第六部屋 幼馴染妹、暴走(前編)
◇
「……」
いつも通りの自室。なんとかさっきまで貼られていた書き初め用紙を丁寧に剥がして、さも何もなかったかのように振る舞っている、本当にいつも通りの自室。いや、実際何もなかったわけだけれども、それでもその部屋の中に居る目の前の女の子は、ものすごく殺意を込めてきた視線を俺に向けている。
沈黙。その重たい沈黙は呼吸をすることも憚られてしまう。部屋の中の冷房もまだつけていないせいで、無音だけがこの空間には響いている。そんな無音の中で呼吸の音を響かせれば、それだけでなんか殺されてしまいそうな、そんな感じの雰囲気。
「……え、ええと?」
俺はあまりにも尖った視線を送り続けている目の前の女の子、朱里の妹である藍里ちゃんに対して戸惑うような視線を送った。
「……」
「な、何用でござるか……?」
「……」
俺がなんとか恐怖を堪えながら彼女にそう聞くけれど、それでも彼女は何も言うことはない。
ただただ、人を殺す、いや、──俺を殺してやる、という殺意だけがこもった視線だけが、そこにはある。
え、ええ? 何? なんかやった俺?
俺は訳も分からないまま、ただ暑い部屋で汗に混じった焦燥感を垂れ流すことしかできなかった。
◇
今日も散々だったなぁ、と俺は家に帰ってから早々にベッドへと寝ころんだ。
今朝、生殺しとも言いようがない状況に追い込まれ、その上で悶々とした気分を発散することもできず、めちゃくちゃ苦しい状況で学校に行けば、爆弾発言を連発した朱里によってクラスの連中に確保され『ちょっと屋上行こうぜ』という言葉だけで察することのできる不穏な空気を味わったあと、なんとか誤解のないように話して和解をする。けれど、それだけでトラブルが終わることはなく、屋上からなんとか生き残った安堵感で教室に戻れば、今度はクラスのギャルさんたちから『話、あるんだけど』という風に言われ、空き教室でこれまた長い長いお話をして、昼休み全部の時間を和解に費やすという地獄のような一日を送った。
……俺、悪くないのにな。マジで。なんならムラムラが爆発して朱里を襲わなかった自分をめちゃくちゃ褒めてほしいくらいなんだけれど。
まあ、実際男子の面々には『お前のこと、誤解してたよ……』と生温かい目で見られて、一応褒められた? の扱いにしてもいいかもしれないけれど、ギャルさんたちは『あ?』と睨みつけてくるだけ睨みつけてきて、結局褒められもせず、はあ、と大きなため息をつかれるだけに終わった。それでもそのあとは慎ましい学校生活を送ることができたので、ギャルさんたちとも和解はできたような気がする。……気がするだけだけど。
そうして寝っ転がったベッド。天井に貼られている文言が視界に映っては、朝の状況を思い出して、どうしようもない悶々とした気持ちが心を支配する。
あれ、絶対ワンチャンあったよな? なんで俺襲わなかったんだ? いや、それが俺のいいところか? ……とまあ、ある意味で自分を慰める言葉を並べるけれど、それでも結局ムラムラしてしまった気持ちが消えることはなく、俺は天井を仰いでため息をつくことしかできなかった。
このままだと、本当にいつか朱里を襲ってしまいそうで怖い……。
襲ってしまったら最後、いや、最期。俺はクラスの連中に殺されるだろうし、ご近所さんには拷問をかけられて殺されると思う。自分の命を大切にするのであれば、このまま朱里のことは意識しないようになんとか生活を送るしかない。……マジで。これ以上は理性が持たないって。
俺は気だるさを背中に感じながらも、一度横になった身体を起こしてみる。冷房もつけなければいけないけれど、それよりもまず天井に貼られている文言を剥がさなければいけない。これを見るとどうしても今朝の朱里の二の腕を思い出してしまう。意識しないように気を付けるのであれば、まずは片付けるところから。
……いや、これを俺が片付けるのもおかしな話ではあると思うんですけどね? なんで俺がこんなことせなあかんのですか……。
そんな誰かに言いたい文句も結局俺は誰にも言えない。強いて言うのであれば朱里に言えばいいのだろうけれど、朱里は今日お友達とお出かけるらしいので、文句を言うタイミングもない。言ったところで『へ?』と言っていることを理解してくれないだろうから言う意味もない。
「はあ……」
俺、何やってるんだろ。
俺は天井に貼られているあの文言を剥がしながら、賢者タイム以上の虚しさを覚えてしまう。
もう、こうなったらめちゃくちゃ今日はエロ動画でもみようかな。そうしたほうがいいよな。
幸い両親も海外旅行に行っていて、家には俺一人。もしまた明日の朝になって朱里が忍び込んできたとしても、それでも色々枯れた状態なら対処もできるような気がする。ほら、賢者タイムのときって様々なことが俯瞰で見えるからね。それを活かさない手はないよね。
「さてさて、今日のおかずはどうしよっかなぁ──」
俺はそうして手元にある書き初め用紙の文言を見つめながら、これでいいかな、とか血迷ってみる。いやいや待て待て、流石に賢者タイムの効用があるとは言えど、これで致してしまったら意識がより強くなるのでは? ああ、それはよくない。いつも通り幼馴染物のアダルトビデ──。
──ガチャリ……。
そんな邪な欲望の発散をしているときに、そんなドアノブがひねられた音が聞こえてくる。
え? と声を出しながらドアの方へと視線を向ける。
……すると。
「……」
──クラスの連中の視線が冗談に思えるくらいの殺意がこもった視線を、俺に向けている藍里ちゃんがそこにはいた。
藍里ちゃん怖い……。それはさておき彰人くんは災難だったね……。




