88話
王宮東側、第一王子執務室。
窓から射し込む陽の光が、机上の書類を白く照らしていた。
そこに控えめなノックが響く。
「入ってよい」
扉が開き、一人の壮年の男が姿を現した。
深い色の上質な外套をきちんと着こなし、軍人らしい無駄のない所作で歩みを進める。
その表情はやや緊張を伴っていた。
「王国の光、第一王子殿下に、ローデリック・フォン・ライヒベルク、謹んで拝謁の栄を賜りましたこと、深く御礼申し上げます。本日は貴重なお時間を頂き、申し訳ございません」
エドワードは視線を上げる。
「辺境伯。スタンピード鎮圧、よくやってくれた。北部の状況はどうだ?」
「はい。概ね予定通りに進んでおります」
だが辺境伯は一拍置いた。
「ですが……想定外の動きがございまして」
「──わかった。少しそこに掛けて待っていてくれ」
エドワードは直前まで筆を入れていた書類を手早く処理すると、向かい合うように座った。
「何があった?」
「はい。配置換えを免れた数家より、王領への編入、あるいは王都よりの領地へ配置変えの要望がありました」
「理由は」
「今回のスタンピードが想像を超える規模に及んだこと、復興は進んではおりますが数年規模の大事業になる見込みであること……。また魔王復活の目撃も広く伝わっており、あの地に住まう者たちにとっては恐怖や不安が大きい状況のようです。スタンピード前に決定していた北部再編により、一部の他家が現在配置変えを行っている最中と知って、我もと希望があがっておりまして」
辺境伯が要望のあった貴族籍が記された書類を、テーブルに置いた。
エドワードは指先で押さえ、ゆっくりとめくる。
そこに記されている名に視線を動かしながら──
「恐怖か……便利だな。自分たちは全く戦っていなかっただろう?」
「はい」
「王領。もしくは、配置変えの者は王都よりの領地を希望していると……」
辺境伯の視線が僅かに鋭くなる。
「……はい」
「暫く預かる」
即答だった。
「承知いたしました」
北部は揺れた。そして恐らくこれからも揺れる。
だがその揺れに乗じる者がいるなら、調べなければならない。
恐怖故だけなのか、それとも──
エドワードは椅子に軽く身を預けた。
「王領代官代理はどうだ?頑張っている様子だが」
エドワードの言葉に、強張っていた辺境伯の表情が緩んだ。
さっきまでの張りつめた空気は薄れ、親代わりを務めていた娘の話を、嬉しさを隠しつつ目を細めて話す辺境伯。
それから暫く……エドワードは娘自慢を聞かされることになった。
◇◇◇
結婚式から数日後、屋敷の使用人たちはシオルの命を受けて、各国へと旅立つ日を迎えていた。
マーニャとフェリアは、今一番情報が欲しい聖王国へ。
トリアとバルトは王国の南側から、ロウランとイグナは隣国から東周りに。
リュミエルは王都に潜伏し、情報を集めることになった。
「では皆さん、定期的な報告と、注意する動きがあったら逐一連絡してください」
ウェブスターが、メイド服の上に外套を着ただけのマーニャたちを見渡す。
「……本当にその制服で行くのですか?」
心配気にもう一度尋ねている。
ロウランとバルトも外套の下は燕尾服とコック服だそうだ。
「「はい!」」
「そうですか……」
皆、服に色々仕込んでいるようで、このままの方が都合が良いらしい。
元気よく手を振って出発していく使用人たち。
最後まで執事長は巣立つ子を見る親鳥のように、心配げな視線を向けていた。
「ウェブスター、きっと大丈夫だ。……多分」
村に帰ってもウェブスターが心配しているので、シオルが思わず声をかけている。
「ご主人様。マーニャとフェリアチームは良いのです。あそこは絶対大丈夫です。リュミエルも問題ないでしょう。トリアとバルトチームは……大丈夫だとは思うのですが、トリアの容姿が少女ですので、バルトが誘拐犯に見えないか心配です」
「ああ……」
「問題はロウランとイグナチームです。あの二人はいつも勢いで行動します。絶対に何か起こします」
「そうかもしれない」
「あの二人そうなの?」
横から覗き込むように主従を見る。
私が思っている以上に心配事があるのか、二人は顔色が悪かった。
「え。そんなに?」ならなぜその二人をコンビにしたの……?
