89話
反応しない水、動かない水──
シオルはテーブルに置いた花を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「流動しない水なら。水の“動き場”を奪うのはどうだろうか」
「動き場、ですか?」
ゼノスが呟く。
レオンハルトとドルガンはすっかり成り行きを見守っている。
「水は流れる。反応はその揺らぎで広がる。ならば──広がれないよう区切ればいい」
「区切る……?水をせき止める感じ?」私が思わず尋ねると、
シオルは頷きながら、テーブルの自分のカップを左手で持ち、軽く揺らした後、右手で魔方陣をだした。
「これを固定する」
お茶の水面が、すっと静まる。
ぴんと張りつめたように揺れが消えた。まるでゼラチンを入れて冷やし固めたみたい。
「ご主人様、これは?液体の表面に膜を張ったのですか?」
ウェブスターの問いに、シオルはカップを傾けながら
「風魔法を使った。極限に薄い圧を作り、水中に幾重にも膜のようなものを張る」
その上から摘まんだ花びらを一枚、落とす。
暫く待ってもお茶の中に沈まずに、その上に存在し続ける花びら。
ゼノスが驚いた声を漏らした。
「止まっている……?」
「液体が動かない以上、それ以外の異物は広がりにくい。反応できない」
眼には見えない極薄の膜が、水の内部を細かく区切っていた。
「水そのものを固定するのではなく、内部に“格子”を作る魔術理論だ」
「格子……」
村長が低く呟く。
「水はある。そしてその変質は連鎖で広がる。ならば、その連鎖を断てばいい」
シオルの言葉に、ゼノスの瞳が輝いた。
「微細に区画する……水を媒介とした変質の伝播を抑制する、ということですね。そして枯らせない」
「理屈はそうだ」
シオルは今度はテーブルの花に触れた。
指先から、魔方陣が広がる。
「風魔法を利用して、水の中、物質の内部に細かな境界を張る」
花は──変わらない。
だが。
ゼノスが慎重に魔力の揺らぎを探っている。
「……空間系ではない、風属性の構造制御……」
シオルが静かに息を吐いた。
「高度な制御が必要だが、不可能ではない」
「それは……我らでも?」
村長が身を乗り出す。
シオルはややためらった後、もう一度手元のカップを見つめる。
「……膜は微細に且つ均一でなければならない。破れれば意味がない。まずは薄い水面に張る訓練からだろう」
「段階的に?」とゼノス。
「そうだ。表面膜。次に一層、二層と増やしていく」
「理論構築は可能です。風属性の基礎応用として体系化できる」
ゼノスが興奮気味に頷いた。
「シオル兄ちゃん、じゃあ……僕たちも作れるの?」
目を輝かせてこちらを見つめるカイルに、シオルは目元を和らげながら『枯れない花』を手渡す。
「そうだな。かなり努力しないといけないが」
テーブルの周囲が明るい雰囲気に変わっていった。
「それとこれは、ナギの《界域》ほど完全ではない」
「完全ではない?」
「そうだ。ナギの『枯れない花』は永遠だが、これは風魔法を使用して、あくまで水による腐敗を止めているだけだ。さらに作成者の技量で保存期間が変わる。完全固定ではない。いずれ効果は薄れる。3年もてば良いだろう」
私の問いに、シオルは静かに答えた。
「なるほど……」
「それから、風魔法を利用した加工品だ。模倣がでてくる可能性がある」
魔術師なら誰でも出来る可能性がある、ということはコピーしやすいということだ。
「この村独自の品とするなら、花そのものに希少性をつけたほうが良いかもってこと?」
「そうだな」
私たちの言葉に、再び悩みだすメンバー。
「魔王領独自の花ってないの?」
思い付きだけど、シオルに聞いてみた。
最北端独自の花がもし、あるのであれば──
「魔王領?」
シオル以外の全員がギョッとした顔をする。
「うん。もしあればなんだけど。花って咲く時期とか種類とか、地域差あるでしょ?」
「なるほど。ウェブスター、心当たりあるか?」
「左様でございますね⋯果たして今どうなのか⋯。オルタとルネに確認しましょう」
