第七部屋 何もない一日、からの……③
◇
俺と朱里は朝食をとった後、互いに朝の支度を済ませていった。といっても、朱里の方は既に準備は万端で、俺が寝ぼけながら顔を洗ったり、持っていくものを朱里に確認したりなど、全部が俺の支度でしかなかったけれど、それでもなんとか準備を終えた後、一緒に家から学校へと向かう。
玄関を開ければ、たまたま同時くらいに隣の家である朱里のお家の方からもドアを開ける音が聞こえてくる。その音に目を合わせると、中学校の制服を着ている藍里ちゃんが視界に入った。
何か言葉をかけた方がいいのかな、と思ったけれど、昨日のことが頭に残っているために、ただ手を振ることしかできなかった。彼女はそれに気づいていなかったけれど、俺と朱里が一緒に道路へと踏み出す瞬間、一瞬だけ目が合って、秒速で反対の道へと走っていった。それはもう神速って感じで。……っていうかあれ、中学校の方向と逆じゃね? そんなに俺に会いたくねぇのかな……。ちょっとだけ傷つくな……。
「今日も藍里は元気だなぁ!」
そんな彼女の後ろ姿を見て、うんうん、と頷きながら笑顔を振りまくけれど、俺はその笑顔には何も言えない。……言えるわけがない。別に後ろめたいことも何もないのだけれど、藍里ちゃんの名誉を守るためには沈黙が一番だと思った。
そんなことを考えながらの登校道。るんるん、と朱里は鼻歌でも歌いそうな笑顔を浮かべながら、ゆっくりと一緒に学校へと歩いていく。
ゆったりした朝の登校も久しぶりに感じる。たった数日、あの部屋で閉じ込められるだけのごっこ遊びを繰り返していただけなのに、それでも色々なものを懐かしく感じて仕方がない。
「だいじょうぶ?」
ぼんやりと惜しむような気持ちを抱えながら前を向いていると、笑顔から途端に不安そうな表情に切り替わった朱里がこちらの目を覗いてくる。
「やっぱり朝から元気ないよね? ねっちゅーしょーってやつ?」
実際、彼女の言う通りではある。恒例となっていた気がする『えっちしないと出れない部屋』での関わりが今日から失われた、ということを思うと、どうしようもなく悲しくなる。
……うう、『えっちしないと出れない部屋』がどれだけ癒し効果があったのか、俺はきちんと理解するべきだったんだ。なんで当時はあれだけで済ませたんだ俺……。あの部屋に閉じ込められている間、なんだかんだ好き放題やっても許されるような空気感もあったし……。もったいない、本当にもったいないよ俺……。
まあ、それはそれとして。
「……もう一回、熱中症って言ってくれないかな。ゆっくりで。そしたら元気出るから」
「え、うん、わかった!」
俺は彼女の返事を聞いた後、すかさずポケットからスマートフォンを取り出して、とりあえずボイスレコーダーを起動してみる。……あ、カメラでビデオ撮影の方がよかったなクソ! ピコンって音が聞こえるのが嫌だったから、本能的にボイスレコーダーを選択してしまった。
「ねぇ、ちゅー、しょー」
「うーん、もっと熱中症の症の部分をゆっくりにしてだな……。あとあれだ。疑問形で頼む」
今のうちにカメラに切り替えて──。
「ねえ、ちゅー、しよー?」
(────してえッ!!)
──あ、カメラ起動したのはいいけど、ビデオに変えるの忘れてた……。
結局、カメラで撮れたのは、こちらに向かってチューを懇願する朱里の可愛い表情だけであり、音は録れていない。……なんたる不覚ッ!
……いや、まあそれはそれとしてこれはこれでいい写真だな。きちんと朱里フォルダに保存しとこ。
そんな俺の邪な気持ちが、もしくは魔というものが差し込みまくった時間を過ごしながら、俺と朱里は雑談を繰り返して登校道を歩いて行った。
◇
あと数分もしないくらいで学校につくくらいの道。まばらにうちの高校の制服を着ている生徒が通りがかるのが目に入る。
……いやだなぁ。俺、クラスだとぼっちだからなぁ……。
学校で何度か友達を作ろうと、それとなく乗っかれそうな話題に便乗して仲良くなろうとしたことはあるけれど、結果は今のところ惨敗。……というか、実際それで仲良くなるまではいいものの、俺が朱里の幼馴染である、という事実が知られた時点で、途端に憎々し気な目へと変わって、以降関わりを持ってくれなくなる。いや、関わりを持ってくれるは持ってくれるものの、なんといえばいいのだろう……。なんというか苦情というかクレームというか、率直に言えば妬み嫉みみたいなことで呼び出しを喰らって、別室でお話合いをすることが今の関わり、という感じ。
そんなことばっかりだから、入学した当初は朱里とばかり昼食を食べていたけれど、こいつはこいつで普通にコミュ力があるというか、誰に対しても分け隔てなく接するから、今のところの俺の昼食はぼっち飯。なんとも悲しいことである。
……たまに付き合ってくれるけどね、朱里、優しいから。ただ、彼女には悪いけど昼食に付き合ってくれる度にクラスの視線が痛いほどに刺さるから、正直なんとも言えない部分はある。
「──って聞いてる?」
「……へ?」
そんな憂いについて考えていると、朱里は俺に向けて話を振っていたのだろう、少し怒ったような表情(あからさまに頬に空気を詰め込んで、プンプン! 私、怒ってますよー! という感じの顔)をしてこちらを見つめてくる。
「だから! 今日は一緒でいいよね?!」
「あー……」
昼食の話か。ちょうどそれについて考えていたなぁ、と思いながら「おっけ」と軽く返事をする。
クラスの視線は痛いけれど、それはそれとして朱里の誘いを断ることはしない。ぶっちゃけクラスの視線は怖いけれど、朱里と過ごす時間の対価としてはすごく安い気がするので、別にどうでもいいっちゃどうでもいい。
「やった! じゃあ今日一緒に帰ろうね! あ、パジャマとか忘れないでね! 歯磨きも!」
「あいあい、わかりましたわかりました。それじゃあ今日も一緒に──」
──パジャマ? 歯磨き? なんで? Why?
何の話? と聞き返すには既に遅かったらしく、朱里は「花に水やりしてくるー!」と目の前の校門を急いで駆けていく。
……え、マジで何の話!?
憂いに夢中で聞いていなかった彼女の言葉に、俺は戸惑いを抱くことしかできませんでした……。
さて、なんの話だったんだろうなぁ、さっぱりわからんなぁ。