「あの二人は昔から猪突猛進なのです。奥様」
「潔いと言えばそうなのだが……」
隣国方面に顔を向けている二人につられるように、私も視線を送ってしまった。
「あ!ナギ姉ちゃん!」
振り返ると、村長の家の前でカイルとリルが手を振っていた。
「シオル兄ちゃんも、お帰りなさい!」
「ウェブスターさんだ!!」
リルが嬉しそうにウェブスターにまとわりつく。
怪我の具合を心配していた二人は、久々のウェブスターに嬉しそうだった。
村長の家では、入ってすぐのテーブルでドルガンがお酒を飲んでいた。
「お。帰って来たか」
「また昼間から飲んで……」
カイルとリルが奥の部屋に向かい、私とシオルは空いている椅子に腰をかけた。
「凄い刀をありがと!シオルから頂きました」私は勢いよくお辞儀する。
その様子を見たドルガンが、赤い顔の目尻を下げながら、
「俺も初めて見た鉱石だったからな。どうなるかと思ったが」
「すごく綺麗でびっくりした」
「ナギの剣は、シオルの旦那が相当悩んでたからな。大切にしろよ」
「うん!」
「二人とも帰って来たのか」
奥の部屋に続く扉が開き、レオンハルトとゼノスが顔を覗かせた。
「ただいま!留守の間、ありがとうございました」
二人にも改めてお礼をする。
「気にするな。何もなかったしな」
「ゆっくりできましたか?」
続いて村長と、その後ろからカイルとリルがお茶セットを持って入って来た。
すぐさまウェブスターが手伝っている。
皆でお茶を飲んでくつろいでいると、
「実は、お二人に相談したいことが」
あらたまった村長の言葉に、シオルと「?」を浮かべてしまった。
「あの『枯れない花』は、我々でも作れるじゃろうか?」
もともと、この村『キャラッ レ アリエル』は周囲の山や森の木材を加工するか、生息する獣や魔物、魔獣を討伐し、得られた素材を売ることで生計を立てていた。加工品や毛皮などの素材は、定期的に辺境伯領まで運び込むか、時折訪れる行商人に引き取ってもらっていたのだが。
「スタンピードによって、その山から樹々がなくなってしまった」
復興はモンテ家の慰謝料があったので、現状問題はないが。
生態系が戻るまで、今後の収入源をどうするか……村人の間で悩みになっているらしく。
「カイルたちから、ナギさんの『枯れない花』を聞き、それがもしこの村の特産品になればと、一度相談したかったのじゃが」
隣のシオルを見ると、眉間に皺を寄せ、少しだけ悩んでいた。
「二人が居ない時に、私も相談を受けたんですけどね。実際に作っている所を見たことがなかったので、想像ができずにいまして」
ゼノスの言葉に、それならと、リルの用意してきた一輪の花に全員の前で《界域》をかける。
「これは空間に作用してますね……」
ううむ、とゼノスが唸る。
「そうだ。ナギの特殊スキルだからな。一般的な属性魔法でこれを再現するのは難しい」
続くシオルの言葉に、村長とカイルが少し残念そうな表情になってしまった。
私の能力を使わずに、これからの収入源のため自分たちだけで作りたい⋯⋯ということだよね。
私の世界のブリザーブドフラワーはどう作るんだろう?
知識が無いと、こうなった時にとても歯痒い。
「花が枯れないようにする……。うーーん。ねえ、ウェブスターさん。前に、イノシシ肉の保存食作った時、加工前に凍らせるといいって言ってたけど、あれは腐るのを遅らせるためだったよね?」
私の質問に、ウェブスターがちょっと眉をあげた。
「はい。凍結中は腐敗が止まります。また、血抜きや水分排出が進みますので」
──腐敗を進みにくくさせる……。
「腐敗は“水が動く”ことで進む。なら水を抜いて腐敗を止める、ということか?」
シオルがリルにもう少し花を持ってくるように頼んでいた。
「変質を止める?」
ゼノスの目が輝いている。
「うーーん。多分ね。多分なんだけど。魔法でも水分抜いたら花は枯れると思う」
目の前の『枯れない花』を持ちながら呟く。
「例えばなんだけど。凍らせると長持ちする。 水が動かないと腐らないなら、動かない水にできないかな?」
「動かない水?」
「うん」
「反応しない水……。水を媒介とした微細変質の連鎖を止める……」
シオルが手元の花を見ながら何か難しいことを喋りだした。




