどの、大きな大きな幸せだ。
あの時、本当に帰らなくて良かったと思う。
馬場と藤林のお父さん、お母さんに止められて、本当に良かったと思う。
あの時に帰っていたら、この幸せを俺は逃していたんだ。
それできっと、アースで一生後悔し続ける事になっていたんだ。
だから俺は本当に、馬場と藤林の両親に感謝している。
止めてくれて、ありがとう、と。
この幸せをありがとう、と。
そうして俺たちは、今まで我慢して募らせていた想いを互いにぶつけ、気が済むまで抱き合った後、展望台の古いコンクリートのベンチに座って、日の出を待っていた。
俺が藤林の肩を抱き寄せ、藤林は頭を俺の肩に乗せて寄り添いながら日の出を待つ。
西の空はまだ藍ぐらい深い色だけど、太陽はそろそろ上ってくるようで、東の空はすっかり水色になっている。
そのグラデーションのある空だけでも綺麗なんだけど、太陽が見えたらもっと綺麗なんだろうなあ。
町の景色と日の出が一遍に見えるんだし、日ノ出公園って言うくらいだしなあ。
それに、藤林と一緒に見るんだ。
最高に綺麗な日の出に違いない。
「澤村くん……寒くない?」
「大丈夫……藤林とこうしてるから、温かいよ。」
「そうなんだ……」
藤林は恥ずかしそうに、嬉しそうに言う。
俺はそれが可愛くて、頭もこつん、と藤林の頭にくっつけた。
もう、何だかどうしようもないくらい藤林に夢中で、この手を離すなんて事は全く考えられなくなっていた。
さっき何度も何度も好きと言ったのに、再び好きだと言いたくなるほどに。
「あっ、上ってきたよ……!」
「ホントだ……!」
最初は、水平先にくっついた赤い点のようなものだった。
太陽はまだ輝くほど出ていなくて、真っ直ぐと見ることができる。
それがゆっくりとだけど、半円を描いた赤い太陽になってくる。
空も更に明るくなってきて、東の水色がどんどん広がっていく。
「図書館の書庫の、あの本の著者もこんな風に恋人と日の出を見たのかな……」
「そうかもしれない……。
もしかしてこの公園を建てたのも、その人だったりして……」
「そうなのかな…? それなら、恋人と日の出を見る為に作られた公園みたいだね……」
そうだねと言って、二人して笑い合う。
俺も藤林も本当に幸せそうに笑っていて、ドラマのワンシーンみたいに寄り添いあっている。
気付くと太陽は先程よりも大きく弧を描くくらい出てきていて、段々と輝き出していた。
日影と日向の違いがはっきりして幻想的な光景ができていて、町の眺望と日の出とその光に包まれて、俺たちはまるで綺麗な空間に居るみたいだった。
これが日ノ出公園の作り出す日の出だった。
そして半分以上太陽が上がって、もう真っ直ぐに見られなくなった頃、俺は呟くように言った。
「藤林……」
藤林は俺を見る。
俺も藤林を見て、藤林をじっと見つめる。
こうして藤林と寄り添っているから、すぐにとろけるような目をしている藤林の顔が目に入ってきた。
俺もそんな甘く優しい瞳で藤林を見つめる。
そして俺達は、まるで磁石同士が引かれ合うように、自然の力で引かれるようにキスをした。
互いを感じるように目を閉じ、顔を傾け、口を少し開けて唇を交える。
緊張はなかった。
俺はこれが初めてのキスだったけど、藤林を感じ取ろうとするとその緊張も忘れて夢中になったからだ。
ただ心臓は大きく高鳴っていた。
ドッ…ドッ…と、胸に手を当てなくてもそれがわかるほど鼓動を打っている。
藤林の肩に回している腕を伝わって藤林の鼓動も伝わり、俺も藤林も心臓がばくばくと跳ね回っているとわかった。
唇を離すと、俺は恥ずかしくて藤林を直視できなくて、藤林の肩に頭をのせた。
そしてぎゅっと抱き締める。
離さないように、この幸せを離さないようにとしっかり藤林を抱き締める。
心臓を動かして疲れてしまった体を慰めるように、別れてしまう悲しみに堪えた胸を癒すように。
……そうだ、もう藤林と離れなくてもいいんだ。
