9話
中庭に増設されたテーブル(シオルの家から持ち出してきた)にも、村人たちが持ち寄った色とりどりの野菜や果物、手作りのパンやスープが並び、歓声と笑い声があふれていた。
鉄板で焼いたハンバーグの香ばしい匂いが、ゆっくりと外へも広がっていく。
私は窓の外を見て、どんどん集まってくる村人たちにびっくりしていた。
「ナギさん、この大量の肉料理あなたが作ったの?」
声をかけてくれたのは村の若い女性だ。
「あ、はい!みんなに食べてもらえたら嬉しいです」
リルとカイルも、にこにこと笑いながら私のそばに寄ってきた。
「ナギ姉ちゃん、これおいしい!」
その言葉に思わず胸が温かくなる。
村長さんもにこにことしながら、ケチャップ(もどき)をたっぷりつけたハンバーグを口に運んだ。
「おお、これは本当に美味い!」
皆が料理を手に取り、口に運ぶたびに「うまい!」「初めて食べる味だ!」と嬉しそうな声が響く。
村長さんが声を上げた。
「ナギさんとシオルさんのお祝いを始めるぞ!!」
(え……お祝い……?)
心の中で問いかける。ここ最近、村人たちと話したことがよみがえる。確かに「お祝いには赤」という言葉もあったけれど……。
「お祝いって、何の……?」
そう呟いた私に、村の女性たちが近づいてきた。
「ナギさん、これに着替えてもらうわね」
「え、着替え……?」
戸惑いながらも、女性たちに促されて自室へ連れて行かれる。
シオルもまた、村長たちに連れられて小屋へ消えていった。
「な、なにが始まるんだろう……」
渡されたのは、淡いクリーム色のワンピース―― 。
問答無用で着替えさせられ、姿見の前に立った瞬間、思わず息をのんだ。
柔らかな布地は光をすくい上げたようにやわらかく輝き、裾へ向かって銀糸の刺繍が花々のように連なっている。
首元はゆったりとしたドレープで、二の腕まで覆い、腰はやわらかく締められている。
足元も上等な柔らかいクリーム色の革靴に履き替えさせられた。
「せっかくだからお化粧もしちゃいましょう」
そう言われて、久々の化粧が施される。肩まで伸びていた髪は綺麗に細かく編み込まれ、小さなお団子にまとめられていった。
後ろで楽しそうに髪を整えている女性たちに鏡越しに聞いた。
「今日は何のお祝いなんですか?」
女性たちはにこやかに答える。
「ずっと準備してたのよ。ナギさんとシオルさんのお祝い」
「私たちのお祝い……?」
「まあまあ、後はこれを着けて」
そう言って、編み込まれた髪に小花を飾り、レース編みの短めのベールをそっと頭にのせられた。
着替えを終えて、自室の扉を開くと、廊下の向こうにシオルの姿があった。
淡いクリーム色の詰襟で、滑らかな光沢を帯びたゆったりとした長めのジャケットに、同じく上質な布で仕立てられた細長い帯状の布を首から下げている。
細身のズボンを合わせ、身ごろの一部には黒い刺繍でツタの文様が優雅に彩られていた。
彼と目が合った瞬間、シオルの瞳が驚きで大きく見開かれた。
「ナギ…とても、とても美しい…」
溜息をつくようにそう言われて思わず赤面する。
「綺麗にしてもらったから!それよりシオルも何か雰囲気違うね!」
慌てて照れ隠しの早口で返すと、シオルは少しだけ微笑んだ。
そのとき、村長の高らかな声が響いた。
「よし!主役の二人が揃ったな!乾杯じゃ!!!」
その掛け声に、リルとカイルが声をそろえて言った。
「二人はここに座って!」
促されるまま、中庭の椅子に腰を下ろす。
目の前には、美しい文様が施されたテーブルセットが広がっていた。
白木のカラトリーが整然と並び、その上には私が焼いたハンバーグをはじめ、村人たちが持ち寄った色とりどりのご馳走が所狭しと並んでいる。
「美味しそう……」と、私は思わず呟いた。
すると隣のシオルが、ほんの少し首をかしげて言った。
「ところで、今日は何の――」
その時、村人たちの元気な声が一斉に響いた。
「かんぱ~~~い!!!!」
その声にかき消されて、私たちの会話は途切れてしまった。
「…」
シオルと見つめ合い、私は思わず苦笑いを浮かべた。
村人たちの陽気な雰囲気にのまれながら、二人でグラスを掲げ、ゆっくりと乾杯したのだった。
