第二部屋 ……そして、脱出(後編)
◇
「あ、アー! ナンデワタシ、アキトノヘヤデネチャッテルンダロー? スッゴイビックリー!」
そうして顔を起こした朱里は、未だにベッドへともたれる姿勢だけは崩さないまま言葉を話す。ただ、話している言葉については日本人とは思えない台詞読み。まるで海外から観光しに来た人みたいな発音で言葉を並べてくる。一応、言葉の意味については理解できるけれど、あまりにも言葉の抑揚がないのとあまりの片言でしかない言語の雰囲気で、俺は呆然とすることしかできなかった。
……というか、なぜ今になって起きたし、マジで。なんで俺がさっき声かけたときに起きてこなかったんすか……。
そんなツッコミをしたい気持ちはあったけれど、それを言うことはしなかった。だって面倒だったから。俺にはこいつの考えていることなんて理解できないだろうから、俺はすべてを放棄するという意味合いで考えることをやめてしまった。
「や、やあ朱里。そうだなー、不思議だなー? いやあ、それにしてもいい朝だな、うん」
返すべき台詞がこれで合っているのかはわからない。まず俺の部屋で寝ているふりをしていたことか、それとも部屋に貼りつけられているいかがわしい命令文について言及すればいいのか、そのどちらとも選ぶべきではないのかわからない。
だから、とりあえず挨拶だけを促して、それから朱里の言葉を待つことにした。
……だって、どうせ何か俺からアクションを起こしたとしても、足首を掴まれるという力づくの行動で遮られるわけだし。
そうして朱里はベッドにもたれながら、顔をひたすらこちらへと向けながら「そ、ソダネー? イイ朝ダネー?」なんて返してくる。
いや、さっさと立ってくれよ。そう思うけれど、俺も曖昧にうなずきながら「そ、そうだな」と恐怖が混じってしまったが故の上ずった声で返事をした。
「ウンウン、イイ朝ダヨイイ朝!」
「……うん、そうだな」
「ウン! イイ朝ダナー!」
「…………うん、そうだな」
「……うん」
「……」
──いや、お前から話を広げろよ。
俺、今朱里が怖くて仕方ないんよ。何かしたら骨が軋むような思いをしそうだから、俺から話は広げられないんすよ。どうせ俺が扉に向かっていったら足首掴んでくるんでしょう?! アキレス腱をつぶしにかかるんでしょう?! 怖い、怖いよ俺。そんな状況の中で俺に言葉の選択権なんてあるわけないだろうが!!
結局、それ以外に朱里がつぶやく言葉はなかった。次第に沈黙というか、窓から吹き抜けてくる風がカーテンを靡かせる音と、そして天井に貼り付けられているいかがわしい文言をペラペラと靡かせる音だけが響いていく。
……いや、今このタイミングこそちょうどいいのでは?
俺は視線を天井に向けた。天井に向けて、それから「あっ」と気づいたような声をあげて、そこに指をさしてみる。
「な、なんか貼られてるなぁ? なんだあれ?」
我ながらすっごい棒読みだな、とは思うけれど、それでもこいつの片言台詞読みよりかはマシなような気がしてきた。
互いに演技をするだけの空間。なんで俺はここで演劇をやらされているのかはわからないけれど、それでも俺が発した台詞に朱里は顔も上げていないのに「ア、アレー!? ナニアレー?!」と大げさな声をあげていく。
「ナニナニー? ……エッ、エッチシナイトデレナイヘヤ、ダッテー?」
「……」
いや、せめて顔をあげてくれよ。俺の顔だけを見つめながらそんなことを言われても反応に困るよ俺。せめて演技をするのなら因果関係だけははっきりしようよ。そこで紙を見ないで台詞を並べたら、確実にお前が仕込んだこと丸わかりじゃないすか。
「……というか、そろそろ立てば? なんでずっとベッドにもたれてるんだよ」
「……あっ、それもそうだね?」
途端、朱里は饒舌というか普段通りの言葉遣いに切り替わっていく。
……どうやら用意していた台詞に関しては片言になるっぽい。今のは俺の言葉に素で反応したから、いつも通りの雰囲気を感じられたのだろう。
そうして朱里は「よいしょっ」と言いながら、ゆっくりと体を起こしていく。顔だけ向けていた姿勢から、ゆっくりとこちらと対面するために起立の姿勢へと切り替え──。
「──あ、あしが……」
「へっ?」
──られなかった。
「──あしがしびれて、立てない……」
◇
俺のベッドの高さについてではあるが、そこまで高い位置にはない。低身長である朱里がもたれて眠っている(ふりができる)くらいの高さにある。ホームセンターで安く売っていたものだからこそ、そんな高さをしている。……いや、別に安いから低いわけでもないか。どうでもいいかもしれない。
ともかく、その高さを朱里は結構な具合で気に入っていたのを俺はよく覚えている。『わたしサイズだー!』なんて言いながら、人のベッドであることも忘れて、上にのってぴょんぴょんと跳ねていた記憶も残っている。
さて、ここで問題である。
そんな高さのベッドの上でもたれると人間の姿勢というものはどのように落ち着くだろうか。ちなみにこれを考えるときは、上半身がベッドに不完全にもたれるものとする。だいたい頭と肩、それくらいが乗っている姿勢を想像してもらえればいい。
どう? わかったかな? おおよそ想像ついたかな?
というわけで正解を発表しようか。
──そう、正解は正座である。
◇
「あ、あきとぉ……! 足しびれたぁ……!」
「……」
まあ、そりゃそうなるよな、とはなんとなく思った。
今更気づいたことではあるけれど、朱里の姿勢はは半ば正座のような形に近い。というかほぼ正座だ。
体重の大半がベッドに寄りかかっていると考えても、それでも足を折り曲げることによる血流の阻害は、だんだんと痺れとして身体に現れてくる。それがどのタイミングになるのかは人それぞれではある。朱里に関しては書道もやっていたから、おそらく結構な耐性もついているとは思うのだが──。
「ちなみに、いつからその体勢で……?」
「……よ、四時くらい、です」
「なんでそんな早くから?!」
現在の時刻は六時ちょっとすぎ。おおよそ二時間ほども同じ姿勢でいたこの執念がめちゃくちゃ怖い。
「だってぇ、だってぇ……」
朱里はそう言いながら、今にも泣き出しそうな顔を浮かべていく。……いや、泣き出しそう、というか、悔しそうな表情というか。
……ちょっと、そそられる部分がある気がする。
「……えい」
俺はそんな悪戯心で、なんとなく彼女の痺れているらしい足に触れてみる。
「ひゃぁっ!? や、やめ──」
「えい、えい」
「じんじんする、じんじんするからぁ──」
「えいえいえいえいえいえいえい」
「やめてってばぁ!!──」
──これも、俺の足首を破壊(未遂)しようとした報いだ。
心の中でそう呟きながら、俺はにたにたと笑う。
とりあえず、しばらく朱里が動けない、というのであれば──。
「よし、朝の支度してくるわ!」
「え、あ、ちょ──」
「お前も早く来いよな!」
「ま、待ってよぉ!!」
そうして、俺は自室のドア上に貼られている『えっちしないと出れない部屋』という文言を見なかったことにして、そのまま脱出していく。
ま、学校に行く頃には朱里も降りてくるだろう。
俺は頭に過るいろいろなことも見なかったことにしながら、ゆっくりと早起きしたことによって生まれた時間を使うことにした。
ある意味えっちはできたね。HayaokiのHだけどね。
というわけで第二部屋は終了ですが、次回はまた内訳(幼馴染視点)です。
よろしくお願いします!