ずっと藤林の側にいていいんだ……。
そう思うとまた俺は安心する事ができ、嬉しさを噛み締められた。
本当に良かった、と胸を撫で下ろす。
「澤村くん……」
藤林が俺の名前を呼んだので、なに?って訊くと、藤林に口を塞がれてしまった。
今度は藤林の方からキスをしてきたのだ。
そして俺達は再び目を閉じて、互いを感じ合う。
そうだ、俺たちはこうやって想い合って生きていく。
自分の生まれた世界とは違う、藤林がいるこの世界で生きていくんだ。
もう決して離す事はない。
ずっと互いに想い合って生きていこう。
その意志を示すように、俺達は体を抱き合って唇を這わせていた。
長い間互いを感じていた。
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太陽がすっかり上がって赤さがなくなった頃、俺達は展望台を後にした。
手を繋いで公園の入り口に戻ると、既にジャンプ台やパイロンは片づけられていて、俺達が来る前の元通りになっていた。
俺が展望台に行っている内に和俊さん達が片付けてくれたのだろう。
片付けられた公園を見るまで気付かなかったけど、また俺は美奈子さん達の世話になってしまった。
本当に申し訳なくなり、居た堪れない気持ちになる。
お礼を言いたくなり、公園を探してみると、美奈子さん達は車の前で俺たちを待っていた。
それを見て、俺達は駆け足で美奈子さん達の元へ行く。
「……すいません、美奈子さん、和俊さん。
片付けを任せてしまって……」
「いえいえ。あれくらい、へっちゃらです」
そう言って、笑って力こぶを作る振りをする美奈子さん。
あっ、やっぱり親子なんだな。
今ちょっと、藤林に似てた。
微笑ましく思って笑って応えるけど、俺は申し訳なさそうに俯いた。
「…俺は、いつも迷惑かけてばかりですね。
また、家にしばらく泊まる事になりそうなんです……」
「澤村くん……」
藤林は俺の顔を、心配そうに窺ってくる。
俺はしばらく顔を上げられなかった。
和俊さん、美奈子さんに世話になって迷惑をかけて申し訳なくて……。
そしてさらにこの先も世話になろうとしている。
藤林も奪っていこうとしている。
だから俺には、二人に会わせる顔がなくなってしまったんだ。
「いきなり見たことも聞いたこともない世界に来させられたんですから、助けを求めるのは当たり前です。
仕様がない事だったんです」
「でも、俺……申し訳なくて、恩返しがしたくて……」
そう言うと、和俊さんが口を開いた。
「もう恩は返してもらったよ。
大きいものを、喜ばしいものをね」
「え……」
しかし、俺は恩返しした覚えはなかった。
藤林家に覚えがあるのは、いつもお世話になって迷惑をかけた事しかなかった。
「思いつかないかい?」
「は、はい……」
少し慌てて応えると、お父さんは笑って言った。
「…美郷の、幸せだよ」
「え……」
俺は驚いて目を丸くした。
藤林も、目を丸くしている。
「私たち親というのは、子供の幸せが一番嬉しいものなんだよ。
子供を叱ったり、いい学校に進学させたりするのは、子供の幸せの為なんだよ。
それを君は、私達にくれた。
そんな大きなものを私達にくれたんだ。
さっき君と歩いてきた美郷の顔を見てわかる」
「お、お父さん……」
横を見ると、藤林は照れていた。
そりゃそうだ。嬉しいけど、こんなに面と向かって言われると恥ずかしい。
「澤村くん。君がそれでもまだ申し訳ないと思うなら、美郷をもっと幸せにしてやってくれ」
「え……」
「美郷が望むように、いろんなところに行って、いろんなことをしてほしい。
いいかい、澤村くん?」
「……はい。ありがとうございます。ありがとうございます……」
俺は、和俊さんの言葉に感動して、再び泣きそうになりながら深く礼をした。
いい家族だ。
家族の全員が献身的で、互いを思いやって暮らしている。
藤林が幼い頃、どんな風に育てられたか想像できるよ。