村での祝祭から数日後の、とある日。
リアノーラは婚約者である第一王子エドワードに呼ばれ、王宮を訪れていた。
長い廊下には、壁に豪華な絵画が掛けられ、天井からはシャンデリアが煌めいている。静まり返った宮殿の空気が、歩く足音をわずかに響かせた。
王宮の東側にある執務室の前にたどり着き、軽く扉を叩くと、すぐに「入ってよい」と、エドワードの声が返ってきた。
凪海が王都を立ってから、既に半年以上が経っている。
その間に二人は、凪海の望みどおりに婚約を再び結び直していた。
様々なやじを飛ばす者もいたが──凪海を利用しようとした高位貴族を含め、「今こそ掃除の時」とばかりに二人はそれぞれ別々に膿みだしに張り切っていた。
「王国の光たるエドワード殿下に謹んでご挨拶申し上げます。グレイヴンホルム家、リアノーラでございます。このたびはお呼び立てと伺い、参上いたしました」
「そこに座ってくれ」
穏やかな声に促され、リアノーラは柔らかな椅子に腰を下ろした。
メイドが静かにお茶を用意し退出すると、エドワードも向かい合うように座り、陶器のティーカップを手に取る。
「久しぶりだな、リアノーラ」
彼の声にはいつもの厳格さの中に、少しだけ柔らかさが混じっていた。
「お久しぶりでございます、殿下。本日はどうなさいましたか?」
エドワードは一口お茶を含み、静かに続ける。
「ナギのことだ」
短く告げられた言葉に、リアノーラはわずかに眉を上げる。
静かな部屋の空気が、少しだけ緊張で張り詰めた。
「結婚したらしい」
その言葉を聞いた途端、リアノーラは思わず軽い失笑を漏らした。
「ご冗談を」
「冗談ではない。」
エドワードは静かに言葉を続けた。
「子飼いの商人がナギが今滞在している村へ行った際、丁度村人総出で祝っていた所だったらしい」
「は…?」
リアノーラは戸惑いを隠せず、思わず息を呑む。
「何かナギから、」
「聞いておりません。というか、ナギからの便りにはそのような内容は一切ございません。何かの間違いでは?」
彼女はすぐさま否定した。
エドワードはリアノーラからの圧を少し感じながらも、落ち着いた表情のまま話を続けた。
「………いや。その村の村長から新郎新婦が着そうな服がないか尋ねられて、せっかくだからとそのまま贈ったらしい」
「何かの間違いでは?人違いとか」
リアノーラはますます食い気味で否定する。
「いや、あやつはナギの顔を知っている。贈ったドレスを着て祝宴の真ん中で乾杯しているナギを見たそうだ」
「お相手は?」
「………かなりの美丈夫だったそうだ。少なくとも王都では見たことがなかったと、緊急で届けられた書簡に書かれていた」
「本当に結婚を…?」
リアノーラから笑顔が消えた。
「………そこではナギが手作りした”はんばーぐ”と”けちゃっぷ”とやらも振舞われたらしい。」
「………」
「あまりの美味しさにレシピを買い取りたいと申し出て来たそうだ。」
リアノーラはゆっくりと目を細めた。
「承知いたしました。殿下。私、急用がございますので、これにて御前失礼いたしますわ」
「………そうきたか」
エドワードはわずかに苦笑を浮かべる。
「では、ごきげんよう」
「………」
リアノーラは軽やかな足取りで振り返ることなく執務室の扉を開け、さっそうと去っていった。
静寂が戻った室内に、侍従が静かに入ってきた。エドワードは落ち着いた声で告げる。
「護衛で影を数人つけてくれ。おそらくナギの所に向かうはずだ。」
「かしこまりました。」
侍従は礼をして静かに退出した。
誰もいない執務室で、エドワードがひとり呟く。
「まさか先にナギが結婚するとはな……。」
その言葉には、どこか嬉しそうな、柔らかな感情が滲んでいた。
ナギは大人しそうな外見とは裏腹に、全く目が離せない勇者だった。
神殿から召喚された勇者が、まだ初々しい少女だと知らされた時、エドワードは密かに不安を覚えた。
「今の時代、魔王討伐は難しいかもしれない」と。
これまでの歴代勇者は、いずれも成人した男性ばかりだったからだ。
勇者の剣が王国の神殿に出現した際、誰もが男の勇者が選ばれ、現れるものだと信じて疑わなかった。
