猫だまし
お待たせいたしました。こちらから本遍が始まります。
前章より幾分長く続きました。時間に余裕があるときにどうぞ。
この日が、この街の未来が変わった日なんて思えなかった。
「ねぇ、知ってる?この辺りにも駐屯兵の増員が決まったんだって」
「信じられねぇ、また送られるのか。兵士が増えても、治安はよくならねぇってのに」
市街地として賑わうとある島。高台の中央広場から沿岸部にかけてメインストリートがある。
その細い裏路地の奥で、小声で二人の若者が話し合っていた。ゴミ袋や廃材、ドラム缶、使い込まれた家具。あらゆるものが集められている。穴の開いたゴミ箱の上に座っている少年は答えた。
「うん、間違いないよ。『刺青者がいるらしいが、まともじゃない。』って、マロが言ってた」
「ほぉー。アイツ、自警団に入団したようだが、元気にしてんのかねぇ」
机に腰掛け軋む音を聞きながら、もう一人の男は空を仰いだ。
今日はよく晴れている。臭いこそは酷いが、静寂を守っていると、活気のある街の声が聞こえる。
「なんとか、うまくやってるみたいだった。そんでもって、今日ここで待ち合わるはずの時間なんだけど……」
少年は少し錆びた腕時計を見る。
「サウル、お前の時計がずれているんじゃないのか」
「絶対ずれてないもん。それにマロは約束に遅れないよ」
サウルと呼ばれた少年は即座に答えた。そのとき、落下物が袋の山を音をたてて崩した。
二人は、はっとして音がした方向を振り向いた。
「誰だ?」静寂に声が響く。
「空からのお土産としては、鈍い音だったね。クレタスは何だと思う?」
警戒心をむき出した男クレタスとは対照的に、サウルは好奇心からか、ゴミ箱から降りて忍び足で近づいていく。
その肩をクレタスが止めた。手首には細い線が幾重にも交差し、模様を描いている。縁取りがぼんやりと、青白い光を放っていた。
「いや、あれは人だ。俺の印が疼いている。おそらく刺青者だ」
サウルは小声で残念と呟いた。先ほどの笑みは無い。
崩れたゴミ袋の山の中からは咳き込む声が聞こえる。
「俺は街のやつらを覚えてはいるが、てめぇは余所者か。……行商人の護衛の傭兵ならともかく、こんな場所をうろつくたぁ、大抵は変わりもんだ」
彼は大きめの声でそう言いながら、ベルトに仕込んである小刀を音をたてずに抜いた。
咳の声は話の途中で止んでいた。
「5秒待ってやる。そのうちに正体を現し、退く準備でもしていろ。さもなくば――」
「コラ、勝手に代弁するな」
クレタスはサウルを睨む。代弁じゃないよ、真似しただけだよ。と言って少年は続けた。
「だって、兄は腕が立つほうの、賞金荒稼ぎだもん」
一言余計だ。そう彼が思ったとき袋の波が動いた。やはりお尋ね者か。
「いつーつ」サウルが秒針を見ながら言った。
相手もいきなりのカウントダウンに驚いたのだろう。音がはっきりと聞こえる。クレタスはその場所に近づく。
「よぉーつ」
目の前に潜んでいるはずだが姿は見えなかった。袋をどける他にない。
「みぃーつ!」
場所は特定できたものの、奥へ移動していった。クレタスは袋の上に這い上がり、探し出す。
「ふたーつ!」
(……ここか!)
手を伸ばした時、勢いよくゴミ袋がクレタスの顔面に直撃した。そしてぐらついた彼の頭上を何者かが飛び越えた。同時に古いレンガ造りの曲一角から「おれは遅れていないぞ!」という声が響く。
「マロっ!」
「そいつを捕まえろ!」喜びに沸いた声が彼の一声で、駆けつけた青年マロの表情が凍った。
おれが気がついた時は、目の前に彼はいた。ストレートに拳が飛んでくるのを感づいた。
裏路地には気が短い奴もいる。そんな関係もあれば、取っ組み合いにも慣れてしまった。
足を使った反撃を試みたが、目の前で大きな音がした。
驚いて、そのまま転んだ。
男もとっさに跳びかかり、真上の地面に着地した。
仰向けで隙だらけのおれには目もくれず、見事な壁蹴りで去って行った。あっけにとられて、そのまま見送ることしかできなかった。
「マロにぃ! やっぱり来てくれたんだ!」
会ってないのは数日だけなのに、こいつはやたらと喜んでくれる。サウルの中では俺は何年会っていないんだか解らなくなって、苦笑するしかない。
「お前は何であんな単純な『猫だまし』に引っかかるんだ」
「兄も追いつけてなかったじゃないか!」その一声から始まって、またじゃれあう喧嘩になった。
彼らとは長い付き合いで、信頼している。
仕事だからって仕方なく付き合っている駐屯兵とはわけが違う。おれが最も素を出せる場所、仲間がいて、くつろげて、楽しく有意義な時間をすごせるのがこの辺りの裏路地だ。
もっとも、今日の話題はさっきの男と今夜決行の作戦話でもちきりだった。
ただでさえ街に刺青者ひとりやってくるのも大変なのに、もう一人血の気の多い奴が増えたらどうなることやら。例がここに一人いる。
「今回は糸にはかかった。次あったら逃がさねぇ。ぜってー、捕らえてやる」
「……あぁ言ってるけど?」
「ほっとけ、いつもだろ」
サウルはあぁなるんじゃねぇよ、と付け加えたかったがやめた。後々面倒だ。
刺青者ではないおれには、なんでそんなことで熱心になれるのかもわからない。あいつらとはなんだか反りが合わない。クレタスは、例外で慣れた。
んじゃま、おれそろそろ部署戻るわ。そう告げて分かれる。
早く行かないと、昼休みが終わっちまう。足元を見る暇もなく路地を走り抜ける。
おれの家族にはもう一人時間にシビアなやつがいる。しかもそいつはサウルより厳しく、恐ろしい。遅れたりなんてしたら、今季ならもれなく地獄の罰ゲームつき。
姉だ。
ご精読、ありがとうございます。
現在の予定としては、この辺でおよそ全体部の4分の1程度です。
今後とも一章を何分割かに分けて更新していくつもりですので、
(調子に乗らせていただきますと)次章もご期待ください。