83話
「シオル兄ちゃん。ナギ姉ちゃんと仲直りできたかな?」
リルがお茶を飲みながらポツリと呟いた。
「大丈夫だよ。きっと」
隣でカイルがリルの頭をなでながら、
「でも凄く怒ってたけど。剣聖さまたち、何か言っちゃった?」
向かいのレオンハルトに、不思議そうに尋ねる。
「……」
レオンハルトとゼノスは気まずそうにしながら、ポツポツと話し始めた。
最初は穏やかに、いつもの訓練をしていて。
復興の進捗が話題になり、シオルが魔族達のことが気になっているのでは、と思った二人は――
「魔族の右陣ですが、集落としての体裁が整ってきて良かったですね。第一部隊がちゃんと役にたってるみたいで……」ゼノスが茶を口にしながらそう話したところ、それまで興味なさそうにしていたシオルが、わずかに反応を示したという。
だが、何気なく続けられたレオンハルトの、「第三部隊の連中もよっぽど気になってたんだろうな。ナギと一緒に第一部隊の様子を見に行くなんて」という言葉に、シオルは一瞬、動きを止めたらしい。
そしてそのまま深く……かなり深く息を吐いて下を向いてしまったと。
最初は、シオルが魔族の集落の状況に安心していると思っていたのだが。
「それはいつのことだ?」
レオンハルトの義手をつかみ、顔を伏せたままのシオルの低い声が響いて、二人は「おや?」と首を傾げた。
「?この義手を作りにシオルが村を出てた日だ」レオンハルトが訝しげに答えた途端、更に黙り込んだ。
義手に流れてくるシオルの魔力がビリビリしている。
ゼノスがレオンハルトの服を引っ張った。
「……シオル?」
そこから、気がついたら目の前に魔王が降臨していたらしい。
「それは……多分ナギ姉ちゃんは、シオル兄ちゃんに黙ってだんだよ」
カイルが大人二人にちょっと呆れた眼差しを向けた。
「シオル兄ちゃん、ナギ姉ちゃんが男の人と話したり、会ってたりすると凄く不機嫌になるんだよ」
「いっつもバチバチしてる」リルがお菓子を食べながら横で、うんうんと頷いている。
「だから普段からナギ姉ちゃん、シオル兄ちゃん以外の男の人とは、なるべく一緒にいないように気を付けてて」
子供の言葉に、大人の二人が青くなっている。
「シオル兄ちゃんが傷つかないように、黙ってたんじゃない?」
あの日――、村長の家にいたナギに第三部隊のメンバーが尋ねてきた。
魔族に対して、何か思う所があるかもしれない第三部隊だけ行かせる訳にもいかず。
ナギは魔族の集落に一緒に行った。
もしその事を後からシオルが知ったら、傷つくと考えて。
ナギは黙っていた。
それを、意図せずにばらしてしまった。
「でも。結局シオル兄ちゃんが怒ってたのは、そこだけじゃ無かったみたいだけどね」
そう言ってカイルは目の前のお茶を飲んだ。
レオンハルトもゼノスも知らなかった。ナギが第一部隊にそんな目にあっていたとは。
それなのにナギは――
「ナギは頼られたら断らない。出会った頃からずっとだ」
レオンハルトは自分の義手を見ながら項垂れた。
「元々の性格もあるでしょうが……勇者としての性もあるのかもしれませんね……」
窓の外を見つめながら、ゼノスも戦い続けてきたナギの姿を思い出していた。
「シオル兄ちゃんは、きっと怖かったんだよ。ナギ姉ちゃんがまた傷つけられるかもしれない、シオル兄ちゃんの知らない所で……って」
魔王シオルはあの時、ナギの側から決して離れまいと、抱き上げた力を緩める気配もなく帰っていった。
それだけ抑えられない感情で溢れていたんだろう。
その怒気をあてられたナギは……可哀そうだった。
「明日、ナギに謝ろうと思う」
向かいのカイルとリルがお菓子を食べながら、大人二人の言葉に頷いていた。
◇◇◇
馬車は大きく揺れ、車輪が石を跳ねるたびに軋む音が響く。
ララベルとライエルを乗せた馬車が、第三部隊の一部を引きつれて領地替えをされる北部貴族の領地を巡っていた。
窓から景色を眺めていたライエルが、ふと自分を見つめるララベルの視線に気づいた。
ララベルは寝る間も惜しんでこの業務にあたっていた。
それこそ移動時間も無駄にしまいと、先程まで報告書を眺めていたのに。
「どうした?内容に何かあったか?」
「いえ……」
ララベルは少しだけ言いよどんだ後、膝の上に書類を置いた。
そしてかつての自分の上司に気遣うように言葉を続ける。
「ライエル隊長は……勇者様のことを――ナギ様の事を想っていらっしゃいますよね?」
突然の投げかけに、ライエルは少しだけ動揺した。
