第三部屋 幼馴染妹、現る(中編)
◇
辞世の句はやっぱり『わが生涯に一片の悔いなし』とかがいいのかな。辞世の句、詠んだことも見たこともないから知らんけど。というか悔いしかないんですけど。謂われもないことで死の危機に直面していることに、俺はどうしたって理不尽を感じずにはいられないんですが。
……いやいやいや、冷静になれ彰人。なんで俺は何も悪くないってことを理解しているのに、その上で死を覚悟しようとしているんだ。間違っているのは確実にこの状況であって、俺は何も間違っていないだろう?
ここは流石に抵抗、というか否定をしなければならない。きちんと俺じゃなく朱里がやったということを、いろいろな根拠を並べていくしかない。……藍里ちゃんにそれを伝えるのは滅茶苦茶怖いけれど、それでも事実を伝えて、なんとか死を回避しなければ。
「……え、ええと、喋ってもいい、……です、かね?」
「どうぞ? ようやく罪を白状する気になったのなら止めませんよ」
「い、いや、そういうことじゃなくてですね。あのぉ、……俺が書かせた、というのは?」
とりあえず俺は純粋な疑問を口にしてみた。いろいろと否定することから始めるよりも、きちんと彼女がどのように誤解をしているのかを把握しなければ、解決も何も図れなさそうだったから。
俺がそういうと、ぴく、と彼女の眉が動いた。眉間にしわを寄せるようにして「はぁぁ」とあからさまなくらいにものすごく大きなため息を吐く。視線はいつまでも俺のことを見下げていて、その目からは『そんなこともわからないの?』という意図が孕んでいるような気がした。というか絶対そういう意図で睨んできてる。
「いいですか?」と藍里ちゃんは口上を置いて、そこから語り始めていく。
「そもそもですよ。あのお姉ちゃんが卑猥な文言を書く、ということがありえないんです。そういった言葉を知っている節もありませんし、そういった言葉を知る情報元、つまりソースというものがお姉ちゃんの部屋にはないんです」
「……」
なんで姉の部屋にそういったものがないことを知っているんだよこえーよ。
「そんな姉がですよ? 未だに子供はコウノトリが運んでくると本当に思い込んでいるお姉ちゃんが、…………そ、その。え、えっち、っていう単語をですよ、発したり記すことはないはずなんですっ」
「まあそりゃアイツには無理だろうな──」
「──は? もしかしてお姉ちゃんを馬鹿にしてます?」
「──ひぃっ! め、滅相もございません……」
いや、藍里ちゃんが言ったから俺も肯定しただけなのに……。
「ともかくですよ」
藍里ちゃんはこれまた深い溜め息を吐き出した後に話を続けていく。
「そんなお姉ちゃんが書くことはない文字を何故か書いているんです。……ええ、確かに彰人さんの言う通り、あの筆跡はお姉ちゃんのもので間違いありませんよ。……でも、だからこそ彰人さんがお姉ちゃんに『書かせた』ということ以外じゃ辻褄が合わないんですよ」
「え、えぇ……?」
そこで俺に限定する意味あるかなぁ。朱里が影響を受けるのであれば、確実にアイツの女友達から借りてくる漫画とかの影響だと思うんですけど。
正直、そのままこの気持ちを伝えてもいいかもしれないけれど、それはそれとしてその事実を伝えたら新たな被害者が生まれてしまう可能性がある。
……二次被害を増やさないためにも、ここは何とか誤魔化していくしかない。
「で、でもですよ? 俺がアイツに書かせた証拠とかってないでしょう? ……そんな証拠もないのに俺を犯人だって決めつけるのは──」
「──ありますけど」
「流石にちょっと──、え、あるの……?」
え、なにそれこわい。俺の知らない証拠が勝手に出来上がっているこの世界怖い。
戸惑いしか生まれないこの状況。俺は唖然としながら藍里ちゃんを見る。
……この上ない嫌悪感を覚えているような、そんな苦虫を噛み潰したような表情。
「えっ、本当にあるんすか……?」
「なかったらこんな風に彰人さんを責めたりしないでしょうが」
「そ、そっすよね……、……」
ほんとかぁ? と言葉が漏れそうになったけれど、なんとか呑み込む。
藍里ちゃん、いつも俺を敵対視しているから、証拠なくても俺を食い殺しに来そうだけど、……それはともかくとしてだ。
「じゃ、じゃあその証拠とやらを見せてくださいよ……。俺もそれを見て納得できたら、もうなんでも言うこと聞きますから」
……まあ、『死ね』という命令以外なら聞いてやりますとも。俺ができる限りは。
「……いいでしょう」
藍里ちゃんはそれから得意げになったような表情を浮かべて、彼女の来ている制服からスマホを取り出していく。
……そして。
『……ええと、彰人が紙に気づいたら、ええと。ア、アレー? ナニナニー? エッチシナイトデレナイヘヤダッテェー? ……うーん、もっと声に気持ちを込めなきゃ──』
──幼馴染である朱里が、朱里の部屋で台本を読み込んでいる映像が、そうして俺の眼前に突きつけられた。
◇
えっ、なんでさも当然のようにこの妹ちゃんは姉の部屋を撮ってるの? 盗撮じゃないのこれ?
