第2話 拾われた日
クラウスが出ていったあとの家は、少しだけ静かすぎる。
さっきまでそこにいたはずの気配が消えて、胸の奥がすうっと冷える。
「……変なの」
昔は、ひとりが当たり前だったのに。
今はこの静けさが、やけに落ち着かない。
洗った鍋を棚に戻しながら、私は小さくため息をついた。
窓から差し込む朝の光。
二人分のカップ。
壁に立てかけられた、彼の剣。
どこを見ても、クラウスがいる。
それだけで、胸がじんわり温かくなる。
……いつからだろう。
こんなふうに、この家が「帰る場所」になったのは。
◇◇◇
あの日のことを、ふと思い出す。
まだこの街に来たばかりの頃。
魔法は失敗続き。お金もない。頼れる人もいない。
住み込みの仕事も三日でクビになった。
「危険すぎるからやめてくれ」って。
正論すぎて何も言えなかった。
雨が降っていた。
冷たい石畳に座り込んで、膝を抱えて。
お腹が空いて、頭がぼんやりして。
ああ、もう無理かも、って。
そんなことを考えてた。
……正直、ちょっとだけ。
このまま消えてもいいかな、なんて思った。
「おい」
低い声が降ってきた。
顔を上げると、騎士服の青年が立っていた。
真面目そうで、無愛想で、怖そうで。
第一印象は正直「こわ……」だった。
「こんなところで寝るな。死ぬぞ」
「……寝てません」
「そうか」
興味なさそうに頷いて、それで終わり。
……だと思ったのに。
数歩進んで、ぴたりと止まって。
「行くあては」
「……ない、です」
変に強がる気力もなかった。
すると彼は、少しだけ考えてから。
「なら、来い」
「……え?」
「住む場所くらいはある」
当たり前みたいに言った。
まるで「今日雨だから傘貸す」くらいの軽さで。
同情でも、優しさアピールでもなくて。
本当にただの事実みたいに。
そして、手を差し出した。
大きくて、あったかい手。
気づいたら、私はそれを掴んでいた。
その手は、驚くほどあたたかかった。
冷えきって感覚のなくなっていた指先が、じんわり溶けていくみたいに。
ぎゅっと握り返されたわけでもない。
ただ、離れないように軽く支えられているだけ。
それだけなのに。
胸の奥が、どうしようもなく苦しくなった。
優しくされたからじゃない。
守られたからでもない。
たぶん──
「当たり前みたいに隣に立たれた」のは、初めてだった。
かわいそうだから助ける、でもなく。
気まぐれでもなく。
ただ当然みたいに、
「来い」
って。
それが、どうしようもなく嬉しくて。
情けないくらい涙が出た。
慌てて袖で拭いたけど、きっと全部バレていたと思う。
クラウスは何も言わなかった。
何も聞かなかった。
ただ、歩幅を少しだけゆっくりにしてくれた。
それが、たまらなく優しかった。
ああ、この人についていこう。
そう思ったのは、あの時が初めてだった。
……あの時。
もし、あの手を取らなかったら。
今の私は、どこで何をしていたんだろう。
考えるだけで怖い。
◇◇◇
「……クラウスのせいだよ」
ぽつりと呟く。
あの人のせいで。
ひとりでも平気だったはずなのに。
誰にも期待しないって決めてたのに。
今はもう、隣にいないと落ち着かない。
笑ってほしいとか。
無事に帰ってきてほしいとか。
そんなことばっかり考えてる。
「これ、完全に……好きじゃん」
言ってから、顔が熱くなる。
遅すぎる自覚だ。
鍋を爆発させた理由だって、本当は分かってる。
チョコレート。
甘いやつ。
疲れて帰ってくるクラウスに、食べさせたかっただけ。
喜ぶ顔が見たかっただけ。
「……よし」
両頬をぱしんと叩く。
「次こそ成功させる」
爆発しない魔法。
ちゃんとおいしい料理。
胸を張って「できた」って言える私。
それを見て、あの人が少しでも笑ってくれたら。
たぶん、それだけで幸せだ。
袖をまくる。
深呼吸。
「今日は爆発させませんように……!」
小さく祈って、材料を並べた。
——数分後。
家の外まで響く、盛大な爆発音。
「……なんでぇぇぇ!?」
今日も平和だ。
たぶん。
きっと、騒がしくて幸せな一日になる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
クラウスとの出会いのお話でした。
次回も21:30更新です。