しかし実際に召喚の魔方陣に現れたのは――
背中まで流れる豊かな黒髪。
まるで星のように輝く大きな黒い瞳。
すっと通った鼻筋に、薄く繊細な唇。
そして透き通るように白い肌。
彼女の姿は、あまりに儚く、過酷な魔王討伐に向かうには似つかわしくないものだった。
だが、彼女はこの世界の神に選ばれた勇者である。
残酷だが、魔王討伐をお願いするほかなかった。
ナギはよく、「なぜ魔王を討伐しなくてはいけないのか?」と問いかけてきた。
「この世界の災禍だから」――ただその言葉しか答えられなかった。
見知らぬ世界から突然呼び出され、意味も分からぬまま、ただ“魔王”を討伐してほしいと願われる。
ナギはその願いを、黙って受け止めていた。
王家も神殿も、ナギを知る者たちは皆、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ナギが剣も魔力も使えないと分かった時、まず王国騎士団と魔法師団それぞれの団長に相談し、訓練をつけてもらうことになった。
ゆっくりと身につけてもらえたら……と願っていたが。
「殿下。勇者さまは我々の知らぬ力をお持ちのようです」
ある日、疲れた様子で騎士団長がやってきた。
様子を見に行くと、
馬よりも早く駆け抜ける脚力に、どこまでも高く跳び上がる跳躍力。
組み手の相手が構える盾を、訓練用の木製の剣で軽々と砕いていた。
「は……?」
ナギは……我々の見たこともない、規格外の筋力を持っていた。
「このままでは訓練用装備がなくなります」
騎士団長は若干遠い目をしながら横から報告してきた。
「あと、兵たちの怪我が絶えません……申し訳ございません」
「何か考えよう」
エドワードはすぐさま隣国へと書簡を送った。
――今代の勇者について、剣聖に手ほどきをお願いしたい。
勇者がはかない少女であること。
剣や武器とは無縁の世界から来たこと。
そして、規格外の筋力を持ち、このままでは我が国では訓練を続けられないことも、つまびらかに訴えた。
またドワーフの国には、鍛冶に通じ、できれば屈強な体を持つ者の派遣を願った。
木製では斬った感触がつかめないと、ナギが思い切り振った“勇者の剣”にヒビが入ったためだ。
ちなみに、組み手の相手は吹き飛ばされていた。
「”勇者の剣”…ヒビ…入るのか……」
さらに聖王国には「癒し手の派遣」も依頼した。
勇者の剣が使えない間に使用していた模造剣が、折れた衝撃でナギの頬を鋭く切り裂いた。
その時のリアノーラの動揺と絶叫はあまりにも凄まじかった。
「リアノーラ、分かったから。少し落ち着きなさい」
そしてある日、
「殿下、勇者さまは我々の知らぬ力をお持ちのようです」
今度は疲れ切った魔法師団長が現れた。
「お前もか……」
様子を見に行くと、
黒い巨大な渦の塊を片手で抱え上げているナギがいた。周囲には暴風が吹き荒れ、誰も近寄れない。
「これは……?」
「わかりません」
「ん……?」
エドワードは今度は魔導国へと書簡を送った。
勇者が魔法とは無縁の世界から来たこと。
規格外の力を持っていること。
何故か巨大な黒い渦を手から出しており、それが一体何なのか不明であること。
――できれば、今代の勇者について賢者に教えをお願いしたい。
それぞれの国からすぐさま書簡が届いた。
隣国からは剣聖が、
聖王国からは聖女自らが、
ドワーフの国からは第一線で活躍する戦士かつ鍛冶師が、
魔導国からは賢者が
いずれも、勇者のために王国を訪れることになる――。
そして、規格外で見たことのない戦い方をするナギを目の当たりにして、
「ほおってはおけない……」と全員が感じ、魔王討伐に同行する決意を固めた。
あの時を思い返し、エドワードは目元を和らげ、ふわりとほほ笑んだ。
「今となっては懐かしい……色々とあったが、懐かしい思い出だ」
そのナギが結婚した。
新郎は――吹き飛ばされない相手なのだろう。きっと。
ある意味、その通りである。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。