95話
村の広場に、やわらかな風が流れていた。
「風よ、留まりて形を成せ」
ゼノスの声がその風に乗る。
指先から浮かび上がった魔法陣が、可視化するように淡く光った。
乾いた葉が落ちることなく、そこに浮遊している。
シオルの考えた『枯れない花』。
それを風魔法の理論で再構築するにあたり、ゼノスが最初に定めたのは――風圧を一定に保つことだった。
「まずは、風を激しく動かさないこと。押さず、吹かず、ただ“留める”だけです。風刃のように力を込めると、すぐに葉は飛んでいきます」
集まっているのは、カイルやリルを始めとした、村で風魔法を扱える者たちだ。
彼らは緊張した面持ちで、ゼノスの魔法を見つめている。
「まずはこの詠唱で、魔方陣を展開する練習からです」
手を伸ばし、詠唱を口にする。
「「……風よ、留まりて形を成せ」」
一度で成功する者もいれば、魔方陣が弾けて消えてしまう者もいる。
「焦らなくていいですよ。“留める”というのは、風を止めるのではなく、風に形を与えるということです。風は流れたがるもの。だからこそ、“ここにいなさい”と優しく命じるのです」
少し離れた場所で、私はその様子を眺めていた。
新しい風魔法──
その誕生を見た時、ゼノスの凄さに改めて感じ入ったのだ。
シオルは息をするように無詠唱で魔方陣を出す。恐らく別次元なんだと思う。
あれは常人には真似できないとゼノスはいう。
それを、風魔法に適性のある者なら誰でも扱えるように。ゼノスは理論を整理し、体系へと落とし込む必要があった。
ゼノスは嬉々としてそれを4段階のプロセスに分けることで、『枯れない花』へと繋がるように構築してしまった。
「風よ、留まりて形を成せ」
あちこちで音が紡がれていく。
こうやって新しい魔法が作られていくんだ、と。
目の前で見る事ができたのは、実はとても貴重なのではないだろうか。
ふと空を見上げる。どこまでも開けた青。
……そういえば。
レオンハルトとドルガンに、今回のスタンピードの礼をしたいって言った時の事を思い出す。
レオンハルトは義手の右腕を上げ、朗らかに笑った。
「もう貰ってるだろう?」
「いや、でも」
「これで十分すぎるほどだ」
ドルガンもジョッキ片手に鼻を鳴らす。
「世界初の希少鉱石を扱えたからな。あれ以上の報酬があるか」
「……ええぇ?」
「そういえば……」
二人は、この話はこれでお終い、と言わんばかりに違う話をし始めてしまった。
お礼をしたいのに難しい……。
ゼノスの声と一緒に子供たちの声も聞こえる。
とても楽しそうに、村人たちに新しい魔法を教えているゼノス。
魔導国の『賢者』は、それこそ立場的に後進の育成に忙しいはずだ。
それをずっとこの村に留まってもらっている。
ゼノスへのお礼……。
陽はすでに頭上へと近づきつつあり、空の青さが少しずつ白みを帯びていた。
「では今日はここまでにしましょう」
ゼノスの解散の言葉で、それぞれの家に帰っていく村人たち。
帰りながらも詠唱を繰り返している。
「お疲れ様!」
私が声をかけると、ゼノスが軽く片手をあげた。
「お礼ですか?」
「うん」
「そうですねえ」
「あの二人からは断られちゃって。義手があるから、とか鉱石触ったからとか」
「でしょうねえ」
村長の家に帰りながら、のんびりと会話を続ける。
「……もし、私にも出来るのであれば、ですが」
「うん?」
「シオルさんの転移を教えてもらいたいですね」
「転移?」
「ええ。あれはもう失われた古代魔術なんですよ。見る事ができただけでも幸運なんですが。もし使えたらと……」
仰ぐように、遠い空を見つめるゼノス。その横顔は、少年のように無垢だった。
シオルに対する三人の態度は、初対面からだいぶ変化していた。
レオンハルトは義手をもらってから、「シオル」呼びになるほど打ち解けていて。
ドルガンは剣のやりとりの際、二人でこそこそしていたせいか、妙にシオルに対する信頼感が厚い。
対してゼノスは、シオルの魔術にテンションが凄くあがるものの、一歩引いた感じだった。
同じ魔術を使う者として、シオルはその遥か頂きにいるのだろう。
何とかしたいな
そう思った私は、家に着くなりシオルに相談してみた。
「転移か……」
眉間に皺を寄せ、考えている。
こうなってくると、正直私には全く分からない。
「ナギなら習得できると思うが」
──びっくりした。え?本当?
「空間把握能力も使うからな。あれは」
「そうなんだ……」
「私と同じ魔術式でない『転移』も視野に入れてみるか」
「ごめんね……。皆の分、結局シオルからお礼してるみたいになってて」
義手も、鉱石もシオルがいなくては無理だった。
私が思わず項垂れると、
「夫婦なのだから当然だろう」
気にすることはない、目を細めて微笑みながらシオルが頭を撫でてくれた。
数週間後。
なんと、ゼノスは《空間門生成魔術》という新しい転移式を、シオルと一緒に完成させてしまった。
まだ不安定なようで、発動数に上限があるようなのだが。
「これを私だけでなく、数人一緒にくぐれるように魔術を磨かねばなりませんね」
人が二人通れるほどの、朧に揺れる漆黒の門。
その新しい魔法を見つめながら、ゼノスは少しだけ涙を滲ませていた。
それからまた暫くして──
ララベルたちが村へと戻ってきた。
中央の通達を添えて。
この村を中心とした軍事拠点化へ。
魔族の監視体制の構築へ。
慌ただしく商人や職人が訪れ、大量の資材が運び込まれた。
村の中央から少し南寄りの丘に新しい建物が建てられ、高い監視塔も兼ねたそこにはララベルたち王領代官代理が滞在するらしい。
また、大規模倉庫群も同時に計画された。
そして根幹の、村を基点とした三重防御線。第一重の外郭、第二重の中郭、そして第三重の内郭。
村はもはや“拠点”として設計され始めていた。
さらに東側――魔族の集落を囲うように、高い防壁が築かれることになった。
「ナギさま」
ララベルからリアノーラからの手紙を受け取った。
そこには──
議会では魔族に対する嫌悪感が強く、反発により決議が長引くことを避けるため、今回は監視という名の守りの檻で通したこと。
第一部隊の一部はそのまま駐留するため、いいように使いなさい。
くれぐれも無理はしないでね……。
そのような事が、リアノーラらしい言葉で綴られていた。
始めて会った時からずっと。リアノーラはナギを守ってくれる。
傷ついていた私を、真綿で包むように。
優しく、根気強く、何度でも――安らぎをくれた人。
大好きな、この世界のたった一人の『姉』。
彼女がいなければ自分は『勇者』になどなれなかっただろう。
――留める。
何が起ころうとも。私は食い止める。
この村にも、王都にも――指一本触れさせはしない。
流れる雲を見上げる。村には新しい風が生まれていた。
そして、そんな中――
事件は起きた。




