第七部屋 何もない一日、からの……②
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どうしてもスッキリしない感覚が頭の中に残っていたけれど、それでも階段を下りていけば、いい雰囲気を感じるような朝食の匂いが鼻腔をくすぐった。
そんな日常感のある香りの発生源であるリビングの方へと入っていけば、もう家族同然とでも言わんばかりに堂々と台所を占拠している朱里がそこにはいる。制服の上にエプロン姿、ちんまりしている身長ではあるものの、それはそれとして可愛いと感じる装いで。
見慣れてる光景、見慣れている姿。見慣れているけれどなんだか久しぶりな感じ。
ここ数日の朱里の行動が変だっただけで、本来はこれが俺の日常ではある。朱里は母さんから家の合鍵をもらっていて、朝に弱い母に代わって俺に朝食を作ってくれている。確か、小学校五年生くらいから。家庭科の授業の影響から『わたしが毎日つくってあげるっ!』と三日坊主の始まりみたいな文言からスタートしたわけだけれど、それがこの数年に至るまで続いているのはすごいしありがたい。
しかもちゃんと美味しいと感じられるものを作ってくれるから、そればかりは本当に頭が上がらない。……文武両道の文を抜いたようなへっぽこな幼馴染ではあるけれど、嫁力という数字があるとするのならばダントツなんだろうな。普段の可愛さもプラスして。……そこに底抜けのアホというマイナス点が加味されるかもしれないけれど、そのアホさも可愛くはあるから文句は言えない。
「あきとおはよ! 朝ご飯出来てるよっ」
「おはよ……」
まあ、それはそれとして、ここ数日の朝の関わりがなくなったのは正直に言って寂しい。なんだろう、俺だけの幼馴染という部分を独占できていたような気がするから……、いや、今も独占してるんですけど。これを学校の連中に知られた瞬間に銃弾が飛んでくるくらいのことは自覚してるんですけど。
俺が気怠い声で返事をすると「あきとは朝が弱いなぁ」とぼやいてくる。その右手にはスポンジが握られていて、調理に使った後の器具を洗浄しているようだった。
テーブルには二人分の朝食。もちろんこれ全部が俺のものというわけではなく、俺と朱里の分。
「……俺も何か手伝おうか?」
いつもなら、そんな日常の大切さというものを理解していないから、朱里がいなくても先に食べてしまう(というか、つまみ食いというか。……どちらにしても変わらんな)のだけれど、今日はその大切さのようなものを身に染みて感じてしまったから、珍しくそんな声をかけた。
「えっ、めずらしいね! でも大丈夫! あとこれ洗うだけだから先食べてて!」
「おっけ、了解」
それなら俺は食べるしかないな、とテーブルに用意されている朝食に手を付けることにする。
トースト、ベーコンに目玉焼き、ケチャップがかけられているスクランブルエッグと三本のウィンナー。その隣にはシーザードレッシングがかけられているレタスのサラダ。横にはコンソメスープ。
(今日は洋食か。いいね)
そんな心の声を呟きながら、俺はそれらを平らげることにした。
ちなみに、ここ数日の朝食の風景としてはそもそも食べる時間がないか、もしくはコンビニでサンドイッチを買うか、という二択になっていた。
いつも朱里に手間をかけさせている手前、朝食がなかったとしても、それでコンビニのサンドイッチを買ったとしても文句は言えない部分が大きい。俺としては、少しの恩返しの気持ちで彼女に奢ることもできるから、それはそれでいいと思っている。
ただ、俺がコンビニで飯を買うとき、この上なく憎々し気で恨みがましい表情をサンドイッチに向けてくるの、食べづらいからあれだけはやめてほしい。
なんだろうあれ、サンドイッチが嫌いってわけじゃないだろうに。
「どう? 美味しい?」
「うん、おいひいよ」
俺はトーストを齧りながら返事をする。行儀の悪さは自覚しているけれど、すかさず返事をしないと、途端に朱里は不安そうな表情を浮かべてくるものだから、一切の隙なく返事をする。まあ、まだトーストしか食べていないんだけれど、それでも彼女の料理にハズレはないし、まずいという感想を呟いたことは三回しかない。その三回も、本当に最初の頃の、朱里オリジナル料理、と称したものだったから、それを踏まえるとハズレはない。マジでない。
「えへへ」と朱里は返事をしながら、そうして洗浄を終えていく。きゅ、と蛇口を捻る音が聞こえて、片手間にエプロンを脱ぐ姿が見えた。
よいしょ、と言いながらエプロンを脱ぐ際に触れたポニーテールの髪の毛を整えていく。
やっぱ夏服はいいねぇ。二の腕が見えやすいし。うん。素晴らしい。……じゃなくて、なんでもないです。隙あらば煩悩に思考をシフトするのやめようね俺。もうあの時間は帰ってこないのだから……、うぅ……。
「え、泣いてるのあきと」
「……いや、あれだ。あくびが目に入っただけだ」
「あくびって目に入るんだ!?」
「そうだぞ、よく覚えておけよー」
「うんっ、わかったぁ!」
彼女とそんなやりとりをしながら、今度は一緒に朝食を平らげていく。
うん、美味しい美味しい。そうだ、俺はこの時間こそを求めていたんじゃないか。もうえっちしないと出れない部屋のことなんて忘れてしまおう。……実際、えっちなんてできなかったし、しなかったしな!
もぐもぐ、と自らが作った料理を美味しそうに頬張る朱里の姿を見ながら、俺たちは朝の時間を一緒に過ごしていった。
これ書いているとき、現実とのギャップを感じすぎて壁を殴りそうになりました。
俺にもアホだけど嫁力高くてかわいい幼馴染がいてくれればなぁ……。