愛情とか思いやりとか、温かいものを込めて育てられたんだ。そう感じる。
そうして藤林も、そういうところを受け継いで、こんないい人に育ったんだ。
感動的だよ、俺が好きになるはずだ。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい……」
俺達は自分の乗ってきた自転車に股がる。
二時間ほどだったけど、長い時を過ごしたように思えるこの日ノ出公園を一瞥し、藤林の家に帰ろうとペダルを漕ぎ出した。
しかしその時だった。
車で帰ろうとしている和俊さんが、窓から顔を出しながら大きな声で言った。
「あっ、澤村くん!」
「は、はい……なんですか?」
「美郷の事はちゃんと名前で呼んでくれ。
僕達の事もお義父さん、お義母さんと呼ぶんだ。
もうそういう関係なのだからいいよね? じゃあまた後で!」
「えっ、ちょっと和俊さん?!」
そうして和俊さんは有無を言わさず車で帰っていった。
俺は唖然としながらその去っていく車のテールランプを見つめる。
問答無用ですか…強制的ですか、和俊さん……。
きっと別れ際というタイミングを狙ってわざと要求してきたに違いない。
でもそんな簡単に言わせていいのだろうか。
「お前に父と呼ばれる筋合いはない」という、有名で少し陳腐な言葉もあるのに、こんなに気軽に呼ばせるなんて変じゃないだろうか。
まぁ…それほど認めてもらえているという事でもあるから光栄だけど……。
「い、行こうか…藤林……」
「う、うん……」
和俊さんの所為で変な緊張を感じながら自転車を走らせる。
すっかり明るくなった空の下を二人っきりで無言のまま走り始めた。
う……下の名前で呼ぶんだったよな……。
くそう、言われなくてもちゃんと美郷って呼ぶつもりだったのに……。
和俊さん達には感謝してるけど、これはちょっと恨めしいよ……。
とりあえずちゃんと美郷って言おう。
さっきは自分から好きだって言えなかったし……。
「ねぇ…美郷……」
「な…なに……?」
「あ…えっと……」
しまった……呼ぶ事に必死で何の話をするかまでは考えてなかった……!
何の話題を振ろうかとしばらく考えてみたけど、結局俺が考えついたのは、話題でも何でもない言葉だった。
「呼んでみただけ……」
「そ、そう……」
「うん……」
うわわ! 恥ずかしい! 話は考えてなかったし名前で呼ぶのがこんなに恥ずかしいなんて!
「ねぇ俊助くん」
俺が顔を赤くしていると、隣の藤林は不意に俺の名前を呼んだ。
いつもの名字ではなく、下の名前だ。
「な、なに……?」
「呼んでみただけ」
少し照れながらも、そう楽しそうに笑う藤林。
俺はその不意を突いた藤林の攻撃に、ドキンッと胸を掴まれてしまった。
先程と近いくらいに鼓動が激しくなり、頬が紅潮する。
「な、なんだよ…真似すんなよ……」
「あはは」
藤林も赤くなっているけど、藤林はそれよりも赤くなっている俺をからかうように笑った。
本当は楽しくて嬉しいのだけれど、俺は怒った振りをする。
「わ、笑ってないで早く帰ろうよ……」
「あはは、そうだね」
それから俺達は話しながら帰った。
冬休みが始まってからほとんどなかったけど、以前のように藤林と話しながらの帰宅。
先程までは、もうきっとこんな事できないと思っていた事を普通にしている。
今でも少し信じられない。この瞬間が戻ってくるなんて。
俺はアースに帰って藤林を諦めるんだと決めていたのになぁ。
薄い水色の空は、俺と馬場がこの世界に来た時のように晴れていた。
先程まで沈んでいた太陽も燦々と光り、俺達の町を照らしている。
まるで、イアルスでの生活が新しく始まるみたいだ。
前は図書館で調査したり藤林との別れに悲しんだりしていたけど、今度はイアルスで平凡で穏やかな毎日を送れるんだ。
さぁ家に帰ろう。
楽しい毎日が待ってる。
そんな新鮮な気持ちで、俺は藤林の家に帰っていったのだった。