っていうかそれ以前に、なんかこの映像見てると恥ずかしくなるんだけど。なんだろう、めちゃくちゃ共感性羞恥を感じさせられるような──。
『──ア、アー! ナニアレー! エッチシナイトデレナイヘヤダッテェ?!──』
「──や、やめてさしあげて……。これ以上朱里の恥ずかしい姿を俺に見せないで……」
いろいろとツッコミたいところはあるけれど、それについてを口に出したら、すぐに首がチョンパされる運命を辿るだろうから、盗撮の件については口にしない。
……うん、そこは絶対につっつかない。
「ほら、その反応が証拠じゃないですか。あなたが作った台本を、お姉ちゃんは健気に読み込んで練習しているんですよ? その姿が後ろめたいから見たくないんでしょう? はあ、本当に最低ですよ彰人さん。あなたがそんな人だとは思いませんでした。健気で無知、純粋な姉を利用して、こんなことを仕組むなんて。……この、変態ッ」
蔑む視線が俺のすべてに注がれている。いや、俺がその映像を見続けたくないのは共感性羞恥からだし、そもそも朱里に手を出すなんて、高校生活における世間体がかかっているから、3ミリくらいしか考えたことないのに。
……それはそれとして、年下の子に変態って言われるの、傷つくのとは違う感覚があるな。なんだこれ、新しい感情……?
「……ほら、またそうやっていやらしいことを考えているじゃないですか。本当に変態はどこまでも変態でしかないんですね。……軽蔑します」
「い、いや? ちっとも考えてないけど?」
少し図星を突かれたような気がして、俺はそんな風に強がってみるけれど、もう藍里ちゃんの視線は俺から他のものに移っている。何を見ているんだ、とそう思ったけれど……。
「変態と同じ空気を吸うのも嫌になってきました。……窓開けて新鮮な空気を吸わなきゃ」
……単純に、軽蔑している対象である俺に視線を合わせたくなかったらしい。藍里ちゃんはそれから言葉通りに窓際の方まで行って、窓を豪快に開けていく。
そうして吹く風。熱風。夏に吹く風は、どこかドライヤーのようにも感じる。まあ、あれよりもじめっとしているからドライヤーの方がましだけど。
ただ、それでも冷房を付け始めたばかりの部屋には少しの清涼剤くらいの役割は果たしていて、それはなかなかの強さを持った風が部屋に流れ込んでくる──。
──バタンッ。
「ん?」
「え」
──そんな、何かが開閉する音が背中の方から聞こえてくる。
俺はそうして後ろを見た。
ぺらぺらと風に靡く、卑猥な文言が書かれた書き初め用紙。どれだけ風が強くても剥がれず、そして破れずにいつまでもドアの上に鎮座している。
そして、──強風によって勢いよく閉まってしまったドアの姿。
……更に。
「──と、とうとう私にまで手を出そうって言うんですか……!? こ、この色情魔ァ!」
そんなドアの音に反応した藍里ちゃんの、これでもか、ってくらいに俺を責めるような、その視線、声、言葉。
えぇ……、俺悪くないのに……。
俺はそんな戸惑いと諦めを抱いたような溜め息を吐くことしかできなかった。
この幼馴染姉妹、どっちもどっちじゃね?
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