「あればね。魔王領まで行って収穫するのは、人間じゃ難しいから。ゲオルグさんたちに相談したらどうかな?村はそれを買い取って、加工して販売する事業にしても良いかもって思って」
私の言葉にシオルが驚いた顔をした。
ここで魔族の話が出て来るとは思わなかったのだろう。
「なるほど!魔族の皆さんとの協力体制ですな」
村長の細い目に、光が宿った。
静かに、村に新しい道が生まれようとしていた。
◇◇◇
「魔王領の花ですか?」
翌日、早速魔族の集落まで足を運び、ゲオルグを捕まえて話を聞く。
私とシオルに加え、今回はカイルとリルが保護者付きで訪れていた。
至近距離で見る魔族に二人とも興味津々だ。さっきからキョロキョロしている。
「そうそう。淡い紫色の花と、黄色味がかった丸い花の群生地があるって聞いたんだけど」
「紫の花と黄色味がかった丸い花……」
これはオルタとルネに聞いた話と、シオルの微かな記憶から割り出した情報だった。
「ペイルヴィオとルマですかね?」
「ああ。そういえばそんな名を聞いた覚えが……」
シオルが横で小さく呟いた。
「その群生地って今もある?」
「はい。ご案内しましょうか?」
「ここから遠いかな?」
「ナギ様でしたらすぐかと」
そう言って、私の脇にいる二人の子供に目をやった。
「子供連れですと……遠いかもしれません」
「人間の大人なら?」
「片道で一日半でしょうか?」
「え。一日半かあ……ちなみにゲオルグさんたち魔族なら?」
「そうですね。半日はかからないと思いますが」
思わずシオルとゼノスと顔を見合わせる。
これは協力してもらわないと、そもそも村人には収穫が難しい。
「ナギ様?」
どうやって説明しようか考え込んでいると──
「ゲオルグ、魔王領の地図はあるか?」
「大まかな地図でしたら、ございます」
「群生地の場所を記せるか?」
シオルが何やら指示を出し始めた。
「ナギ姉ちゃん、あの子たちが魔族の子供?」
柱の影から、気になって仕方がないと、こちらを覗いている魔族の子供たち。
年恰好的に、カイルやリルとそう変わらない子もいる。
「うん。そうだよ」
リルも私の上着の裾を握りながら、子供たちから視線が離せないようだ。
「子供も、魔物と戦ってたって聞いたんだけど」
カイルが複雑そうな顔をしながら私を見上げて聞いた。
「うん。魔族は殆どみんな戦闘したよ」
「僕は戦ってない……」
視線をわずかに落として手を握るカイル。
「カイル……」膝をついて少し項垂れてしまったカイルの顔を見ながら
「魔族は人間とは違うのよ。さっきゲオルグさんも説明してたでしょう?人間の方がはるかに脆いの」
「もろい?」
「そう。だから同じように動きたくてもできないの。すぐ怪我をしてしまう。カイルはこれからだよ。きっとあっという間に成長してもっと強くなる」
私の言葉に、戸惑いながら顔を上げる。
「そうですよ。私が教えているんですから。あっという間に戦えるようになりますよ」
ゼノスからの後押しにやっと、少しだけ明るい表情を見せた。
ゲオルグが持ってきた地図を、シオルがじっと見つめながら何か書き込んでいる。
その様子を見たかったのか、カイルとリルがシオルの側に走っていった。
「──ナギにとってあの二人は……出会った時から、とても大切なんでしょう?」
ゼノスが二人の背中を見ながら口に出す。
横にいる賢者の目は、とても優しい色を滲ませていた。
「二人にとってもナギは特別のようなんですよ」
あの日──私のソラスの飾り紐が切れた時。
「あの二人が泣き続けていたのは聞きましたか?」
「……うん。シオルから」
「あれから、ナギに何かあったとき手助けぐらいできるように……自分たちも戦えるように、強くなりたいと、子供ながらに考えていたみたいですよ」
「それで二人は魔法を?」
「魔法の才能があると分かったのは偶然ですが。勇者の直系のせいなのか、二人とも特殊な魔力因子でした」
賢者自ら育てたいと思うぐらいの、可能性を秘めている──
「今回の風魔法の応用は、二人にとっても、あの村にとっても……将来的に色々活路がありそうです」
賢者の横顔はとても楽しそうだった。




