第二部屋 ……そして、脱出(前編)
◇
──目が覚めたら、そこはえっちしないと出れない部屋(絶対)でした……。
目を覚ましてから、いつも通りに天井を確認してみれば、そんな文言が貼ってある。確か昨日、帰ってからいちいち剥がして隅っこに置いたはずなのに、その甲斐はなく、再びそこには書き初め用紙が貼られてある。しかも、三枚にも連なって。
『ここはえっちしないと出れない部屋です』
『マジでえっちしないと出れない部屋です』
『絶対にえっちしないと出れない部屋です』
以前見たときと同じように、筆での太文字でそれらが記されている書き初め用紙。ただ、三枚中二枚がどうにも上手く貼りつけられていないのか、かすかに開けている窓から届く風によって、今にも剥がれようとしている。俺はそんな紙のペラペラと靡く音によって目が覚めた。
……そして。
「……すやー、すやー」
──完全に寝たふりを決め込んでいる幼馴染である朱里が、昨日と同じようにベッドにもたれている姿を視界に入れる。
◇
「……またかよ」
俺は呆れてため息をついた。
時間帯はおおよそ六時頃。学校に行くにしては早い時間帯。いつもであれば目覚ましをつけているので、そのアラームによって目を覚ますはずなのだが、昨日から自室に違和を覚える状況が続いているせいか、なんとなく朝早くから目を覚ましていることが増えている気がする。
そして、これ見よがしとしか言えないくらいに、はっきりとアピールするように貼り付けられている例の文言。
『《《絶対》》にえっちしないと出れない部屋です』
特に、三枚の中の一枚であるその紙の、『絶対』という部分は感情がめちゃくちゃ込められているように、とても筆圧が強く、そして太い。
「今度は何の漫画にはまったんだよ……」
確実に寝ているふりをしている朱里に、俺はそれとなく聞いてみるけれ──。
「──んふ、……あっ、……すやー、すやー」
俺の幼馴染はそれでも無視を決め込んだ。……いや、確実に一瞬、俺の言葉に反応していたような気もするけれど、なんとなくその反射的な反応が間違いだと思ったのか、再び寝ているふりを決め込んでいるようだった。
「……ふーん」
俺は意味ありげな息を吐き出しながら、そうしてようやくベッドから身体を起こしていく。
夏というだけあって、もう太陽は既に明るい陽射しをこちらへと差し込んでいる。一応、まだ冷房の残り香、というか空気があるからか居心地については悪くはないけれど、それでもここに留まる意味はない。
早起きは三文の徳という。それは時間を無駄にしない、ということを人間の教訓として示したものだと俺は思う。
それならば、そうであるのならば──。
「さっさと朝の支度をしなきゃなあ──」
俺はそんな独り言(朱里に向けている時点で独り言ではないことはわかっているが)を呟きながら、ゆっくりと扉の方へと歩みを進めていく。
……が。
──がしっ。
「──えっ?」
「……すやー、すやー?」
──寝ているふりをしている朱里に、足をぎゅっと掴まれてしまった。
◇
「……おい」
「すやー、すやー」
「おいって」
「すやー、すやー?」
「おい朱里」
「すやー……、も、もう食べられないよぉ……」
そんなべた過ぎる寝言があるか、って大きな声でツッコミたくなったけれど、それでも俺はその衝動を堪えて、ふう、と息をついた。早朝だし、唐突に大声でツッコミを入れるのはご近所様に迷惑だからね、仕方ないね。
「いや、俺もう行くから」
結局、朱里は俺の声に返事をすることがなかったので、俺はそれでも掴まれている足を振りほどくようにして、扉の方へと向かう、……けれど。
「すやー、すやー」
──こいつ、思いのほか力が強ェ!
いや、文武両道の文だけを抜かしたような人間ではあると思っていたけれど、それでもこいつのフィジカルってここまでのものでしたっけ?!
というか、ここまでしているこいつの執念は何なんだよ! 意味わかんないんだけど!
「……はあ」
……さて、まだ時間はある。
きっと、これは俺の足を掴んでいる朱里が望むとおりに行動をしなければいけないわけではあるのだが、ここでえっち、という手段を取っていいのか、ということについては疑念、もしくは憂いが残る。
──だってこいつ、絶対えっちとかいう概念知らないし。
そもそも、ここは相場で言うのならば《《セ〇クスしないと出れない部屋》》だろうに。それをどうしてえっちだなんていう風に表記しているのか、ということを考えれば自ずと彼女が性知識を持っていないことを理解できるはずだ。
こいつの性知識のレベルについては小学校三年生くらい。う〇ちとかち〇ことか、そういうので笑うことをやめられたくらいのレベルでしかない。
もし、ここが本当に性的な行為をしなければ出られない部屋、というのならば仕方がない。昨日みたいに憂いを持つこともなく、慎重に朱里と、ええと、その。まあ、やる、というかなんというか。結ばれる、というか、まあ、うん。とりあえず、そんなことはしてみるけれど。
あくまでこれは現実なのだ。現実の上で、合意のない女性を、それも性知識のない人間と結ばれることは犯罪でしかない。いや、もし未必の故意というか、ある意味での合意があったとしても、それを朱里に行うことは、なんとも後ろめたい気持ちを抱えてしまう。
……あと、本音を言うのならば、クラスの女子が一番怖い。
◆
ある一場面にて。
『ほらあかりちゃん? 私のハンバーグ食べるぅ?』
『えっ!? いいのぉ?! 食べるぅ!』
◆
もしくは一場面にて。
『あかりちゃんって、好きな人とかいるのかなぁ?』
『え、うんっ! いるよぉ!』
◆
さらにあった一場面にて。
『あかりちゃんは、子ども何人ほしいのかなぁ?』
『え、そ、そうだなぁ。コウノトリさん、運ぶの大変そうだから、せめて二人くらいがいいなぁ!』
◇
──完全に純粋無垢、その上で人間というよりもマスコット扱いをされている朱里に対して、もし少しでも不埒な行為を働いてしまえば、自ずとどうなるかについては理解できてしまう。
『彰人くん、だっけ? 君、朱里ちゃんの幼馴染、とかなんだっけ? ……ふーん、だから手を出したんだ。へえ。……最悪だね、──この《《ロリコン》》』
そんな誹謗中傷がクラスの女連中に言われる様なんて、想像に難くない。誕生日だけなら朱里の方が早い、なんて言い訳をしても、彼女らは俺の言葉に耳を傾けることなんてないだろう。
……うん、マジで容易に冷たい目を浮かべるギャルたちが想像できちまう。ただでさえ朱里と弁当食べるときとか、めっちゃ視線怖いのに。
だから、俺は彼女に手を出すことは許されない。
……いや、許されたとしても俺は手を出す気なんてないんだけど。
後半へ続きます……。
それはそれとしてあほ可愛い幼馴染って、いいよね。




