85話
相談したあくる日、マーニャ達メイド三人はシオルに挨拶してから屋敷へと戻って行った。
シオルの後ろで私が親指を立てると、こっそり同じサインを返してくれた。
(マーニャもしてくれて、ちょっと驚いたのは内緒だ)
あの優秀な使用人たちは、おそらく本当に四日間で準備が完了してしまう。
あとは、怪しまれずにシオルを屋敷に誘導する何かがいる……。
けれどその心配は意外にも、シオルからの依頼で、翌日あっさりと解消されることになった。
「指輪の仕上げ?」
指輪用の魔石にはすでに二種類の魔術紋が刻まれていて、その土台になるリングと台座を、屋敷の地下室で仕上げたいらしい。
「ああ。今日の予定が終わったら、丸一日程屋敷に行ってくる。良いだろうか?」
「一日……」
「義手はもうかなり訓練が進んでいるし、暫く問題ないと思っているのだが」
「(なるほど……)」
「ナギ?もし不都合があるなら……」
「ううん!大丈夫!」
私はニッコリと笑って、一緒に帰るとシオルに告げた。
せっかくなら、シオルの作業が終わったら、そのまま二人で少しゆっくり過ごそう?
そう付け加えたら、シオルがみるみる嬉しそうにしてくれたので、私もこれからの事を想ってワクワクしてしまった。
そうと決まればと、私たちは早速村長の家に向かった。
シオルは、レオンハルトの義手の様子を確認しつつ、ドルガンと何か話し込み、その後はゼノスに魔術の相談を受けている。
すっかり勇者パーティーとも打ち解けているその姿に、思わず微笑んでしまった。
「ナギ姉ちゃん、嬉しそうだね?」
カイルが横から私を覗き込む。リルも不思議そうにこちらを見ていた。
「ふふ、そう?あ、そうだ。実はね、今日これから少しの間、シオルの屋敷に帰る予定なの」
「そうなんだ!屋敷ってトリアさんとイグナさんもそこにいる?戦ってもらったのにお礼言えてないんだよね。怪我したって聞いてるんだけど、具合大丈夫かな?」
「ウェブスターさんは?いる?」リルが膝の上に手を乗せながらピョンピョン跳ねている。
「いるよ~。皆にも会ってくるからね。怪我はね大丈夫だよ。それに今度戻ってくるとき、ウェブスターさんは一緒に帰ってくる予定だから」
「本当?」二人が目をきらきらさせて喜んでいる。
「うん。ちょっとだけ待っててね」
「「うん!」」
◇◇◇
世界樹に着いた私たちを迎えたのは、すっかり身体を修復されたウェブスターだった。
義手の本体を作りにシオルが帰った時に、三人の修復も済ませてきたらしい。
「お帰りなさいませ。ご主人様、奥様」
(私がシオルと結魂をしたと聞いて、これからはきちんと『奥様』呼びにしたい、と言われてしまった)
屋敷からマーニャとロウランが、こちらに来るのが見える。
思わずマーニャに視線を向けると、こっそり三本の指をたてていた。
(あと三日かな?)
「じゃあシオルは地下室で作業だね?その間、私は部屋で過ごしてるから、終わったら来てね」
「ああ。分かった」
シオルとロウランが地下室に向かうと、私はウェブスターとマーニャを連れて『白緑』の部屋に足を向けた。
「奥様、お部屋も少し改装させていただきました」
ウェブスターがゆっくりと扉を開ける。『白緑』は隣のシオルの部屋と繋がり、かなり広くなっていた。
同じ意匠の寝台が二つ、間を少しだけ空けて壁際に並べられている。
窓辺にはダークオークの滑らかな丸テーブルが配置され、その両側に深緑の布張りの椅子が向かい合うように置かれていた。
「以前から『温泉』など、奥様が浴場に大変関心を寄せていらっしゃるご様子でしたので、こちらを重点的に……」
そう言って続けて開けた扉の先には、磨き上げた白大理石を敷き詰めた床に、ゆったりと身を沈められる巨大な一枚岩を彫り抜いた浴槽。そして自宅で見慣れた銀色のシャワーヘッドが壁に備え付けられている。
「!!」
大興奮した私が言葉を出せずに全く動かなくなったので、リュミエルとトリアが入浴の用意を整えてくれた。
「ご主人様が地下室の作業を終えられるまで、どうぞごゆっくりお過ごしください」
マーニャの言葉にお礼を言いつつ、私は素敵なお風呂を堪能することにした。
とても良い香りのする入浴剤をリュミエルが溶かしてくれたので、じっくり湯舟に身体をつけてみる。
「これ何の香りだろう?」
「ルネが用意したのですが、針葉樹から採れる木の香りと、リラックス効果のある香りの植物をブレンドした物だそうです」
「へえ~~~。なんか柔らかくて落ち着くね。凄く好き!」