だが、かつて部下だったこの人物は、人間観察の目がひときわ冴えていたことも公爵令嬢の護衛に抜擢された理由だったと思い出すと、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「……ララベルが初めてナギさんと出会ったのは王宮だろう?」
ライエルの言葉にララベルは、リアノーラの侍女として接してきた、勇者の姿を思い出す。
「俺は……俺が初めてみた彼女は」
ゆっくりと自分の足元に視線を移しながら
「迷子になったかのように……取り残された者の目をして、静かに泣き続けていた」
ララベルはその言葉に目を見開き驚いた。
彼女の知る姿からは想像できなかったからだ。
少しだけ息を呑んだ部下の姿を視界の端に入れながら、あの日のことを思い出す。
ライエルが初めて見た勇者は、幼いカイルに手を引かれて、壊れたように泣き続けて……目を真っ赤に腫らしていた。
その服装から、この少女が探していた勇者だと気が付いた。と、同時に。
心がひそかに軋むような、痛みが走った。
我々はこんなに、か細い少女に何を強いているのか――。
そして少女の泣きぬれた瞳に、黒曜石のような輝きをまとったその瞳に、吸い寄せられてしまった。
引きつけられて、目が離せなくなった。
『カイル、無事に見つけたのか?よくやった』
カイルを撫でながら、胸の奥で何かが動くのを感じていた。
『勇者さま、ご無事でよかった』
カイルの手をしっかりと握っている、彼女のそのか細い手を見つめる。
そこで思わず、彼女に手を差し伸べたくなっている自分に気付いた。
最初は……明らかに傷ついている一人の少女に、大人として寄り添う感情が生まれたんだと思っていた。
けれど、カイルとリル、二人の前でまた涙を零し始めた姿を見てしまい、胸の奥が締めつけられるような痛みを覚えた。
だが彼女は第一王子の婚約者だ。幼い子供や勇者パーティーならともかく、自分のようなただの村人が触れて良い身分ではなかった。
――彼女が村の周囲の魔獣や魔族を狩りつくす様子は、まさに勇者そのものだったけれど。
ライエルの心にずっとあったのは、黒曜石の艶を放つ大きな瞳から、滑り落ちていく雫。そのひと粒の光がこぼれた様子を思い出す度に、自分の心が酷く軋んだ。
勇者パーティーが村から旅立ってもそれは変わらず、ライエル自身が戸惑っていた。
数年がたち、魔王を倒し王都に帰還したと噂を聞いた時。
良かったと思った。第一王子を始めとした周りの者に守られ、もうあんな風に泣かなくてすむだろうと安堵したのは本当だった。
けれど彼女は戻ってきた。この村に。
ライエルの目の前に、ただの冒険者として。彼女の口から殿下と婚約破棄してきたと聞いて――。
また彼女があんな風に泣く時は、手を伸ばしても良いのではないかと、わきまえず思ってしまった。
そして彼女の姿を探し、声をかけ、同じ村に住む者として接する内に、心が静かに更に育ち⋯⋯。ライエルがその想いの正体に気付いた、その矢先。
シオルが現れた。
アイアンボアの希少種を討伐したあの日、彼は木の上にいたライエルを確かに見た。
青い瞳がライエルの心の奥を確かに捉えていた。
……彼はあっという間に彼女の心に住み着いてしまった。
村人総出の結婚式では、遠くから眺めるしかできなかった。
イノシシ狩りの時は、二人の親密さを直に見てしまい、収穫祭ではきっと二人で回っているだろうと、自分は周囲の森を巡回した。
そのシオルから『ソラス』をもらった。持ち主を外敵から守る貴重な守護石。
淡く輝くその石は、何か心の驕りが消えていくような、神聖な光を纏っていた。
それからライエルは必ずその『ソラス』を持ち歩くようになる。
スタンピードが起こり、カイルの編んだ紐が切れても、シオルはナギを諦めなかった。
彼女は生き延びた、というより生まれ変わったように見えた。
「シオルさんが居てくれて良かったと、心の底から思っているんだ。彼がいなければナギさんは死んでいた」
「……」
「俺は、二人がこれからも穏やかに過ごせる場所が、村が、あのままあり続けられたらと願っている。今回のような襲撃に備える事も、中央の思惑も。俺みたいにケガで退役した軍人でも役にたつのであれば、必要としてくれるなら、動く」
「隊長……」
「それよりも、ララベルはいつまで俺を隊長と呼ぶんだ?俺はただの護衛だからな。呼び捨てにしろ」
「……それはちょっと。今すぐの解決は難しい問題ですね……」
ララベルとライエルはお互い、ちょっと困った顔をしながら暫く見つめ合っていた。