あまりに心地よくて、手のひらに寄せた香りをそっと吸い込んだ。
「良かったです。ルネに伝えておきますね」
身体がふやけるのではないか、というぐらいの時間をお風呂で過ごした後、トリアの用意してくれた着替えに袖を通し、窓際の椅子でくつろいでいると、リュミエルが果物などの軽食を持ってきてくれた。
「ご主人様ですが、間もなく地下室での作業が終わるご様子でした」
「了解!じゃあ。皆の用意が完了するまで、私たちはゆっくりここで過ごすね」
「承知いたしました。では私たちは引き続き準備を……」
「うん!私もシオルにはバレないように、頑張る」
それから本当にすぐに、シオルが部屋に戻ってきた。
「ナギ、待たせた」
部屋の改装に少しだけ驚いた後、私に向かって笑みを零す。
「お疲れ様!」
私はシオルの手を手をそっと取ると、壁際に置かれたベッドへとゆっくり歩き出した。
ふかふかのベッドに腰かけ、「シオル、ここに座って?」私の隣をポンポンと叩く。
「ナギ?」
シオルが不思議そうにしながら、言われるがまま私の隣に座った。
そっとシオルの左腕を引っ張って、体の向きをこちらへ寄せるように促す。
少しだけ戸惑ったように、シオルはこちらを見つめたまま。
私は背に添えた手でゆっくりと支え、自然と頭の位置が自分の膝の方へ近づくように引き寄せる。
普段は私が抱きかかえられることが多いのに、今日は逆。
人生初の膝枕で、私がシオルを甘やかす。
「……ナギ?」
少しだけ不思議そうに、私を見上げながら小さな声を漏らすシオル。
「シオル、スタンピードからずっと、頑張り続けてくれたでしょう?」
こちらをじっと見つめる膝の上の夫に向かって、私はそっと声をかける。
「シオルのおかげで皆、生きてる。ありがとう」
「ナギ……。頑張ったのはナギもだ」
シオルが目元を和らげて、指先で私の頬に触れた。
頬に触れた相手の指先の温もりに、思わず目を瞑ってしまう。
そのまま彼の手を包むように、上からそっとその指先に触れた。
「すごく嬉しかったの。だからこれは、私からのささやかなお礼なんだけど」
ゆっくりと瞬きをしながら目をあわせ、膝の上に落ち着いたシオルの頭に、私は手を伸ばした。
指先が髪に触れた瞬間、その柔らかさを確かめるようにゆっくりと撫でる。
この世界でとても大切なものを触れるときのように。ただ優しく。
髪を梳くように指先を何度も往復させる。
シオルが瞬きも忘れたように、私の顔を見たまま動かない。
「……あのね、その、素人だから上手くないかもだけど」
少しだけ力をこめた指先で頭を撫でながら、目元にもそっと手を添える。
シオルの瞼を閉じるようにゆっくり手のひらを滑らせて、マッサージするかのように、疲れをほどくように、指の腹で静かに円を描いていく。
「シオル、痛くない?大丈夫かな、気持ちいい?」
顔を近づけて囁くと、目元を私の手で覆われたままシオルが嬉しそうに頷いた。
ふ、と吐息が漏れ、その表情はどこか緩んでいるようにも見える。
目元の次は彼の腕や手を、指先でやわらかく筋をなぞるようにほぐしていく。
「じゃあ次、首の後ろ」
そっと片方の手を項に滑らせ、逆鱗のあった跡に触れると、シオルはびくっと小さく体を揺らした。
「……ナギ?」
少しだけ動揺したように、口を開いて。
「魂で触った時も気持ちいいって言ってたけど。どう?」
ツボを押すように周囲も含めて、優しく何度も。
「気持ちいい?」
撫でるたびに、指先に伝わる温もりが彼の熱を伝えてくる――
シオルが息を荒く吐いたように見えた。
「……っ、」
バフンという音を立てて、シオルの変化が解け――
薄く光を纏った白金色の髪が揺れ、赤い角が現れる。
驚いて宙に浮いた私の腕に、シオルの手が触れた。
「ナギ……」
「ごめん、嫌だった?」
「そうじゃない。だが」
「シオル、あの時言ったでしょう?全部あげるって」
言葉の重みが伝わったのか、シオルが息を止めた。
「あのね。いらなかったら、その……ちょっと私、色々と恥ずかしいんだけども」
自分で言っておきながら、とんでもなく照れてしまった。思わず私の手が完全に止まる。
すると、目元を隠していた私の手を、シオルが優しく掴んでゆっくりと動かした。
そこにあったのは――
吸い込まれそうなほど広い空のような、私の大好きな青い瞳。
その両目が、隠そうとしても隠しきれない熱を抱えたまま私を見つめていた。
――その後、私は三日間、部屋から出られなかった。




